07(研究所の秘密編)
立ち止まったままデジタル二眼レフは扉を眺めていた。閉ざされた扉は黙して語らず、ただじっとそこに存在している。
「スナップショットの部屋には何があるんですか」
「うん? どうして?」
デジタル二眼レフは少しだけ不機嫌そうな声音を作った。
「いえ、さしたる理由があるわけではないですが、そうですね、自室によく踏み込まれるのでフェアじゃないと思いまして」
何でもないように言われた一言に、スナップショットはどきりとした。
「ああ、それはその、悪いなあとは思っているよ。ええと、なんだっけ、僕の部屋はね……何かよくわからない機械があるよ。なんだろうね。クラシックのフィクションに出てくるスリープ装置みたいなやつ。そういえば今気づいたんだけどあの部屋だけ管理者権限が僕にしかないんだよ、なんでだろうね。他は全部パブリックなスペースなのに」
デジタル二眼レフは肩をすくめた。
「パブリックすぎるのも困りものですね。それで、何をする機械なんですか」
「中で寝るんだよ。まるい蓋が付いていて、中に入ったら閉めるようになってる。面白いだろ」
こともなげに答えるスナップショットにデジタル二眼レフは首を捻った。
「その面白いものを用意したのは誰です?」
「誰だったかなあ。ああ、女神の肉体を寄越した連中だったんじゃないかな。サイバー神殿で次世代の女神を寝かせておくやつなのかもよ。神の肉体を冷凍保存する機械っていうのは冒涜的だね。粉とかにして……こう、なんていうかな。間違いなく高値で取引とかされる奴だよ」
怖いねえとおどけて笑うスナップショットとは裏腹に、デジタル二眼レフは思案顔だ。
「それは……どうなんでしょう。しかし、いまどき冷凍保存なんて流行りませんよ。チップ化が精々でしょう……そういえば女神のクローンは作っていないのですか」
「動かなかったんだって。だから僕をベースにして『スナップショット』が作られた。いや、作ったのは僕なんだけどさ」
「眠りが浄化を誘発するんじゃないかって話でしたよね?」
「うん? そうだね……?」
デジタル二眼レフの脈絡のない発言にスナップショットは首を捻った。
「スナップショット、あなたはその中で眠っている。そしてここは水質研究所……私の言いたいことがわかりますか」
眠り、浄化、スリープ装置。女神の奇跡と水質研究所。浄化で排出されるのは真水だ。デジタル二眼レフの言葉の意味に気が付いてスナップショットの顔から笑みが消える。
「……ねえ二眼くん、もしかしなくても怖いこと考えてる?」
「ええと、スナップショット、あなたにとって何が怖いのかわからないのでその質問は答えづらいのですが。私個人の意見ですと怖くはないです。クローン人間の使い潰しの一端を担っている身には倫理観がどうといえる神経は残っていません」
「ああうん、そっか。まあ、そうだよね。ええと、二眼くんの主張としては、なんらかの装置になってるって話なんだよね。たぶん」
「ええ、おそらくスナップショットの体で浄化が行われることを見越して設計された装置なのではないでしょうか」
「そうはいってもなあ。僕ずっとここで寝てたわけだし……流石に寝てる時のことは自分じゃわからないからなあ。ああそうだ、だったら二眼くんが確かめてみればいいんじゃないかな」
「私が? ……スナップショット以外の人間は入れないのでしょう、どうするつもりなんです?」
「二眼くん。君の目は、人間ではないんだろ?」
スナップショットはデジタル二眼レフの頭部アタッチメント、丸いレンズの淵を指でつうとなぞった。
◆◆
「私の頭を入れてみるっていう話だったんですね、なるほど」
それにしても頭だけですか、と少しつまらなさそうに呟いたデジタル二眼レフにスナップショットは申し訳なさそうな顔をした。
「仕方がないんだ、この部屋には君を入れられない。それに、頭だけとはいっても君の体の一部には変わりないだろ」
「人間でいうところの脳の半分になりますか。こうして考えてみると頭が欠損しているみたいである種の恐ろしさを感じますね」
