第6話 白装束

 その日、寒河江さがえあきらは、早朝から多忙を極めていた。今もディスプレーを見ながら、手には携帯を持ち、話し込んでいる。

「ああ、そこに、白装束の輩が向かうという匿名電話が……うん……東だ。人数は恐らく四、五名程度だということだ。何か起きると大変だから、とにかく急いでくれ」

 寒河江は通話を終えた。

 彼の所属する組織は、つい昨日まで『国際社会文化研究所』という名称だったが、今日から『国際異星言語科学研究所(国際は省略されることが多い)』となった。そもそも、最初からこの研究所は、異星人の言語を研究するため設立された国際機関であった。

 そして、この研究所の中で、単なる熱心な言語学の教授の一人に過ぎなかった寒河江は、今日からは所長という職位を正式に拝命することになった。四十五歳。その就任早々いきなり彼に与えられたのはトラブル対応である。それも、相手は抗議団体と宗教団体。

 正直言って、寒河江自身、これほどの混乱になるとは思っていなかった。

 通話を終えた後も、休む間もなく、操作パネルを叩いていると、室内にアラームが鳴った。人の接近を示す音だ。続いて暗証コードを叩く電子音がした後、ドアが開き、どたどたと一人の男が部屋に飛び込んできた。ノックなど一切なしだ。

「寒河江、もう駄目だぞ。限界だ! 外は所長を出せとやかましい」

 その野太い声をした男の名は、畠山はたけやまみのる。彼も言語学の教授である。汗のにじむ安物Tシャツの袖を肩までまくり上げたその男は、毛深く筋肉質で、少々長めの癖毛の髪、あごには豊かな髭を蓄えている。すっかり日に焼けた皮膚といい、全く教授らしくない。むしろ、帽子を被り、サファリパークでライオンに餌でもやっている方が似合っている。

 整えられた髪、グレーのスーツに、ネクタイをきっちり締めた寒河江とは対照的だ。その寒河江は、目をディスプレーから離さず、作業を続けながら返事をした。

「知ってるよ。もう少ししたら行こうと思っていた」

 畠山は額の汗を手で拭ってまくしたてる。

「寒河江よー、確認するけどさ。今回、俺達は、単に研究生を公募してるだけなんだよな。待ちに待った大切な教え子をよ!」

 この研究所は、今までは新規の学生等を一切募集していなかった。ここの教授達は、人文系の学会には時々参加することはあったものの、とりたてて重要な論文発表をすることもなく、この場所で人知れず、主として異星言語の研究を続けてきたのだ。そんな退屈な日々にうんざりしていた畠山にとって、今回は本当に待ちに待った教え子の募集なのだ。

「なのに、今日詰めかけた奴らの中に、試験内容の問い合わせとかしてきた奴は、まだ一人もいやしない。全くどいつもこいつもピーでピーでピーな連中ばっかりだぜ。何だか違う仕事をしているような気になってくるよ」

 大きい身振りで話す畠山の鼻息は荒い。

「まあ、ミノさん、少し落ち着け。それにしても、臨時の警備員を五十人も集めたけど、全然足りなかったな。ミノさんのような野獣がいて助かった。君一人で警備員二十人分の働きだ」

