09(思い出話・告白編)
「最初のあなたのことを教えてほしいと前に言いましたね、スナップショット」
「うん? 話してくれるの?」
机に向かってノートを開いていたスナップショットは顔をあげて助手を見た。
「ええ。せっかくの機会ですし、これを逃したらもう二度と言うこともないように思いますので……」
部屋の中を助手は歩きまわり、その辺にあった椅子の背を掴んで引き寄せて、スナップショットの顔が見える位置に座る。それを目で追っていたスナップショットは、足を揃えて座った助手を見て事態を理解し目を瞬かせた。
「そっか。これはあれだ、降ってわいた幸運ってやつだね。ええと、急だね。何を聞けばいいのかわからないから、思い出話でもしてくれ。飛び切り記憶に残ってるやつをさ。君の知っている僕がどんなだったか、君の口から聞きたいんだ」
「ええ。そうですね……あれは地球にいたころですか……」
デジタル二眼レフは亡きドクターとの思い出を語った。研究所に呼ばれたときのこと、ドクターがメモ魔だったこと、備品の鉛筆をボールペンに変えたら無重量実験の際に使えなくなって困ったこと。その一つ一つを懐かしむように、デジタル二眼レフは語って聞かせた。
ドクターの最後を話していたデジタル二眼レフが、ふと思い出したように言葉を止めた。スナップショットが顔をあげると、不透明のカバーを付けた目が、じっとこちらを見ていた。
「なにかな」
「私の顔を、見たいとは思いませんか。ドクターは、一度目のあなたは私の事をもっとよく知りたいと言った。あなたは、三度目のあなたはどうなんですか、スナップショット。私の事を、知りたいと言ったでしょう」
不透明なカバーの奥からじっと見つめられ、スナップショットはどぎまぎする。誰も知らないデジタル二眼レフの素顔を、死ぬ前の自分は知っていたのだと彼は言う。口の中がやけに乾いているような気がして、それでも答えに詰まったままのスナップショットはどうすることもできない。知らず鳴った喉が、嫌に煩く聞こえた。
「君の、目を見せてくれるって?」
「ええ。そうです」
デジタル二眼レフは、視線をそらさず頷いた。
「僕は、ええと、どうしよう……君の目にまつわる噂を知ってるよ、どんな色をしているんだろう、見てみたいような、でもちょっと怖いかな、なんて」
スナップショットはしどろもどろになって照れ隠しじみた意味のない言葉を口にした。しかし、それを聞いたデジタル二眼レフは酷く傷ついたような顔をした。
「やめてください……そんなわけないでしょう、そんなわけ、あるはずがないでしょう。私の目はあなたを殺しはしない。絶対に」
顔をあげたデジタル二眼レフの視線は悲しみを湛えてスナップショットを射抜く。その剣幕にスナップショットも思わず背を伸ばす。悲しみに満ちたように見えるその顔は何か言いたげで、且つ、それを言ってしまうことを恐れ堪えているようでもあった。
「……二眼くん、何があったのか教えてくれないか、君が僕に秘密を明かしたその日に」
「…………いいでしょう。教えてくれと言った以上、途中で降りることは許しませんよ」
◆◆
研究所の助手は語った。記録に残されたこと、記憶に残っていること、その意味について。
デジタル二眼レフは語った。打ち明けられた秘密と、容態・その後の経過、ドクターの死。
デミ二眼は語った。蛋白質と血液。人間の冷たさ。蛋白質。血液。意識。目覚めなき眠り。
◆◆
「本当はあなたを過ぎ去る何もかもと一緒に葬りたかった。あなたを忘れて、もとの生活に戻ることが出来るなら、と。身体に手を付けたのも、前にあなたが言った通りだ。この際だからはっきり言いましょう、私はあなたを忘れようとした。ええ、忘れようとしました、忘れようとしましたとも。忘れて、忘却の彼方に葬り去って、もう二度と思いだすことのないように。それなのに、あなたはいつまでたっても私の中からいなくならない。殺して、犯して、あなたの死を穢して、そうして別れを告げたはずなのにもかかわらず。ああスナップショット、また私にそれを繰り返せというのですか。いつ来るともしれない、もう二度と来ないかもしれないあなたの目覚めを待つ日々を、また一人、孤独になった私に繰り返せというのですか」
早口でまくしたてるデジタル二眼レフの声は明瞭で、怒りと苛立ちに満ちている。スナップショットは何も言えなかった。永い眠りから覚めたスナップショットに、デジタル二眼レフは一言、まったくあなたは寝坊助ですね、と言っただけだった。
「あなたを抱くために殺したんじゃない。あなたが死んで、忘れたくて、これが最後だとねじ込んだあの時の心地が今も記憶から消えないでいる」
スナップショットはたじろいだ。デジタル二眼レフのカバーに隠れた見えない目が、ぎらぎらと光っているような気がしたからだ。
吐き捨てるようだった声に段々と悲哀の色が混じる。デジタル二眼レフは蹲った。泣いているのかと駆け寄ったスナップショットの差し出した小さなタオルを、手共々デジタル二眼レフは押してのけた。
