s/第17話/016/g;

 重い方のビニール袋を、谷中が持っている。

 中に冷たい缶の飲料を沢山入れているせいか、そのコンビニ袋の表面には少し汗が浮いていた。持ち手の部分が掌に食い込む。


「あー、あんまり掃除していないんだが……」


 言い訳めいた台詞を、もう一度。


「べっつに構わないよー? っていうか、もう何をいまさらだよ」


 滑舌の崩れた、けれど上機嫌さを感じさせる水面の声。


「そう、なんだろうな」


 まず目に付いた、テーブルの上に散らかるコミックをまとめて積み上げる。


「あー、いーよいーよ、お構いなく」

「そうか? じゃあ、これ冷蔵庫に仕舞ってくるから……」

「その前に一本ちょうだい。レモンチューハイで」


 指示に従い、がさごそと袋の中を探って、缶を一つ取り出した。水面に手渡すと、彼女は微笑んでテーブルの側へ勝手に座った。

 待っててくれと言い残して、部屋を出てキッチンシンクの隣の冷蔵庫を開けて、缶を並べていく。

 ……どうして、こうなったんだろう。 


「ねー、テレビ点けてもいいかなー」

「ああ、好きにしろよ」


 水面の問いかけに、声が届くようにと大声で返す。

 部屋に戻ると、視界に掛け時計が入った。


「けっこう遅いな……」

「え? 何?」


 テレビの音で聞こえなかったらしく、水面はリモコンを操り、音量を下げていた。


「いや、なんでもない」


 言下に否定して、再び谷中は考え込む。

 ここは谷中が借りているアパートの一室である。もう十二時近くになっていて、水面と二人きりだ。いやまあ、分かっている。

 二軒目に行こうとまたぞろ言い出した水面に、賛同したときに時刻を意識してなかったせいで、こうなったのだということは。


「さて、飲むかー」


 カシュッとプルタブを引く音。蘇る記憶。

 ——どこも開いてないねー。確か、ここからキミの家って近いよね?

 だからと言って。


「どうしたの、谷中くん。座ったら?」


 頷いて、腰を下ろす。

 傾けた缶の中身に喉を鳴らす水面を見つめる。

 男物にしか見えないスーツで隠されているが、肩の線は細く、華奢だ。胸も薄い。それでも、前の経験から、柔らかい肉付きをしていることは知っている。


「つまみは何買ったんだっけ」


 水面が持ってきた袋の中から、適当に掴みだしたのをテーブルの上に並べていく。

 黙っていると、意識してしまうのが防げない。


「水面はどれがいい?」

「んー。それよりさ……」


 潜められた声が、少し掠れて。

 ぞくりとする。


「なんだ?」

「煙草……吸っちゃ駄目かなー?」

「外へ行け」


 ぷっくりと膨れる水面の頬が滑稽だった。


「うー。分かった」


 出ていく小さな背中を追いながら、谷中はほっとしてため息を吐いた。なるべく早く帰さないと、誤解してしまいそうだ。


「けど、普通来るかぁ?」


 呟きが漏れて、慌てて口を塞ぐ。

 踊る心臓を抱えて、わざと時間をかけてビーフジャーキーのパッケージを破った。ぴりりりりと切れていくアルミの包装。

 元々女の子の心理がよく分かるほうではなかったが、水面の心理は全く分からない。自分の口頭だけの台詞を本気に取っているようだが……不用心にもほどがある。

 包装からポリプロピレンのトレイを取り出して、袋の方は捨てる。同じように、チーズかまぼこの包装を解く作業に取りかかった。

 ……まてよ。

 パソコンはいい。何となくパスワードをかけているから、勝手に触られても問題はない。けれど、部屋の隅にある本やゲームソフトの山には。

 飛びついた。急いで山を崩して、中から男性向けのDVDと雑誌を選り抜く。クローゼットを開ける。どうしよう。

 ガチャリ。

 ドアノブの回る音。

 ——戻るのが、早すぎる。


「あれ、谷中くん?」


 廊下がみしりと鳴った。


「ん、もう吸い終わったのか?」

「ああ……そんなところに居たんだ」


 部屋にちょうど入ろうとしている水面の前に、谷中が立ちふさがる形になった。


「窓でも開けようかと思ってな」


 クローゼットの扉はもう閉めた。段ボール箱に詰めている冬服の下に隠したから、見つかることはないだろう。


「それなら中で吸わせてくれればよかったのにー。って、あれ、開いてないよ?」


 一歩引いた谷中の横をくぐり抜けて、部屋に入った水面が言う。


「キッチンの換気扇を回したほうがいいんだ。この時間だと虫が入るだろ」

「あ、そう。……あ、ついでに、新しい飲み物持ってきてくれるかなー? 種類はなんでもいいから!」


 はいはい、と気のない返事をしながら、コンロのところにある電源スイッチで、キッチンの換気扇を点ける。冷蔵庫に寄って、飲み物を取り出すことも忘れない。


「お待たせ」

「どもー」

「まだ、お腹空いてるんだ?」

「え? ……ああ、まあな」


 水面の視線がテーブルの上に並べられたつまみ類に落ちたのを見て、気づいた。

 既に開けられていたポテトチップスの袋には手を付けずに、二つも包装を解いていればそのように思われるのも当然だ。


「んじゃ、どんどん食べなよー」


 谷中は頷いて、手を伸ばした。固いビーフジャーキーを千切って口に放り込んだとき、水面の手元から、何度か聞いた覚えのあるノートパソコンの起動音が響いた。

 水面は、テーブルの上にパソコンを置き直すと、谷中を尻目に操作を始めた。

 軽快に踊る、白い手袋。

 カチカチとパッドをクリックする音と、カタカタとキーボードを叩く音が交互に、繰り返し聞こえてきて……徐々に谷中は眠気を催し始めた。

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