第6話 上下分離方式のまやかし
弁護士事務所の女の子が「先生、次のアポの時間……」とメモを手渡すが、工藤弁護士は両指でバツ印を作る。彼女はちょっと困った顔をして出て行く。それに構わずこちらでの話は続くのであった。
「計画が実現しない制約条件として、SL調達の問題と、線路そのものの問題がありましたが、ガントレットレイルという方法に気が付いてから、線路の問題も無くなりました。ただし、三線軌条の時と同様に
――なるほど、先日、私もSL列車に乗って陸泉鉄道の駅も見てきました。でも、ほとんど観光鉄道の専用ホームには気が付きませんでした。
「案外そうでしょうね。大抵の専用ホームが、元の陸泉鉄道のホームを延長した先に作られていますし、旧国鉄時代の駅敷地は余裕ある作りですから、そこに溶け込んでしまいます。それに、観光鉄道としてボランティアが絶えず手を入れていて、古い駅舎とマッチする様にペンキ塗りとか
ここでも工藤弁護士は、自らが撮ったという実際例を色々と見せてくれる。SL列車に乗っていた時には全く気が付かなかったのだが、観光鉄道専用ホームは陸泉鉄道のホームよりけっこう高さが低く、さらに専用ホームの位置は、陸泉鉄道のレールからも離れており、観光鉄道のレールは陸泉鉄道からホーム側に奥まっていることもわかった。こうすることで、仮に陸泉鉄道の列車が走っていても、列車待避が安全にできるようになっているのだ。
そう、ここはガントレットレイル、つまり
「あくまでも、陸泉鉄道が復旧されることがその時には前提でした。観光鉄道専用の鉄道施設もある一方、いわゆる安全保安装置、例えばATSや信号装置などは陸泉鉄道のものが共有利用されているのです。それが単複線の特徴でもあります。事実上の運行方法は単線区間に他なりませんからね」
――なるほど、四本レールのマジックと言うものが良くわかりました。線路敷地も保安装置もほぼ陸泉鉄道のものが使えるし、レールのコストも格段に安いという事も理解です。ポイントが無いってことは、機械的なトラブルも少ないってことですよね。
「はい。でも、鉄道だからポイント自体はありますよ。陸泉鉄道との相互乗り入れ用のポイントが無いだけで、
工藤弁護士は苦笑しながら語っているが、鉄道マニアだけに、そういった事情は本人が一番良くわかっているのだろう。私自身、取材前にポイント装置が無い事が、この単複線ならではの特徴であるとは知らなかった。旅ライターは鉄道専門ではないこと。そこに限界があるのだ、と誰が聞いてもかなり苦しい言い訳かな。
再び、事務所の女の子が工藤弁護士を呼びに来る。どうやらこれ以上の時間延長は難しそうである。
「すみません、まだまだ話は足りていないのですが。『上下分離方式』と『特定目的鉄道』についてぜひ調べておいて下さい。三陸夢絆観光鉄道の実現がそれに深く関係していますから!」
工藤弁護士は、エレベーターが来る直前まで話を続けてくれた。
――上下分離方式、なんか以前に良く聞いた言葉だけど「特定目的鉄道」って何だ?
小ぎれいなエレベーターのドアが閉まると、ひとり二つの単語を
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考えて見れば鉄道会社を新規に作る事など、そんな簡単な話であるはずがない。新しい鉄道会社の設立計画があまり実現できない事を、職業上けっこう見聞きして来た。しかし三陸夢絆観光鉄道では、新たに鉄道会社を作り、さらには新規製造したSLを四両も所有しているのだ。
震災被害で休止中とはいえ、既設の陸泉鉄道と同じ線路敷地を走る三陸夢絆観光鉄道は、陸泉鉄道とほぼ同じ線路区間を走っている。単複線方式で陸泉鉄道とは別会社ですよといくら説明を受けても、見た目にも同じ区間をSL観光列車が走るのであれば、どうして新しい鉄道会社を作る必要性があったのか今一つわからない。
線路幅が違うことは確かに理由になるかもしれないが、JRや大手私鉄の中にも軌間が異なる路線区間を持っている会社はある。三陸夢絆観光鉄道でも同じことができたはずではなかろうか?
