s/第12話/011/g;

「なあ、水面」


 学生会館のある側に戻ろうと歩いている最中、谷中は水面に問いかけた。


「さっき、御堂さんが言ってたのって何のことだ?」

「えーと……どの話?」


 何の話だか分からないらしく、水面の黒瞳が左上に動いた。


「御堂さんが、お前のことを知っていたことだよ」

「ああー」


 たいしたことじゃないんだけど、と前置きして水面は続けた。


「この大学を受験したとき、ボクの試験問題が間違っていたらしいんだよねー」


 ほう、と頷く谷中。


「で、教育学部と経済学部と工学部の試験問題が一緒に出て、時間内で全部解いただけなんだけど……それが一部で話題になっちゃったみたいで」

「いや……すごいな、お前」

「別に全問正解とかしたわけじゃないし、手早くやっつけただけだよー?」

「っていうかだな、気づかなかったことが何より凄い」


 そう言うと、水面の頬がぷっくりと膨らんだ。


「むー」

「冗談だよ。どれぐらい解けたのかにもよるけど、普通に考えて凄いことだと思うぜ?」


 自分には真似できないな、と思いながら谷中が言うと、水面は白い手袋を填めた指先で、頬を擦った。


「そ、そうかなー」

「……で、この後どうすんだ?」


 照れているその姿は可愛らしかった。そんな水面に、何か言おうと思ったが、結局思いつかず、話題を変えてしまう。


「そーだね……今日はまあこれぐらいかなーと思ってるよ。一日であれこれ聞くのもなんだしねー」

「まあそうだな、楽しい話ではないだろうし」


 さっきの御堂はともあれ、現ミ研で流れた冷たい空気は忘れられない。


「あー。ごめん、自分の中で記憶の整合性を取り繕うようになる前に、質問を終えたほうがいいと思っただけなんだー……」


 申し訳なさそうに水面が言った。

 ううん、と口腔内で谷中は唸る。少しずつだが、水面の考え方が、理解できてきたように思う。いや、むしろ、理解できない溝を感じて遠ざかったのかもしれなかったが……。


「でね、次は——みちるさんと同じように、一人一人に話を聞いていこうと思うんだ」


 水面は気を取り直したのか、そんな風に言った。


「まあ……方針は水面に任せるけどさ。何か分かってきたことでもあるのか? ただよもやま話を聞いて回っているだけのような気がするんだが」

「少しずつ、とっかかりになりそうな疑問点が増えてきてはいるかなー」

「例えば?」


 いまひとつ合点のいかない谷中が問いかける。


「そーだね。例えば、大悟さんの話を出したときの反応だけれど、彼を一番嫌っていたのは——」

「本田さんか」

「ううん、景夫さん」

「影中さん? どうしてだ」


 本田は、段田を気に入らないやつだと明言していたはずだが。


「方史郎さんは、最初は口籠もっていたけれど、それを言いやすいほうに誘導したのは景夫さんだもん」

「……そうだったかな」

「そーだよ」


 ついさっきの会話ですら忘れかけている自分が怖い。


「後は……早希さんと方史郎さんって、付き合いが古そうな素振りがあるよね。時々、方史郎さんが早希って名前で呼んでたし」

「ああ、それなら俺も気づいた」


 谷中は頷く。


「でも、早希さんは方史郎さんのことを名前やあだ名では呼ばないんだよね。二人は微妙な関係なのかなー、とか」

「……めざといな」


 今後は言動に注意した方がよさそうだ。しかし、水面は、自分自身のことには無関心なんだろうか。それとも……あえて、自分の想いに気づかない振りをしているのか、と谷中は疑問に感じる。


「まー、こんな感じで、他にも色々とねー……」


 谷中の顔を見た水面が、にひ、と笑う。

 邪悪な笑顔だと思った。

 しばらくその表情を眺めていたが、通りがかった人に興味深げに様子を見られたのをきっかけに、前を向いて歩みを進める。


「ところでー、キミは後の講義があるって言ってたけど、いつまでオーケーなの?」

「ん?」


 背中から掛けられた声に、携帯を取り出して時間を確かめる。


「いけね、次の講義は出なきゃ」

 思っていたより遥かに時間が経っていた。もう十五分ぐらいしか残っていない。経済学部棟に戻って、ロッカーからテキストを取り出して……このまま、ゆっくりとはしていられない。


「それは残念。ボクはこれから機さんに会いに行ってくるよー。彼らにこっそり一人ずつ会うための情報を手に入れるには、それが手っ取り早そうだし」


「例の機さんか……つくづく縁がないみたいだな。まあ、俺は悪いけど講義に向かうよ、けっこうやばい感じだ」


 せかせかと喋り、水面に別れの挨拶代わりに手を上げる。


「りょーかい」

「悪い。じゃあまたな」


 小走りで離れる。途中で一度振り返ると、小さくなった水面の姿が見えた。彼女は、谷中の方に向いたまま、動きを止めていた。

 腕組みをして、片手の指を顎に当てて、何かを考え込んでいるような仕草なのが遠目にも分かる。視線は足下に落ちているので、谷中が振り向いたことには気づいていない。

 谷中は、早歩きまで速度を落としながらも、そんな水面をしばらく眺め続けた。 

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