s/第24話/023/g;

 次の講義を受けている間に、携帯へ笹目からのメールが届いた。

 何通かやりとりを交わし、事件について大切な話があるので一人で来て欲しい、と言われた谷中は水面を伴わずに、現ミ研のクラブ室のドアの前までやってきた。

 ノブを回して部屋へ入ると、笹目が一人で座っていた。


「あ、どうも、お待ちしてました。どうぞこちらへ」


 谷中の姿に目を止めた笹目は、隣の椅子を引きながら言う。

 その笑顔にどことなく緊張したものを感じつつ、谷中は側まで寄って、口を開いた。


「事件の話だって……?」


 事前に詳しいことは何も教えてもらえなかった。

 どうしても、会ってから話したいというのだ。


「どぞ、座ってください」


 丁寧だが、有無を言わせない口調だった。谷中は、勧めに従って、笹目のすぐ隣の椅子に腰掛ける。


「それで、話って何?」

「その前に、ちょっと確認したいことがあるんですが」


 笹目が胸の下で組んだ左手の指が、とんとんと肘を叩いている。小さな腕時計の四角い文字盤がきらりと光った。そのまま、視線があらぬ方に行きかけるのを押しとどめて、谷中は笹目の顔を見た。


「本当のことを言ってほしいんですけど……。谷中さんは、水面さんのこと、どう思ってるんですか?」

「……え?」


 どきり、とする。

 図書館で思い浮かべた、よくない想像が頭をよぎった。

 笹目の表情を窺うが、口を引き結んで谷中を見つめる瞳は真剣そのものだ。


「いや、俺は別に水面があやし……」

「水面さんのこと、好きなんですか、ってことです」


 頭が真っ白になった。


「——は? え?」


 疑問の声を繰り返し上げる谷中に、水面はずずぃっと身体を寄せてきた。


「はっきりさせてください。好きなのか、そうでないのかを」


 なんで笹目がそんなことを気にするんだ、と冷静なときの谷中なら考えただろうが、混乱していて考えが至らない。


「いや、俺は、そういう感情は、別に……」


 結果的に口から出たのは、いつもの——高校の頃からたまに使っていた、台詞。

 女に、興味なんかない。

 誰が好きだとか嫌いだとか、そんな照れくさい話をしなくて済むし、もし会話相手と同じ人物に恋していても気まずくなることがない。そして、何よりも——どんなときでも、無難。

 自分の本心とはまったく関係なく漏れた一言に、笹目は目元を和らげた。


「そうですか……それはよかったです」


 ほわっ、と花咲くような微笑み。

 直後。


「本当ですよね?」


 一転して、固くなった声が唇から漏れた。

 ああ、と。

 答えを返して、谷中は無理に笑った。いや、唇が引きつっただけだったかもしれない。


「……安心しました」

「どうして?」


 胸を撫で下ろす笹目に対する問いは、すんなり出てきた。


「え、それは……えーっと」


 俯く笹目。

 みるみるうちに、両のお下げの隙間から覗いている耳たぶまで赤くなった。


「その……ですね」


 奇妙なくらいに言い淀む。

 その笹目の、髪に浮かぶ天使の輪を眺めていた谷中は、不意にはっとした。


「い、いや、別に言いにくければいいんだけど」


 顔を上げた笹目と目が合う。


「すみません。助かります」


 それだけ言うと、再び笹目は視線を落とした。

 腕時計で時刻を確認するかのように、手首を一度だけくいっと返す。


「あの……」

「ところで」


 二人は、同時に口を開いた。

 本題を聞きだそうとした谷中は、いったん口をつぐんで、発言の機会を笹目に譲る。


「あの、胸、好きなんですか」

「——はい?」


 上擦った。

 天上天下森羅万象好悪硬軟善悪陰陽男女の全てにかけて、上擦りまくった。


「見てましたよね、時々、いえ結構……頻繁に」


 全部気づかれてた!?

 というか、なんでこんな話になってるんだ?

 谷中の頭で暴れる思考が、次の一言でフリーズした。


「……触ってみます?」


 苦しくなって、止めていた息を吐き出した。思考はキックスタートで再開。

 なななななななにを、でしょう。

 あれか、あれだよな。今、俯いている笹目の下げた視線の先にある、たっぷりしてるやつ。二つの膨らみ。魂に似た塊。ドリーム幻想ファンタジー理想郷ユートピア


「いやいやいや、触ってみるもなにも俺べべ別に興味ないしっ」


 どもりながらも、頭を激しく振る。


「興味ないんでしたら、触ってみてもなんともないですよね?」


 え、いや、確かに理屈上はそうかも知れないけど……? あれ、正しいの?


「水面さんのことが好きじゃないんだったら、問題なく触れると思います」


 そ、そういうものなのかな……。


「さあ、どうぞ……」


 顔を横に向けて、谷中に胸を突き出してくる笹目。彼女が身を震わせただけで、その二つの丘陵がぶるんぶるんと。ごくり。


「……あの、優しくお願いしますね」


 了解。

 いつの間にか伸びていた手が、薄い生地の上からそれに触れた。


「——ぁっ」


 バッ。


「すみません。びっくりしちゃって……。続けてください」


 こくり。……ぷに。


「ん……」


 ぷにぷに。

 ぷにぷに。

 ぷにんぷにん。

 ——あれ? ところで、なんでこんなことしてるんだろう。

 谷中が我に返りかけたとき、ガチャという音がして、ドアが開いた。

 鷲づかみの手は凍り付いて、目だけが動く。

 水面、影中、本田。


「————————!」


 絹を切り裂く悲鳴に、鼓膜が破れそうになる。

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