「…………すみません、泣いてるわけじゃないんです。いえ、泣きたいのはやまやまなんですけどちょっと思い出したら興奮してしまって……」
「えっ、どうしよう……そうだ二眼くん、一旦寝て落ち着こう」
「寝、っ……!?」
スナップショットは背後に回って躊躇わずスリーパーホールドをかけた。デジタル二眼レフはしゃがみこんだ動きづらい体制のまま抵抗した。
「まずあなたが落ち着いてくださいスナップショット! 確かに興奮しているとは言いましたが錯乱状態になっているわけではないです!」
恐慌状態に陥りかけているものだと思っていたスナップショットは、悲痛な叫びに思わず手を離した。
「え、そうなの? あー……ええと、タオル要る?」
「それは涙を拭けということでしょうか? それとも涎? どちらにせよ煽りますね……借りたが最後二度と返しませんよ」
デジタル二眼レフはスナップショットの差し出したタオルを再び押してのけた。大きなため息を吐き、デジタル二眼レフは立ち上がった。
「毒気を抜かれるってこういうことを言うんでしょうかね……なんだか疲れたので少し休ませていただきます。話の続きはまた後にでも」
スナップショットに背を向けたままデジタル二眼レフは片手をあげてひらひらと振った。
「あっ、うん。おやすみ。またあとで」
◆◆◆◆◆
「おはようございますスナップショット。それで……どうしましょうね、カバーの下、気になります?」
見慣れた無機質な銀色の頭が首を傾げる。スナップショットは眉を下げ、助手の目を覗きこんだ。
「アタッチメントつけたままそれを聞くのはどうかと思うんだよ。見せる気全くないんじゃないか」
「ええ、少し寝て考え直したんですが、なんだかちょっと今がその時ではないような気がして……また機会があればお見せしますよ」
「それ、断る時の常套句じゃなかったっけ? まあ、君がそういうなら言葉通りの意味なんだろうけどさ」
スナップショットはアタッチメントをかぶったまま首を揺らす助手を眺めて苦笑した。大きな黒い瞳はまるで生身の目のように光を反射する。カバーに覆われた不可視の目よりよほど生々しくレンズは光る。このアタッチメントはまさしくデジタル二眼レフの一部であるのだと、スナップショットは改めて黒いレンズを覗き込む。深淵のような光彩が絞られ、スナップショットの青い目を映した。
「そういえば前にカバーが割れた時、腸が好きだろうと言ったでしょう、あれ、誰に聞いたんです? 事によっては対処が必要になってきますが……」
「…………ううん、物騒なこと言うね……二眼くんが言ったんじゃなかったっけ。記憶がおぼろげだけど、君の話を他人とした覚えがまずないんだ」
スナップショットの発言にデジタル二眼レフも首を捻る。記憶にないのだ。
「いつのことです……?」
「覚えていないって言ってるじゃないか。ただ、寝てる時だった気がするんだ。うとうとしててちゃんと聞いてなかったのかもしれない」
二人は同時に首を捻った。
「そもそもあなたが眠っている間に話しかけた覚えがないんですよね……あ」
「あ、なんか思い出した? んん?」
デジタル二眼レフはスナップショットの首に手をかけた。大きな手が喉をゆるゆると握りこむ。首を絞められているような形だ。実際には添えられただけの手がわずかに痙攣し、力を入れない手で揉まれているかのような錯覚をスナップショットにもたらす。
「二眼くん何の真似? 別に喉は詰まってないよ……ああ、そうか。えっと、吐き出させたいなら喉に入れなきゃ」
「スナップショット、私は別に記憶や言葉があなたの喉で詰まっているとは思っていませんし、胃液に溶けているとも思ってはいません。さらに言うならマッサージして脳に血液を回そうとしているわけでもないです。本当に何も覚えていないんですね? スナップショット」
ザリザリと声にノイズが混じる。念を押すように語尾を強めたデジタル二眼レフに、スナップショットはむうむうと唸った。
「疑り深いなあ、そういう二眼くんだって覚えてないんだろ」
手を首から剥がしたスナップショットは机に伏せり、助手を見上げた。襟元とアタッチメントの隙間から見えた肌がほのかに色づいて見え、スナップショットは助手の沈黙が忘却への苛立ちによるものでないことを悟った。むしろ逆だ。
「……二眼くん?」
デジタル二眼レフは下のレンズを手で覆い、首を振った。
「……聞かれているとは思わなかったんですよ。まさか水槽の中で眠っているときも脳が動いているとは……ああもうなんでもいいので全部忘れてください、スナップショット」
「えっと、これ以上忘れるのはさすがにまずいかな。安心してよ、それ以外は何にも覚えてないからさ……今ちょっと癪だなって思っただろ。もう、僕にどうしろっていうんだよ」
スナップショットは頬を膨らませて困ったような顔をした。デジタル二眼レフは黙ったままいつものように肩をすくめ、鉄の頬を指でこすった。恥ずかしさに紅潮した顔を、アタッチメントで隠したまま。
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