アタッチメントとじっと向き合っている助手を見て、スナップショットは首を捻った。スナップショットは神妙な顔をするサイバネティクス置換者に共感することはできなかった。致命的な不具合が見つかり次第体を乗り換えていくクローンボディは自身の皮膚にメスを入れたことさえ一度だってない。無論、体の一部が外れたこともだ。
「首がとれたことはないからよくわからないよ」
デジタル二眼レフは肩を震わせて笑った。
「ええ、ええ、それに関しては私もありませんね。何が撮れるか楽しみです」
◆◆
「うわっ」
ケーブルを繋いでデータの同期をしていたデジタル二眼レフは低い声で呟き、目を抑えて蹲った。
「どうしたの、二眼くん……二眼くん!」
スナップショットは痙攣する助手の手を取って揺さぶる。彼はデータの同期をしていただけで、危険なことは何もしていなかったはずだ。そうするとカメラのほうによほどまずいものでも移りこんでいたのだろうか。不意に強い力で掴まれ、スナップショットはぎょっとした。見た目の印象よりも逞しいデジタル二眼レフの腕がスナップショットを抱き寄せる。強張った筋肉が布越しに感じられて、スナップショットは狼狽えた。
「二眼くん?」
「ええ、大丈夫です……大丈夫、大丈夫なので少しの、少しの間このままで」
背中へ回った腕に力が入り、胴をきつく締められたスナップショットは小さな呻きをあげた。
「それ、ちょっと、いや、ちょっとどころじゃなく痛いかな…………二眼くんの目には何が見えたの。部屋の中で、一体何があった……?」
腹から顔を離し、デジタル二眼レフは見たものを何とかして言語化しようとした。しかし、混乱した頭は情報をうまくまとめられない。乱される思考のなか支離滅裂な言語で、詰まる声はノイズだらけだったが、それでもデジタル二眼レフは恐れと混乱の中、正確に見たものを伝えようとした。
「スナップショットの入っている中央の機械に、泡が、いえ、まず水が透明に、違う、水が透明になるのは結果であって、ええと、濁った水が沸騰して……」
「待って待って。落ち着いてよ、何言ってるかわからないよ」
「水がですね……ああ、まだるっこしい、あなたがこの施設の要なんです! あなたが、浄水漕の、ああ、スナップショット、この光景をあなたにも見せられれば良いのですが」
デジタル二眼レフは恐慌状態だ。話を聞くことを諦め、スナップショットはいくつか助手へと質問をした。答えはどれも要領を得ないものであったが、スナップショットは何とか事態を把握した。
「なるほどね。水質を改善する研究施設のなかで、まさかドクターがフィルターになってるとは思わないよね」
デジタル二眼レフは俯き気味に赤らんだ頬を擦った。
「……ええと、スナップショット、見苦しいところをお見せしました。……ところで、この部屋にはスナップショット以外は入れないんでしたね?」
「うん。僕以外が入ったらどうなるかはやったことないから知らないけど、大方いつもの感じなんじゃないかな。やらないでね、君は替えがきかないんだから」
「ええ、もちろん」
◆◆◆
「このようなものがあったということは、これを寄越した連中はあなたがどんな性質を持つのかがわかっていたのでしょう。あなたを狙う人間のところへ行けば、おそらく謎は解けます。クローンであるあなたの体に価値を認めているということは、混ぜられた女神の遺伝子こそが鍵になっているに違いありません。私が行って確かめてきましょう」
「待ってくれ。自殺行為だ、僕も一緒に……」
怯えたような表情のスナップショットに、デジタル二眼レフは首を振った。管理責任者である彼のIDは移動を許可されていない。
「外に出られないのでしょう、スナップショット。あなたはここにいてください、私一人ならなんとかなりますので」
デジタル二眼レフはゴム手袋の口を引く。一続きになった合成ゴムの奥へと指先はねじ込まれ、てのひらは景気良くぱちんと音を鳴らした。スナップショットは慌て、助手へ追いすがった。
「僕を置いていく気か、二眼くん。君がいなくちゃ、僕はどうやって自分を守ればいい」
