第5話 研究所への道

 福島駅のローカル線の発車ホームにトモが駆け込むと、研究所方面へ向かう列車は、アラームを鳴らし、今まさに発車するところだった。トモは、あわてて列車に飛び乗った。列車は三十分に一本。呑気に弁当など選んでいる場合ではなかったと後悔した。

 ここまで辿たどり着くのは結構大変だった。


   ◆


 普通、行き先の名称が判れば、後は携帯のツールで検索して、所在地等、すべてが判明するのだが、トモは大きな勘違いをしていた。《異星言語科学研究所》で検索してしまったのだ。

 その機関名はまだ登録されておらず、見つかるはずがなかった。何度検索しても判らないので、とりあえず交番で訊いてみると、そんな所に行ってどうするんだ。学校はどうしたんだ――などと、逆に尋問され、あわてて逃げ出すはめになった。

 とにかく、駅へ向かいながら、道行く人に手当たり次第、訊いてみることにした。しかし、話を聞いてくれる人さえほとんどいなかった。

 それは街の人達が皆不親切だったという訳ではない。そういうコミュニケーションに慣れていないのだ。携帯で調べれば何でも判る時代、街行く人に道を聞く、という習慣自体が一般的でなかった。身近な人とは親しく話せるが、見知らぬ人とはうまく話せない。聞く側のトモにしても、その話し慣れない一人だった。だから、どう話しかけていいのか、さっぱり要領を得ない。言葉はどもるし、敬語の使い方もぎこちなくなってしまう。

 それでもトモはがんばった。不器用ながらも、街行く人に次々声をかけた。

「あの……突然すいません。もしも、ご存じでしたら、異星科学研究所への行き方を……」

 また、逃げられてしまった。

 そんな様子を見ていた七十歳ぐらいの婦人が、優しい笑顔でトモに話しかけてきた。

「そこのお兄ちゃん。その異星のなんとやらって、ニュースでやってたのでしょ。確かその研究所は、元は違う名称だったんじゃない? それで調べたら行き方が判るわよ、きっと」

 そう言われるまで、トモはその研究所に昨日まで使われていた古い名称があることに、全く気づかなかった。再び携帯で今日のニュース記事を検索し、ようやく《国際社会文化研究所》という名称を突き止めた。それで検索すると、場所はすぐに判明した。

 幹線列車で福島駅まで行き、そこからローカル線に乗り換えて 七駅行ったところで、車に乗り換え約十分。トモの住む三重県の四日市から、今から行っても昼過ぎには到着できる場所だった。旅費も小遣いでなんとかなる。トモは研究所に行くことを決意した。

 トモは婦人にお辞儀をしながら「感謝します」と何度もお礼を言った。

 名古屋で超高速の幹線列車に乗り、横浜で再び乗り換え、福島駅に着いた。そこで、今日まだ何も食べてないことに気がついた。

 元々、駅で弁当を買う余裕はあまりなかった。それでも、走れば間に合うだけの時間はあったが、どれも美味しそうだったから、少年はちょっと迷ってしまったのだ。


   ◆


 結局、二つの弁当を抱え、息を切らし、トモはあわてて列車に飛び乗るはめになった。ドアが閉まると同時に車内アナウンスが流れた。

「四号車の三番扉からお乗りのお客様。駆け込み乗車はおやめください」

 ドア周辺の乗客の視線がトモに集中した。バツが悪そうに後頭部を掻きながら苦笑いをしているうちに、列車は緩やかに発車した。

 車内はさほど混雑していなかった。しかし、四人が座れる対面の席には、どこも最低一人は座っていた。乗客は、主に老人とか、親子とか……。

 その中で、十人ほどの男女の集団が一際目立っていた。救光教の信者だった。

 金のラインが二本入った筒状の白い帽子と、金の装飾を施した白装束を纏い、お互い話すこともなく整然と座っていた。駆け込み乗車を注意されたトモの方も一切見ようとしなかった。

