第4話

 B兵器。『Biological・Weapons』の略称だ。

 しかし生物・細菌・毒素兵器のデータとはなぁ。日本だって『生物毒素兵器禁止条約』に加盟しているのに。

 自衛隊がそんな物に手を出していたとは、呆れたぜ。


「それは誤解です。元々このB兵器は、近年アジアの裏市場で暗躍していた兵器マフィアが開発していたものなんです。

 あたし達がこれを入手した理由は、解毒薬を造る為。

 ……この新型B兵器は、人を獣(けもの)に変える作用を持っているのです」


 獣?


「未だ、実戦に投入された事が無いので、どんな獣なのかは、判りません。

 そのB兵器は、新発見の酵素で構成されていて、それが哺乳類、特にチンパンジーやゴリラの様な類人猿、或いは最も効果が高いと予想される人間の体内に吸収された時、『ナイト・ヘッド』と呼ばれる脳の未使用部を刺激して、筋力を百パーセント使用可能にさせるそうです。

 但しその際、どういうシステムでそうなるのかは未だ解明されていませんが、理性が全く働かなくなるという副作用がある事がモルモットでの実験で判りました。

 新型B兵器を投与されたその姿は、正に血に飢えた猛獣そのものだと。

 ――実際、投与されたチンパンジーが実験の最中暴れ出し、その場にいた研究員の身体を素手で軽々と上下に分けたそうです」


 ひぃ。そりゃあ。もしそれが首都のド真ん中で使用されて、そこに居た人々に理性を無くしてフルパワーで暴れ回られては、間違いなくその国は壊滅的ダメージを受けるだろう。

 で、その解毒薬は未だ完成していないのか?

 そう訊くと倉橋三佐は済まなそうに頭を振り、


「何分、人間の脳には未だ未解明の部分が多すぎて……。

 成分の解析は、用賀の先進技術推進センターでも並行して行っていたのですが、汚染を恐れた為に、現物は市ヶ谷の地下保管室に厳重に保管して、市ヶ谷から送られてくるデータで、研究所より一歩遅れて成分解析の処理していました。

 襲撃が、研究所員が不在の早朝だった為に、彼らを人質を取られなかったのは僥倖でした。

 しかし、襲撃された日の前夜、肝心の成分データが、研究所の分析室にあるスパコンのデータ配信システム上のバグによるトラブルで、サーバーから誤ってリネイムし忘れていた一か月前の未更新の旧データを本庁に送信してしまい、本庁のデータ・ファイルがそのまま更新されている事が判明しました。

 その結果、解毒薬の開発がその一か月分後退してしまったのです。

 現在、研究員達が必死にそのブランクを埋めようと、遺されたデータと記憶を頼りにセンターで解析を行っていますが、流石に一か月間のブランクは至難の業らしく、やはり研究所のデータを取り寄せなければ難しいそうです。

 その為、襲撃犯達の手によって、保管されている新型B兵器が今直ぐにでも都内で使用されたら、最悪の事態に…………!」


 宮仕えって奴は、一寸つまずくと簡単にお手上げ、って言うから気に入らん。

 『望み』がある以上、諦めるな。


「――では!?」


 おいおい、そんなに喜ばれても困るぜ。俺が引き受ける気になったのは、君みたいな聡明な美人が怪物になってしまうのが、もっと気に入らないからさ。

 何気なく、さらっと言ったつもりだったが、倉橋三佐はすっかり赤面してはにかんでいる。

 キザは嫌いなんだが、どうやら俺は天性の女ったらしらしい。やれやれ。

 さて。問題の襲撃犯について、色々訊きたいのだが。


「お前がそれ以上知る必要はない」


 突然、事務所の扉を勢い良く開けた奴がいた。


「倉橋三佐、民間人にそれ以上の機密漏洩は、国家への反逆の意思ありと見做します」


 俺はいけ高々と言う巨漢を見て唖然とした。

 さぶ? お前、何で背広なんか着てるんだ? お前、服は暑苦しいと嫌がっているだろ?

