その2 タイムマシンと半分ずつのクレープ

「えー、ごほん、さて」

 私は妙な雰囲気になった空気を振り払うかのように咳払いをし、言葉を改める。

「次は千田川くんの番だな」

「そうなんですよね……」

 が、千田川くんはヘルメットを被ろうとしない。

「どうした?」

「いや、こうもまざまざとタイムマシンのすごさを見せつけられると……」

「どうかしたんですか?」

「はは……」

 つい先ほどまでとまるっきり違う小野くんを見て千田川くんは言う。

 確かに、この変わりようはすごい。変なしゃべり方も治ってるし、まとっているオーラが違う。メガネもどことなくオシャレなメガネに変わっているし、服装もびしっと決まっている。

 タイムマシンで過去を変え、その結果として、彼の人格や言動などに変化が生じたのだ。しかも、過去を変えているわけだから、本人にその覚えはない。

 自信がなく言いたいことも言えなかった頃の彼は、もうどこにもいないのだ。

「博士、おいら、なにがあっても博士のこと忘れません」

 なにかを決意したのか、少しの間を置いて千田川くんがそのように語りかけてきた。

「小野くんもな。一緒に過ごした十年間はとても楽しかった」

「もちろんですよ。僕だってどんなことがあってもあなたのことを忘れません。僕たちは固い絆で結ばれた仲間なんですから」

「博士っ、こいつのキャラなんとかしてくださいよ!」

 あまりの変わりように千田川くんが涙目で訴えてきた。当の小野くんは疑問符を浮かべている。

「深く気にするな。さあ、次は君の番だ」

 私はヘルメットをぽんぽんと叩いて、彼に被るように促す。

 千田川くんは目を閉じて大きく息を吐き出した後、意を決したように目を見開き、ヘルメットを被った。

「オーケーです。さあ、やっちゃってください」

 私たちは頷き、ヘルメットを被った。

 彼の脳波に同調し、タイムマシンが動き出す。彼の頭の中に思い描いてある映像が、まるで映画のフィルムのように次々と、私たちの中に浮かんでは消える。

 小野くんの時と同じだ。私たちも見たことのあるこの研究所の風景から遡り、学生服姿の千田川くんが姿を現し、その姿が少しずつ小さくなっていく。

 

 そして、彼の物語が始まった。



 小野くんは気が弱くて言いたいことも言えなかったそうですが、おいらは、その逆でした。

 言うなれば、ガキ大将みたいな感じだったんです。

 近所のガキどもを集めてはいろいろと騒ぎを起こし、男連中からは崇められ、女の子には嫌われてました。

 ……でも、おいらには一つだけ気がかりがあったんです。

 それは、小さい頃から近所に住んでいた、一人の女の子、中山 美優(なかやま みゆ)でした。

「おい、美優、こっち来いよ」

「…………ふぇ?」

 転校してきたばかりで友達がいなかった彼女に、おいらは最初に話しかけました。

「今度、近くの公園で野球するんだけど、メンバー足りねえんだよ、お前、野球わかるか?」

「…………(ぷるぷる)」

「ちっ、わかんねえのか……ま、いいや、教えてやるから、今度の日曜十時、南公園に来いよ。わかったな?」

「………………」

「わかったのか?」

「……(こくこく)」

「よし」

「………………」

 無口というか、控えめというか、なんというかそんな奴でした。しゃべるのが苦手で、ぽーっとしてて、危なっかしくて。

 声をかけたのは単に人数が足りてなかったから、と、それだけでした。家が近所なのを知ったのは、そのずっと後でした。

 時間通りにやってきた彼女は、運動するようには見えない動きずらそうな長いスカートで、チームからは笑い声が漏れました。でも、おいらが古いグローブを貸すと、それを手にはめて、得意げにしてました。

「フライいったーっ!」

 でも、運動は全然で。

「……ぁぅ」

 脳天に直撃したボールをふらふらした足取りで探しに行って、もう打者がホームに回ったところで草っぱらに隠れていたボールを見つけだし、

「……えへへ」

 泥だらけの顔で、そうやって笑っていました。

 おいらはその笑顔が、ほんの少しだけ気になっていたのです。



「リア充の匂いがするな」

「いいじゃないですか。微笑ましいですよ」

「………………」

「?」


 ……続けてもいいんですよね?


