第11話 後編






 記憶が飛んでいた。

 あのとき、何が起こったんだ?


 遠野さんの家から出ようとして、そこでパッと視界が暗転した。

 再び光が差したとき、そこはまた遠野さんの部屋だったのだ。

 驚いて飛び起きようとして、身体に布団が掛けられていることに気が付いた。

 頭の中に浮かんできたのは疑問符だった。


「起きたかな?」


 離れた場所にいたらしい遠野さんの声が聞こえてきた。


「俺、寝ちゃったんですか?」


 困惑しながらそう尋ねると、彼女は頷いた。


「うん。家から出ようとしたところでバタッと。突然すぎてびっくりしちゃった。いくら揺すっても起きないんだもん。それにしてもさ、海君重いね。ここまで担いで来るの、結構大変だったんだよ」

「バタッとって、マジですか……。俺そんなに疲れてんのか。ホント、すみません」


 呆然としていて返答には独り言が混ざっていた。そのくらい頭が働かなかったけれど、そんな中でも遠野さんの言葉に微かな違和感を覚えた。


「ううん。気にしないで。無意識の内に色々頑張っちゃって、疲れが溜まってるんじゃないかな。そういうときは休むのが一番だよ。よく眠れた?」


 こんなに饒舌に喋る人だったか。

 何か良いことがあって、気分が高揚しているのだろうか。

 そう思ってしまうくらい、彼女の声に喜びの色が見てとれた。


「たくさん寝ましたねー。それに、夢まで見ましたよ」


 遠野さんは眉を一瞬動かしたような気がした。


「どんな夢?」

「遠野さんと喋ってる夢ですね」


 そう。何故かそんな夢を見ていた。

 ここが遠野さんの部屋だからか。それとも直前まで彼女と話していたからか。

 夢を見た理由はさておき、気になる中身だけど、それがまあ恐ろしく生々しい夢だった。

 俺と遠野さんが喋っているけど、何を喋っているのかは分からない。

 会話の途中で、遠野さんが泣き笑いのような表情になったから、俺はたまらなく愛おしくなって。切なくなって。彼女を抱き締めたんだ。

 何を話したかは覚えていないのに、抱いた感触だけは、確かに彼女のものだったんだ。

 抱き締めた瞬間、俺は大きく息を吸った。

 そしたら、なんでか、安心したんだ。

 久しく会ってなかった大切な人と再会したような、そんな気さえしたんだ。

 俺は彼女と知り合って二ヶ月ほどだ。だから、そんな気持ちになるわけなんて無いんだ。

 それなのに、それを否定するように、俺の胸にはたくさんの感情が溢れている。

 溢れていく。

 まるで、俺じゃないみたいだ。


「夢の中でもわたしと喋ってるなんてね」


 目を伏せながら彼女はそう言って、話題を変えた。


「そろそろ四時半だけど、学校大丈夫?」


 うぉ、と声が出そうになった。実際、口にしていたかもしれない。


「ちょっと大丈夫じゃないかも。今度こそ、帰りますね」

「……送っていこうか?」


 遠野さんの提案に飛びつこうとしたけど、少し考えた。

 今日は学祭の話が中心だから、勉強道具は必要ない。

 元々家に帰るつもりはなく、どこかで着替えようと制服一式は大きめのバッグに持ってきていた。

 なんの問題もなかった。

 さすがに遠野さんの家で着替えるのは躊躇してしまったけど、彼女は快諾してくれた。

 学校前まで送られると様々な人に目撃される可能性があるため、途中で降ろしてもらった。

 最も印象的だったのは、遠野さんが最後に発した言葉だ。

 俺が車から降りて、わざわざ車を出してくれてありがとうという旨を伝えたが、遠野さんは首を振った。


「今日はとっても、本当に楽しかった。ありがとうね」


 ありがとうと言われてたけど、遠野さん表情は少しおかしい。

 その所作が気になってしまって、とても嬉しいはずの言葉が、何故か俺には悲しく聞こえてしまった。

 やはり心から笑っていないような気がする。夢の中で見たような泣き笑いのような顔で言われても、俺はその言葉を額縁通りに受け取れない。

 俺は曖昧に笑って、車から離れるほかなかった。



 ゆっくりと目を開けると、教壇で担任が喋っていた。

 はぁ。

 授業が始まる前の黄昏時、俺は遠野さんの家での出来事を思い出して憂鬱になった。

 考えても考えても、原因の見当が付かないからだ。

 記憶の欠落。

 生々しい夢。

 遠野さんの言葉と表情の乖離。

