第2話 一ノ瀬タカト

 父が嫌いだ。母が嫌いだ。姉も、祖父母も、学校の教師も、そして、クラスの連中も皆嫌いだ。自分を取り巻く全ての人間、全て大嫌いだ。

 何もかもが中途半端で妥協ばかりのこの日本。皮肉なことにこの国は『落』という言葉すらも失ってしまっている。腐っている――と彼は思った。そして、そんな日本で、多くの人間が何の問題意識もなく、適当に楽しく暮らしていることが許せなかった。やっかいな問題には目を向けようとはしない国民性も嫌いだった。

 例えば、奇跡的に助かった一人の子供のニュースにはこぞって「よかったよかった」と感動を寄せ、幼気な児童が殺される事件が起きれば、その犯人に憤りの気持ちを集中させる。しかし、一方で、毎年大勢の自殺者が出ている事実には、誰も関心を寄せようとしない。

 政府は、社会や政治に巣食う腐臭漂う大きな勢力を全く追及できない。その上、巨大国家には、飼い犬のように尻尾を振っている。国民誰もがそれに気づいているのに、決して誰も立ち向かおうとしない。

 そんな日本のすべてにうんざりしていた時、彼はその組織を知った。


 一ノ瀬タカトという名の少年は、そのニュースを薄暗い狭い部屋で見ていた。

 カーテンを締め切り、ヴァーチと呼ばれる立体映像体感装置以外は、無駄なものがほとんど何もない殺風景な部屋。そのヴァーチに平面のニュース映像が映し出されていた。疑似仮想空間を体感できるこのような大がかりなヴァーチを持つ家庭はまだほとんどない。

 彼はヴァーチを使い、格闘を学び、数学や物理学、日本の歴史、そして、昔の国語を学んだ。

 机には、中年女性の立体ホログラム写真がある。それは、彼が唯一尊敬する人だ。

 部屋とヴァーチは組織から与えられた。両親と住む家もちゃんとあるが、時々、タカトは友人宅に泊まるなどと嘘を吐き、家を抜け出て、この部屋で『朝』を迎える。

 両親がその嘘に気づき、問い質した時があった。タカトはそれに強く反抗し、しばらくの間、彼にとって苦痛な日々が続いた。

 最終的には両親は干渉をやめ、タカトは自由を得た。しかし、そこに至るまでの間に、両親の愚かさや弱さを思い知ったタカトは、ますます彼らが嫌いになった。

「試験日は、今年の三百五十七日、星曜日です」

「十二か……かなり急な話だな」

 二十五世紀の日本で使われる曜日は《日火水木金土》の七種類である。つまり、星曜日とは、昔の暦でいう月曜日のことだ。

 一年を十二に区切る『月』という単位を使う習慣は、この時代の日本にはなく、元旦からの通算日数が、日付を示すのに使われている。日本の暦から『月』が失われたことを知る者も、今はごくわずかになってしまった。

 しかしタカトはそれを知っている。組織が教えてくれたのだ。

「試験科目は、国語、英語、数学、物理学、状報技術、音楽、体学です。なお、試験及び授業では、最新鋭のヴァーチが使われます。詳細は公式サイトに掲載されます。アドレスは携帯でご受信下さい――引き続きニュースを続けます……」

 アナウンサーのゆっくりした喋り方が普段の速度に戻った。

 そもそも、ヴァーチも、異星人が作り出したテクノロジーだと聞く。もしかしたら、研究所では、本家異星人製作のヴァーチが拝めるのかもしれない――タカトはそんなことを思いながら、ディスプレーをオフにした。

 ――まさかそれはないか……。

 その時、淋しげなアルペジオが室内に響いた。タカトは机の上の携帯を掴み、無言で出た。

「――ニュースは見たか?」

 低い男の声だ。携帯のディスプレーには映像も発信者名も表示されていない。少し間を置き、タカトは口を開いた。

「――ああ、概ね予め聞いた通りの内容だったが、まさか『』という言葉をこれほどあっさり使うとは思わなかった。正直、びっくりしたね。連中はそんなに焦っているのか?」

「『ルビを入力…』を示す文字をこれほど嫌う国は日本だけだ。だから直接関係はないだろう。だが、研究生を一般公募するという行為自体はまさに焦っている証拠だろうな」

「何故、公募に踏み切ったんだ? やはり、星に行く気なのか?」

「はっきり言う奴だな。まあ結局はそうだろう。星に行くには、秘密を知る今のスタッフだけでは不足するのだろう。公募に頼らなければならない状況まで、奴らは追いつめられているという訳だ」

「しかし、星に行くなら、まずは、宇宙飛行士や宇宙船建造スタッフなどを募集すべきだろう。何故、言語研究の研究生なんかを募集するんだ?」

「さあな。憶測だが、外交などの目的で、言語を修得した人材が大量に必要なんだろうな。それに星へ行く計画自体はやはりまだ隠したいのだろう。友好的な関係を築く目的なら、交流は長距離通信だけでもできる訳で、今回の話は、表向きそういうことになっている」

「友好的関係だと? 笑わせる……」

 笑わせるといいつつ、タカトの声には、怒りの感情が滲んでいる。

「ああ、お笑いだ……」

 通話相手の声も、そのタカトの怒りに同意するように厳しい口調で答えた。

「それに、十二歳から募集するなんて異常だ。まだ子供じゃないか。試験科目に物理学、数学、技術など、子供向けらしからぬ科目も存在するし」

「公式サイトはまだチェックしていないのだろうが、小中学生には免除科目もある。そもそも子供のうちに始めた方が言葉の習得も早い。第一、そういうお前もまだ子供だろうに……」

 確かにタカトもまだ十五歳だ。笑う顔に子供のあどけなさを残している。

「そんなガキをスパイに任命したのはどこのどいつだよ」

「ガキの方が怪しまれないからな。大体、お前はそんじょそこらの大人よりもずっと有能だ」

「ゆ、……しょ、少々、買いかぶり過ぎだ」

 男が使う言葉にタカトはまだ違和感がある。何度も聞く『お前』にはすっかり慣れているが、『有能』などは、その単語の意味を一瞬考えてしまう。それは組織でしか使わない言葉だからだ。タカトはまだ失われた言葉を習得している段階にあった。

「もちろん、入学試験には合格してくれるんだろうな」

「無論だよ。日本での募集定員は一〇〇人。試験をパスするのなんて余裕だよ」

「一〇〇人に入るだけじゃ駄目だ。多分その先にまだ選抜がある」

「星へ行くメンバーの選抜か?」

「ああ、多分……。そこまでの道のりはまだまだ遠いぞ」

「――そうだろうな……まあ、気長にやるさ」

「それからお、任務中はうっかり正しい言葉を使うなよ」

 タカトはニヤリと笑った。まだまだそれをうっかり使わない自信を持っている。

「おもな……」

 通話を終えると、タカトは立ち上がり、ホログラム写真の方に顔を向けた。スーツ姿の穏やかな笑みを浮かべた聡明そうな女性がそこに立っていた。

「連中の思うりにはさせない――」

 そう呟いてタカトは部屋を出た。

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