炭酸パスポート

東村かんな

サイダー 上

 あぁー。今日も最高にかわいいです。辻さん。そんな笑顔で見つめられたらなんだってできそうですよ。俺は。

 卵焼きを頬張る顔までかわいい! もう、いっそ卵焼きになりたい!

「おい、古屋ふるや

 あれ、なにか焦ってる? ていうかその仕草さえも最高……

「古屋!」

 ハッと現実に呼び戻されて、俺は名残惜しみながら眼鏡を外した。

「最近、古屋ぼーっとしすぎ。聞いてた?」

 隣を見ると、すでに弁当を食べ終えた、にっしーこと西川勇にしかわゆうがあきれ顔でため息をついた。

「ごめん。聞いてなかった」

「だからぁー、昨日のミミルはどうして死ななきゃならなかったのかって話!」

「まったく」とにっしーが大げさにいきどおる。にっしーの横では、高塚将太たかつかしょうたがもぐもぐとコンビニで買ったらしい調理パンを頬張っている。

 そうだ。二人が自分の見ていないアニメの話を始めたから、暇になって眼鏡をかけたんだっけ。

「あー。でも仕方無かったじゃん? かなり前から死亡フラグ立ってたし」

「でも! ミミルが死ななくても地球守れたじゃん! ミミルだけ救われないとか、ありえないじゃん!!」

 にっしーが興奮して共有している俺の机をたたく。机の上に置いた眼鏡が少し動いて、無意識に眼鏡をケースへ片づけながら「そもそも、俺ハルナ派だし」と切り捨てた。

 パンを食べ終えた将太が「俺もハルナ派」とゴミをまとめながら言って、にっしーはさらに声を荒げる。

 昼休み。友達とのアニメ談義。それはそれで楽しいけど。

 そんなことを思いながら、俺は教室の窓際で友達と弁当を食べる一人の後ろ姿を眺めた。

 クラスメートの辻美香子つじみかこ。俺の席から表情は見えず、肩にかかるほのかに茶色い髪が揺れている。

 にっしーのアニメ感想を聞き流しつつ、俺は空になった弁当箱を鞄へ仕舞い込んだ。

「つーかさ、なんで古屋は最近機嫌がいいの? かと思ったらちょっと目を離せばぼーーーーっとしてるし! なに? 彼女でも出来た?」

「は? 出来るわけないじゃん」

 突然、にっしーに言われて内心ドキッとする。

「じゃーあれだ。好きな子が眼鏡フェチ」

「は?」

 あきれ顔でにっしーを見返すと、にっしーはケースに仕舞われた眼鏡を大げさに指差した。

「だって! その眼鏡かけてニヤニヤしてるじゃん! 今まで裸眼だったくせに!」

 ぎくりと動揺する心臓を抑えつつ、「視力が落ちて黒板が見えにくくなったんだよ」と冷静さを装って答える。

 これは、魔法の眼鏡。

 先週の下校中、スーツの男にもらった。道に迷っているところを助けたら、お礼にと言って渡されたものだった。

「これは、他人の見ている景色を映す眼鏡なんだ。ツルの内側に名前を書いてごらん。その人の今見ている世界が見えるよ」

 帰宅した俺は、怪しみながらも冗談半分で名前を書いてみることにした。さて誰の名前を書こうか。と考えて、ふとテレビに目をやると生放送の歌番組が流れていた。今まさにステージで踊っているアイドルの名前を書いて眼鏡を装着。

 すると、目の前には見たこともない景色が広がっていた。

 沸き立つ観客。まぶしいスポットライト。隣で踊る仲間の光る汗。

 まるで自分が舞台の上に立っているような感覚。その華やか過ぎる世界に目眩がして、眼鏡を外した。

 魔法の眼鏡は本物だった。それから俳優、スポーツ選手、お笑い芸人、漫画家など、いろんな職種の有名人の名前を、書いては装着し、満足するまで眼鏡の力を確かめた。

 有名人って、こんな風に見られているのか。

 うっとりする女性。笑顔で呼びかけてくる女の子。好奇のまなざしに耐えきれなくてくらくらする。彼女いない歴イコール年齢の俺には刺激が強すぎて、眼鏡を外す度、突きつけられる強烈な虚無感に襲われた。