 席を探しているうちに、トモは自分と同じ位の年齢の少年を見つけた。窓際に座るその少年は、車窓の山々や建物などを眺めていた。

 トモも窓の景色を見た。山々には禿げ山が目立つ。自然災害によるものだ。昔に比べれば、ここ五十年くらいは、ずいぶん安定はしているが、それでも毎年のように、各地で自然災害が発生する。だから、日本中の建造物は、激しい風雪や地震に耐えうるような丈夫な構造になっていた。この福島の山々の麓に点々と建つ家々は、トモの住む街に比べ、窓も小さめで、一層堅牢な造りをしていた。

「この辺りも山は傷だらけだね。ここもかなり地震が多いのかな……」

 トモは少年に声をかけた。

 窓際の少年はびっくりしてトモに顔を向けた。少し怯えていた。

「急に声かけてごめん。僕は七王トモっていうんだ。ここの席いいかな?」

「え、あ、どうぞ……」と少年はおどおどした声で答えた。

 トモは向かい側の席に座った。

「ははは、いつもは僕も内気な方なんだけど、今日は思いっきり走ったり、色んな人に声をかけたせいか、なんだかハイになっちゃって。変だよね、全く。ははは……」

 その言葉に、少年は少し安心したようだった。恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

「あ、そうだ。さっき、売店で弁当を買ったんだ。鶏釜飯か、チキンかつか、だいぶ迷っちゃって、結局両方買ったんだよ。良かったらどっちか食べる?」

「い、いえ、結構です……」

「あ、やっぱりそうだよね。変なこと言ってごめん。僕、十早から食べてなくて、とっても飢餓きが(空)だから、自分で両方食べることにするよ。いいかな? ここで食べて」

「別にかまわないです……」

「本当は嫌なんじゃない? そうだったら今すぐ席変わるから」

「いえ、そんなことは……」

 この子は嫌と言えない性格なのかなぁとか思いながら、トモは釜飯の紐を解いた。

「あの……」

「え、やっぱまずい? だったら席変わるよ」そう言ってトモは席を立とうとした。

「そうじゃなくて……僕も一緒に食べていいかなあと……」

 少年は鞄から、やや小振りの弁当の包みを出した。実は、この少年も駅弁を買ったものの、一人きりで食べる勇気がなかったのだ。包みを見てトモは顔をほころばせた。

「あ! それも駅の売店で売ってたやつだよね。福島のり弁当!」

「あ、はい、なんか、売店の看板が目に入ったらつい……」

「僕もそうなんだよ。凄く古めかしい文字で書かれていて……それと、あれってなんていうんだっけ。ウキヨエ……だったかな。看板には大昔の列車の絵が……。えっと、シンカンセンヒカリ号だったかな? 先頭が玉子のような丸っぽい形で、色は白くって、窓に緑色の帯がついてたね。で、列車のこっち側に、サムライの二人連れがさ、釜飯の包みを持って走ってるの。あの看板が目に入ったら、なんだか食欲を抑えきれなくなって、そこで、弁当を買っちゃったんだよ。君もそうなの?」

「う、うん、でも、それはヒカリじゃなく……」

 古代の鉄道には詳しい渉は、それはヒカリ号じゃなくて、ヤマビコ号だと言いたかった。でも、そんなこと初対面の子に言っても仕方ないと、言いかけた口をつぐんだ。ちなみに、その二人連れは、侍ではなく町人だったが、そんな区別は、トモにも渉にもできなかった。

「あ、そうだ。を教えてよ。なんて?」

「み、水無みずなしわたる……」

「わたる君か……さっきも言ったけど、僕は七王トモ。よろしく。三重県の四日市から来たんだ。わたる君は、この辺に住んでるの? いや、弁当を買ってるぐらいだから違うよね」

