サイダー 下
河野が長谷川を目で追う回数は日に日に増えていった。
まぁ、仕方ないよな。好きなんだもんな。ついつい見ちゃうよな。
「かおり、またぼーっとしてるー」と辻さんの声が聞こえた。眼鏡を外して声のするほうを見ると、河野は「ごめん」と顔を赤くして笑っていた。
「あ! 古屋昨日のダンガスみた? あれやべえよ!」
また、にっしーがアニメの話を始める。将太が「アスカよかった。熱かった」と頷いて、俺も同意した。
「アスカの特攻よかったなー。めっちゃ動いてたし」
「このままいけばユヅキは報われそうだよね」
「そう! ユヅキめっちゃかわいかった! 惚れた! やばい!」
にっしーが椅子を鳴らして騒ぐので呆れる。
「お前……こないだまでミミル一筋って言ってたじゃねーか」
「は? ミミルも大好きだぞ?」
「じゃーユキさんは?」
「ユキさんも好きだ」
「誰でもいいんじゃん」
将太と二人で笑い飛ばすと、にっしーは「誰でもいいわけじゃない」と首を振った。
「俺は二次元でも現実でも、一途な子が好きなんだ。それでいて相手には恥ずかしくて声かけられないような子ならもっといい」
自分で言いながら納得するにっしーに「ミミル超積極的だったじゃん」と突っ込む。
「ミミルは顔がかわいい」
「結局顔かよ」
「でもさー、にっしー」
将太が紙パックのジュースを飲み干してにっしーを見る。
「現実でそんな奥手な女子はなかなかいないよ? かわいい女子なら尚更」
「そんなのわかってるって。だから二次元最高なんじゃないか」
そう言って二人が頷き合っているのを見て、俺の脳内には河野の姿が浮かんだ。あんなに見てるのに長谷川に話しかけられない河野。
「そうかな?」
気づいたら、口に出していた。
「現実にもそういうかわいい女子いるよ」
しまった。クサいこと言ってしまった。と思った時にはもう遅かった。思わぬ反論に二人は目を丸くしたのち「お前やっぱ彼女出来ただろ?!」とはやし立てる。
結局その日は放課後まで、いもしない彼女を詮索され、うらやましがられるのを適当にあしらって過ごした。図書室にもよらずまっすぐ家に帰る。
それがいけなかった。
家について、そこで初めて眼鏡を学校に忘れてきたことに気がついた。
ただの眼鏡ならそのまま放置しておくが、一応は魔法の眼鏡。誰かに触られたら嫌だし、家から学校までは自転車なら二〇分もかからない為、取りに戻ることにした。
下校時間をとうに過ぎた校内は薄暗く静まり返っていて、どこからか吹奏楽部の楽器の音がかすかに聞こえる。教室に着くと、既に誰もいなくて電気も消えていた。隣の教室は電気がついており、何か喋っているような声もする。
電気をつけて、自分の席を漁る。と眼鏡はケースに入ったまま机の奥にひっそり忘れ去られたままになっていた。
ホッと胸をなでおろしてケースを開ける。もう河野も家に着いてしまったかもしれないなー。と思いつつも眼鏡をかける。と。
そこには、教室の隅で笑顔の長谷川と、その長谷川に寄り添い、頭をなでられる辻さんが映っていた。
えっ。と俺は思わず眼鏡を外した。相変わらず教室には俺一人きりで誰もいない。
え、どういうこと? 実は辻さん、長谷川と付き合ってたってこと……?
