04(記憶編)

灰色の雲が立ち込める窓を眺め、スナップショットは地球にいたころのことを思い出していた。記憶しているすべての事象には濃度のまちまちな靄がかかり、いずれもはっきりと想起する事は叶わない。もやつく感情を内に秘めたまま机にもたれかかって、スナップショットは手持ち無沙汰に安物のノートを鉛筆でひっかいている。ノートに影が落ち、スナップショットは鉛筆を握る手を止めた。

「ねえ、二眼くん。僕の前の体ってどうなったんだっけ」

「火葬場に持って行ってきちんと燃やしましたので灰になったのではないかと」

スナップショットは鉛筆を手放し助手を見上げた。しばし見詰め合い、ふたりの間に沈黙が下りる。

「そっか……いや、わかってるよ。そうじゃない、死因が思い出せないんだ」

スナップショットは思案顔のまま頬を膨らませる。助手は手を口元にあて、訝るような表情を見せた。

「覚えていませんか? 病気でずっと死の淵にいたんですよ。よくは知らないですが汚染による何かだったんじゃないですか」

「そうだっけ、そうだったかも。全身麻酔とかされてたら正直覚えてないよね……汚染……アルカロイド……アルカロイド?」

ぼんやりと首を傾げるスナップショットに、デジタル二眼レフは言いかけた文句を飲み込んだ。スナップショットの最初の肉体は、病床に伏せり、寝たきりになってしまった。そうしてそのまま回復することなく死に、雇われの記録係に過ぎなかったデジタル二眼レフはドクター不在のまま、決して短くない時間を費やしてそのドクターのクローンを作る羽目になった。成功したのは奇跡と言っていい。

「あの時は大変だったんですよ、スナップショット。何度も言うようですが本当に次はありませんからね」

「うん、大丈夫だから。信じていいよ、なんていってもこの体は僕が作った最高傑作だ、みすみす手放すわけがないだろ……」

デジタル二眼レフは眉をひそめ、呆れたような声を出した。

「その自作の最高傑作を潰して助手に飲ませようとしたのは誰ですか……いえ、待ってください、今、スナップショットが作ったと、そう言いましたか?」

「うん……うん?」

違和感を覚え、二人は顔を見合わせる。蛍光灯の放つ耳鳴りのような音が黙り込んだ二人に降ってきた。しばらく考え、二人はほぼ同時に違和感の正体に気が付く。スナップショットの体は、デジタル二眼レフの作ったクローンと一致しない。

「えっと、間にもう一つあったんじゃないかな。病気で死んだのは最初の僕だ。それで、いまここにいるスナップショットを作った僕が別にいたはずだ。その僕を作ったのが君だ、そうだろ」

「ええと、そうですね。私はスナップショットの体に女神の遺伝子が含まれているとは知りませんでしたから……」

「そうだよね。だめだなあ、いろいろ忘れてる気がする。気がする、なんてもんじゃないな、確実に大事なこととかそれ以外を取りこぼしてる。ああでも、今のは新しく思い出したことになるのか」