 すべての鍵を握っているのは、一番目だけど……。

 吐息のように、口から漏れたのは二度目のため息だった。

 俺は本当に馬鹿だな。

 理由が分かったって遠野さんに何も言えやしないのに。

 どうすることも出来ないのに、なんで俺は考えているんだろう。

 と、自分の感情についてあれこれと熟慮していたら、担任に呼ばれていた。


「おーい料理長。聞こえてるかー?」


 確かにクラス内に定着していたあだ名だったけど、担任公認になるとは思わなかった。


「聞こえてますけど呼ぶなら名前でお願いします。で、なんですか?」

「料理のことだけど、料理長の案が通ったから諸々よろしくなって」


 一体どういうことですか、と言おうとしたが、思い出してしまった。

 クラス全体で二十人居るが、包丁が使えるのは五人しか居ないのだ。

 思わず三度目のため息をこぼしてしまう。


「分かりました」


 そう言うしかない。とりあえずは遠野さんのことよりも、学祭を優先させなければ。

 こっそりかぶりを振り、決意をする。

 決意、という言葉を使ってしまうくらい、このクラスを纏めるのは大変だ。

 うん。悪い奴らではないんだ。でも、だけど、皆それぞれ少しばかりおかしい。

 担任と進行係をチェンジして、黒板を使ってやることを説明していく。


「じゃあとっとと決めていきます。一番大事なところから。メインの料理はカレーと鶏の唐揚げ。それとパンケーキで良いって話だったよね。当たり前のことだけど、調理をする人は包丁を扱うことができる人だけです」

「えー。包丁使いたいー」

「アタシだってできるんじゃね?」

「いや俺もできるからやるし?」


 何人かから小さな声で野次が飛んできたが、黙(だんま)りを決め込んだ。


「去年行った調理実習から分かってると思うけど、包丁使えるのは俺と佳奈さんと愛生ちゃんと東雲さんと亜希さんだけだから、俺たち五人で調理をします。これだけは決定だから」


 文句を言わせないように、多少強気で言うと野次が止まった。

 その代わり、『もしも完売できなかったら料理長が悪い』ということになった。

 何故だ。


「で、買い出し……は誰でもいいや。これは適当に割り振ります」


 適当に、と言ってみたものの、ここはやはり男性陣に張り切ってもらおう。

 ここの学祭に訪れる人の総数は千人を恐らく超えているだろう。

 それに今年は模擬店をやるクラスが少ない。具体的には二つしかない。

 それに一応は喫茶店と銘打ってるので、客の取り合いにはならないはず。

 つまりそれなりに人は来るのだ。

 よって、作る量も多くなる。

 ということは、購入する食材を量も多くなる。


「独断で決めたけど、大体これぐらいの量を作ろうと思ってます」


 ・カレー   紙皿 300円 150食分

 ・唐揚げ4つ 紙皿 150円 200食分

 ・パンケーキ&アイス。はちみつ生クリーム乗せ 紙皿 250円 250食分

 ・飲み物 お茶 ジュース類 80円


 過去の来場者数から鑑みるに適量だろう、と言われて俺は安堵した。

 ここで揉めたら先に進まないのだ。


「えーっと。話は戻って、買い出しだけど毎年のように、農協と交渉することにします。亜希さんが連絡を入れておいてくれたはずです」

「ええ。前もって入れておいたから、今から交渉すれば余裕で間に合うはずよ」


 再度安心した。

 あとは発破を掛けよう。


「あと最後に。基本的に模擬店では原価を計算してから売価を決めてるんだけど、今回は儲けを出したいわけじゃないからその辺は大ざっぱです。いいよね?」


 教室を見渡すと、それぞれが頷いていた。


「ありがとう」


 俺は礼を言ってから腕を振り上げた。


「薄利多売の精神で頑張るぞー」


 恥ずかしくて声が震えていたような気がするけど、発破ってこんな感じでいいんだよな。


「海、それはないわ」


 呆れ笑いをした東太に突っ込まれ、その瞬間にクラス中で呻き声のような音が漏れた。

 いま俺は、羞恥心で顔が真っ赤になっている。

 おい担任まで笑うな。


 ……今日だけは帰ってすぐ不貞寝しよう。


 まあ、今年の学校祭も盛り上がるだろうと思えた。



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