03(服編)

「起きろ、二眼くん」

鍵のかかっていた扉を開けて、スナップショットは助手の部屋へ飛び込んだ。眠っていると思しき助手の頬を叩いていると、閉じられていた口がおもむろに開かれた。

「……部屋には入らないという約束では?」

ベッドに寝転んでいた助手はスナップショットの手を除け、頭を振って起き上がった。いつも着ている暗色のジャケットを椅子に掛けている以外は、何一つ変わりない普段通りの格好だ。首にはタイが結ばれて、腰にはベルトが巻かれている。よく見たら靴も履いたままだ。古臭いベッドスローには黒い染みがついていた。

「許してくれ。緊急事態だ」

スナップショットは手短に謝罪した。助手は即座にジャケットを羽織り、少しだけ緩んでいたタイを締めた。

「……私が寝てる間に何が?」

「強盗だ」

助手の動きが俄かに止まる。怪訝な顔から、盗るようなものなどここにはないと思っていることがわかる。事実、盗むほどの価値がある物品など研究所内には存在しない。一番値の張る解析機だって、いまやどこの研究所に行っても置いてあるだろう。しかし。

「どうします?」

首を伸ばしながら助手は問うた。物はそうだが人は違う。

「安い作りのクローンが死んだところで本体のバックアップがあるだろうから一人残らず燃やしてくれ。緊急事態だから資材は好きに使っていい、細かいやり方は君に任せる。わかってると思うけど狙いはおそらく君だ。部屋の可燃物は片してきたけど、燃えて困るものは置いてきなよ。……ああ、でもここで体とか言わないでね、それは僕一人じゃ対処できない……」

デジタル二眼レフはポケットを探り、ぼそりと呟いた。

「……服を」

「うん?」

スナップショットは聞き返した。デジタル二眼レフはポケットのふたを外に出した。

「服が燃えたら新しく同じものを仕立て直してください。着るものを置いてはいけないでしょう」

「ああ。約束しよう」

目配せして、二人は部屋から飛び出した。


◆◆◆


皮膚の焼ける臭いが施設内に充満する。スナップショットは換気設備のスイッチを入れていく。劈く悲鳴も鈍い呻きも、命乞いも呪詛も何もかも、部屋の中には残っていない。あるのはいくつかの暫定的な死と静寂と、髪が燃えたあとの何とも言えない臭いだけだ。スナップショットは立ったまま腕に視線を落としている助手へと声をかけた。

「君は大丈夫? 怪我とかしてない?」

腕に伸ばされたスナップショットの手を、助手はやんわりと払った。

「そうですね、腕に火傷を。ああ、待ってください、皮膚がめくれる危険があります、触れないように」

慌てて再度触れようとしたスナップショットをデジタル二眼レフは手で制した。

「えっと、こういうときはどうすればいいんだっけ。皮膚を培養して縫合すればいい? 先に切るんだっけ?」

デジタル二眼レフは呆れたように首を振った。

「無理に服を脱がず、そのまま冷やして安静に、ですよ。このくらいなら切らなくても治ります。処置は自分でやるので、スナップショットはそれを片付けておいてもらえますか」

デジタル二眼レフは床の上の焼け爛れた肉塊を指した。腕や指だったものがあらぬ方向へ曲がり、膨らんだ皮膚は焼けて元がどんなだったかもわからなくなっている。殺されることをわかっていて送り込まれるクローンは醜く歪だ。製造過程も、見てくれも、その末路でさえ。

「あいよ、任せてくれ」

殺害目的で送り込まれてくるクローン人間たちは殺傷力を高めるために違法薬物の投与を受け、人為的に太らされる。それらがスナップショットに何らかの感情を呼び起こすことはない。感傷を持つにはいささか見慣れ過ぎてしまった。量産品である殺人クローン人間の製作もスナップショットの身体も、もとをただせば同じ技術の産物だ。人工的に作り出した体に、コピー・調整した記憶を植え付ける。運用の方向性に差はあれど今やどこでも行われていることで、人類はもうそれなしには立ち行かない。殺人クローン達だって、直接手を下すことなく対象を始末する・秘密が漏れそうになったら躊躇いなく殺して機密保持を図るなど、機能面では理にかなっている。

