s/第22話/021/g;
翌日。昼。
谷中は水面と一緒に、大学のコンピュータ室にやってきていた。経済学部に設置されているものだ。工学部にも似たような設備があるらしいが、谷中は知らない。
ここに来たのは、水面の提案によるものだった。
昨日に居酒屋で水面が話した推理について、直接本人にぶつけてみよう、というのである。
室内には、多数のコンピュータが並んでいて、いずれも電源が入っている。そのためか、雑音が多く、また、工業用の塗料なのか仕上げに使う素材なのか分からないが、独特の匂いがしていた。
床には、グレーの絨毯のようなものが敷かれているが、よく見るとところどころに切り目が入っていて、そこからケーブルが伸びている。配線は床下を通っているようだ。五十台ぐらいのコンピュータがあるが、室内にいるのは数人だけだ。
「ここは人少ないねー」
「時期が時期だからな……。卒論とかの頃以外はあんまいないみたいだぞ」
そんなものなのかー、なんかずるいなあ、と水面が口をひんまげて言った。
「ああ……そっちは違うのか?」
「工学部のほうは、いつも沢山人いるよー。狭く感じるぐらい」
ふうん、と谷中は気のない様子で頷いた。
「とりあえず、奥を使わせてもらおーかな」
水面の呟きに従って、谷中は奥の隣り合った席を二つ確保する。
情報リテラシーという科目名の、パソコン操作に関する講義で取得したIDとパスワードを打ち込んだ。後期以降のパソコンを使う科目の前提として、履修が必須のものだ。内容は簡単で、本当に初心者向けのことと学内の独自ルールしか教えてくれない。
水面は、経済学部のパソコンにはログインできないので、谷中のIDを使っただけだ。
「ここのパソコンは、Linuxじゃないんだね……まあ仕方ないかー」
興味深げに辺りを見回していた水面がそんなことを呟くが、谷中は無視した。聞けば説明をしてくれるだろうが、こんなところで水面センセイの余計な講釈を聞いている時間はない。
「で、どうするって?」
ログイン後、画面右下のトレイにアプリケーションが表示されていく。
「んー、まずはブラウザを立ち上げて——」
水面から指示されるままにパソコンを操作する。水面自身は、自分のノートパソコンを開いていた。
「まずはこのリンクから……そうそう、そこからは学内イントラだから。研究者一覧のところをクリックして……」
指定のURLから、リンクを辿っていく。
「画面検索して。メニューバーに検索があるはず。……ああ、なんか分かりにくいなあ、このブラウザ。とりあえず、CtrlとFを同時に押して。うん、それでいいよ。じゃあ御堂さんの名前を……」
キーボードを打つ。水面に見られているので、ちょっと緊張した。タッチタイピングとまではいかないが、それなりにスムーズにキーを叩けて、少しほっとする。
「そのメアドをクリックして。うん。で、メールを打って欲しいんだけど」
文面は水面任せで、タイプだけしていくが、途中で水面が横から手を出してきた。
「ちょっと貸して」
横の席に座ったまま、身を乗り出すようにして、谷中の前のキーボードに手を伸ばしている。鼻の先で、水面の細い髪が揺れる。いつものバニラの匂いにくわえて、花のような香りが漂ってきた。
そんなことはつゆ知らず、水面はキーボードを叩いてメールを書き上げる。
「はい、送信して」
「……あ、ああ」
マウスを操り、代筆されたメールを送信する。いや、署名には水面の名前が入っていたので、代筆というよりは名義貸しか。
「返事はどうするんだ? ここで待つのか?」
「……え?」
動くアイコンが止まって、送信が完了した旨を知らせてきたので、疑問に感じたことを水面にぶつけてみた。
「もしかしてー……転送設定してないの?」
「そんなこと出来るのか。知らなかったぜ」
転送設定という言葉自体は知っている。届いたメールを、別のメールアドレスに転送するための設定だ。だが、大学からもらったメールアドレスで、それが出来るとは知らなかった。
「ちょっと席代わってよー。設定したげるからー」
谷中が既に座っているにもかかわらず、水面は、押し出そうとするように、同じ椅子に乗ってきた。
「お、おい」
「——ぁんっ」
椅子からはみ出て落ちそうになった谷中が、とっさに水面の腰に手を回すと、口から色っぽい声が漏れた。
「す、すまんっ」
立ち上がると、他の学生がこちらを見ていた。
黙って隣の席に移る。しばらく視線は集まったままだった。
誰からも注目されなくなるように、谷中は何事もなかった風を装う。そんな谷中の肩が水面によって叩かれたのは、少し時間をおいてからだった。
「ほら、ここ見てよ」
こちらを見ている人がいないのを素早く確認してから、谷中は画面を確認した。
ブラウザの中、シンプルというか質素なデザインのページが表示されていて、そこに転送設定のオン・オフの選択欄と、メールアドレスを書く欄があった。
「へえ……。こんなページがあったのか」
言いながら、横目で水面の顔を見て、はっとした。
頬がうっすらと赤いような気がする。
「水面……」
「え、どーしたの?」
モニタを見ている水面は、こちらを向かずに返事をする。その声は冷静だった。
「いや、なんでもない」
先入観による錯覚だろうか、と思って、もう一度頬に視線を止めようとしたとき。
「——あ」
水面が呟いた。
「どうした」
谷中も、モニタに視線を移す。
「メールの返事、来たみたいだね。ほら」
画面には、「新着メールが到着しました」のダイアログボックスが浮かんでいる。谷中の見る前で、水面はボタンをクリックした。
届いたメールが表示される。
それは確かに、御堂みちるからのメールだった。
空調が、一定のペースでやや涼しいと感じるぐらいの風を吐き出し続けている。その中で、谷中と水面はメール本文に目を通していった。
「うーん。そっか」
水面が、一歩先に読み終わったのか、そう独白すると腕組みをした。
直後に、谷中も最後まで読み終わる。
御堂からのメールを要約すると。
——推理は面白い。ただし、マイク装着時に、段田と一言も言葉を交わせない、という欠点に目を瞑ったとしても、段田と揉み合うことにでもなれば、動作によるノイズが沢山乗ってしまう。そういうリスクを考えれば、現実的とはいえないのではないか——
「どうなんだ?」
谷中が水面に聞く。
「……まだ試してないから、分からないなー」
指摘を受けても、アイデアを捨てるには至らなかったのか、水面はそう言った。
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