s/第20話/019/g;

「みちるさんが、乙女だったとは知りませんでした……谷中さんは知ってましたか?」


 ひそひそと、谷中の耳元で笹目がささやく。


「同じサークルの笹目さんが知らないことを知ってるわけないよ」

「それもそうですね……」


 潜められた会話の向こうで、御堂は、かなりの間、ディスプレイされていたぬいぐるみを眺めていた。そして、頭を軽く振って、立ち去っていく。谷中や笹目には気づいていないようだ。


「……追いかけてみましょう」


 しばらくしてから、言ったのは笹目だった。


「まあ挨拶ぐらいはした方がいいのか」

「そうじゃありません」


 笹目の顔を見ると、瞳が抑えきれない好奇心に輝いていた。


「現ミ研の歩くクールビューティ、みちるさんの謎を探るチャンスです」

「おいおい……」

「さあ」


 谷中の静止を聞いていなかったのか、はたまた聞こえないふりをしたのか。笹目はさっさと歩き始めた。壁伝いで。

 ……なんだかなあ。

 ため息を吐いた谷中も、その一方で面白いかも知れないと思った。

 水面に、話すネタが拾えるといいな。

 重そうな胸を抱えているのに、猫のように敏捷に後を追う笹目に舌を巻きながら、谷中も追いかけ始める。


「おい」


 エスカレータ乗り場に入る前で立ち止まった笹目に話しかける。彼女は、口を引き結んでこちらを向いた。


「しーっ」


 子供じゃないんだから、そういう黙らせ方はやめて欲しいんだが……。

 仕方なく口をつぐんだ谷中の前で、笹目は時々首を出して乗り場を覗き込む。そんな彼女を指さしている子供連れがいたが、気づいていないのだろうと思い、放っておいた。少しだけ距離を取って。


「よし……」


 呟いて、笹目が止めていた足を動かした。

 谷中には、もう口を挟む気はない。笹目の行くところに、ただ着いていくだけだ。

 そうして。


「なんだ……家電屋さんですかぁ……」


 次に笹目が歩みを止めたのは、一階にある大型家電量販店の一画だった。

 御堂は店内にいて、ビデオカメラやデジカメが飾られているところを冷やかしていた。笹目は期待を外されたと言わんばかりに、がっくりと肩を落としていた。


「せめて、キッチン製品とかそういう方向にいけないんですかね……」


 誰にともなく言う。


「なあ……もう良いんじゃないか」


 谷中が切り出すと、笹目はあっさりと頷いた。


「そうですね。みちるさーん」


 呼びながら、彼女は御堂に近づいていく。かなり近づいたところで、ようやく御堂は笹目の存在に気づいたようで、振り向いて瞬きをした。


「早希ちゃんと……ええと、山下くんだったかしら」

「はい、そうです」


 頷きを返す。谷中は、笹目に続いて、御堂の側まで来ていた。


「二人で買い物?」

「やだなー、会っただけですよ。ねっ、谷中さん」

 もう一度、頷く。

 今度は少し笑顔が引きつっていたかも知れない。そんなに強調しなくても。


「みちるさんは、お買い物ですか? 眺めていただけに見えましたけど」

「ええ、まあ、気分転換に……と思って」


 御堂は、眼鏡を、ついっと上げながら言った。


「そうですね。いつも忙しそうですし、気分転換は重要ですよね!」

「そんなに忙しそうに見えているのかしら……」


 明るく言う笹目に、御堂は苦笑しながら首を傾げた。


「いえいえ、働くオンナって感じで格好いいです。憧れちゃいます」

「もう、いつも早希さんはそうなんだから」


 口を挟む隙がなく、谷中は手持ちぶさたに黙り込んだ。


「熊のぬいぐるみ、お好きなんですか?」

「なっ——」


 笹目の指摘に、御堂が、かあ、と顔を赤らめる。


「……見てたの」

「ええまあ、ちょっとだけですが。その後で、あれはみちるさんだったかなあ、と思って追いかけてみたんですよー」


 よく言う、と谷中は思った。

 嘘と真実をブレンドするバランスが絶妙だ。


「本当、仕方ないわね……。子供の頃に少しね。買って貰えなかったのを思い出して」

「みちるさんの子供時代ですか。あんまり想像できないです」


 御堂は、困ったような表情を浮かべている。


「ところで、買い物でしたら、一緒に行きませんか? 奇特にも荷物持ちをやってくれる人もいますし」

「え……」


 自分がそんな立場だったとはつゆ知らなかった谷中は、反駁の声を上げようとしたが。


「そうね。夏物なら少し買い足してもいいかも」

「そうですよ。白衣だけなんて、駄目です」


 朗らかな笹目に、再び御堂は渋面になる。


「別にいつも白衣というわけじゃ……」

「そんなものじゃないですか」


 会話があれよあれよと進んで行くので、くちばしを入れるタイミングが、まったく掴めない谷中だった。

 何度かの応酬の後。


「それなら、靴も覗いてみましょうか」

「ええ、是非そうしましょう。みちるさんに似合いそうなミュールありましたよ」

「へえ……どこに?」


 眼鏡の奥で瞳が輝いた。谷中は、少しだけ驚いた。御堂は水面と同じで服飾にはあまり興味がないタイプだと思っていたのだ。


「二階の、ええと、まずは行ってみましょう、すぐですから」

「そうね……」

「では、いきますよ、谷中さん」


 声を掛けられた谷中は、ああ、と半ば口ごもるように返事した。

 結局、二人の買い物に付き合わせられて、予想以上に長い時間を浪費した谷中は、昼食を摂ることなく、午後の講義に出席する羽目になる。


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