理にかなっていても、なんの感情も呼び起こされなくても、命の危険があるのはなにかと面倒だ。スナップショットの体は安くない。殺人クローン人間が束になっても賄えないほどに。

スナップショットは顔をあげて助手を見た。彼もまた安くない体の持ち主だ。立ち去るデジタル二眼レフの背中は服の上からでも目に見えて美しく、鍛えられて均整のとれた肉体は唾棄すべき使い捨ての命と同列に語られるものではない。

スナップショットと違って彼が殺されることはないだろうが、彼自身も不特定多数から狙われている。彼は地球生まれでアタッチメント保有者で、何より数少ない狭義の人間だ。クローニングによって調整されたスナップショットは、生まれたままの人間の頃にはもう戻れない。誰もが超えた境界線を、彼はいまだ超えないまま狭義の人間の範疇にとどまり続けている。

助手の背を見送ってから、スナップショットは床に散らばるそれらを袋に入れて、箱に詰めた。蓋を閉じて、少し考えてから宛名に『第二プランテーション』と書く。スナップショットはくるくるとペンを回し、呟いた。

「第二でいいかな」

「他にどこがあるっていうんですか」

氷嚢を抱え、脱脂綿に消毒液をしみこませながら助手が戻ってきた。腕には包帯が巻かれている。スナップショットはズボンの汚れが消えているのに気が付いた。包帯を巻く時に着替えたのだろう。

「第四か第五あたりでもいいかなって思って」

「あまり遠くにすると運送コストが上がってまた文句を言われますよ」

「まあね。ほら、衛生とか、いろいろあるじゃない。気分的なものがさ」

体液と焦げ跡で汚れた床を、スナップショットは使い捨てクロスで拭いた。

「オマジナイですか。肥料になる前に一度は燃すのでしょう。それにスナップショット、あなたは衛生に気を遣わなくていい側でしょうに」

新しい手袋をはめ、助手は肩をすくめて見せた。交換することのできない体は何かと融通が利かない。使い捨ての肉体を得てもなお、各種感染症はいまだ人間社会を蝕んでいる。

「まあね。病気になっても体捨てちゃえばいいんだし。二眼くんはそういうわけにもいかないよねえ」

スナップショットは床に消毒用アルコールを吹いた。揮発したアルコールが鼻をついて、助手は鼻を擦った。

「ええ、難儀なことです。火傷も痕が残らないといいのですが」

古い地球人は外した手袋を忌々しげに睨み、血で汚れたそれをゴミ袋の中へ放った。

「……ときにスナップショット、切り傷の手当てはご存知ですか。まず心臓に近い方を圧迫して止血をして、あとのことはそれからです。多量出血は一分一秒が明暗を分けます、あなたも自分で応急処置くらいはできるようになってください。いつでもすぐに助けられるとは限らないのですから」

「確かにそれはごもっともだ。覚えておくよ」


◆◆◆◆◆


「ところで新しい服だけど、セミオーダーで良かったよね」

「ええ」

スナップショットは内線を手に取って箱の集荷と注文服のカタログを手配した。

「すぐ届けてもらうよ。しかし二眼くんスーツ好きだよね。なにかこだわりみたいなのがあったりする?」

スナップショットはデジタル二眼レフの焦げたシャツを摘まんだが、すぐに手を離した。何でもないような顔をしていたデジタル二眼レフが僅かに嫌がるようなそぶりを見せたからだ。

「きちんとして見える格好ですし、地球では一般的な格好でしたので」

「そっか、言っちゃ悪いけど前時代的な考え方だね。ただ、火星にきてまで地球式の普遍性を追う姿勢は称賛に値するとは思うよ」

吹付けで作ることができないので、揃いのスーツはやや値が張る。スナップショットはデジタル二眼レフの服の値段を知っている。消耗品として扱うにはやや高価な部類に入ってしまったそれを、デジタル二眼レフはずっと昔から変わらず着ている。天然繊維の三つ揃いと絹のシャツ、本革の靴を一張羅に持っているらしいと聞いたような気がするが、本当かどうかは定かではない。

