第11話 檻の中の少女
トモは、事件の翌日から自宅謹慎となった。理由は、無断で学校を欠席し(厳密には早退だが)福島へ行ったため。それに加え、交番で警官に尋問された際、逃亡したためだった。
謹慎が決定すると、携帯と自宅の個人端末に届くメールはすべて遮断されたので、謹慎二日目までは、何も判らずじまいだった。綾子の拉致未遂事件は近畿州と中部州の地方ニュースでそれぞれ小さく扱われたのみで、それも事件の詳細については一切触れられなかった。
謹慎期間は二週間。学校もそのまま夏休みに入ったので、トモは新学期まで、詳細をクラスメートに訊く機会すら失われたが、謹慎三日目に、クラスメート五人が、学校に内緒で家を訪ねてくれた。その時の話で、事件の日の状況を大体把握することができた。
彼らの話から、誘拐未遂事件のきっかけが、確かに自分だったことを確認した。
あまり親しくもなかったクラスメートの平田翔は、信者に綾子の名を言ったことを繰り返し詫びたが、トモには彼を責めることなどできなかった。
そして、あの日彼女の父が言った通り、翌日、綾子は、クラスメートへの別れの挨拶もそこそこに、学校を去ってしまったというのだ。
引っ越し先は
そこの地域だけには、保護者によって子供の行動が監視できるという人権侵害も甚だしい特別な条例があった。綾子の父はその条例を利用するために主争岡に転居したのだ。子供の居場所は、体内に埋め込まれたチップによって常にモニターされるという。一方のトモも、保護者である彼女の父の許可なしには特区に入れない。入るには県境の検問を通る必要があるのだ。
したがって、トモは綾子に会うことが全くできなくなってしまった。
さらに、侵入を手助けしたのが高原先生だと聞き驚いた。トモが尊敬する教師だった。
謹慎期間中、トモは薄暗い自室で一人、色々なことを調べ、考えた。トモのIDではネットへのアクセスも禁じられていたが、父が自分の端末を貸してくれた。
「納得できるまで調べてみろ」
父はそれだけ言って自分のパスワードを教えた。
早速、トモは東救光教と西救光教、今まで関心が薄かったこの二つの教団について調べた。
信者数などの統計や、代表者や幹部の氏名などは容易に得られた。しかし、教義やその団体に関する記事は表面的なものが多く、教団への批判記事等も断片的なものばかりで、信憑性の低い流言の類も多数含まれていた。何が真実か、トモには全く判別できなかった。
それでも、東に関しては、『月』の字の排除に対する異常なまでの執着、そして恐らく過激と思われる修行内容、時々信者が起こす事件などについて、一方、西に関しては、政治や経済への強い介入や、完璧なまでの信者管理などを大まかに知ることができた。
宇宙、
その間、父は今まで通り、普通にトモに接した。責めることもなく、事件についても、異星言語科学研究所についても、何も語らなかった。今日は雨が降っただの、気温の差が激しかっただの、季節のことや、その日行われたスポーツの結果などを語った。
謹慎期間最後の夜、端末操作の手を休めていたトモは、ふと、綾子と初めて会った時のことを思い出していた。
◆
――あれは小学六年の時、二
出身地と氏名、そして、趣味は読書――という非常に簡単な自己紹介だけで済ませた綾子に、トモは、休み時間に話し掛けてみることにした。
「
自席で穏やかに読書をしていた綾子は、急に声を掛けられて少し驚いた様子を見せたが、
「太陽の下に長くいるとすぐ体皮(皮膚)が赤くなるから、いつも日焼け止めを塗っているの」と、あまり子供らしくない淑やかな声で理由を話した。
「それに
「なるほど」と答えると同時に、トモはその地域に伝わる奇祭のことを思い出した。
「あ、そうだ。火後県には面白い祭が存在したよね。みんなで大笑いする祭。ええと、ウフフヘヘ、いや、ハハヒヒフ……だったかな?」