「俺はまた野獣扱いかよ。まあ、否定はしないが。それより、これだけ混乱してるのに、警察は一体何をしてるんだよ」

「警察も今になってようやく到着したそうだ。まずは麓のゲートの所に四名。それに、あと十分ぐらいで、研究所にも十名程到着するという話だ」

 寒河江はディスプレーの文字を見ながら答えた。

「全く遅すぎるぜ。まあ、警察にとってもハタ迷惑な話だろうがさ……。しかしこんなんで、研究生は集まってくるんだろうかねえ」

「今日の様子はメディアでも報じられるだろうし、正直言って、それ見て受験するのを止める子も多いと思うな。日本では入学選抜試験なんか要らないかもしれんな。ははは」

「そりゃ笑いごとじゃないぞ。モノにならない研究生を入れても意味がないし」

 畠山が苦々しくそう言うと、寒河江は、操作の手を休め、溜息をついた。

「まあ、日本でろくに集まらなくても、海外の方はかなり集まるんじゃないのかな。まだ状況は全く解らないが、少なくとも日本よりはましだろう」

 畠山はあご髭をさすった。

「日本人の研究生が少ない日本主導の国際研究所というのは個人的には悲しいが、仕方ないか。この国はツキの問題が特に顕著だからなぁ」

 その言葉に寒河江は少し表情を険しくした。

「その言葉を使うのは所の中だけにしておけよ。今、外でうっかり喋ったら大騒ぎになる」

「おっと、悪い悪い……」と畠山は口を塞いだ。

「とにかく、一人でも多く優秀な若い研究生を集めたい。せいぜい頑張るとするか」

 寒河江はそう言うと、椅子を回転させ、汗だくの畠山にようやく顔を向けた。

「ミノさん、早速だけど、そのピーとかいう連中の内訳を教えてくれ」

 その言葉に畠山はニヤリと笑った。

「ああ。とりあえず、今確認できてるのは、マスコミ連中と、地元の市民団体、こいつらは質問とかはしつこいけど、そんなに厄介じゃない。大変なのは……」

「白装束か……」

「ああ、救光教の連中だ。ほとんどが東。筒帽子がわんさか来てる。一方の白ベレー帽の西は代表者を含め、五、六名だけだ。こっちはお行儀がよくて助かる。まぁ、本質的には西も恐い連中なんだけどよ。それから、他にも宗教団体を名乗る集団やよくわからん研究会やらがちらほら。こいつらも結構危なげな雰囲気だ。それから野次馬も多いな……」

 それを聞きながら、寒河江は綺麗に剃られたあごを軽くさすった。

「とりあえずは東か……。で、教祖様は来ているのか?」

「ああ。でも東さんでは、教祖様じゃなくて……えっと、なんだっけ……そうだそうだ、『光法導師こうほうどうし様』とか呼ぶそうだぞ。西の方は本名で構わないけどな。とにかく、呼び名にくれぐれも気をつけなよ。奴らは概ね大人しいが、一部、かなり危険な雰囲気の奴がいる」

「その光法導師様とやらが来ているなら話は早いな。今の仕事があと少しで片づくから、その後、私も行こう」

「仕事? 何の用事だ?」

繭田まゆた機構調整官への報告だ」

「マユの野郎か。今、奴はまだサンタフェに居るんだったか。そもそも、奴の方が、ここの所長を名乗るべきじゃないのか。研究所の指揮権も、金も、全部、握ってるんだし」

「いや、そうでもないさ。実際、集まってきた連中は、今も所長を呼べと言ってるわけだし、クレーム対応こそが、所長の大切な仕事なのさ」

「がははははははは。なるほど、全くその通りだ」

 野獣は大声で笑った。

「じゃ、俺行くわ。今、対応しているサンダースとサヤハちゃんのことが心配だからな。じゃ、早く頼むぞ」

 そう言って、畠山はどたどたと足音をたてながら部屋を出ていった。床は静音処理されているはずだが、何故か彼が歩くと音がする。

 寒河江は、椅子に深く座り直し、溜息を吐いた後、再びディスプレーに向かった。


   ◆


 二人の少年は、白装束のゆっくりした流れに乗るように歩いた。渉はトモの後にひっつき、おどおどしながら足を進めた。集団は、次々に柵の横の歩道を通り抜けて坂を上っていく。そして、トモ達も柵の横を通ろうとした時、突然、横から声を掛けられた。