顔をあげたスナップショットは言葉をなくした。目に映るデジタル二眼レフ、気の置けない自分の助手だったはずの彼は、口元を歪めていた。そう、目の前にいるのは昔のままのデミ二眼だ。慣れ親しんだ控えめな笑みではなく、利己的で危険な傭兵としての顔がそこにある。彼は笑っていたのだ。
「寝室で待っていてください。水質研究所の核であるあなたはもはや有用な人材だ。あなたが外に出られないのも、きっとそれが原因だったのでしょう。あなたを雁字搦めにするシステムはあなたを守ってくれますよ、あなたは有用で、替えのきかない、重要な役割を持つ人間なのですから。……ああ、でもそうやってあなたに頼られるのは存外気分が高揚します。では、話の続きはまた後ほど」
デミ二眼の声が部屋に響く。扉が閉じられ、スナップショットは独りになった。
◆◆◆
『女神の起こす奇跡のなかに水源がありましたけど、水源といえるほどの水がどうやって浄化されたのでしょうね。今まで見てきたように、体に取り入れて浄化して出すという過程を踏むのだとして、あなたの体からどれ程の水が取れるというのでしょう。検査でも膀胱の容積以上の物は得られないのでしょう?』
『そうだね、平均を大きく外れた値は出てないみたいだし、間違ってる確率は低そうだけど』
『前に尿素が検出されたときには全体の水分量が減っていたと記録されていますので、体内を通る量が浄化の生成物に関係しているのは間違いないと思うのですが……』
『…………うーん』
『体の中を通ったものしか浄化が成されないと言いましたが、女神のそれにおいてはそうではなかったのかもしれません。スナップショット、眠り以外のファクターは恐らく水です。きっとなにか、まだ私たちの知らない隠された条件があるのではないでしょうか』
◆◆◆
「ただいま戻りました。スナップショット、生きていますか。死んでいる場合はそう言っていただけると事後処理がスムーズです」
「そうだね、すくなくとも死んではいないよ。おかえり、二眼くん」
死体の山の中にスナップショットは立っていた。床や壁の至る所に血だまりができ、肉片が飛び散っている。ここに転がっているのは皆、スナップショットの寝室のレーザーにやられたクローンたちだ。臓物をまき散らした赤黒い部屋の中、スナップショットはそれらをぐじゅぐじゅと踏みしだきながらデジタル二眼レフへ歩み寄った。デジタル二眼レフは靴の底で転がるものを踏みつけた。それはおそらく、人間の手指であった。
「スナップショット、色々なことがわかりました。水を媒体にして水に混じる大小の不純物を別種のエネルギーに変えるのが女神の浄化システムです、綺麗な水というのはエネルギーを取り出した後の副産物だったのでしょう。媒体になる水は、眠っているあなたの体に触れている必要があります。不明瞭だった条件というのは恐らくこれです」
デジタル二眼レフは赤黒く汚れた床を歩きながらところどころに大穴の開いた趣味の悪いジャケットを脱ぎ捨てた。色柄物だったのであろうジャケットには、血の染みが不規則な水玉模様を作っていた。
「使い物にならなくなるよ」
スナップショットの咎めるような言葉に助手は床の上のおびただしい死体の山を一瞥した。でもそれだけだ。
「構いませんよ、もう必要ありません。というより、破れてしまいましたのでどちらにしても買い替えです。ああ、もうシャツも襤褸切れ同然ですね、折角綺麗なまま奪ってきたというのに」
デジタル二眼レフはシャツを摘まんで引っ張った。黒と白のストライプのシャツは裾が破れてカフスが片方なくなっている。
「二眼くん、その服の中身は?」
尋ねるスナップショットへ、デジタル二眼レフはわかっているのだろうと言いたげに笑った。
「よしなに」
◆◆◆
「ところでこれどうしようね。あんまり片付ける気にもならないんだけど」
おびただしい死体の山でスナップショットは立ち尽くす。デジタル二眼レフはネクタイに指をかけ、その様子を見ていた。化学繊維の生地が擦れてしゅるしゅると音を立てて解ける。床に捨てたネクタイのたてる水音が、びちゃりとやけに生々しく響いた。
