s/第32話/031/g;

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 ウェブカメラを通して、研究室の様子が画面に表示される。

 水面は息を飲んだ。

 梁から延びているのか、ケーブルで作られた輪っかを手にして、事務椅子の上に立っている御堂の姿。

 谷中は、間に合うか。

 多分……無理だ。

 冷静な頭がそう判断するが、頭を振って打ち消す。とにかく、なんとかしなくては。何ができるだろう。注意を惹くようなこと。


 そうだ。

 スーツの内ポケットから取り出したスマートフォンで、水面の携帯電話を鳴らした。

 御堂は、ケーブルが自身の加重に耐えきれるか確かめていたのだろう。手にしたそれを引っ張る動作を止めて、彼女は、横方向に視線を投げた。

 ウェブカメラのマイクの音量が最低まで絞られているらしく、音声までは入ってこない。

 だが、その先に携帯電話があるのは間違いない。

 手を止めて電話に出てくれれば……少しなりとも、時間が稼げる。

 しかし、水面の願いも虚しく、御堂が視線を携帯に投げていたのは僅かな時間に過ぎなかった。再び、ケーブル強度の確認作業を再開している。

 稼げた時間は十秒かそこらといったところだ。

 これでは意味がない。

 もう少し、注意を惹くことができるものは……。

 水面は映像を見ながら考える。

 一つ思いついた。

 ——このカメラは、動かすことができる。


 ずっと動かし続けていれば、興味を惹くかも知れない。いや……ダメだ。

 御堂は、作業中の手元に集中している。カメラが動いていようと気づきすらしない可能性もある。もっと、直接的な方法はないものか。

 研究室にあるものを確認する。

 複数台のコンピュータ。中には、何か利用できるものがあるかも知れない。だが、今から侵入を試みても、その間に、御堂は……首吊り自殺という目的を達してしまうだろう。

 電源の入っていないモニタも沢山ある。

 リモートからウェイクオンLANのパケットを流してみるか?

 デフォルトの設定でも、幾つかのコンピュータは起動するだろう。複数のモニタの電源が一斉に点いたら流石に気づく……いや、これもダメだ。

 先ほどコンピュータのリストを出したときのことを思い出せ。殆どのコンピュータが、既に起動していた。それでモニタの電源が切れているということは、モニタ側の物理電源を落としているということだ。これでは意味がない。


 落ち着こー。

 すーっ、と煙草を吸うイメージでゆっくりと呼吸をする。

 もっとシンプルに、訴えかける。

 五感に。

 視覚、嗅覚、聴覚——そうだ。

 パソコンのキーボードに手を戻して、複数回キーを叩いた。

 そして。


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『や・め・な・さ・い』


 突如、室内に響いた電子的な声に驚き、御堂は、念のために同軸ケーブルを束ねて強度を高める作業を中断した。

 窒息しそびれて生き延びてしまうと大変なことになる、と。以前に推理小説で読んだ記憶が脳裏を掠めたための作業だったが。

 いつのまにか止まっていた呼吸を再開、室内を見回してみる。

 誰もいない。

 空耳だろうか……?

 決心をしたつもりだったのに、怯えているのかも。

 その為の、幻聴だろう——。

 そう、思い込もうとしたとき。


『や・め・な・さ・い・、・み・ど・う・み・ち・る』


 再び室内に声が響いた。今度は先ほどよりも大きな音で。御堂は完成直前のケーブルの輪を投げ出し、室内を歩き回った。

 この部屋には、物陰が何カ所にもある。

 疑問の解消はまずは観察から。

 幻聴なのかも知れないし、その可能性が高いと思いながらも、今ここにある謎を放置できないのは、どうしてだろう。


『む・だ・だ・、・わ・た・し・は・ど・こ・に・で・も・あ・り・、・そ・し・て・ど・こ・に・も・い・な・い』


 その声に、みちるは驚くよりも苛立った。

 この文句は——誰かの剽窃だ。

 御堂は確信した。これは、幻聴じゃない。誰かの仕業だ。

 そして、おそらくは……。


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 ……ちょっとだけ、面白いかも。

 水面は、不謹慎だと知りつつも、ほくそ笑んでいた。

 ちょっとしたテクニックだが、思う以上に当たった。ウェブカメラが接続されているパソコンの搭載されているOSは、水面のノートパソコンと同じで、このOSには読み上げ機能が標準で付属している。

 その機能を使って、スピーカーから声を出しているだけだった。

 極めて単純な方法。

 日本語はうまく発音してくれないので、ローマ字を基本にちょっと弄ってやる必要があったが、それで十分だった。

 効果は覿面で、今も御堂は室内を歩き回っている。


 もう一言、何か言わせてみようかなー……。

 いや、種がバレないように、ここは控えるべきだろう。

 これで時間を稼いで、谷中が工学部棟に辿り着くまで保たせられるかどうか。ギリギリのような気もする。

 何か別の手段も考えておきたい。

 しかし、取りあえず稼げた時間は有用だった。さっきと違って、考えるだけの時間が確保できた。

 カメラの向こうの様子を見ながらも、水面は再び思考に沈んでいった。

 たった一つの、自分が犯しているミスに気づかないままに。


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 御堂がそれを発見したのは、ほぼ偶然に因るものだった。

 最近よく使っているマシンに接続していた、ウェブカメラの動作ランプが点灯している。このランプは、ただケーブルで接続しているだけでは点かない。カメラとして機能している場合のみ、赤く輝くのだ。

 マシンに近づいて、モニタの電源を入れた。

 やはり、そうか。

 何者かがログインしていて、ウェブカメラを操作するアプリケーションが動いている。

 ウイルスではこんな的確な動作をすることは滅多にない。

 しかも、このタイミング。

 遠隔地からパソコンを操作している人物は……間違いない、水南水面だ。あの俊才。

 確信に近い推測。

 御堂は、躊躇うことなく、ウェブカメラの接続ケーブルを引っこ抜いた。


『む・だ・だ』


「——貴方の行動がね、水面さん」


 今の音声は余計だ。音源がこのコンピュータのスピーカーだということまで、御堂に教えてしまった。御堂は、すかさずスピーカーの電源をオフする。

 止めなくても、自殺を遮るものはなくなったが、味気ない電子音で喚き立てられながら首を吊ろうとは思わない。当然、見られるのも嫌だ。

 カメラはもうない。スピーカーも……。

 最後の一つを止め終わった。

 そして、静寂だけが、残った。


 その、はずだった。

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