スナップショットは開いていたノートにがりがりと何らかの文字列を書き込んだ。

「そうですね。おめでとうございます。諸々の経緯は記録帳に書いてあるはずですが……気になることがあるようでしたら見てみたらいかがです?」

「記録帳はあくまで記録だからね。こう、もっとエモーショナルな……とにかく見ることと思い出せるかどうかは別だから、あんまり期待しないでほしい」

「まあ、思い出は別として、何か新しい発見があるかもしれません。暇なときにでも参照してみるといいんじゃないでしょうか。検査以外に大してやることもないのですから」

曖昧に頷いていたスナップショットがぱっと顔をあげた。

「そうだ。僕、日記とかつけてなかったっけ。ジハイドロジェン・モノオキサイドしか書いてないノートよりよほどいろいろなことを思い出せそうな気がするんだけど」

「覚えている限りでは日記は付けていなかったようですね」

デジタル二眼レフは嘘を吐いた。

「そうか。ああ、そうだ。なにか思い出話の一つでもしてくれると思い出せるかもしれないよ、二眼くん。なにかひとつ、こう、なんかないかな」

スナップショットの視線から逃れるようにデジタル二眼レフは顔をそむけた。

「急に腹が痛くなってまいりましたので私はお手洗いに行かせてもらいましょう」

おもむろに立ち上がって、その場を後にした助手に、スナップショットはヤジを飛ばした。

「おうおう、二眼くん、逃げるなんてずるいぞー。そんなんだから、ええと、ううんと……い、いつまでたっても助手どまりなんだー」

「そんなこと言って、命の保証はしませんよ。私はあなたをどうとでもできる」

助手は振り向かず言った。スナップショットはぎょっとして口をつぐむ。デジタル二眼レフにはスナップショットの前身であるドクターを見殺しにする選択肢だってあったのだ。

「…………前言撤回の方向で行くよ。君に殺されるのは勘弁だ……勘弁だからね!」

スナップショットは聞こえるように助手へ叫んだ。『私はあなたをどうとでもできる』冷たい声が脳内でリフレインして、ようやくスナップショットは思い出した。スナップショットの助手という肩書を得る前、デジタル二眼レフは腕利きの傭兵だったのだ。スナップショットがいくら死なない体だといっても、護衛であるデジタル二眼レフの采配次第では何度でもスナップショットは殺されうる。そう、強盗が入ったとき、狙われたのがスナップショットだったならば。もしデジタル二眼レフが狙われたスナップショットを庇わなかったならば。もし、彼が自分に殺意を向けたのならば? スナップショットは怖気を感じ、首筋をごしごしと擦った。


◆◆◆


思い出したことを書き綴っていくうちに、スナップショットは少しずつ記憶を取り戻した。

白昼堂々飛び込んできた来客に、またか、とスナップショットは思う。そう思う心の動きとその根拠をスナップショットは説明できるようになった。地球にいたころもこの手の来客はままあったのだ。研究に手いっぱいで望まぬ客人をもてなす用意などなかった当時のスナップショットは、絶え間ない襲撃に対抗するため今のデジタル二眼レフを、傭兵『デミ二眼』を雇った。デミ二眼は優秀で、スナップショットのもとへ訪れた望まれぬ客人を一人ずつプランテーションの土へと変えていった。いまはスナップショットよりも、希少な人間となってしまったデジタル二眼レフを手にするため押しかけてくる輩のほうがずっとずっと多くなった。スナップショットを狙ってくる人間たちはみなデミ二眼が殺したからだ。

そうしてスナップショットは思い出した。デジタル二眼レフはスナップショットの助手や旧時代の人間である前に、社会を回す歯車の一枚であったのだ。



硬いものが弾ける音でスナップショットは我に返った。割れた樹脂を見て、スナップショットは弾かれたように振り向く。デジタル二眼レフはとっさに手で顔を覆った。足元へ散る見慣れた色は、普段デジタル二眼レフの目を覆っているそれだった。

「二眼くん、目は平気!?」

「割れたのはカバーだけですので心配いりません。目は平気ですので……いいから私の顔を見ないでいただけますかスナップショット」

やや強い語気で発せられた言葉に、スナップショットは慌てて顔を背ける。

「あ、ああ、ごめん。うん。わかった。いや、わからないけど。わかってるけど」

スナップショットはデジタル二眼レフから目をそらした。月に移住して数え切れないくらいの月日が過ぎ、火星へ研究所が移った今もなお、スナップショットはデジタル二眼レフの素顔を知らない。普段目元は不透明のカバーで覆われており、デジタル二眼レフがそれを外すことはないからだ。

地球にいたころは取れたり、割れたりして、カバーが外れることは何度かあったようだ。しかし、デジタル二眼レフの顔を知る者はいない。素顔を見た人間は彼自身がその一切を殺したと聞いた。傭兵デミ二眼の目を見たものはこの世にはいられず、その目の色は死と等価である、と。

「見ないでいただければそれで結構です。そうすれば……私はあなたを犯さずに済む」

ぼそりと消え入るような声で呟かれたそれに、スナップショットは思わずむせた。ちりちりとした痛みは、熱を持って連鎖反応的に記憶のフラッシュバックを引き起こす。スナップショットの顔から血の気がすっと引いた。

「げぇ。そうだよ、君はそういうやつだった。終わったらお説教コースだよ、二眼くん。こないだの焼死体の件もだ」

そうして、スナップショットはゴミ袋を開けた時に脳裏を掠めた小さな痛みの正体を悟った。スナップショットはこんなことを思い出したかったわけではない。痛みだったのは、きっとそのせいだ。

