06(続・記憶編)

鉛筆がノートをひっかいて、がりがりと不快な音を立てる。怪訝な顔でノートをひっかいていたスナップショットはデジタル二眼レフを呼び止めた。

「わかったことがあるんだ二眼くん。聞いてくれ、病気で死んだっていう前の体の事だ」

「ええ、なんでしょうか」

助手はとかく口に出る。にこやかに返すデジタル二眼レフの声がいつもと違う色を含んでいることに、スナップショットは気付いた。何か後ろめたいことがあって、それが露見しようとしている。これはそんなときの声だ。

「僕が死んだ直接の要因は君だろ」

「どういうことです?」

先ほどとは打って変わってデジタル二眼レフはきょとんとした声を出した。伝わらないのは当然だ、スナップショットは文脈を飛ばして本題しか言わず、そのうえデジタル二眼レフは有線式のアタッチメント保有者であってテレパスや無線受信器ではない。何を言っているのか本当にわからないという表情に、スナップショットは数度瞬きをして話し始めた。

「えっとね、君が前に言ったように、なにか発見があるかもしれないから記録帳を開いてみたんだ。記録帳って書いてはあったけど多分あれは日記だね。なんだっけ、それで、記録帳には君の素顔について書かれていた。記憶にはないけど、あれは間違いなく僕の字だった。記憶にないってことは、あれを書いた時にはもうバックアップはとられていなかったんだろう。それはいいんだ、もうすぐ死ぬ予定の体を増やしても仕方がないから」

主張のぼんやりしたスナップショットの話をデジタル二眼レフは特にどうということもなく聞いていた。

「それはいいんですか。ええと、だとするとどのあたりが問題なんでしょう」

死にかけたことでしょうか、とデジタル二眼レフは続けた。スナップショットは強く首を振った。

「死にかけたっていうか実際に死んでるんだけどね。雇い主を殺すのもまあ……いいと思うよ。褒められた事じゃないけど僕は死なないし、実際に君がいたことで僕は死を免れた。違うんだよ、そこじゃないんだ二眼くん、君は……」

雇い主という言葉で、デジタル二眼レフは目の前で話し続けるスナップショットの記憶が戻ってきていることを悟った。

「私が、なんでしょうか、スナップショット」

「君は僕を抱くために殺したんだろ、わざわざ事故を装って顔を見せてまでして、最初の僕をほかの有象無象と同じにしたんだ、君は。君は僕の死を量産品のクローンと同列に、どこにだって転がっている取るに足らないものとして扱ったんだ」

それを聞いたデジタル二眼レフの表情ははぐっと何かを堪えるように動き、それから少しだけ悲しそうな顔に落ち着いた。

「残念ながら偶然ですよ。私の顔が見られたことも、それからほどなく、あなたが死んだことも」



スナップショットは目を見開いた。目の前のデジタル二眼レフは、嘘をついているようには見えなかった。

「本当? だとしたらすまない。タイミングといい、あまりにも出来過ぎていると思ったんだ」

デジタル二眼レフは穏やかに首を振った。

「ええ、そうでしょう。そうとられても仕方のないことです。実際、あなたに死を運んだのは私なんじゃないかとさえ、何度も思いました。それに、いえ、こんなことを言うのもなんですが……そうですね、あなたの腸管はいつもの排泄行為とは違って気持ちがよかった」

思いがけないデジタル二眼レフの思い出話に、スナップショットは露骨に嫌な顔をした。

「げぇ、知りたくなかった。知りたくなかった第二弾だよ二眼くん。確かに思い出話をしろとは言ったけど、まさかこんな暴投が飛んでくるとは思わなかったよ」

デジタル二眼レフは取り合わず、スナップショットを透かして何かを見ているようだった。定まらない視線がふわふわと宙を泳ぐ。

「そうですね、だからスナップショットも余計にそう思ったのでしょう。思うところは色々とありますが、それもまた仕方ないことなのではないかとも思います」

「せめて僕の話を聞いてよ。二眼くんが何を考えようが勝手だと思うけどさ、思うところが色々あるっていうのはどう考えても僕の台詞なんだよ。まさか屍姦趣味の傭兵に知らない間に犯されてるとは思わなかったよ。今世紀入って一番の驚きだよ」

デジタル二眼レフは手をくるくると大げさに回しながら話すスナップショットを見て、可笑しそうに笑った。デジタル二眼レフが犯した本人から感想を聞くのは初めてのことだった。

「出来るなら私が生きているうちにもう一度くらいはと考えているのですが、どうでしょう」

「わかってると思うけど殺される気はないからね。そうなったら体の替えがきかないのは僕も同じだ。君はもう僕を作る気はないんだろ……いや、ちょっと待って、生きてる間に? 二眼くん近いうちに死ぬ予定でもあるの? 何か悩みがあるなら聞くよ?」

