「竜座と竜使い座」
むかしむかし。
神様は世界をお創りになった最後の仕上げで、人間を生み出されました。
すべての獣に恐れられ、すべての生き物の頂点に立つ者として、ヒトをお創りになりました。
そうしておいて、ヒトが多く増え過ぎぬようにと、ヒトを食べる竜をお創りになったのです。
地上は緑あふれ、青い海には白い波がさざめき、生き物は互いを間引きあってバランス良く暮らしていました。
ところが、次第に生き物の頂点であるヒトが増えてきたのです。
神様は不思議に思われて、ヒトを食べる者として生み出した、竜の元へとお出でになりました。
「竜よ。なぜ、ヒトはこんなに増えたのだ。」
「神様、それはわたしがヒトを食べないからです。」
竜はずいぶん弱っているように見えました。生み出されてから先、何も食べていない事は神様には解かっています。神様はもう一度竜にお尋ねになりました。
「なぜ、ヒトを食べないのだ。」
「わたしはヒトを食べたくないのです。ヒトが好きなのです。」
涙を流して竜は神様に訴えました。
「神様、ヒトを食べたくないのです。どうしてヒトを食べねばならないのですか。」
「ヒトが増え過ぎれば、他の多くの生き物がその分減ってしまうのだ。」
地上では、人間が増え過ぎたために他の生き物が少なくなっておりました。
人間は神様に愛され、他のどの生き物よりも強いと定められました。だから、人間を滅ぼせる生き物はいないのです。この竜の他には。
竜が人間を大好きだということは神様ももちろんご存じです。だから、神様は仰いました。
「竜よ、お前は真に頂点を生きる生き物だ。その頂点が歪んだ生を生きれば、世界のすべてが狂うのだ。それはヒトも同じこと。だからわたしはお前を創り、お前に彼らを食べるようにと決めたのだ。
食べられる苦しみを知り、食べることの罪を知るようにと。ヒトが大好きなお前ならば、よもやヒトを食べ尽くしたりはしないであろうと。」
神様は言われました。竜は安心してヒトを食べて良いのだと。
「わたしは全ての生き物を愛しく思っている。だから、魂を作り、その殻として肉体を与えた。身体が死んでも、魂は不滅のもの。決して滅びることはない。肉の身体など一時限りのものなのだ。」
神様は諭されます。今生きているこの肉体も人生も、すべては仮初めなのだから、竜に食べられたとて悲しむことはないのです。魂が経験する数多くの人生の、たった一度のことでしかないからです。
「けれど神様、それでは世界で生きる意味などなくなってしまいます。最初から意味のない生であるなら、わたしはなおさらヒトを食べたくありません。」
「意味を持たぬ者など、わたしはただの一つとて創りはしない。
すべての生き物は、他の何者かに食べられている。そうするようにとわたしが創った。そうする事が肉を持って生きることの意味なのだ。」
神様のお言葉に、竜はさめざめと泣きました。
「それでも、わたしはヒトを食べるのは嫌です。」
「わたしは生き物を創る時、魂を永遠にした。輪廻の輪を作り、そこへすべての魂が還るようにした。そして、還る時には人生の記憶を忘れてしまうようにした。」
神様はこんこんと竜に諭されます。
苦しいことも、悲しいことも、すべて忘れてまた生まれてくるのです。だから、誰も魂が本当にあるのかどうかを疑います。神様の御心を疑うのです。この竜のように。
泣きながら竜は訴えます。竜自身とヒトの為に。
「死んだら終わりと思って嘆き悲しむヒトの姿を見たくないのです。運否天賦で生死が決まる世界など、どうして作られたのでしょうか。」
竜の心ひとつで食べられるヒトは決まります。そのヒトが悪い人間であろうと、善良な人間であろうと関係なく、ただ運だけで食べられる者は決まるのです。
神様に間違いなどありません。けれど、竜はさめざめと泣くのです。
「幼くして死んでしまう者の、親の嘆きが聞こえます。貧しく虐げられる者の、悲しみの声が聞こえます。不公平だと憤る心を感じ取ってしまいます。だから、わたしまでがそんな不公平に加担したくないのです。」
竜の訴えに、神様は優しく諭されました。
「わたしは魂を永遠にした。そして人生の記憶を残さぬようにした。永遠と繰り返される何万という人生を覚えておく必要はないからだ。その時の、一瞬、一瞬を、懸命に生きればそれで良いからだ。」
