11(流血編)

「それが終わったら、少し、僕の部屋へ来てくれるか」

低い声でスナップショットは瓶を握る助手へ言った。声をかけられた彼は首だけを動かしてスナップショットを見た。スナップショットは口元に手をあてており、前髪の陰から覗く二つの目はぎらぎらと光っている。こんな表情をするものなのか、とデジタル二眼レフは純粋に驚いた。殺意や怒り、害意のようなものがその目には渦巻いているように見えたからだ。

「……ええと、まさかとは思いますが私に死ねって言ってます?」

「……うん? あ、そっか。じゃない、えっと、忘れてくれ。なんでもない……なんでもないんだ……」

スナップショットははっとしたように瞬きをして、そのまま首を何度か振ると、踵を返して走り去る。デジタル二眼レフは疑問符を浮かべたままそれを見送った。


◆◆


そうしてその晩、デジタル二眼レフはレーザーに焼かれた。そこに悪意は介在せず、すべては間の悪い事故だったのだ。


◆◆


「二眼くん! しっかりしてくれ!」

最初に聞こえたのはスナップショットの声だった。薄く目を開けるとぼんやりと天井が見えた。そうして気が付くのは恐ろしいほどの寒さ。空調がすべて止まっているのではないかと思うほどの寒気を覚えた。

「……寒い」

この感覚には覚えがある、おそらくどこかから血が出ているのだ。

「二眼くん、どうすればいい。これから」

何とか目を開ける。腰の下に何かが詰まっている。痛みなはい。首を起こすと白いものが目に入った。腿の外側に白い帯。止血がされている。繰り返すが、痛みはない。

「私の部屋に治療キットがあります。持ってきてください」

デジタル二眼レフは、口が動かなくても声が出る自分の喉に感謝した。遠ざかる足音を聞きながら、頬をつねる。つねった部位に鈍い痛みが感じられた。だが、目に見えて出血しているであろう腿には感じられない。そもそも感覚自体がぼんやりとしている。局部麻酔だろうか。腿に一体何を注射されたのだろう。それよりスナップショットは注射器を扱えたのか。答えが出ないまま様々な考えが巡る。そうこうしているうちにスナップショットが戻ってきた。

「……輸血パックを、書いてある通りに、ああしまった」

スナップショットにデジタル二眼レフは指示を出そうとして、彼の脳は血液のパックを切らしていたことを思い出した。たとえあったとしてももう使用期限は切れている頃合いだろうか。デジタル二眼レフの脳裏に平和ぼけの文字が躍る。昔の自分ならば、こんな失態は犯さなかっただろう。スナップショットは暗い顔をしたデジタル二眼レフを見て、表情を歪めた。それは付き合いの長いデジタル二眼レフから見ても、笑っているのか泣きそうなのか判断が付かないような顔だった。

「任せてくれ、僕は……」

スナップショットは注射器を取り出した。それからのことは、記憶にない。


◆◆


次に目が覚めたのはベッドの上だった。アタッチメントのケーブルを繋ぎなおせば数日分の記憶が流れてくる。足の痛みはあれど、体のどこが悪いわけでもなさそうだった。デジタル二眼レフは息を吐いた。

起き上がろうと力を込めると腕に違和感があった。見れば上腕にチューブが刺さっている。チューブを目でたどると、赤いパックが見えた。輸血されている。ぽたりぽたりと赤い水滴が落ちるたび体の芯が変に震えた。チューブを引っ掻けないように気を付けながら、ゆっくりと上体を起こす。

がしゃん、と物が落ちるような音がした。音のした方を向くと、救急箱の中身を散乱させ、スナップショットが棒立ちになっていた。落とした物も構わず、駆け寄ってくる。

「二眼くん! 良かった、目が覚めたんだね」

「ええと、見ての通りです。ご心配をおかけしました」

スナップショットは背に手を回して、デジタル二眼レフを強く抱きしめた。どうしていいかわからなくなったデジタル二眼レフはおずおずと頭に手を置いて、躊躇いがちに撫でた。抱き寄せられた腹に高い体温が伝わり、心臓の鼓動が早くなるのがわかる。血圧が上がり、傷口が反応して痛んだ。居心地の悪さを感じて、デジタル二眼レフは身動ぎする。スナップショットはきつく抱きしめていた腕をほどき、申し訳なさそうに離れた。