フル回転する脳についていけない。いや、ちょっと待て。これが眼鏡越しに見えるという事は。
隣の教室電気ついてたな。まさか。もしかして。
慌てて教室を出る。と、俺の目に飛び込んできたのは。
隣の教室の前で、ドアも開けず立ち尽くす河野の姿だった。
俺に気づいてハッとする河野と目が合う。何も言えず、眼鏡を持ったまま足がすくんだ。
その時、「かおり?」「えっ」と教室内で二人の焦る声が聞こえた。どうやら俺が勢い良く開けたドアの音で河野に気がついたらしい。
河野は一瞬びくっとして、そして笑顔を作ると「えっ何?何?! 二人ってそういう関係だったの?!」と勢いよく隣の教室のドアを開けた。
弁解する辻さんの声と、わざとらしいほど明るい河野の声が廊下まで聞こえてくる。
「えーっ! いつから? 全然知らなかった!」「今年の、二月から」「まさかバレンタイン!? いいなー! え、なんで隠してるの」「クラスで冷やかされるの嫌でさ……」「あぁーだよねー。じゃあ私も黙っとくよ」「あ、ありがとう! お願い」
「じゃあ私、邪魔しちゃ悪いから帰るね!」
言いながら河野が教室から出てきた。
「あ、かおり! 黙ってて……ごめんね……!」
辻さんの申し訳なさそうな声に河野が苦笑する。
「いいよ。今度たっぷり質問するから覚悟しときなよ!」
そう言って河野は教室のドアを閉めた。未だ動けずにいる俺ともう一度目があったが、すぐにそらしてすたすたと廊下を後にした。
河野がいなくなった隣の教室を静かに覗き込む。中では眼鏡越しに見た光景と同じものが広がっていた。辻さんが「びっくりしたね」と長谷川を見ると、「河野にばれたけどいいのか?」と長谷川が辻さんを見て。
「かおりなら大丈夫だよ」と辻さんが微笑んで。
俺は気づかれないように静かに自分の教室に戻って、眼鏡をかけた。
ゆがむ見慣れた風景が、流れていく。昇降口を抜け、駐輪場の横をまっすぐ。拭っても拭っても合わないピント。
大丈夫、な訳ない。
拭う指。涙のフィルター。ゆがむ駐輪場の横。光るコンクリート。
だって。
だってあんなに。
景色が止まったのを確認して、俺は眼鏡を外し、教室を出た。昇降口を抜け、自動販売機によって、駐輪場の横をまっすぐ進む。
あんなに、好きだったんだから。
駐輪場の横、校舎の陰に隠れるように座って、河野が泣いていた。
立ち止まらず近づくと、涙を拭う河野と目があった。無言で買ったばかりのゴーヤサイダーを差し出す。
「俺も同じなんだ。あの二人が、付き合ってるなんて知らなかった」
河野がハッと顔を上げる。
「ふ、古屋君も、長谷川君のことが……?!」
「長谷川じゃねーよ!! 辻さんだよ!」
涙声の河野に全力で突っ込む。どうしてそうなる。
「あぁ、そっか。そうだよね……美香子か……」と河野が独り言のように呟いた。
「二年の時」
俺が口を開くと、いつの間にか泣きやんだ河野が座ったまま俺を見た。
「二年の時、初めて同じクラスになって」
河野と笑いあう辻さんがフラッシュバックする。
「気づいたらいつも見てて、何をしてもかわいくて、話してみたいなーとか、メアド知りたいなーとか、一緒に帰ったりしたいなーって妄想して」
思い返せば、ずっと見ていた。自分が思っている以上に、俺は、辻さんの事が、好きだったようだ。
「そんな事、一年半近く考えてたのに、一言も話しかけられず、一瞬で終わっちまった」
言いながら泣きそうになるのをこらえる。少し涙声になったかもしれない。
「私も」
河野が空を見上げた。
「見かける度にドキドキして、目があった日なんて、夜、眠れなかった。けど」
河野の頬を一筋の涙がつたった。
「今思えばあれは、美香子を見てたんだね」
河野の涙があふれる。「うわ、どうしよ」「ごめん」と涙を拭うが止まらない。
俺は何も言わず、持ったままだったゴーヤサイダーを河野の横に置いた。
河野の泣き声を聞きながら、さっきの光景を思い出す。
そうか、終わってしまったんだ。
見ていただけだけど。話したこともないけれど。アイドルとか、芸能人を見てる感覚だって思っていたけど。そうじゃなかった。
俺は、確かに、辻さんを好きだったんだ。
河野が泣きやむまで、そんな事を想った。
「ごめんね、古屋君。もう、大丈夫」
どれくらいの時間が経っただろう。辺りはすっかり夜に包まれていた。
河野がゴーヤサイダーに手を伸ばす。
「これ……」
「あぁ、あげるよ。河野それ好きだろ?」
俺がそういうと、河野は赤い目のまま小さく笑った。
「古屋君、これ飲んだことある?」
「ないよ。地雷臭しかしないし」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
そういうと河野は立ち上がり、煌々と光る自動販売機へとポニーテールを揺らして駆けていった。と思ったらすぐに片手に緑の液体をバトンのように持って帰ってきた。
「はい!」とペットボトルを渡される。
「え、俺も?」
「うん。私はこっち」
今買ってきたばかりのゴーヤサイダーを無理やり俺に握らせると、河野は俺が渡したゴーヤサイダーの蓋を開けながら、さっきまで座っていた場所に再び腰かけた。炭酸が抜ける音が2つ、夜の空に響いた。
「いただきます」
「い、いただきます」