だから、短い生の中で誰かにその肉体を与えても大丈夫なのだよ、と言われました。
「人間だけではない。人間の食べるすべてのものは、そういう不公平を口にはしない。」
これ以上の平等はあろうか、と神様は仰いました。
「永遠を信じられずに不公平だと嘆いているのは、ヒトだけのことだ。」
竜にはまだ納得がいきませんでした。
「なぜ、この世界はこんなにも苦しいのですか。なぜ他者を食らわねばならないような、こんな世界をお創りになったのですか。」
「犠牲になることも、その犠牲を作り出す己を知ることも、尊いことだからだ。」
そうして神様は、この竜には本当のことをお話しになりました。
「この世界を創る時、わたしはこの世界を創る必要など何もなかった。この世界のすべてには、だから、必要とされるべき理由は何も存在しないのだ。」
神様のお言葉に、竜は愕然としました。
「お前が存在することにも意味はない。お前がヒトを食わねばならないことも、わたしにとっては意味などない。わたしには、この世界のすべてが意味を持たぬことなのだ。」
この世界の始まりは、神様によってもたらされました。世界の始まりは無意味からなのです。
けれど、と神様は言葉を続けられます。
「わたしは自身の創り上げたこの世界を愛している。」
神様は仰いました。
「わたしは、この世界を必要としない。この世界を真実必要とするのは、この世界に住まうすべての生き物たちだけだ。だから、この世界はすべての生き物たちの物でもあるし、すべての生き物たちに必要だ。
……お前のものではない、ヒトのものでもない、すべての生き物が平等に譲り合って生きねばならないようにと創った。どこかが欠けても必ず、暮らしにくい世界となるように。」
世界が苦しく辛いのは、そこに住まう者たちのせいなのだと神様は仰られました。
「この無意味な世界を意味ある世界に変えているのは、わたしではなく、この世界で苦しみ喘いでいる沢山の命たちなのだ。すべてが平和な世界を創っても、本当の意味でその世界は存在する意味などありはしない。」
「生き物はすべて、わたしのように苦しむために創られたのですか。」
竜の瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れます。
「そうだ。苦しみの中に生きていることの意味がある。楽しみを見出し、価値を知る。お前が苦しいのは、ヒトを愛する尊い心のためである。ヒトを真実愛するお前にはわたしの言葉とお前がヒトを食べる意味が、きっと解っていることだろう。」
苦しいことと同じだけの、楽しいこともあるのです。
大きくかぶりを振って、竜は懇願しました。
「いいえ、いいえ、神様。わたしにはあなた様の御心は解かりません。ヒトは善良です、きっとわたしの存在が教えなくても、食べられる痛みを知ることも出来るでしょう。わたしはヒトを信じたいから、だからヒトを食べたくないのです。」
「わたしとお前はこれほどに考えが違うであろう。それはヒトも他の生き物もみなそうなのだ。考えがすべて違うために、こうしてすれ違い、悲しむこともある。本来意味のない世界に意味が生まれる。
苦しむことが、すなわち意味を持って生きるということなのだ。」
ヒトを信じてヒトを食べずにいる竜を、神様は慈愛を込めた瞳でお写しになりました。
「隠された永遠を生きる命と、隠された無意味な世界の真実と、この世界の隠された物事をすべての生き物が知った時に、この世界は終わりを告げる。始まりには終わりが付き物であるから、出来るだけ長いあいだこの世界が終らぬようにと、そのように創ったのだ。」
「すべてが、本当は無意味であるからですか。」
大きく頷かれてから、神様はお答えになりました。
「無意味なものに意味を与えるためにお前たちを創ったのだ。」
神様はこうも仰いました。
「この世界には、平穏無事な土地と、戦乱に明け暮れる土地とを創った。戦場にも、誇りある場所と醜い諍いの場所を創った。平穏に見えて泥沼の重苦しさと汚泥の冷たさを持つ土地もある。それらが広がるのも、消え去るのも、すべてはここに住まう者たちが決める。