ところで陸泉町とは、太平洋の恩恵を受けた自然豊かな地域だが、取り立てて著名な名所旧跡も無く、漁業が中心の観光客にはそれほど縁のない町である。それ故、震災前は全国的にあまり知られる事もなく、典型的な過疎地でもあるから、普通なら陸泉鉄道もとっくに廃線になっていたはずなのだ。
しかし、国は鉄道会社に対する法律である「鉄道事業法」を改正し、「上下分離方式」なる絶妙な運営方法を編み出してきた。この運営方式が作られた主目的とは、国鉄からJRに分割民営化される際、自社の独立鉄道線路が無いJR貨物を、JR各社に走らせるための法的支援を行えることにあったというが、これがいわゆる赤字ローカル線の救世主にもなった。
そして、この法律の最大すごいところは、鉄道を運営する会社と、鉄道施設を所有する会社とを分けてしまう事である。いわば全てを賃貸によるお店経営みたいもので、お金のかかる鉄道用地・施設、あるいはケースによっては車両までを自治体等が所有し、鉄道会社は列車運転だけを行うのだ。すなわち、鉄道会社と名乗っていても、実態は鉄道運営代行業者に過ぎず、鉄道事業なら本来負担すべき固定費を大幅削減させてしまう、まさしく会計上ウルトラ級の運営方式なのである。
この「上下分離方式」における「上」とは、列車を運営する鉄道会社を示し、「下」とはインフラを抱えた自治体等となるのであるが、もちろん「下」が純粋に企業のケースも存在する。もっとも赤字ローカル線の場合、圧倒的に自治体が「下」であり、すなわち、これは税金で維持していく鉄道事業に他ならない。
そして、国鉄陸泉線はその恩恵にあずかった鉄道会社の一つとなった。新たな鉄道会社「陸泉鉄道株式会社」となり、会計上で見る限り、それまでの膨大だった運営赤字は
しかし、鉄道運営の環境までが本質的に改善されたわけではない。沿線人口は減り続け、地元の高校も統廃合となり、民間バス会社まで撤退した結果、とうとう自治体自らがコミュニティバスを走らせる事態となった。
すなわち、町が鉄道事業を運営しているのに、そのライバルとなるバス事業を町が自ら運営するという行政矛盾の発生である。さらに、上下分離方式により健全経営できているはずの、陸泉鉄道の運営赤字が止まらない。毎年鉄道会社への税金による巨額補てんが生じ、もはや、陸泉鉄道は廃止にするしかない、町議会を中心にそんな意見が現実味を帯びて来た。そこにあの大震災が起こったのだった・・・・・・。
三陸夢絆観光鉄道は、見た目では陸泉鉄道の線路敷地に、単複線方式で乗り入れていても、法的には全く違う存在だ。恥ずかしながら私も勘違いしていたのだが、三陸夢絆観光鉄道は陸泉鉄道に乗り入れているのではなく、陸泉町および県などが所有する鉄道施設に乗り入れているのが本当なのである。つまりだ、陸泉鉄道も三陸夢絆観光鉄道も、共に同じ親亀の背中に乗っている兄弟の子亀どうしに過ぎない!
そうであれば、わざわざ新しい鉄道会社など作らずに、陸泉鉄道としてSL列車を走らせた方が経営合理的ではないだろうか? どうやらこの取材は、思ったよりも水深があるらしい。SL観光鉄道の軽い成り立ちレポートのつもりで始まったものの、編集部も含めて今では少々本腰になって来ている様に感じている(カン違いかもしれない・・・・・・)。こういった場合、依頼作品への注力と費用請求の兼ね合いが難しいのだ。三陸夢絆観光鉄道の話も込み入って来ているが、私の
ところで、赤字ローカル線問題という言葉は、それこそまだ国鉄に蒸気機関車が現役で走っていた時代から、絶えずニュースとなって来た用語である。しかしながら、良く聞くわりには、個々の本当の実状について旅ライターの私もあまり良く知ってはいない。わかっている事と言えば、実に多くの赤字ローカル線が、これまでに国鉄私鉄を問わず廃止となって来た歴史だけである。
今回、たまたまと言っては失礼だが、震災被害で休止中となっている陸泉鉄道の運営状況を、初めて本気の目線で調べてみる機会を得た。私の取材の依頼元、
そしてそこで得られた結論とは、陸泉鉄道だけではなく、ほとんど全ての赤字ローカル鉄道は、もはや企業としての体を成していない、こんなのは経営ではないという実態への理解であった。
まさしく人間で言えばとっくに死んでいる! 経営体として
独立事業としてはもはや継続し得ないものを、事業としてあえて継続していくことの意味は何なのだろうか? そこには「地域輸送機関としての使命」という言葉が、
しかし今や大半がその要件には当てはまらない。国道どころか狭い村道までもが舗装されつくし、各家庭には一台以上の自家用車がある。自治体が赤字ローカル線維持のため、税金を原資とする補助金を毎年出す一方で、自治体予算で便利なコミュニティバスを沿線に走らせる。これでは誰も鉄道に乗らなくなるのが自明でありながら、こんな矛盾行政を行わざるを得ないおかしな現実。
これらの事実は、さんざんニュースとして聞いていた。以前から「百円稼ぐのにいくらかかる路線なのか?」という例えが良くあったが、今回初めて具体的な営業数字として、陸泉鉄道をネタに真正面からローカル線の真実を見てみたのである。
安い昼飯であっても素直におごりを喜ぶ経理部の田口さんが言う。彼はいわゆるベテラン平社員という、サラリーマンとしては
「うちの様な比較的大きな出版社でも、赤字が続けば編集部は
一年間の連載を! と言われて喜んだのに、半年持たずに消えた雑誌名が、いくつも頭の中に
――陸泉鉄道の数字見てくれました?
田口さんがほぼ食べ終わった頃を
「沿線人口が減り続けているんだから、鉄道の売り上げはひたすら下がるしかないよ。これって、読者が減って行くマーケットに、相変わらず同じ部数の雑誌を出しているのと同じだって。例えば子供向け分野。少子化で子供がいなくなっているんだから、昔の様な大部数を
ああ、あの辺ぴな場所の巨大倉庫、以前行った事があったな。そこで自分の単行本を返本の山の中に見つけた時の気持ちは・・・・・・。
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