意を決し勢いよく流し込むと、激しい炭酸と、強烈な苦みが喉を襲った。
「に、にが……」
あまりの苦さにペットボトルから口を離す。河野は青ざめる俺を横目に、いつものようにごくごくとそれを飲み込んで「にがーっ」と笑った。
「古屋君、私がこれ好きってなんで知ってたの?」
河野が飲みながら首をかしげる。
「え、だって、いつも飲んでるの見てたから」
俺の返答に「え」と驚きつつも、河野はすぐに「あ、そうか。美香子か」と納得した。
「私いつも一緒に行動してるもんね」
あ、今なんか墓穴掘ったかも。わざとらしい乾いた笑いでごまかす。
「あぁーっ!! 悔しいなー!! だって、お似合いなんだもん!!」
河野が突然、大声で叫んだ。
「これで、美香子が性格めっちゃ悪かったりしたら、諦めないのに! あの子、すごくいい子だもん!!」
溜まったものを吐き出すように。河野の声が校舎裏に響き渡る。
「俺だって」と、思わずつられて声が出た。
「俺だって、相手が嫌な奴なら諦めないのに! よりによって長谷川じゃ、かないっこねーじゃん!!」
そんな勇気なかったくせに。大体告白する気なんてさらさらなかったじゃないか。と、冷静な自分が心の中で反論する。そんな事わかっている。けど、止まらない。
「男の俺から見たってかっこいいんだからさ! 運動もできて、勉強もできて」
「そう!」と河野が大きく頷いて加勢する。
「性格も良くて、背高くて、イケメンで爽やかで! なんなのもう! どれだけ惚れさせれば気が済むの?!」
「ほんとだよ! どれか一つでもいいから俺にも分けてくれよ」
「美香子だってそうだよ! あんだけ可愛くて、スタイル良くて、ただでさえモテるのに性格も可愛いとか……ずるいよ!!」
「それに加えしっかり者で、頭も良くて、いつもニコニコしてて……そんなの、好きになるに決まってるじゃん!」
一気に吐き出して呼吸が荒くなる。涙声で渇いた喉にサイダーを流し込んだ。
「……っあー……苦いな!」
「うん……苦いね」
その後、河野と俺は、「苦い、苦い」と言い続け、ゴーヤサイダーがなくなるまで騒いだ。
でも、飲み干したサイダーの後味は、なぜかとても爽やかだった。
衝撃の放課後から一晩が過ぎ、俺はゆっくり登校した。
靴箱を抜け教室へ向かうと、前方に辻さんと河野がいつも通り二人で楽しそうに歩いていた。
笑いながら歩く河野が、ふと後ろを歩く俺に気づいた。いつも通り辻さんに向ける笑顔で、小さくピースされる。こちらも周りに気づかれない程度に小さく手を振った。
「ふーるや! おはよっす」
呼ばれて振り返ると、にっしーが駆け寄ってきた。
「おはよー。早いじゃん。にっしーにしては珍しい」と返すと「だろー?」と笑う。どうやら河野に手を振ったのは見ていなかったらしい。にっしーの性格上、見てたら絶対聞いてくるから間違いない。
「いやぁ、もー、らぶオンの鈴子がかわいくてさー。もうやばいの!」
早速アニメの話である。
「えー。俺は、らぶオンならくーちゃんだな」
「ばっか! お前、眼鏡っ娘の破壊力舐めてるだろ! 眼鏡有りでもかわいいのに、取った時のギャップ萌え!」
興奮気味にそういうと、にっしーはなにか思いついたようで「そうだ」と声を上げた。
「古屋の眼鏡貸して! 俺も眼鏡かけたらイケメンになるかもしれない」
突然の提案に動揺する。が、あまりにもばかばかしくて面白さが勝り吹き出した。
「ならないし! ていうか普通逆でしょ。それに今日は眼鏡持ってきてないし」
「えっ、そうなの? 黒板見えないんじゃなかったっけ?」
もっともな意見に視線をそらす。
「あー、それは、もういいんだよ。大丈夫」
しどろもどろ答える俺の腕をにっしーが掴む。
「あ! やっぱり伊達眼鏡だったんだろ! 好きな子が眼鏡フェチ!」
騒ぐにっしーに「離しておくれよ」と小さく反抗すると「振られたのか! 可哀想な奴め!」とはやし立てる。
「そうじゃない」と言っても全く聞いていないので諦めた。
後ろから「おはよー」と将太が合流する。
「将太! 事件だ! 古屋が振られた!」
「何それ詳しく」
「おい」
まぁ、実際振られたようなもんだけど。
だけど、不思議と悲しいとか、苦しい気持ちはもうなかった。
それは、辻さんの相手が長谷川だったからなのか、それとも、河野と二人で溜まったものを喚き散らしてスッキリしたからなのか。きっと多分、両方だろう。
魔法の眼鏡はもう使わないことにした。もう、俺には必要ない。
「ほっといてくれよー。今日はせっかくにっしーにいいモノあげようと思ってたのにー」
俺が言うと、にっしーが「え? なに?」と騒ぐのをやめた。すかさず、鞄から数分前に買ったばかりのペットボトルを取り出す。鮮やかな緑色の液体が揺れて、にっしーの顔がゆがむ。
「うげ! ゴーヤサイダーじゃねーか! 初めて実物見た……」
ビビるにっしーに「まあまあ」と笑顔で差し出す。
「昨日飲んだけど、結構いけるぜ?」
「まじでか……!!」
恐る恐る蓋を開けるにっしーを将太も興味しんしんで見ている。
数秒後、にっしーの期待以上のリアクションに将太と笑い転げながら、教室のドアを開けた。
おわり
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