 有名人はだめだ。もっと普通の、例えばクラスメートとかどうだろう。

 そうだ、辻さんの名前を書いてみようか。

 気になる子の見ている世界に恐れ多くも興味があった。が、結論から言うと、失敗した。

 辻さんの視界で世界を見る、という事は、辻さん自身の姿はそこに映らないということだ。それこそ、鏡でも見ない限り。

 眼鏡は景色を映し出す為、当然本来の眼鏡の役割は果たさない。結果、眼鏡をかけられるのは帰宅後から就寝までと、教室での授業中、休み時間に限られてしまう。

 辻さんは基本的に親友の河野こうのかおりと行動する。河野はスポーツ万能のポニーテール女子。中学が一緒だったらしく、登下校、教室移動昼休みもいつも二人で話している。

 辻さんの休み時間の世界は、ほとんど河野と背景だけで構成されていた。河野と目が合うたびに、アングルが逆だったらいいのに! とやきもきして、そして気がついた。

 河野の視界なら、辻さんをより近くで見ることが出来るのではないか。

 これが思わぬ大正解。

 常に辻さんが隣にいる感覚。どうやったって見られない景色。

 残念ながら音声は再生されない為、会話の内容はその表情と口の動きで想像する他なかったが、今まで辻さんと一度だって話した事のない俺にとってそんな事はどうでもよかった。

 河野に最大限の感謝をしつつ、辻さんを拝む毎日。そんな日々が一週間続いていた。


 放課後、部活に向かうにっしーと将太に別れを告げ、図書室へ向かう。ここなら本を開いて座っていれば目立たない。読む気のない小説を適当に一冊選び、席について鞄から眼鏡を取り出す。

 レンズの先には、さっきまでいた自分の教室が見えた。まだ、数人の生徒が教室に残っている。

 ん? と俺はその視線の先を追った。

 窓際の席で帰り支度をしている男子生徒。明るくさわやかでクラスの人気者、長谷川諒はせがわりょうがいつもつるんでいる友達の加藤龍かとうりゅうと話している。視線の主は、明らかに長谷川を見ていた。

 と、突然ぐるっと視界が回り、すぐ近くにいたらしい辻さんと目が合う。そしてそのまま一緒に教室を出て歩き始めた。

 隣を歩く辻さんを視聴しながら、俺はその視線の意味を察した。

 ごめん河野。知るつもりはなかったんだ。だが安心してほしい。決して誰にも言わない。その代わり、河野の目、まだもうちょっと利用させていただきます……!

 心の中で河野に小さく懺悔して、俺は辻さんとの疑似下校を堪能した。


 それからも、河野の視界を借りて辻さんを見続けた。

 誰よりも早く登校し、席について寝たふりをしながら二人が登校する様子を眺める。

 休日。二人で出掛ける予定だったらしく、思わぬ形でデートしている気分に浸る。

 昼食を早く済ませ、西川と高塚が二人でアニメ談義を始めたらすぐ眼鏡をかける。すると、ひきつった顔で河野が差し出しているらしいサイダーを拒否している。

 それは校内の自販機で売られているゴーヤサイダーというイロモノ商品で、河野はそれを好んでよく飲んでいるようだった。眼鏡越しで見ているとはいえ同じ教室内。河野が「意外と美味しいのにー」と言っているのがにぎわう声の中で聞こえた。

 辻さんの後ろを長谷川が通ると、河野の視線は一瞬長谷川をとらえ、すぐ辻さんと向き合う。

 なんだか自分を見ている様な気持ちになり、思わず眼鏡を外した。

 まぁ、長谷川かっこいいもんな。背高めだし、顔もイケメンだし。頭もクラスで一番いいし、スポーツ万能のサッカー部。俺が女でも惚れるよ。

 辻さんにも好きな人がいるんだろうか。

 長谷川レベルがタイプだったら絶対勝ち目ないなぁ。俺、オタクだし。

 一緒に机を囲んでいるにっしーと将太は未だアニメの話で盛り上がっている。俺が眼鏡をかけたり外したりするのも気にしていない様子だ。

 河野って辻さんといるからアレだけどかわいいほうだよな。告白すればいいのに。

 あー、でも長谷川だと倍率高そうだなー。つーかすでに彼女いそう。

そんな事を考えていたら昼休み終了のチャイムが鳴った。

「古屋、次体育だぞ」

「今日からサッカーだって」

 にっしーと将太に急かされて、体育着片手に席を立った。

 その日のサッカーで、長谷川は一〇分間で三得点した。それは、体育館でバレーをやっていた女子たちにも見えていたようで、長谷川にきらきらした視線を送る河野を見つけてつい苦笑した。


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