 訝る俺の声を遮る様に、巨漢は頭を振り、


「知り合いと勘違いしている様だな、矢追隼人」


 へ?


「矢追さん、彼は陸自の徒無(あだむ)一佐です」


 徒無……。そう紹介されても、俺の目にはどうしても背広を着たさぶにしか見えない。

 つるっパゲの厳つい顔、二メートル以上もある身長、背広越しにもその脈動がはっきり感じられる、張りのある筋肉。恐らくあのさぶ同様、半端な鍛え方では得られないであろう。

 ま、俺に言わせりゃ、マッチョなんて皆同じだ。敢えて見分ける気は更々無ぇ。


「矢追さん、紹介します。徒無一佐は市ヶ谷に駐屯する特殊部隊の隊長です」


 特殊部隊……?

 訝って見る俺を無視し、徒無一佐は倉橋三佐を睨み付けた。


「倉橋三佐、勝手な事をしては困る。報道管制を敷いてまでいるのに、こんな得体の知れないチンピラに機密を洩らすとは!」


 チンピラとは酷ぇ言いグサだ、この野郎。


「……はん。一端に問題処理屋を気取っている様だが、貴様の様な女みたいな男では、ロクな仕事は出来まい」


 小馬鹿にして笑う徒無一佐に、俺は顔には出さなかったが、かなりむかついた。

 生憎だが、少なくとも、部外者を簡単に侵入をさせる様な間抜けな仕事はしていないぜ。


「……あん?」


 それとも、身内にナメられたとか?


「「!?」」


 俺がそう言うと、徒無一佐のみならず、倉橋三佐も目を丸めた。

 理由は簡単さ。

 いくら報道管制を敷いていても、仮にも、都心にある警戒厳重な自衛隊の駐屯地に、武装集団が侵入して大騒ぎにならない訳が無い。あの駐屯地の近くにはTV局もあるんだぜ。


「むむ……っ」


 易々と入れる武装集団。――自衛隊関係者しかあんめぇ。

 それも、駐屯している特殊部隊。

 俺の推理はビンゴだったらしい。徒無一佐は唇を噛み締めてばつの悪そうな貌をした。


「……その通りです」


 黙り込んだ徒無一佐に代わって、倉橋三佐が答えた。


「但し、今回の事件は、一佐が不在時に、副長が起こしたものなのです」


 ふ~ん。でも、何でその事件の時、あんた――失敬、徒無一佐は不在だったんだ?


「民間人に答える必要はない」


 徒無一佐は突樫貪に言う。だけど、俺は現状の僅かな情報だけで、粗方推理出来ていた。

 六本木に出頭していた、とか。兵器マフィアと繋がっている、と密告があって、な。

 言われて、その通りだったらしく、徒無一佐はぎょっとして俺を睨む。


「……ちっ」


 忌々しげに舌打ちする徒無一佐を見て、俺は理解した。

 新型B兵器を造った兵器マフィアと繋がっていた副長の計画的犯行、か。


「流石、超一流の問題処理屋。貴方なら、今度の事件も解決してくれそうね」

「倉橋三佐!何もこんな民間人のヤサ男に協力を請う必要は――」

「徒無一佐。今度の作戦は私が責任者です」


 半ば怒鳴りつけて言う徒無に、倉橋三佐は怯む事無く、冷徹な眼差しで睨み返す。思わずビビる徒無一佐の姿は、まるで階級が逆みたいだぜ。


「第一、本来ならば、隊の責任者である一佐は、本作戦には参加を見合わせていただくところです。本庁の特例で参加していただいている事を忘れないで下さい」


 今のが決定的だったねぇ。元々女性には弱いタイプなのか、徒無一佐はすっかり縮こまってしまい、それ以上何も言わなくなった。いやぁ、見てて実に痛快だねぇ。

 徒無一佐を冷たく睨み付けていた倉橋三佐は、急に俺の方に向いて、にっこり微笑んだ。凄い変わり様。これだから女って生き物の本性はディープ過ぎるぜ。


「それでは、研究所への侵入作戦について、説明します」

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