s/第16話/015/g;

「箸、得意なんだな」

「へ?」


 塩焼きされたアジの身を巧みにこそぐ水面を見て、谷中が言った。

 笹目から話を聞いた日の夜、二人はまたも居酒屋にやってきていた。もちろん、言い出したのは水面だ。流石に、今回は奢りではなかったけれども……。


「あー。そうなのかな? あまりそーゆーの、気にしたことなかったけど」

「少なくとも俺よりはちゃんとしてる」


 あえて変な握りにしてみせると、水面が笑った。


「ところで、探偵ごっこの方はあれで順調なのか?」

「……探偵ごっことは、キミもなかなか性格の悪い表現をするねー。まあ、少しずつ情報も出そろって来てるよね」

「そうなのか? あまりそんな感じがしないんだが……」


 つくねの串焼きを、卵の黄身に浸して口に運びながら、谷中は続けた。


「一応みんなアリバイもあったし、影中さんが言ってたように、現ミ研以外や自殺の線も考えてみたほうがいいんじゃないか?」


 一息点けたくなったのだろう。煙草のパッケージに手を伸ばした水面が、そのまま谷中の方を見た。


「うーん。まあそうかもねー。それより」


 言葉を止めて、抜き出した煙草を口に咥える。

 銀のオイルライターで着火。そして、漂うバニラの香り。


「そろそろ、谷中くんの意見も聞いてみたいな」

「俺か?」


 細く長く、水面が煙を吐き出した。

 大きな瞳でこちらを見つめる水面の手元に視線を移して、煙草の動きを追いながら、考えをまとめようとするが……。


「いや、俺は……」

「じゃあ一問一答式で。まず一つ目はねー……さて、大悟さんは自殺でしょうか、他殺でしょうか?」

「……他殺、かな」


 迷いつつ答える。


「その心は?」

「いや、落語じゃないんだから」


 そもそも、落語家が良くやるだけで、本来はなぞかけという名の独立した言葉遊びなのだとか、聞いた覚えがあるのを思い出した。


「……まあいいや。遺体を見た水面なら分かるだろ、あんな自殺の仕方はちょっとな。まあ自分の感想でしかないんだが」

「ま、そーゆー直感も大事だよ。では第二問。他殺ということなら、犯人が別にいるわけだけど……犯人はどうやって密室を作り上げたのかなー?」

「それが分かれば苦労しないだろ」


 推理小説はあまり読まない谷中でも、それが密室の肝だということは知っている。どうやって作ったか分からないことによる効果、つまり、犯行の立証が不可能になることを狙っているのだ。

 逆に、その謎さえ解ければ犯人が特定できるのだろう……。


「——なんで?」

「へ?」


 だが、水面はそんな谷中の思考をあっさりと切り捨てた。


「鍵を掛けるのに、たいそーな小道具が必要だなんて限らないよ?」

「影中が言ってた糸とテープとかだろ、推理小説は読まないけど、漫画でそれっぽいトリックは見たことあるぜ」

「違う、違う。鍵を掛けるのに使うのは、鍵だよ。当たり前だけどー」


 少しだけ、考えた。


「まさか、本物の、段田さんが持っていた鍵ってことか? だけど」

「そうだね、それは大悟さんの財布から発見されてるねー……だから、合い鍵」


 ごくりと息を飲む。


「いやいやいや、また俺が犯人説かよ!」


 谷中が突っ込むと、何がおかしいのか、水面がぶはっと煙を吐き出した。


「けほ、けほっ。ち、違うってばー。そうじゃなくて、合い鍵を持っていそうな人や、使える人が、他にもいるでしょ」


 指折り数え始める。


「谷中くんもそーだけど。大家さんをまずカウントしなきゃね。そして、後は当然だけどみちるさんもだね」


「……まあ、そりゃそうだろうが。大家さんはあの日旅行に出てたってのは、こないだ俺が教えただろ。みちるさんにも確かなアリバイがあるし」

「みちるさんのアリバイって、なのかな」

「え? いや、確かじゃないのか、電話してたんだろ、相手が共犯でもなきゃ……」


 谷中は、小さな鉄製皿——木の板に乗せられている——で出てきた、カット済みのお好み焼きに箸を伸ばしながら言った。上で、かつお節がくねくねと踊っていて、ソースの匂いが食欲をそそる。


「電話の相手って、目で見ているわけじゃないからねー。方史郎さんのバイト中とか、景夫さんのレストランで食事中とか、早希さんの友達と映画鑑賞中とか……その辺りに比べると弱い気がするんだなあ」

「言われてみればそうかもな……」


 口に入れると、生地が少し重かった。お好み焼き専門店と比べる方が間違っているか、と谷中は反省する。


「もちろん、トリックで鍵を掛けたのかも知れないし、犯行のために前もって大悟さんの鍵を拝借して合い鍵を作ったのかもー」

「うーん」


 首を捻る谷中。

 その時、店員が新しいグラスを持ってきた。水面が頷いて、空いたグラスを手渡す。


「他の人の、アリバイにトリックがある可能性も……うん、美味しい」

「結局、よく分かってないんじゃないか?」

「まーね」


 水面はグラスをテーブルに乗せて、満足げに息を吐く。軽く上気した頬に目を奪われつつ、谷中は苦笑いした。


「まだまだ時間がかかりそうだな。こうしているうちに、警察が犯人を逮捕してたりしてな」

「それならそれで構わないけどねー」


 目を瞠る谷中に、水面が笑った。


「そうなのか?」

「うん、まーね。それでも謎は解けるし……。谷中くんが誤認で逮捕されなきゃ、最低限は満たしてるかな」


 谷中は箸を止めた。


「そうだったのか……悪かったな」

「別に気にしなくてもいいよ? 半分は興味本位だしねー」


 言って、灰皿に置いていた吸いさしの煙草を口に運ぶ。

 吐き出される紫煙でバニラの香りが強まったのを感じつつ、谷中は手を止めていた箸を再び動かし始めた。

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