「悪い、怪我したところが痛むんだろ」

「いえ、そういうわけでは……ああ、スナップショット、お手洗いに行きたいのですが足が痛くて動けないんですよ。どうしたらいいと思います?」

「ああ、そうだね。そう言うと思ってこれを持ってきたんだ」

ややふらついた足取りのスナップショットは先ほど救急箱と一緒にまき散らした荷物の中から見覚えのある瓶を取り出した。ラッパ型の瓶には、デジタル二眼レフと印字されたテープが貼ってあった。

「またですか」

「そうなんだ。またなんだよ。ああでも今回はほら、サンプルに取るわけじゃないから安心してくれ。ああ、でも例にもれず出たものは欲しいな。個人的に検査したい」

悪びれもせずにスナップショットは言い、両目を手で覆って見せた。デジタル二眼レフはベッドに座ったまま首を振り、諦めたように息を吐く。長い息を吐き終えた助手が口にしたのは決して望みを絶たれた人間の言葉ではなかった。はっきりと示される肯定、それは意を決したと言ったほうが正しいのかも知れぬ。

「……いいでしょう。あなたが何をどう思っても、責任は取りませんからね」


◆◆◆


目よりも耳を塞いでいろと言ったデジタル二眼レフの言葉の意味を、ここにきてようやくスナップショットは理解した。部屋の中には荒い吐息の音が満ち、時折苦しげに熱っぽい呻きが混じる。スナップショットは部屋の隅を向いて膝を抱えていた。目を瞑り、塞いだ耳には、換気扇の回る音に混じって押し殺したような声と息とが鮮明に聞こえる。目を開いても壁の隅が見えるだけだ、しかし振り向くことはできない。デジタル二眼レフは見ないでくれと懇願した。約束を反故にし、不用意に振り向けば、恐らく助手はしばらく口をきいてくれなくなるだろう。

「っスナップショット」

ノイズだらけの声が、やけにはっきりとスナップショットの名を呼んだ。スナップショットは反射的に口を開きかけた。だが、すぐに閉じる。返事はしなかった。理由はわからなかったが、なぜだかそうするべきだと思った。

デジタル二眼レフは息を詰め、不明瞭な呻きを発する。普段とほとんど変わらないがノイズの混じらない唸りは電子的でない、これはデジタル二眼レフの肉声だ。悲鳴のような叫び声に、スナップショットの心臓はびくりと跳ねた。耳を澄ませば、ゆっくりとした息遣いが聞こえる。


「……スナップショット。スナップショット?」

「えっ、あ、なに。呼んだ?」

ぼんやりしていたスナップショットは急に立ち上がろうとして失敗し、床を転がった。

「呼びましたよ……何をしているんです」

「変な座り方してたら関節が固まっちゃったみたいでさ。ちょっと転んだだけだから気にしないでいいよ」

「そうですか……ああ、ええと、その、瓶はそこにおいておくので、あとはお好きにどうぞ。わたしはしばらく寝ますのでお構いなく」

拗ねたように言って助手はシーツを頬まであげた。

「ありがとう二眼くん、なにか欲しいものがあったら何でも言ってくれ」

「経口の増血剤と松葉杖と着替えをください。あなたに頼らなければ、その、排泄の一つもできないというのは……ちょっと」

デジタル二眼レフはもにょもにょと言った。

「わかった。すぐに用意しよう。とりあえずこれをあげるから飲みなよ」

スナップショットはプラスチックのボトルを投げた。デジタル二眼レフはぎょっとし、飛んできたそれを素手で掴んだ。

「横着しないでください! 相手が私じゃなかったらまともに食らっていたところですよ……スナップショット、これは?」

「増血剤だよ。僕の飲んでたやつだから特に危険はないと思う」

スナップショットが出て言った扉を見つめ、真新しいボトルを開けた。中身は半分以下になっていた。すっと内臓が冷えたような錯覚に陥る。デジタル二眼レフは顔をあげ、輸血パックを見た。目覚めるまでどれ程立った? アタッチメントに格納されていた映像を精査する。見終わる頃に最後の一滴が落ちた。

