s/第23話/022/g;

 第一講義室の前で、水面と別れた。

 すぐに家に戻って、御堂に指摘されたトリックの欠点を試してみたいとのことだった。立ち去ろうとする水面に別れの挨拶を交わした後、谷中は一人で図書館の方へ向かう。

 大学での空き時間の過ごし方は幾つかあるが、あまり時間がないときは、図書館を利用するのも一つの手だった。

 移動中、見知った顔と出くわして、声を掛けた。


「よう、最近どうしてる?」

「大差ないな」


 革のつなぎを着て、浅黒い肌をしたその男は、谷中の高校からの友人だった。


「谷中はあれか、あの何とかいう女に付きまとってんのか?」

「付きまとっているかどうかはともかく……ま、そんなところかな」

「正直じゃねーの。さてと。これからちょっとなんだ」


 彼は、手にしていたフルフェイスのヘルメットを拳で叩く。


「見て、一目で分かったよ」

「じゃあな、また」


 ああ、と谷中が頷きを返すと、男は離れていった。

 まったく……。

 自由そうで、羨ましいことだ。

 予期していなかったタイミングで出会ったが、相変わらずバイクに夢中のようだった。高校の頃は、免許を取ることさえ禁止されていたので、その反動でハマったのだろう。大学に入ってすぐ、夢中になれるものを見つけサークルにまで参加している級友の姿は、眩しい。

 歩きながら、谷中は、今の自分も同じなのかも知れない、とすぐに思った。

 入学した当初はやりたいこともなかったが、先日水面に出会ってからは、彼女との関係が深まりつつあるのをスパイスに感じている。

 水面さえよければ、友達から、もう一つ関係を進めても……。

 いや、そもそも、こないだのように家に遊びに来たり、さっきのような出来事があったりするってことは、口にしないだけで水面もそういうつもりなのだろうか?

 もしかすると、自分の行動を待っているだけなのか。

 そうだとしたら……。

 不意に笹目の顔が、頭を掠めた。どちらかといえば、昔の自分の好みは笹目のようなタイプだったはずだ。煙草を吸う女は、好きになれそうにないと思っていたのに。蓮っ葉な感じがしないせいだろうか。

 そんな夢想をしながら、谷中はアスファルトに舗装された地面を進む。


 キャンパス内は、サークル棟のような一部例外はあるが、そこそこ掃除が行き届いていて、緑も多く、公園めいた心地よい雰囲気がある。山の中にある大学だからなのかも知れないが。そんな中を、女の子のことを考えながら歩くと、時間さえも忘れてしまう。

 いつの間にか、目的の図書館に辿り着いていた。

 レンタルDVD店のように、持ち出し管理用のゲートが備え付けられているゲートをくぐる。ロビー状のエントランスから、階段を上って二階に上がる。

 二階に上がってすぐ、机なしで一人掛けのソファが並んでいるスペースにでた。

 奥の部屋までいくと、机が並んでいてレポートを作成したりしている学生がいるのだが、こちらは適当な雑誌などを手にとって、くつろぎたい人向けだ。

 谷中も、そこにいた皆にならって、書棚から雑誌を取ってきて座り、パラパラとページを繰り始めた。

 が、あまり頭に入ってこない。

 気になることが他に沢山あって、脳裏にちらつくせいだ。

 段田の事件について……。それに、水面について。

 写真すら意識に入らなくなった谷中は、目を閉じてのけぞった。ゆっくりと息をしながら、思考の内に身を沈める。


 まず、思い浮かべたのは事件のことだった。

 自殺か、殺人か。

 水面の前では殺人と言った。実際、今でもそう思っている。が、これ以上水面に首を突っ込ませるのは、彼女の性格を考えると危険かも知れないと考えると……。

 どうして、あんなに危機意識がないのだろうか。谷中が先に眠ってしまったとはいえ、半裸になって隣で寝てしまうなど、むちゃくちゃだった。高校の頃もまさかあんな感じだったのだろうか。

 浮世離れしている、という表現が似合う。

 そこまで考えて、いつしか水面のことに意識のフォーカスを移していた自分に気づく。

 両足を浮かせて、背中に体重を掛けると小さなソファの前部が床から離れた。不安定な状態で倒れないようにバランスを取りながら、思考の流れを修正する。

 水面が犯人候補としてみているのは、現ミ研のメンバーだろう。もしかすると、自分もその中に入っているかもしれない。


 本田方史郎。

 影中景夫。

 笹目早希。

 御堂みちる。


 この中で、段田大悟を殺そうと思う動機がある人物は……よく分からない。水面も気にしていないようだ。多分、それは正しいのだろう。子供の頃に読んだことのある、推理小説の名作の一節が頭に浮かぶ。

 ——どんなに起こりそうにないことでも、他の可能性が全て消去されているなら、それが真実に他ならない、とかなんとか……。


「怪しい記憶だな」


 呟いたとき、ソファの足が地面に着いた。

 声に出したせいか、ゴトリという音がしたせいか、視線が幾つか集まった。

 ……動機でなくて手段に着目する。方法はともかく、死亡推定時刻に殺人を行ったのだとすれば、その時間にあの部屋にいなければならない。

 いや、どこかで殺して死体を運びこんだ、というのはどうだ?

 現場に零れていた大量の血の説明が難しい……が、可能性としては消去できない。とにかく、水曜日の午前一時近辺に、自由であった人物が疑わしい。

 本田は除外できるだろう。

 彼は、バイト中だったからだ。ちょっとした休憩時間で、段田を殺してトリックでああしたと考えるのは、現実的ではない。

 影中と笹目はどうか。

 少しずつ、可能性はありえる。影中はファミレスで食事中で、証言もあるというが、かなりの時間席を外していても、店員がそこまでチェックしているとは思いにくい……が、警察が証言を受け入れているということは、その線も少ないか。

 笹目は友達と映画鑑賞。こちらは誤魔化す余地はもう少しありそうだ。

 映画館は暗いし、友達一人だけの目から逃れればいいのであれば……しかも友達なのだから、ひょっとすると偽証の線すらあるかも知れない。警察が、彼女と友人の証言を、どう受け取っているのかが知りたい。

 しかし、やはり……この中で怪しいのは。

 御堂みちるだろうか? 電話での会話だけであれば、場所は証明しないというのが、水面の指摘だ。それは正しいはずだ……

 水南水面と、山下谷中の二人だ。

 彼らは、事件の第一発見者でもある。

 

 自分で無罪を主張すべき、谷中自身のことは、この際どうでもいい。問題は、水面だ。


 ——彼女を本当にノーマークだと思っていいのだろうか?

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