「ムヒヒハハ――です」
綾子は小さい声で答えた。今考えてみると、少々恥ずかしそうな様子だったかな――とトモは、その時の綾子の顔つきを思い出していた。
「えっと、ムヒヒハハ……こんな感じ? 違うかな、ムヒーヒハーハ、じゃない? じゃ、ムーヒヒハハー……」
トモがアクセントを変えながら色々やっているうちに、綾子は「違う、違うわ」と言いながら、小さく笑い出し、その日から二人は友達の関係になった。そんな、会ったばかりですぐに仲良くなるような経験は、その先ずっとなかった。
◆
時間は、深夜零時を過ぎていた、それまで止められていたメールが続々と携帯に届き始めた。
一覧を見ると、その中に、綾子のメールと、そして、あの日仲良くなった
まず、綾子のメールから読んだ。一通だけのメッセージは非常に短いものだった。
「トモ、とっても心配かけて本当にごめんなさい。私は大丈夫です。体もなんともないし、気持ちももう落ち着いています。今は時間がないので、とり急ぎお知らせまで。綾子」
それだけだった。読み終えた瞬間、トモは、綾子が自分にとってかけがえのない人であることに初めて気がついた。――しばらくの間、弱々しく泣いた。
その後、渉から届いた二通のメールを読んだ。一通目は、その日、渉が研究所で見聞きした詳細を書いた長いメールだった。あの日、綾子の件でとんぼ返りだったので、トモは研究所のことを何も知ることができなかった。
渉はそんなトモのことを思い、宇宙に行けるかの質問さえも色々してくれたのだ。はぐらかされるばかりだったが、あながち無理でもなさそうだと書かれていた。
それに続く内容は、ヴァーチに関して熱く語ったものだった。結局、詳しい状報は得られなかったようだが、
さらに、面接に一緒に対応してくれた
続く二通目は奇妙なメールだった。
「トモ君へ。こんにちは、実は僕は釣りが趣味なのです。そこで、浜名湾で一緒に釣りをしましょう。今度は四人一緒で。集合場所は愛知県の新居町駅から……」
その後に日付と時間、そして詳しい地図が添付されていた。「
よくは解らないが、トモはそのメールに隠された何かを感じ取り、完全に元気を取り戻した。涙をしっかり拭いてから、父の部屋に行って、戸をノックした。
「トモか……」
時計は一時を回っていたが、父はまだ起きていた。トモは部屋に入るなりこう言った。
「僕、行きたい所ができたんだ」
「そうか……」
和人は短く返事をしたあと、少し間をあけて言った。
「実は俺も、トモを連れて行きたい……いや、連れて行かなければならない場所が存在する」
それは綾子達の昼食会が行われる五日前のことだった。
◆
丸い大きなテーブルに、料理の皿が次々運ばれていく。
まず、ポタージュスープとチーズを散りばめたサラダから始まった。先生と受験生は、口々にその料理の美味さを褒め合いながら、次々に平らげていった。そして、山盛りに盛られたパスタと、それに続いて大きなピザがテーブルに置かれた時、ちょっとした歓声があがった。
沙耶葉が、そのパスタを手早く取り皿にとり、各自に配り終え、一口味見。
満足げな声をあげてから話し始めた。
「じゃ、そろそろ、始めましょうか。ひなぎくちゃん、掛け声よろしくね」
すると、待ってましたとばかりに、少女はすっくと立ち上がった。
「はい。それではまいります。用件そのぉ――いち!」
もうひなぎくの操縦法を会得した感があった。沙耶葉は、その元気なしぐさを笑顔で見ながら、会を進行していく。
「まずは、ひなぎくちゃんから。要はひなぎくちゃんが受験できるかってことだったわね」
「はい、そうです!」