 ええと、それから彼女は、ことあるごとにおいらに付きまとうようになったんです。

 サッカーの時はおいらの近くにいて、山を散策するときはおいらの袖をつまんでいて、自転車で出かけるときは涙目ながらついてきていました。

 山で遭難したときは、二人で身を寄せて固まっていました。

「うう、寒いよう……」

「我慢しろ。ほら、貸してやる」

「?」

「つか、山登りなんだから、もうちょっとちゃんとした準備しろよな」

「……山登りなんて聞いてないもん」

「……そうか?」

「ぅん」

「………………」

 コートを脱いで彼女に着せてやると、彼女は涙目をこちらに向けて、

「でもこれ、こーくん寒いよね?」

「おいらはなんともないよ」

「………………」

 強がりつつも、その日は風が強くて、正直なところ凍えてました。

「……はい」

「ん?」

「返す」

「いいって、着てろ」

「でもこーくん、ふるえてる」

「まあ……」

「………………」

「わかったよ。じゃあ、」

 おいらは片方の袖に手を通して、身を縮めました。

「半分ずつな」

 彼女はぽーっとおいらを見つめたあと、弾けるような笑顔で、

「うん」

 そう、答えました。



「コンセントを抜きなさい」

「え? まだ途中じゃないですか」

「………………」

「博士?」

「なんでもない続けたまえ」

「……はあ」




 学年が進んでいって、だんだん男子と女子の間に壁ができるようになっても、彼女はおいらと一緒に遊んでいたんです。


 ……でも、なんとなく、男子には男子の世界というか、ルールがあったわけですよ。

 みんなの中心になって暴れ回るのも、学年が上がるにつれて小さくグループ化していって、それで、とあるグループから、小言を言われるようになったんです。

 女といっつもつるんでいる奴、って。

 まだ小学生だったおいらは、正直、それが嫌でした。

 その原因の美優を、どうにかして引き離したいと思い始めました。

 だからある日、言ってしまったんです。

「お前、女子と一緒に遊べよ」

「…………え?」

「おいらたちは『しんのおとこ』連盟なんだよ。だから、これから女のお前は参加禁止」

 今思えばよくわかんない理由ですよね。笑っちゃいます。

「……一緒に遊びたい」

「ダメ。女は女らしく女とつるんでろっての」

「………………」

「わかったか?」

「………………(こくり)」

 彼女はほんの小さく、うなずきました。

 まあ、そのときはもうあいつもクラスの女子と話していたから、大丈夫だとは思ってたんです。

 でも、彼女の人見知りは結構重傷で。時間が経つ度に、彼女は孤立していったんです。

 中学時代にもクラスで一人で、話せる相手もいなくて。でもおいらは変なプライドがあって、彼女に話しかけるのは格好悪いとかって思うようになって。

 そんな彼女が、少しずつ変わっていったのは、おいらにとってはショックでした。

 彼女に友達ができていたんです。なんというか、その……ちょっとギャルっぽい感じの子でした。



「絞首刑だな」

「そうですね」


 いやいやでもあったでしょ?

 そういう、男の世界に女を入れちゃダメだー、みたいな変なルールが、特に小学生の時とか?


「あったかね?」

「ありましたけど……まあ、僕は蚊帳の外でしたからね」

「そうか……私は、そういうのはなかったかな」


 そうですか……うらやましいです。

 


 ともあれ、彼女に友達ができたのはよかったと思ってました。おいらには関係ない、あいつはあいつでしっかりやっている、と。

 でも、彼女が金髪で学校に来たり、無断欠席が多くなったり。そういうのを見たり聞いたりする度、おいらの心はきりきりと苦しくなっていきました。


 それから彼女とまともに会話したのは、高校に入ってからです。

 高校は別でした。でも、家が近いから。ある日の放課後に、偶然、ばったり、彼女に出くわしたんです。

「……久しぶり」

「……よお」

 金髪で、目元がぱっちりしていて。スカートも短くて。

 まるで彼女は別人になってました。

「ええと……元気にしてたか?」

「ん。まーね」

 彼女は長くなった髪の毛を指でくるくると動かしながら、答えました。

「………………」

「………………」

 でも、なんかそれ以上会話が続かなくて。

 不自然な沈黙と、重苦しい空気に、逃げ出したくなりました。おいらたちは、ここ何年かの間に、こんなにも距離が広がってしまったんだと思うと、辛かった。

「…………クレープ食べたい」

「は?」

 だから、彼女がぼそりと呟いた一言に、おいらは変な声を上げたんです。

「クレープ。近くにそこそこおいしい店があんの、知らない?」

「ああ……うん、知ってる」

「おごって」

「はあ!?」

「いいじゃん、クレープ一個くらい。久しぶりなんだし」

 携帯をいじりながら、そんなことを彼女は言ってきました。

 

