05(続・服編)

部屋に入ってきた助手を見て、スナップショットは通信機を弄っていた手を止めた。

「聞いてくれ、二眼くん、悪い知らせだ。こないだのシャツの件だけど、配送が滞ってるみたいで荷物の到着が予定より遅れるそうなんだ。着替えがないって言ってるのに、本当にすまない。僕が持ってこれればいいんだけど」

乾いて色の変わったシャツの染みを見て、スナップショットは申し訳なさそうに言った。

「私が行ってきましょうか。行動に制限はなかったでしょう」

「それは駄目だってば」

スナップショットは即座に却下した。デジタル二眼レフは少し気を悪くしたように言い返した。

「なぜでしょうか。私が契約を破棄して余所へ行く恐れがあるとお思いですか。それなら……」

スナップショットはデジタル二眼レフの言葉を最後まで聞かず止めさせた。最初は護衛兼雑用として雇った傭兵だが、それも最初の話。彼は人間だ。替えの効かぬ、殺したら死ぬ狭義の人間。水質研究所に暮らすスナップショットの、たった一人の助手。

「違う、駄目なんだ、二眼くんは自分の本当の価値に気づいていない。君が優秀な人間なのは確かで、僕にはまだ君が必要だ。だけど違うんだ。わかってくれ、皆が皆、君を助手として欲しがっているわけじゃない」

デジタル二眼レフの表情が動いた。怪訝な顔でスナップショットの方を見遣る。

「と、いいますと」

「……生まれてくる個体は器でしかないと言っただろう。人口も地球にいたころを思えばずいぶんと減った、それは君も知っていることだと思う……そこで新しいものを増やそうという段になって、一つ問題がでてきたんだ。今の、正規の方法で生まれてくる子供は空っぽだ。クローニングによって僕たちは体から体へ魂の乗り換えをする。だけどその魂を作るためには人間から、クローンでない狭義の人間の体から生まれなければならない。迷信だ、だけど、それでも広く信じられている。魂を持つとされた僕たちが皆、もとをただせば地球人だからかもしれない」

デジタル二眼レフは眉をひそめた。彼は古い地球人、未だクローニングによる魂の乗り換えのなされていない狭義の人間だ。

「その話は聞いていませんね」

スナップショットは苦い顔をした。

「言ってないからね。こんな話をわざわざ聞かせることはないと思っていたし、正直今でもそう思っている。……てっきり君も知っているものだと思っていたよ。ああ、そう、それで随分前から狭義の人間が必要とされているんだ」

「つまり、私の肩書や技能ではなく、私の肉体そのものが狙われていると?」

スナップショットは肯定した。

「そうだ、話が早くて助かるよ。捕まったら子供を産ませ続けられるかもしれない。いや、かもしれないなんて曖昧な言葉を使うのは良くないかな。間違いないよ、そうなったら君は新しい世代のための人柱にされるんだ」

暗色の目に助手が映り、スナップショットは痛みに耐えるように目を伏せた。デジタル二眼レフはそんなスナップショットを見て口を開き、覚えた違和感に気が付いた。

「そうですね、それは…………いえ、スナップショット、人間は単性生殖ではありませんし、男は子供を孕まないはずですが」

スナップショットはしばし考え、目を見開いた。クローンを作ってばかりで人間の本来の機能として備わっている生殖の仕組みを失念していたらしい。助手の憐れむような視線を受けてスナップショットは頭を押さえた。

「………………ああ失礼。僕たちの体に孕むスペースはなかったね……なかったよね……」

額に手をあててデジタル二眼レフは半ば呆れたように首を振った。

「ありませんよ、スナップショット」

デジタル二眼レフが顔をあげると目の前にスナップショットがいた。デジタル二眼レフの目はスナップショットの青い光彩に吸い込まれる。暗色の瞳の中で、デジタル二眼レフは無感情に唇を舐めた。

「ええ、間違いなく」

湿った舌が唇の上を這う。低い呟きを聞き終わる前にスナップショットは目を逸らした、カバーに映る怯えたような表情が、背筋を伝った冷たい感覚が、恐らく自分のものであったからだ。