「さっきも言ったけど、これは問題なし。それから、公平性に配慮して、公表している受験要項の方も元の年齢に戻すことになりました。ただ、当日の受験には保護者の付き添いが必要になるけど、それは大丈夫ですね。皐さん」
沙耶葉は老人の方を見て言った。
「付き添いは小生でよろしいかな」
「もちろん!」
と琥珀色の瞳を輝かせ沙耶葉は答えた。
「正直言うとな、小生は研究所が一体どんな所か不安に思うとったのじゃが、とにかく陽気な貴方がとても気に入った。今は、ぜひ、孫を研究所に預けたいと思うておる。ひなぎくの両親の許可も大丈夫じゃろう」
「やったあ!」
元気な声が店内に響いた。
「ま、それも、ひなぎくの学力次第じゃがな……」
「じっちゃん、わたくしがんばります。受験勉強のきびしさにも負けない雛菊です!」
ひなぎくはいつでも必死だ。
「これで一件落着ね……。ところで
渉とユズキが「へぇー」って声を出した。すると、ひなぎくが自慢げに語り始めた。
「そうなのです。じっちゃんというのは世を忍ぶ仮の姿……。その実体はわたくしの書道のおっしょう様なのです! なにを隠そう、わたしくはかい書(楷書)だけでなく、草書も行書もいける口なのです。自分の名称もこのように――しっかり漢字で書けるのです」
ひなぎくは、腰に付けていたポシェットから、紙のメモ帳と携帯毛筆を取り出し、自分の名前「皐雛菊」を漢字で書いて見せた。この子はいつもこんなものを持ち歩いている。
渉とユズキだけでなく、早川や沙耶葉もその様子をもの珍しそうに眺めている。大野木もちらりと目を向けた。興味があるらしい。
ひなぎくが字を書き終えると老人が補足した。
「小生、特別な書家という訳ではない。
ひなぎくが少しずっこけた。
「ただ、国の文化を守るのは我々の日本人の使命と思うのじゃ。筆で字を書くこともこれ即ち文化。これらは後世にしっかり残していかねばならないと思うとるのじゃ」
その老人の話をずっと目を輝かせながら聞いていた少女が声を出した。
「あの……私」
「なんじゃの? ええと、綾子さんじゃったね」
「はい。――実は私、携帯や端末とかでの入力じゃなく、筆で文字を書くのが大好きなんです。だから皐さんの話にとても興味を持ちました。私は正しい書き順を知らない字も多いし……」
「ほお、そうかい、そうかい。それは嬉しいことじゃな。小生は豊橋に住んでおるから、ここ袋井は近い。時々遊びに行って字を教えてやることにしよう」
「そんな、そんな……とんでもない」と少女はあわてながら両手を振った。
「綾子さんはこの文教特区を出ることはできないのじゃろ。小生はここの事もよく知っておるから大丈夫じゃ。むしろ小生こそ、ぜひ教えたいと思うとるのじゃ」
「本当ですか。嬉しいです。何とお礼を言ったらいいのか……」
残念ながら、この時代の大半の日本人は『有り難う』という言葉を知らない。ずっと笑顔で二人の会話を聞いていた沙耶葉が口を開いた。
「綾子さん、やっぱり、字を書くことも好きなのね。じゃ、いよいよ、今回最大の議題に入るわよ。ひなぎくちゃん、準備はいいかしら?」
スパゲッティと目下格闘中だったひなぎくがあわてて立ち上がった。
「はっ、ははっ、はい! 用件そのぉ……にっ!」
そしてその後に、ちょっと油断してました――と小さな声で付け加えた。口元からパスタが一本垂れ下がっていた。
早川が鞄から一冊のノートを出した。
「綾子ちゃん。これ……」
綾子は、はっとした。それはあの時早川に託したノートだった。
沙耶葉は、唇に指を立てながら少し真顔になって言った。
「これからあなた達が聞く話は、実は重大な機密事項なの……。いいこと? この先の話は決して家族にも友達にも口外してはダメよ」
彼女の透明なルージュが光った。
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