 ……こんな風に言われたら、普通は文句の一つでも言いますよね。おいらもそうでした。


「なんでよ。知らねえし。彼氏にでもおごってもらえ」

「………………」

 そのとき、携帯から目を離して一瞬だけ彼女はこっちを見ました。

「そ」

「………………」

「まあいいけど。これから友達と遊びに行く予定だし」

「なら行けばいいじゃねえか」

「なんか、別の学校の男子と会うんだって」

「……そうかよ」

「うん。そ」

「………………」



 もしかしたら、自意識過剰なんじゃないかと言われるかもしれないですけどね。

 おいらは……助けを求めてるんじゃないかと思いました。

 でも、おいらは彼女との間にできた溝を、埋めようとは思いませんでした。


「だったらとっとと行けよ。友達待ってんぞ」

「…………うん」

 彼女は小さく、首を動かしました。

「そうする」

 続けてそう言って、勢いよくおいらに背を向けました。

「……じゃあね」

「ああ」

 そして、彼女は走ってその場を去りました。


 それから、彼女とは会ってないです。

 偶然にも見かけたとき、なんだかアクセサリーをじゃらじゃらとぶら下げてました。髪の毛も前よりも鮮やかな金色になっていて、男と手を組んで歩いていました。


 ……それが初恋だと、最後まで気づきませんでした。

 彼女のことを思うと胸が痛くて、苦しくて、そこで、やっとおいらは気づいたんです。

 おいらは美優のことが好きだったんだ、と。


 