「……話がそれたね。それでだ、狭義の人間である君を、クローンたちは血眼で探している」

「それで、私にどうしろというんですか、スナップショット。まさか伝えて終わりなんてことはしないのでしょう?」

「ああ。性的接触は控えることと、自分の身を守ること、君を力づくでどうこうしようとしてくるやつらはわかってやってるだろうから殺して構わない。あ、そうだ、あと……」

「言われなくてもそうしてはいるつもりですが……あとは、なんですか」

スナップショットは気まずそうに視線を泳がせ、横目でデジタル二眼レフの顔色を窺った。

「ええと、その、服の替えはもう少し待ってくれるかな。僕の服貸すからさ……ああ、ええと、それは、嫌だったら断ってくれても良いんだけど」

スナップショットは殊更に目を逸らして頭をかいた。デジタル二眼レフは虚を突かれたようにしばし黙り、突然の提案に思いを巡らせた。

「ああ、ええと……そうですね、サイズがあうのならば、ぜひ」


◆◆◆


スナップショットは部屋の奥から黄色のラインの入ったツーピースを引っ張り出してきた。

「この大きさで入りそう?」

「ええ。よくこのサイズを持っていましたね、こんな大きさのもの普段、着ないのでしょう」

デジタル二眼レフはスナップショットから受け取った服を広げた。古い分類に当てはめるのならスポーツウェアが近いだろうか。厚手の生地はしなやかだが、張りがある。

「何かと入り用かと思ってさ。まあ、君の言うとおり使ってないんだけど。君が使ってくれるなら服も喜ぶんじゃないかな。物の感情云々なんてのは僕にはよくわかんないけどさ」

黒に黄色のライン。編地らしく、少しの伸縮性がある。きらきらと光を反射するところから見て、ポリエチレンテレフタレートだろうか。なんにせよ今どきにしては珍しい生地だ。

「いつ買ったものなんです?」

「随分前だよ。いつだったかな、月にいるときだった気がする。重力発生装置の回転とか懐かしいよね、詳しいことは全然覚えてないけど」

顎に手をあてて物思いにふけるスナップショットに、デジタル二眼レフは首を振った。

「そうですね、それはあまり思い出したくないですね……」

「なにかあったっけ?」

「……一度壊れたでしょう」

苦々しい顔で助手が答える。スナップショットは手の平を打ち合わせた。ああ、と声をあげた直後からだんだんと表情が曇っていく。

「そうだったね、あれは……うん。大変だった。ええと、二眼くん。お風呂入りなよ。それがいい。うん、もう忘れよう、この話は終わりだ」

「そうですね、そうさせていただきます」

沈痛な面持ちのデジタル二眼レフは、頭に手をあてて項垂れるスナップショットを見やり、再び首を振った。



「ああ、おかえり」

スナップショットはバスルームから戻ってきたデジタル二眼レフに気が付いた。血の染みだらけだったシャツを脱いで、スナップショットの持ってきた服に着替えている。

「ええと、どうでしょうか」

デジタル二眼レフは少し照れくさそうに、上着の務歯を掴み襟もとを正すような仕草をした。

「ぴったりだね。着心地はどうだい」

スナップショットは体の線を目で測った。ちょうどいい大きさに見えるが、デジタル二眼レフはそわそわとなんだか落ち着かない様子だ。

「悪くないのですが、贅沢を言うならすこし緩く感じますね。慣れない格好で少し落ち着かないというか……裾を踏んだ拍子に脱げないかが少し心配でしょうか」

「いつものと比べるとどうしてもそうなるよね……ベルト通しはないけどウエストに紐が入ってるから結んでおけば調整できるよ。裾も邪魔なら捲っておくといい。ロールアップするのも悪くないおしゃれだよ」

「ええ、そうですね。紐を結んでおけば裾を曲げる必要はなさそうですが、覚えておきましょう」

デジタル二眼レフはやんわりと提案を断った。スナップショットはその言葉に違和感を覚え、同時に助手が長袖の服しか着ないことを思い出した。

「聞いちゃ悪いかと思って聞かなかったけどさ、その服の下、何かあるの? うーんと、答えたくない場合はそういってもらえると助かるかな」

デジタル二眼レフは口元だけで笑みを作った。

「一部がサイバネティクスに置換してあります。そうですね、機会があればまたそのうちに詳しくお教えしますよ」


◆◆◆


「スナップショット、少しいいですか?」

鉛筆で遊んでいたスナップショットは声のした方へ顔を向けた。

「なにかな、二眼くん。あ、服、届いたんだね、よかったよかった」

白いシャツにタイ、暗色のジャケットを羽織った、普段通りの見慣れたデジタル二眼レフを見てスナップショットはうんうんと頷いた。

「ええ、そうなんです。ええと、そのことなんですが……前に着ていたウェアを、その、譲ってはいただけないでしょうか……なんだか愛着がわいて、ええと何て言ったらいいんでしょう、返しがたくなってしまいまして」

「そうかそうか、気に入ったのならあげるよ。僕が持っていてもきっと着ないだろうし」

スナップショットは快く承諾した。何でもないように言われたその言葉に、デジタル二眼レフは笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。大事にしますよ」

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