デジタル二眼レフはそっと蝶々針を外した。恐らくこれはスナップショットの血液だ。悪い想像が脳裏を掠める。スナップショットは研究者だ。若いが、自分のように丈夫にはできていない。あの量の輸血には体が耐えられないだろう。

いくつかの錠剤を飲み下して、傷口を確かめた。治りきってはいないがくっついていて、それでも無理に動けば開くだろう。立ち上がって、それで、何ができる。怪我をして動けなくなった自分に。逡巡していると、扉があいた。松葉杖と服を抱えたスナップショットが顔をのぞかせ、ぎょっとしたように駆け寄った。

「どうしたの二眼くん、動いちゃだめだよ」

改めて見てみれば顔色は決して良いとは言い難く、目の下には隈が出来ている。

「スナップショット、あなた、きちんと寝ていますか」

「えっ、ええと、寝てはいるんだけど、あんまり眠れなくて」

なぜ、と問おうとしてデジタル二眼レフは口を噤んだ。なぜも何も、おそらくそれは自分のせいだ。心配で眠れなかった、などとは言わないだろう。水の供給が止まったときもそうだった、スナップショットは他者の生命の為に自分のそれを捨てるようなことを平気でする。残されたもののことなど考えもせず。スナップショットは黙ってしまった助手を見て、唇を尖らせた。

「君のせいじゃないぞ、その前から、その……あんまり眠れてなかったんだ」

スナップショットは口元に手をあてて、目を逸らした。

「今日の分の薬は飲みましたか」

「うん、飲んだけど、それがどうかした?」

「今日の分の仕事は終わったのでしょう。それとも臨時休業になっているんでしょうか。ともかく、スナップショット。疲れているのでしょう、少し休んでいったらいかがですか」

看病は命を削ってまですることではないと、そう言いたかった。しかしそれを口に出すことは躊躇われた。だから、デジタル二眼レフは寝ていたベッドに一人分のスペースを開けて、ずらした枕を手の平で叩いた。

「二人で寝ると狭くない? 君は大丈夫?」

「スナップショットが平気なら問題はありませんよ」

「そうかな、じゃあ失礼して」

スナップショットは靴を脱いでずるずると布団の間に入り込んだ。温い布団の中、触れたデジタル二眼レフの腕は今は少し冷えていた。

「二眼くん、ひんやりしてる」

「そうですか?」

「うーん、どうだろう。ああ、でも、話してるうちにちょっと温度が上がったような気もする」

スナップショットはぺたぺたとデジタル二眼レフを触った。体は熱を持ち、震え始めた。スナップショットは体を起こした。

「二眼くん、熱でもあるのか。濡れタオル持って……ああ、いや、こういう時は毛布のほうが良いのかな」

「い、いえ、スナップショット、あの、違います。あなたの手が、その、くすぐったくて……」

スナップショットは目をぱちぱちさせて手を離した。見れば、手の隙間から見える頬が赤く染まっている。スナップショットは納得して、体を元に戻した。

「ああ、笑いを堪えていたのか。これは失礼、早とちりってやつだ……」

スナップショットは腕を胸の前で折りたたんであくびをした。眠りに入るため、呼吸は次第にゆっくりとしたものになる。デジタル二眼レフは腕を伸ばし、スナップショットを抱きすくめるようにして背を撫ぜた。

「朝がきたら起こしますから、ゆっくり眠ってください」

「んん、お願いするよ……」

デジタル二眼レフは眠り込んだスナップショットをじっと見つめた。少し躊躇った後、額にキスを落として、小柄な体を抱きしめる。体は温かく、頬を寄せた髪からはあまい匂いがした。

スナップショットのあどけない寝顔を見ながら、あの時、彼は一体何を怒っていたのだろうと考える。怒っていたのだろうか? それはわからない。目を覚ましたら聞いてみようと考えたデジタル二眼レフはスナップショットを抱き寄せて目を閉じる。

腕の中の体は温かく、デジタル二眼レフもまたゆっくりと微睡に落ちていった。

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