「あぁ、ちょっと! そこの少年たちはちょっと待ちなさい」

 その大きい声に、渉はびっくりして転びそうになった。

「はい?」

 トモが声の主に顔を向けた。渉も、よろけた体を立て直して男を見た。

 制止したのは、五十代半ばの警官だった。若い警官を三人引き連れていた。

「あぁ、そうそうキミたちだ。この先が何なのか知っているのかね?」

「はい、もちろん。異星言語科学研究所です!」

とトモは元気よく答えた。

「それは新しい名称だなや。はぁ、もしかして、キミたちは受験志願者かあ?」

 時々、言葉の訛りが目立つその警官は、帽子の鍔を少し上げながら、少年達に歩みより、二人をしげしげと見つめた。

 生き生きした笑顔の少年と、ちょっと線の細そうな少年が立っている。

「はい、そうです。研究所を見学に来ました!」

「こりゃ驚いた。だがなー、今日はいっぱい人が集まってちょっと危ない状況だから、このまま家さ帰った方がいいよ」

 トモが返事をしようとすると、隣の少年が少し震えた声で叫んだ。

「帰れません!」

 トモはちょっとびっくりした。そして、頼もしい仲間ができたと思った。

「んー、確かに、受験希望者が見学に来ていけないわけではないけんど、だどもなー」

 警官が少々困った表情をしていると、坂の上から大きな声がした。

「そこのあんた! 大切なお客さんを追い返すつもり!」

 坂の上から、女性の大きな声がした。トモ、渉、そして警官達は声の方に顔を向けた。

「もう! ちょっとぉ。あんたたち邪魔よ。退きなさいよ!」

 歩道、そして車道にも溢れている、機械人形のような白装束の波を掻き分けながら、女性は駆け降りてきた。死んだ魚のような眼の海の中に、たった二つだけの輝く琥珀色の瞳と、健康的に日焼けした肌、涼しげな水色のブラウス、そして風にたなびく緑なす黒髪が、トモの場所からもよく見えた。警官や警備員達がその美しい姿にしばらく目を奪われているうちに、女性はトモ達の前に辿り着いた。

「ようこそわが研究所へ! 私は横浜沙耶葉さやは。異星言語科学研究所の所員です」

 息をはずませながら澄んだ瞳の女は言った。渉もその麗しい姿に思わず見とれた。


   ◆


「とにかく、このような研究所を我々市民は決して認めません。即刻退去してください!」

 研究所の入口の前に人垣ができていた。その中で、一人の中年の婦人が大きな声で怒鳴っていた。周囲には少しずつ、白装束の集団が集まりつつあった。

 婦人は『研究所即刻退去』のたすきを掛け、市民団体の代表を名乗っていた。背後に、同じたすきをかけた八人ほどの男女が取り巻いていた。

 そして、頼りなさそうなブロンド髪の男が、一人、その婦人達の対応に苦慮していた。彼の名は、楠木くすのき・サンダース・尊氏たかうじ。痩せたその姿はいかにも弱々しく、明らかに名前負けしている。彼はこの研究所で、助手という職位を持っている。

「要するにですね。あなた達は私達市民をだましたのですよ」

 甲高い婦人の演説が続く。上下とも鮮やかなオレンジ色のスーツが楠木の青い目に痛い。

「はぁ、別に、騙したというわけじゃないので……」

「騙したんじゃないですかあ!」

 婦人は楠木の言葉を遮り、金切り声をあげた。取り巻きも「そうだ、そうだ」と援護をした。

「ひぇぇ。もうし、申し訳ございません。確かに当研究所が研究内容を偽っていたことは認め、認めますです。はい。でも、でもですよ。異星人との友好を深めるためにどうしても我々の研究が必要なんですよぉ」

「異星人との友好なんてとんでもない! どんな危ない人達か分かったもんじゃないわ」

 婦人が怒り狂う様子を見て、楠木はまずいことを言っちゃったなぁという顔をした。

「ゆ、友好と言ってもですねぇ、別にここに異星人がやってくるわけじゃないんですよぉ。惑星間での無線によるコミュニケーションですよぉ」

 彼の子供っぽい語尾に、婦人はますます眉をひそめた。

「そんな話、誰が信じるものですか! きっと、いずれここに、ダムが決壊するようにダダダと異星人軍団が大挙して押し寄せてくるんです!」

「そんなことは絶対ないですよぉ。ですから、何度も言うように、この件についてはですねぇ。後日、市民さんや代議士さんの皆さんも交えて、公開ヒアリングを行いますから、今日はどうかお引き取りくださいよぉ」

 市民に目的を偽って研究を続けていたこと自体は、研究所に一方的に非がある。どう考えても研究所の方が分が悪かった。それは楠木もよく解っていた。

「あなたのようなペーペーでは話になりません。所長を、所長を早く呼んでください」

 その言葉に少し不満そうな表情を浮かべて楠木は答えた。

「ペーペー……あぁ、はいはい、たしかに、ごもっともです。はい。えっと……所長は……今、畠山さんが呼びに行ってますからぁ、いますこし、もうちょっと、お待ちくださいよぉ……」

