第三章 ストライクアラート(The girl is annoyed with him.)
s/第18話/017/g;
光よりも、音だった。
どこかでトラックの運転者がクラクションを鳴らしているのだろう。パァーンと早朝に似合わない轟音が突き抜けていく。
「……う、ん」
その音で目覚めた谷中は、目を擦りながら、体にかけられたタオルケットを剥ぐ。
「……え?」
すー、すー、と。
隣で、細い寝息が繰り返しているのは、水面だった。
どうしてこうなっているのか、という疑問が沸くよりも早く、その姿に目を奪われる。
水面は、上半身に開襟シャツを羽織っているだけだった。胸元は半分まで開いていて、白い膨らみまで見える。足は剥き出しで、臀部にかかったシャツの間から、下着が覗いてしまっている。
なぜか、手袋だけはそのままだった。
すー、す……。
水面が唐突に呼吸を止めた。思わず、谷中も息を止める。
「んー……」
ころんと寝返りを打った水面が、再び寝息を開始した。ほっとして、谷中は胸に溜まっていた息を吐き出す。
水面が背中を向けているため、谷中は彼女の肩から腰に流れる滑らかなラインを視界に納めることが出来た。しばし見とれて……。
「……え?」
二度目の驚きの声を上げて、直後、慌てて口を押さえる。
深呼吸を数度してから、自分がつい最前に剥ぎ取ったタオルケットを手に取り、水面に掛けようとした。
ほつれ毛のかかった顔を上から見る。無防備な、子供のような寝顔だった。
指先でその頬をつつきたくなる衝動を抑えて、タオルケットを掛けたら、水面が目をぱちりと開いた。
「あ……」
「……おはよー」
「……え?」
三度目の驚きの声。言語能力が完全に麻痺している。胸がばくばく鳴っていたのだが、唾を飲み込み、谷中はもう一度口を開いた。
「お、おう。おはよう」
水面の上から谷中が退くと、せっかく掛けたばかりのタオルケットを、彼女は自分で剥ぎ取ってしまった。
「んー?」
水面は自分の体を見下ろすと、首を捻った。
「……あー」
一度、二度と繰り返し頷いて、巡らせる首の先が、谷中に向いた。
「……あんまり見ないで欲しいんだけどなー」
「す、すまん」
ばっと向きを変えて、水面に背を向ける。目の前にはベッドがあった。そこで、ようやく、昨夜の眠気に襲われた記憶が最後だったと思い出した。
「俺、あのまま寝ちまったのか?」
「うん、そーだよ」
タオルケットが床に擦れる音が聞こえる。
「悪かったな」
「別にいーよ、疲れてたんだよね? んー……おっかしいな」
「……どうした?」
困惑する声に、谷中が聞き返す。
「ブラが見つからないんだよねー」
「……そうか」
声が上擦らなかったのは、奇跡かも知れない。不意打ちにもほどがある、と谷中はなぜか憤りを覚えた。
「そっちのほうかなー」
言われて、ふと気づいた。
「そこのテーブルの脚のところにあるのが、そうじゃないか?」
「え、どこ?」
「コンビニ袋の影に隠れている、青いやつだよ」
「ええー? どこー? っていうか、取ってよー」
はあ?
何を言い出すんだと思ったが、谷中は手を伸ばした。掴んだ薄いブルーのそれは、サラサラした生地だった。残っているはずのない温もりを錯覚しながら、後ろ手に、渡そうとする。
「ありがとー」
触れた指は、手袋に包まれていなかった。手袋越しでは、着替えが面倒だからだろうか。
僅かな時間の接触だったが、柔らかくしっとりした指の感触が、谷中の脳に刻まれた。
「礼はいいから、早く着替えてくれよ」
「はーい。でも着替えっていうか、昨日脱ぎ散らかした服を着るだけなんだけどねー」
「そういや、なんで脱いだんだ? 暑かったのか?」
「だって、皺になるんだもん」
言いながら、カチャカチャとベルトの金具と思われる音をさせている。
「なら、下着まで脱ぐなよ……」
「そっちは別の理由だよ、案外苦しいんだよ?」
知るか、と谷中は思った。
……興味はあったが、おくびにも出すわけにはいかない。
「んー。どーぞ。けど、お風呂入りたいねー」
「家に帰ってからにしろよ」
振り返ると、そこにはいつもの水面の姿があった。髪の毛はまとまっていないが、仕方がないところだろう。
「まーそうだね。ああ、そうだ。食べ物の残りとか、空き缶とか、まとめられるだけまとめといたからね」
「ん、サンキュ」
ざっくりとだが、片付けをしてくれたのには気づいていた。マイペースというか、自分勝手の塊のような存在だと思っていた水面が、そういう配慮をしていたのが、少しおかしく思えたぐらいだった。
「さて、と……じゃあ、そろそろボクは帰ろうかなー……」
「そうだな、俺も午前中に講義が一コマあるし」
頷いて、立ち上がった。
既に立っている水面を先導して、玄関のドアを開ける。まだ梅雨前だが、日差しは明るい。カーテンの閉ざされた室内から出たばかりで、まだ慣れていない目にはまばゆいほどだ。朝の空気は、心地よく澄んでいた。
「それじゃーね」
手を振る水面に、振り返す。
一時的な別れにすぎないと分かっていても、感傷めいた寂しさを覚えている自分に驚きながら、室内に戻る。
そこには、まだ微かにバニラの匂いが漂っていた。
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