「僕は新潟から……」

「新潟から? 旅行?」

と言った後、トモははっと気づいてさらに問いかけた。

「もしかして、わたる君も異星言語科学研究所?」

 トモの大きな声に、周囲の乗客が二人を見た。そして今度は白い筒帽子の集団も二人に顔を向けた。表情は一切変えず、ただ、黙ってじっと見ている。

 それに気づいた渉は大いに焦って小声で言った。

「こ、声が大きいです。その話は後で……」

「え、あ、なんか困る?」

 渉は、白装束集団に少し目を向けた後、小刻みに首を振りつつ、無言でダメだと訴えた。

「あ……ごめん。じゃ、さっそく弁当を食べようか」

 渉が弁当の蓋を開けると、海苔で象った福島市の市章が現れた。

「わあ、面白いね!」トモが叫んだ。

「フの字が九つと四つのマの字、だから、フ九四マなんですよ」

 渉は名物駅弁にも詳しかった。


   ◆


 トモが二つ目の弁当をたいらげた頃には目的の駅はすぐだった。渉が、恐る恐る再び白装束の集団の様子を窺うと、彼らは目を閉じたまま、身じろぎもせず座っていた。

 到着の車内放送に、二人は早々とドアに向かった。渉が再び目を向けたその瞬間、白装束団もゆっくりと立ち上がった。渉は思わず後ずさりしたが、彼らは違うドアに向かった。一人一人が長い杖を握っている。その杖の上端の多面体の玉が光った。

 渉は小声でトモに言った。「ドアが開いたら、走りましょう……」

 トモはきょとんとしながら、小さくうなずいた。ドアが開くと同時に二人は走り出した。白装束団は、走り出した二人を気にする様子もなく、整然と列車を降りた。

 二人は振り返ることなく走った。階段を昇り降り、改札を抜けて、駅を出た。

 外には無人のタクシーの車列があった。渉がまずその前に駆け寄った。携帯をかざすと、車両のキャノピー型の窓全体が前方斜め上にゆっくり開いた。

 まず渉が乗り込んだ。

「帰りの運賃は僕が払うよ」と言ってトモも乗り込むと、車内に合成音声が響いた。

「行き先を指示してください」

「異星科……じゃなかった。え、えっと何だっけ」トモは瞳を仰がせた。

「行き先を指示してください」

「国際社会文化研究所までお願いします」

 渉が指示すると、キャノピーがゆっくり閉じ、車は緩やかに走り出した。

「国際社会文化研究所まで自動運転で参ります。所要時間は約十分です」

「わたる君、ほんと助かったよ。タクシーって高くってさ……」トモは明るく笑った。

 渉はまだ背後を気にしていた。タクシー乗り場に白装束団の姿は見えなかった。追っ手がいないことを確認した渉は、ほっと安心して、進行方向に座り直した。タクシーは加速し、あっという間に一二〇キロに達した。車窓の景色が心地よく流れていく。

「――もしかして、渉君はあの白装束の人達と知り合いなの?」

 対面の座席に座っているトモが訊ねると、渉は首を左右に激しく振った。

「と、とんでもない! 全然知らない人です。なんか、研究所の話をしたら、突然こっちを見たし、恐いでしょう。七王さんは恐くないの?」

「え? だって、ああいう人達はよく見かけるよ。別に何かするわけでもないし……」

「よく? 僕はほとんど見かけないですよ」

 それを聞いて、トモはきょとんとした。

「あ、そうなの? もしかしたら、うちの近所には特に多いのかもしれないなあ。教会が近いのかなあ……。ところで、さっきの話の続きだけど、君も、受験志望?」

「うん……でも、異星言語というよりは、僕はに興味を持ってるんです」

「ヴァーチ? 立体体感映像の? それって研究所と何か関係するの?」

「入試試験と授業で最新鋭のヴァーチを使うと言ってましたよ。十早のニュース放送、ちゃんと見なかったんですか」

「うん、全然観てない。学校が結構遠いから、家を出るのも早いんだよね。で、教室で友達から初めてその話を聞いたんだよ。それ聞いたら、もういても立ってもいられなくて……」

「ニュースを見てないのにここまで来ちゃったと……」苦笑ぎみにトモの言葉を補完した。

「でも、なんか僕と似てますね。僕も最新鋭のヴァーチを一刻も早く見たくて、ここまで来てしまったんですよ。で、七王さんは、異星言語とか異星人に興味を持ってるんですか?」

「トモでいいよ。――僕はね、異星だけじゃなく、宇宙全体に興味を持ってるんだ。だから、昔っから色々調べてるんだけど、宇宙に関わる研究は、軍事機密がどうとかいって、特定の場所だけで行われていて、日本はその研究に参加できないらしいんだ。宇宙関連の状報(情報)を探っても解らないことだらけ……。問題の異星にしたって、恐らくそれは『周星しゅうせい』のことで、それは、僕の持ってる遠眼鏡どころか、肉眼ですら見える星なのに、詳しいことはどこにも載ってない。ところが、今回の話は、その周星に行ける絶好のチャンスなんだよ」