 それからおいらは、女性が怖くなりました。

 親しくなっても、美優のことを思い出して胸が苦しくなり、会話すらできなくなって。

 結局、ほとんど女性と会話せず、もう、何年も経ってしまいました。

 おいらは……本当は、美優とクレープを食べるべきだったんです。

 あのとき一緒にいさえすれば、彼女がどこかの誰かと一緒になることもなかった。胸が苦しくなることもなかった。

 また昔みたいに……不器用な笑顔を、おいらに向けてくれるかもしれなかった。




「今だな」

「そうですね」

「準備はいいか」

「ええ」


「「レッツ、たいーむすりーっぷ!!」」




「…………クレープ食べたい」

「は?」

 彼女がぼそりと呟いた一言に、おいらは変な声を上げた。

「クレープ。近くにそこそこおいしい店があんの、知らない?」

「ああ……うん、知ってる」

「おごって」

「はあ!?」

「いいじゃん、クレープ一個くらい。久しぶりなんだし」

 携帯をいじりながら、そんなことを彼女は言ってきた。

 なんでおごらないといけないんだ……おいらはそう言おうとした。でも、なぜか胸がずきりと痛んで、その言葉が口からでることはなかった。だせなかった。

「…………しょーがねえな」

 そして、おいらの口からこぼれた、その言葉。無意識だった。まるで、誰かがおいらに言わせたかのよう。

「……え?」

 予想外だったのか、彼女の口からもそんな声が漏れた。

「一個だけな」

「………………」

 そう言って歩き出すと、少し遅れて彼女が、

「二個とかありえねーし」

 弾んだ声で、そんなことを言った。

「だな」

 おいらはそう言って、少しだけ笑った。

「あー、ちょっと待って」

 歩きながら、彼女は携帯を取り出した。

「あー、もし、ウチだけど。ごめん、今日パス。ちょっと、昔の友達と会ってさ。……えー、知らないし。つーか、おじさんとか興味ないし。じゃあね」

 携帯から声が漏れていたが、彼女は無視して電話を切った。

「いいのか?」

「いいのいいの。つか、そっちこそいいの?」

「なにがだ?」

「『しんのおとこ』は女と遊ばないんじゃないの?」

「いつの話だよ。もう何十年も前の……」

 そこまで口に出して、なぜか見たことのない人物が眼前に浮かんだ気がした。

 白衣とメガネ、白髪と濃い髭。その隣には、よれよれのシャツと、センスのないメガネの男。

 彼らは笑っているように見えた。何かを作っているかのように思えた。

 それがとても……温かく思えた。

「何十年って。あんた何歳よ」

 隣を歩いている美優が、笑い声をあげた。

 おいらはなぜか、それだけで幸せな気分になった。

「ぐお、一個しか買えない……」

 クレープ屋について財布を広げると、悲しい事実に気づく。

「情けないの」

「やかましいっての……ほら、なにがいいんだよ」

「……いいの?」

「いいよ」

「………………」

 彼女はおいらから五百円玉を受け取ってレジに向かい、二個のクレープを持ってもどってきた。

「はいこれ」

「なんだよこれ」

「ウチのおごり」

「………………」

 彼女の手から、クレープを受け取る。

 それはふんわりしていて、甘い匂いがして、温かかい。

「……サンキュ」

 近くのベンチに座る。彼女は当然のように隣に座った。

「その代わり、」

 肩が触れ合うほどの近い距離で、彼女はこちらを向いた。

「半分ずつね」

 そして弾けるような笑顔で、そう口にした。



 それから……おいらたちは、昔みたいにいろんな所に行った。

 昔にみたいに、というのは語弊がある。昔とは違う。山登りするわけでもないし、野球をするわけでもないし、サッカーをするわけでもない。

 ゲームセンターに行ったり、映画に行ったり、ちょっと洒落たレストランに行ったり、旅行に行ったり……そんな感じだった。

 あいつにだって友達がいるのだろうが――そんな話をしたら、彼女は「別にいいの」と、それだけを答えておいらの手を握った。

 おいらたちは――いつの間にか、恋人同士になっていた。

 なにをするにもおいらの後ろを歩いていた美優が、今はおいらの前を、おいらの手を引いて歩く。

 いろいろな場所に行き、いろいろなものを見て、一緒に笑って、一緒に泣いたりして。

 おいらはその時に、初めて気づいた。これは、おいらの初恋だったんだ、って。


 あの時の、一人ではなにもできなかった美優はいない。

 ただ、ちょっと大人びて、よく膨れて、よく怒って、それでも時々、昔みたいに泣いたりして。

 そんな彼女と一緒にいることが、嬉しかった。幸せだった。

 おいらはそういう……幸せなものを、手に入れた。



「博士、どうなんですか?」

「ああ、順調だ。おそらく、これで大丈夫なはずだ」

「しっかしタイムマシンなんて、いざ実物を前にしても信じられないねー。おー、よしよし」

「だぁ」

 今おいらの左手には指輪がある。もちろん、美優と同じ指輪だ。

 そして美優が今抱いているのは……おいらたちの、初めての子供だ。

 おいらたちは素晴らしいものを手に入れた。輝くものを手に入れた。おいらたちは……十分すぎるくらい、幸せだった。

「よし、できたぞ……タイムマシンの完成だ!」

「よっしゃー!」

 小野くんが叫ぶ。小野くんの隣で、かなめさんも喜んでいた。

 こちらを見て、博士――谷岡 修氏が、手を伸ばしてきた。おいらは彼の手を握る。彼はとても優しい顔で、おいらのことを見ていた。

「なんです、博士」

「いや……よかったな」

「? ええまあ、そうですね」

 彼の言うことはよくわからない。タイムマシンのことだろうか。だったら、彼が一番喜ぶべきところなのに。

「さあ博士、さっそく、このタイムマシンを使いましょう!」

「……いや」

 小野くんが嬉しそうに言ったが、博士はドライバーを置いて、静かに口にした。


「今日は、タイムマシンは動かさない」 


 博士の一言に、場が沈黙する。

「テストもしないんですか?」

「テストは完璧だよ。このタイムマシンは、必ず動くさ」

「? なら、動かしてみては?」

「いいのだよ。このタイムマシンは、今日はもうたっぷり動いた」

 おかしなことを言う。タイムマシンは、完成したばかりだ。

「みんなありがとう、お疲れ様。今日はもうこれ以上の作業はしない」

 博士はそう言い、早々に白衣を脱いだ。

「え、いや、博士?」

 おいらは博士を追いかけようとするが、なぜか、小野くんが肩に手を置いて、止める。博士は白衣をロッカーに入れると、足早に研究所から立ち去った。

「小野くん?」

「タイムマシンはちゃんと動きましたよ。博士も、それをわかっている」

「ええ?」

 小野くんまでおかしなことを言う。

「なんなんです、小野さん。この空気は?」

 すっかり寝入ってしまった我が子を抱いて、美優がおいらの隣に来た。

「今はそっとしておきましょう」

 小野くんも白衣を脱いで、そのように口にした。


「タイムマシンは完成しました。博士だって、きっと、過去に大きな禍根があるんですよ」


 小野くんの言葉は、なぜかものすごく重く感じた。

 その言葉に、全てが詰まっているような、そんな感じ。

 彼は何を見たのだ? なぜ、タイムマシンは完成したと言い切れるのだ?

 そして博士は……なぜ、タイムマシンなど作ろうとしたのだ?

 今のおいらには、その全ての答えは出てこなかった。

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