輪廻を創った時、魂が記憶を持たぬようにと定めた。同じ過ちを繰り返す魂もあれば、悔いて正しい道へと立ち戻る魂もある。正しきは、先に述べた犠牲を知る道だ。己が犠牲になることも、他者を犠牲とすることも、正しく知る者は自然と住みよい場所へと辿り着く。」
けれど。
「わたしは、誰をも己の犠牲にしたくないのです。」
頑なな竜に、神様はそれ以上には言わず、帰ってゆかれました。
正しいと思うことは、本当は正しくはないことかも知れないのです。
竜は思い悩みながら、伝説になりました。今では誰も、竜を見たものはおりません。
最後までヒトを食べなかった竜を、神様は夜空に上げ、竜座に変えました。その傍にはご自分の分身で竜使い座をお創りになり、仲よく添わせられました。
竜が夜空の上でも泣くために、慰めておられるのです。
ヒトが過ちを冒すたびに、竜が自分の行いを悔いて嘆かぬようにと、神様は諭されているのです。
竜座と竜使い座は今でも夜空の上から地上を見下ろしているのです。
◆◆◆
語り部がすべての物語を終えた時、暖かな暖炉の中で燃え尽きかけた薪が爆ぜる音がした。見れば、年少の者はほとんどが眠りの舟を漕いでおり、こっくり、こっくりと小さな頭を揺らせている。年長の者は、眠たげな者と瞳をきらきらと輝かせる者が半分ずつだった。
幼い子らにはまだ難しいお話だったろうか。
苦笑を浮かべて、語り部は燃え尽きかけている薪に火箸を突き入れ、灰を少しかき混ぜた。
「これでおしまい。」
「竜はどうなってしまったの?」
幼い子がほとんど眠ってしまった中で、一番年少の少女が起きていた。お話が終わり、子らが横になった後にも少女は毛布にくるまって座っていた。半分の子は顔だけ上げて語り部を見る。
「竜は星座になったんだよ。旅行く者を道案内する、あのくっきりとした星座だ。」
語り部は窓の方向を示して指を差し、少女の視線は雪の残る窓の枠を見据えた。釣られるように、他の子らもそれに倣う。寝ころんだままの姿勢で皆が窓を見た。
「神様はどうして竜を助けてあげなかったの?」
首をかしげて少女は問いかけ、語り部は少しだけ思案して黙り込む。
しばらく考えてから、語り部は話した。傍へと寄ってきた少女の頭を撫でる。物語には含まれない、自身の見解を少しだけ述べてみる。本当は、聞き手が自分で考えるべきことなのだけれど。
「言いつけを守らない者を、そうそう助けてあげる訳にはいかないだろう? 神様も同じだ。竜に与えた言いつけは、ヒトを食べて減らすことだったんだ、ヒトが他の動物をそうして食べるようにね。
けれど竜はヒトが好きだったから、言いつけを破ったんだ。
竜は飢えて死んだけれど、人間を護ってくれたんだよ。竜はとてもヒトが好きだったんだ。だから、今も夜空で旅人が迷わぬようにと護ってくれる。」
「ヒトが大好きなのに、食べなくちゃいけないなんて……可哀そう。神様はどうしてそんなイジワルを言ったの?」
頬を膨らませて怒る少女に、語り部は苦笑いを浮かべてしまう。他の子らにも、同じ思いで頷く者が幾人かみえた。
「そうだな、意地悪かも知れないな。けれど、ヒトが増え過ぎれば沢山の動物を殺して食べるようになるんだ。幾つかの動物はそれで数がどんどん減って滅びてしまった。」
物語中の問答のように、少女は語り部に食ってかかる。かと思えば、突然、思い付きを披露した。
「あんまり増えないように創れば良かったのに。神様はきっと気が付かなかったんだね。」
語り部は頷いて、少女の言葉を否定せずにおいた。どうしたって、神様が悪いようにしか思えない物語だから、幼いうちは神様の真意が伝わらない。
もしかしたら、自身の技量が足りないせいかも知れないと、年若い語り部はため息を溢した。
「もう寝ないといけない。竜が心配して、泣いてしまうから。」
眠たげに目をこする少女の頭を膝に寄せ、背を叩いて眠らせた。暖かな毛布にくるまり、丸くなって子らは眠る。
この世界が苦しみに満ちている理由など、この世界をお創りになった神様にしか、本当のところは解からない。語り部はもう一度、深いため息を吐き出した。
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