「あなた達お役人はいつもそうです。いつもはぐらかそうとする。官僚が市民の方を向かなければ、この国は滅びますよ!」

 所長を呼べと言いながら、このひょろながの青い目の男に対しての演説を婦人はやめない。

「僕達は官僚とか役人という者じゃなくて研究者、要するに学者でして、それに、別にはぐらかそうとしているわけじゃなくてぇ……」

「私達はですね。私達市民は、あなた方のような、冷たいお役人にいつも泣かされてばかりだ。強者を弱者が負かす。そんな論理がいつもまかり通ると思いますか!」

 今の弱者は、むしろサンダースの方だ。

「この緑と平和と笑顔あふれる我が町と、市民の、安全を、安全を考え……かんがえて……」

 突然、婦人の声がたどたどしくなり、やがて熱弁は止んだ。周りを取り囲む白装束集団が、念仏のようなお経を唱え始めていたのだ。

「……あーでるさんとろ、くらすたりー、くーねむ、くらすか――」

 それは最初はどこからともなく小さな声で始まり、だんだん教徒全体に広まり、終いには大合唱になっていった。

 婦人の顔はみるみる青ざめた。今、まさに、白装束集団の合唱が、この一市民の心臓の安全を、脅かそうとしていた。

 楠木=サンダースも人形のように体を硬直させながらも、白装束の集団に言った。

「あの……えっと……ちょっと……そこの白いみなさん達、どうか……ちょっと声を小さくして頂けませんでしょうかねぇ。聞こえてますかぁ? ここのおばさんが震えていますよぉ」

 彼なりに精一杯声を張り上げたのだが、この合唱の中、彼の蚊の鳴くような声はかき消され、念仏は一向に止む様子はない。

「ヤハたんも下に降りてっちゃったし、どうしよう。どうしよう……ヤハたぁ~ん、ヤハたぁ~ん戻ってきてくださいよぉ」

 彼がヤハたんと呼ぶ沙耶葉が降りていったのは、何分も前で、とっくに麓の柵の所まで降りてしまっていた。楠木の呼び声など聞こえるはずもなかった。

 その時、研究所の建物の中から、野太い声が響いてきた。

「こら、楠木サンダース! 我らがプリンセス=サヤハちゃんを、ヤハたんなどと呼ぶな!」

 楠木が振り返ると、髭男が建物の中から現れた。

「は、畠山さぁ~ん」という声はもはや泣き声に近かった。

 畠山は、楠木をこづきながら前に立ち、大きく息を吸った。

「――貴様等、黙れ!」

 けたたましい声が辺りに響き渡り、念仏が止んだ。

「ご婦人方が恐怖におののいているじゃないか。それが宗教者のやることか!」

 そして、満面の髭笑顔で婦人に言った。

「えっと、確か、香川、香川ふみさんでしたね。お待たせしてどうもごめんなさいねぇ。でも、どうやら、今は――」畠山は手を額に持っていき、大袈裟に辺りを見回した。

「この東救光教さんの方を先に対応しないとダメそうですねえ。ま、今日のところは、申し訳ないですが、お引きとり願えませんかねえ。ね、おふみさん」

「えぇ、まぁ、今回は……で、でも、しかし、また……」

 すっかり色を失った婦人は、抗議の言葉を考える余裕もないようだった。

「ええ。ちゃんと話し合いの場を設けますから。名刺も頂いてますし、必ず連絡しますよ。楠木君。ちょっとこの人達を、車の所まで連れて行ってあげて」

「は、はい……」

 研究所は、予め自動運転タクシーを五台ほど用意していた。楠木は、車列を指差した後、たすきがけの集団を、片手を挙げながらバスガイドのように誘導していった。

「さてと……」

 畠山は再び大きく息を吸い、手を口元にやり大声を出した。

「ほうこうどうし様!」

 そこで、畠山は気がついた。

「あ、間違えた。すまんすまん……」苦笑いする畠山の後ろに、寒河江所長が姿を現した。

「光法導師様! お話をしましょう」

 寒河江の澄んだ声が響き渡った。

 すると、少し離れたところで、白装束の集団が一斉にしゃがむのが寒河江にも見えた。いや、しゃがんだのではなく、伏せたのだ。すると、人垣に隠れていた一台の白い車椅子が姿を見せた。華美でない程度に金の装飾を施したその椅子に、白髪の老人が座っている。

「良かろう!」

 少し、しわがれてはいるが、よく通る力強い声で、老人は言葉を返した。

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