スナップショットはデミ二眼と呼ばれた、傭兵としてのデジタル二眼レフのことを知っている。傭兵『デミ二眼』はその体でもって死を貶める。たとえそれが、雇い主であるスナップショットのものであっても変わらないという宣言にスナップショットは声を荒げ、内心毒づいた。こんなことばかり思い出したかったわけでは決してないのだと。

「お説教の前に手を洗わせてください。そのままだとどうにも気持ちが悪くて困ります」

デジタル二眼レフは血みどろの手袋のまま片手の指を陽気にひらひらさせた。それを聞いたスナップショットは再度、舌を出した。

「ちゃんと死体が揃ってるか確認したらだよ。君は腸管が好きだったんだっけ」

「いえ、違いますが……まあ、否定するのも面倒ですしそういうことにしておきましょうか。ところでその話誰から聞いたんです?」

デジタル二眼レフは顔を隠したまま殺人的回し蹴りを繰り出した。足は鈍い音を立て、首を刈った。

「……誰だったかな」



「ストップ。そのままだ」

狼藉者を片付け終えてそそくさと部屋から出ようとしたデジタル二眼レフは、鋭い制止の声に立ちどまって肩をすくめた。

「ええと、スナップショット。先ほどの本気で言っていたんですね……早いところ顔を隠したいのですが……あなた相手だといってもこれは流石に……」

額に血塗れの手をかざしたままデジタル二眼レフは不平を漏らした。スナップショットは振り向かず、床へ散らばる体がいくつあるかを数えた。

「悪いけどしばらく手で覆っててくれるかな。うん、揃ってるね。先に手を洗ってきなよ、僕はここを片付けているから」

「ええ、わかりました」

スナップショットは肉隗を袋に詰め、箱に入れて封をした。ぐちゃぐちゃのどろどろだ。スナップショットが残った血の始末をしながら考えたのは、デジタル二眼レフにだけは殺されたくないというようなことだった。



「ただいま戻りました」

「おー、おかえり。こっちは大体終わった感じかな」

新しいカバーを付けて戻ってきた助手へスナップショットは声をかけた。床に飛び散っていた人間の残骸はすでに片がつき、部屋にはうっすらとした鉄さびの臭いを残すのみとなっている。スナップショットは思い出したように換気設備を稼働させた。

「そんなに見られたくないものかな」

緑がかった色のカバーには擦り傷一つない。スナップショットは人差し指を曲げ、指の腹で表面をなぞった。不透明なカバーの奥にあるはずの目は、表側からはその輪郭すら見ることは叶わない。

「大体の人間がこの顔を見て悲鳴をあげますからね……それを余所で話されても困りますので。信用問題にもかかわります。人間は美しいものが好きでしょう」

ところどころ破れかけた血みどろのシャツを引っ張り、デジタル二眼レフは不快そうに顔を歪めた。

「……そうは言っても相手を殺すの面倒じゃない?」

「そうでもないですよ。バックアップやオリジンには私の顔は知られていないはずですし、記憶から確実に消すにはその場で殺すのが一番でしょう」

「確かに。ああ、そうだ、君の体は替えがきかないんだからあんまり危ないことしちゃ駄目だよ。腸管を引きずり出したり、腹を切って中に手を入れたりしちゃ駄目だからね」

「衛生管理には気を付けていますのでご心配なく」

行為自体を否定しないことへの言及を、スナップショットは避けた。

「気を付けてよ。替えがきくやつらの体なんてろくなもんじゃないぞ。なかなか発症しなかったり死ぬのが遅かったりする感染症は広まるのが速いんだから」

「はい、それはもちろん。しかしスナップショット、あなたはどうなんです。その定義だとあなたもそのろくなものじゃない人間たちの範疇に入るのではありませんか?」

替えが効く体を持つスナップショットを、デジタル二眼レフはつついた。

「知ってのとおり新品だからきれいだよ。人間の体ではありえない未使用品だ。未使用……いや、それもちょっと違うかな……今現在も生きてるわけだし……」

スナップショットはしばらく考える。

「うーん、新しいけど未使用ではないよね。こういう時はなんていうんだっけ……そう、美品。美品ってことにしておこう」

「良いですね」

熱のこもらない声でデジタル二眼レフは返事をした。A・A・Bと呟いた口元がどことなく笑って見えたのはスナップショットの気のせいだっただろうか。

「なんだっけそれ、確かユーズド衣料の等級だよね」

「ええ、その通りです」

新品、新古品、美品。デジタル二眼レフは口に手をあててくすくすと楽しそうに笑った。

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