ふわふわと漂うようだったデジタル二眼レフの視線がスナップショットに戻された。急に冷めた目線を真っ直ぐ向けられて、スナップショットは息を詰めた。

「ええとですね、スナップショット。狭義の人間は殺さなくても勝手に死ぬということはご存知ですか。肉体の耐用年数があるんです、それを寿命っていうんですが」

スナップショットは目を見開いた。

「しまった、忘れてた」

頭を押さえて項垂れるスナップショットに、デジタル二眼レフは呆れたような声を出した。

「全く、ドクターが聞いて呆れますね。インテリジェントなのでしょう」

「ドクターになったのは一番最初の体の時だからね。もうあれからずいぶん経ってるし、不本意ながら記憶も曖昧だ。それに僕の専門は調整済みのクローンであって狭義の人間じゃない」

「ええ。そうでしたね。ああ、それなら反対にスナップショットのクローンを……いや、なんでもありません。これはやめておきましょう」

スナップショットはデジタル二眼レフが、殺すためだけに新たなクローンを作ろうと言いかけたのだと悟った。それを言わなかったのは、さすがの本人もまずいと気付いたのだろう。殺すためだけに命の宿ったものを作るなど、時間と手間の無駄だ。

「……新鮮な死体が欲しいならもっと冴えたやり方があるんじゃないかと思うんだよ」

「そうですね、この際、死んでいなくても良いのですが……」

「そこでその条件譲るんだ」

スナップショットは目をぱちぱちさせた。デジタル二眼レフはもにょもにょと続けた。

「ええ、まあ、死んでいなくても良いのですが、器でない状態の肉体は器の中身、ええと、精神面とそれに伴う安全性が保証されないので、そこがどうにかなれば……」

二眼くんは人間が嫌いなんだろうなあと、スナップショットはぼんやり思った。

「なるほど、気に食わない人間もそうでない人間も死んでいれば一緒だと。うん、知りたくなかった。そんなことを知りたくはなかったよ、二眼くん」

「そうはいっても非難しないんですね、スナップショット」

「まあ、共感できないだけで言いたいことはわからないでもないし、なんのかんの言っても今更だからね。思想の違いを感じたからって、それだけで不和を起こせるような関係でももうないだろ。何年一緒にいると思ってるんだよ、こんなことで切れる縁ならとっくに切れてるよ」

諦めたようにため息を吐くスナップショットを見て、デジタル二眼レフは不思議そうに首を傾げた。

「その何年も一緒にいた相手に犯されたのだと知って怒ったでしょう」

「……僕を忘れようとしたのかと思ったからだよ。僕を軽く見ていたのかと思ったからだ。クローニングをする人間にとって忘れられることは死と等価だ。誰に顧みられることもなく、誰に思い出されることもなければ、僕たちは簡単になかったことになってしまう」

光を湛えたスナップショットの目がぎらぎらとデジタル二眼レフを射抜く。デジタル二眼レフは視線を真っ直ぐ受け止めた。唇が僅かに戦慄き、一度咬まれてからまた開く。

「私があなたの存在を軽視していたなら、スナップショット、今あなたはここにはいないでしょう。私がどんな思いであなたの肉体を復元したのか、知らないわけじゃないのでしょう。私の孤独がわかりますか。あなたが目を覚ますのを、どれほど待ち望んだ事か」

スナップショットは何か言おうとして口を開き、言うべきことを探した。言いたかった言葉は、膨らんだ罪悪感に塗りつぶされて消えた。

「ごめん。ちょっと頭に血が上っていたみたいだ。許してくれ」

スナップショットは頭に手をあて、大きく息を吐いた。瞑った眼にはもう先ほどのようなぎらつきはない。

「いえ、私も迂闊でした。あなたが話を聞いてどう感じるかをまず考えるべきでしたね、どうにもあなたとの差異をあまり意識していないようで、何気ない言葉を思わぬ誤解につなげてしまう」

「二眼くんのそういうところ、えっと、考え方は、尊ばれるべきものだと思うよ」

スナップショットはお互いが違う人間であると言おうとして、それがよりセンシティブな問題に発展することに思い至り、曖昧な物言いをした。好意を示すための言葉が誤解を招くようでは、元の木阿弥だ。

「ええと、褒められていると受け取っても?」

「そうだよ、褒めているんだ、僕の持てる言葉を尽くして。自惚れてくれて構わない」

スナップショットは頭をかいた。好意が捻じれず伝わったことに安堵こそすれ、そもそも人を褒めることに慣れていなかったのだ。

「ええと、それは、どうも」

同じく褒められ慣れていないデジタル二眼レフは、ざらついた声で曖昧な返事をした。

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