「えっ、えっ、しゅ、周星に行くの?」

 うわずった渉の声に、トモは「うん!」と元気に返事をした。

「異星人の言葉を学ぶだけで、行くという話はないはずだけど……」

「そんなこと言ったって、言葉を学べば行くことにもなるよ。きっと」

 渉は頭を抱えた。

「あああ、そんなこと考えてもいなかった。僕には異星へ行くなんてこと無理だ。試験だけ受けて、ヴァーチだけを体験して、それでやめよう。そうしよう」

 首を左右にぶるぶる振りながら渉が叫んでいると、トモは解せなさそうに顔をしかめた。

「えーっ、ヴァーチのこと聞いただけで、いても立ってもいられなかったぐらいなのに、選抜試験で体験しただけで満足できるの? できる訳ないでしょ?」

「う……」渉の動きが止まった。図星だった。

「噂だけど、ヴァーチは、元々は異星人が開発したものだって聞いたよ。ヴァーチにしても、周星と同じように、分からないことだらけじゃないの?」

 ヴァーチにはあまり興味がないトモだが、異星人には興味がある。

「う……うん。ヴァーチについても、やっぱり軍事機密のためか状報がとても少なくて……それに、異星人達のテクノロジーだという噂は僕も……」

「やっぱり! ヴァーチを知るにも異星の壁が立ちはだかってる。だから、わたる君にもきっとこの道しかないんだ」

「道って、そんな大袈裟な……」

 その時、突然、チャイムが鳴り、車が急に減速して停車した。

「え、どうした?」

「何? 事故?」

 トモと渉は、あわてて前方を注視した。それとほぼ同時に車内に音声が流れた。

「進行方向に障害物を発見したので、目的地にはこれ以上進めません。迂回路もございません。申し訳ございませんが、ここで下車するか、引き返してください」

 見ると、何台かの車列の先の右側に、赤い回転灯の光が見えた。警察官らしき人が、ライトスティックを振る姿も見える。案内標識によれば、交差点を右折した先が研究所のようだ。

 上り坂になっているその道の途中には、柵が立てられ、車が入れないようになっている。

 歩道には人の列。白装束姿が目立つ。整然と坂を上っていくのは、すべて白装束だ。トモ達の目に入っただけでも五十人はいる。渉の顔が凍りついた。

「白装束でいっぱいだ……って、待てよ」

 トモが後を振り向いた。渉も恐る恐る後を見る。すると、背後の歩道にも、白装束の集団の列が続いていた。カーブで歩道が見えなくなるところから、白い固まりが点々と続いているのが確認できた。七、八人の固まりで一列に整然と並び、光る杖を持ち、粛々と歩いている。

 渉の凍度はさらに進行した。トモも今度ばかりは驚いた。

「ここで下車しますか。それとも、引き返しますか? 指示がなければ、信号が変わり次第、交差点を左折して、駅方面に引き返します」冷たい案内音声が乗客の指示を待っている。

「トモ君。帰ろうよ」

「ここで下車しますか。引き返しますか?」

 渉にはその音声が一段と大きくなったように聞こえた。

「降ります!」トモの声が車内に響いた。

「トモ君!」今にも泣き出しそうな渉の声も車内に響いた。

 前方の車が走り出すと、トモ達の車は再発進後、すぐさま左ウインカーを発光し、四つの車輪の向きを変え、路肩に寄って停止した。キャノピーがゆっくりと上方に開いた。

 トモは歩道へ降り、渉の顔を見た。

「さあ、わたる君、行こうよ!」そう言ってトモは車内に手を差し出した。

「わたる君、この道は今進まなきゃダメな気がするんだ。大丈夫だよ。行こう!」

「う……うん」

 もし一人で向かっていたら、今頃引き返していただろう。でも、今、そばにはトモがいる。迷っていた渉もようやく決意した。トモの手を握り、引っ張り出されるように車外へ出た。

 車から降りた二人は、一緒に上り坂の先を見た。白装束の集団は、車を降りた二人を全く気にすることもなく、続々坂を登っていく。

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