「プランテーションに送り付けてやりましょう。それとも、せっかくの機会ですし試しに少し寝てみますか? 面白いかもしれませんよ」
シャツのボタンに手をかけたデジタル二眼レフは喉の奥で噛み殺したように笑い、床を指した。床にはいまだ人の形をとどめた肉塊がごろごろしている。スナップショットは狼狽えた。
「えっ……? えっと……」
スナップショットは目を白黒させた。即座に否定し、普段通り一緒に笑ってくれるものだと思っていたデジタル二眼レフは少し興を削がれたように首を傾げた。
「冗談ですよ、何もそんなに驚かなくても……意図しない場所でのエネルギーの変換が紙の束を片付けるために火を放つようなことだと私も認識してはいます……していますからね?」
シャツのボタンを外す手を止め、デジタル二眼レフは目に見えて動揺するスナップショットに目を向けた。スナップショットは合点したように目をぱちぱち瞬かせると、ぎこちない笑みを浮かべて頭をかいた。
「あ、ああ、そうか。冗談、冗談か。それなら、いいんだ」
「さて」
デジタル二眼レフが床に捨てたものを見て、スナップショットは慌てた。ストライプのシャツには見る間に血が染み、もう着られる状態ではない。
「ちょっとちょっと二眼くん、なにしてるのさ」
慌てて止めようとしたスナップショットを遮って、デジタル二眼レフはからからと笑った。
「構いませんよ。元より破れていましたし、ここなら人に見られる心配もないでしょう。それに、この際ですしスナップショットにも教えておこうと思いまして」
デジタル二眼レフはスナップショットの目前に肌を晒した。インナーに包まれた厚みのある胸、くびれた腰、なだらかな肩は大小さまざまな傷跡が刻まれていて、傷一つないスナップショットの体とは対照的だ。
「わかりますか、スナップショット。腕のここからここまでが接合部で、この先がサイバネティクスになっています」
滑らかに動く腕を掴めば、人間の腕にしてはやや硬い感触が伝わってくる。スナップショットが腕を掴んだり離したりしていると、デジタル二眼レフが短く息を吐いた。
「見せた手前強く言うのも気が咎めるのですが、あまりそのあたりには触らないでいただけますか。センサーの数が他より多く設計されていて、くすぐったいというか、ええと、まず離してもらっていいです?」
「あっ、ごめん」
デジタル二眼レフは深呼吸して、息を整えた。平たい胸が上下するのを珍しそうに見ていたスナップショットは、ある提案をした。
「ねえ二眼くん。見たこと、忘れないように書いておいてもいいかな。君のことをもっとよく知りたいんだ」
デジタル二眼レフは、はっと顔をあげて、それからいつものように控えめに笑った。
「……あなたにそういわれるのは二度目ですね。いいでしょう、何だって好きなことを書いてください。……ああでも」
デジタル二眼レフは床を見渡した。
「その前に少し掃除をしましょうか」
◆◆◆
機械の腕はそうとは見えないほど滑らかに動く。握っても脈が感じられない手首はそれらが作りものであると雄弁に語るが、触れなければそれもすぐにわからなくなる。スナップショットはデジタル二眼レフの長い指に触れた。
「綺麗な指だね。造られた経緯からしてオーダーメイドなんだろ、何かいじったりした?」
ひらめく指はどれも調和のとれた長さで、どれが短すぎるということもない。デジタル二眼レフは首を振った。
「いいえ、爪の形も指の長さも生まれたときのままですよ。聖書を読んだことはありましたか? 私は神を模して造られた旧時代の人間です」
ふふ、と口元だけで笑ったデジタル二眼レフは、穏やかな表情でスナップショットを見て微笑んだ。
「……いえ、あなたも神を模して造られたのでしたね、スナップショット」
「そうだね、確かにそうだ。まあ、作ったのは僕なんだけどね」
ふたりはしばし顔を見合わせて、どちらからともなく笑いあった。ふたりとも神の現身なんて大仰なものではなく、本当にどこにでもいるようなマジョリティ側の人間だったのだ。
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