「前時代的なのはスナップショットだってそうでしょう。いまどき織物の服なんて流行りませんよ」

一般向けの服飾から縫製の工程が抜けて久しい。専用の機械さえあれば、毎日違った服を作成・着用することだって可能だ。無論、二人にそんな趣味はないので研究所には衣類洗濯乾燥機が一台あるのみだ。

「そうだね。たしかにそうだけど……待って、そういう君はなんで着てるの。きみのそれだって糸からできてるんだろ、人のことは言えないぞ」

「ええ、そうですね。習慣だから、ということにしておきましょう。人間的でしょう?」

助手は即座に答えた、下手なことを言うと何を着せられるかわかったものではないからだ。

「習慣か。人間的だね。悪くないんじゃないかな」

スナップショットは笑った。デジタル二眼レフがそれを見て安堵の息を吐いたことに、スナップショットは気付かなかった。


◆◆


届いたカタログのページをデジタル二眼レフはぱらぱらと捲っている。スナップショットは後ろからカタログを覗き見た。彼が見ていたのは長袖のシャツだった。彼は半袖を着ない。スナップショットの記憶の中のデジタル二眼レフは、普段着にしている白いシャツの袖をまくることも、襟のボタンを外すこともしなかった。白い襟の隙間から覗く首をじっと見る。ふと思いついてスナップショットは尋ねた。

「二眼くんはさ、寝るときもその服なの?」

デジタル二眼レフはスナップショットの真意が読めず言葉を濁した。

「ええ、まあ、そういうものでしょう。ナイトウェアを着たがるような類の人間でもないですし……」

ウェアの性能が上がったため、就寝時にパジャマやガウンを着用する必要はない。それでもその類のものを着用したがる人間は一定数存在するが、趣味や道楽に分類される金持ちの遊びだ。デジタル二眼レフにはそういった趣味はなく、それはスナップショットも同様のことが言える。

「うんまあ、確かにそうだね。僕も似たような感じだ。ところで腕は大丈夫?」

真っ白なシャツには血の染みの一つもない。

「ええ、なんとか皮膚は剥がれずにすみました。後は安静にしていれば治るでしょう」

「そっか、それは良かった。ところで前のシャツはどうしたの」

「焦げたものでしたら破れていたので捨てました。したがって替えのシャツがありません……どれにしましょうか。どうにも前着ていたものの生産が終了してしまったらしくて同じものが見当たらないんですよね……」

デジタル二眼はカタログに目を戻した。ぱらぱらと捲られるページに載っているシャツの、どれもこれもが同じものに見えて、後ろから覗きこんでいたスナップショットは眉根を寄せた。


◆◆◆◆◆


「二眼くん。その箱、危ないからあんまり触っちゃだめだよ」

「ええ、わかっていますよ、スナップショット。プランテーションへ持っていくついでにこれも処分していただこうかと思いまして」

デジタル二眼レフが持ってきた袋をスナップショットは横から掠め取った。

「僕が入れておこう。君が直接触るより安全なはずだ」

「お気遣いありがとうございます。それではあとはお任せしましょう」

スナップショットは立ち去るデジタル二眼レフの背中をそうとわからぬように目で追った。さして不自然な点もなく、姿はすぐに見えなくなった。袋を開けると、焦げて端がぼろぼろになったシャツと、焦げたズボン、血の染みた青の下着が入っていた。体液に塗れたのだろう布は生臭く、脳裏を掠めた小さな痛みにスナップショットは顔をしかめた。忘れていた何かを思い出しそうなチリチリとした感覚。どうにも不可解なことが多く、どこか欠落を感じているのに確証が持てない。

「……捨てよう」

スナップショットはゴミを手早く箱に詰めた。テープで何重にも巻き、蓋を固める。誰も開けないように、そのまま火の中に消えるように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る