第2話

 嵐の日だ。待ちに待ったこの日に我は聖樹の枝から飛び降りた。


 この雨風だ。気づく者は少なく、たとえ気づいたとしても追うことは難しいだろう。


 こんなひどい天候の中でも我の翼はびくともしない。この数年磨き上げた飛行術と白い両翼に絶対の自信があった。


 見よ、この羽ばたきを。崇めよ、この雄大なる我の姿を!


 聖樹から十分離れたら、一度降りて腹を満たすとしよう。今までのように我慢する必要はないのだから。


 ふむ、記念すべき最初の獲物はあやつで良いか。

 四つ足の土のような毛を持ち、口からは牙を生やした獣。この辺りに生息する種族は鎧猪だったか。

 木陰に隠れて雨風をしのいでいるようだ。

 脆弱だな。雨風ですら、その身を隠さなければならないとはな。

 だが、そのおかげで我の羽ばたく音はかき消され、そして、奴が隠れていた木をへし折り、足で踏みつけた。真っ赤な花が咲く。

 さて、食事の時間だ。


 皮も、骨すらも一片残さずに喰らい尽くす。

なかなかの美味であった。

 少し筋張っているが、この位噛みごたえのある方が我としては好みだ。だが、いかんせん脂っぽいのが難点か。

 まだ、満たされていない腹の思うがままに狩りを行った。

 辺りには血だまりが大きく広がっている。雨にさらされても、すぐには消えない。

 これは全て狩った獲物から流れたものだ。


 さて、腹を満たしたところで移動するとしよう。

 当初の予定通り、人間の村を目指して。


 狩りにおいて、獲物のことを知るのは鉄則である。さすれば、危険は少なくなり、罠とて仕掛けることもできるだろう。

 ゆえに、人間の住処へ行くのは確定事項であった。


 だが、この姿のまま向かえば、異物として排除されるだろう。

 我らは人間の強大さを知ることで、隠れることを学んだ。

 その集大成がこの業。


 ーー人化。


 バキバキと音を立てて、姿が変わっていく。


 ーーグルルゥッ。


 何度経験しても慣れない痛みだ。決して血の流れない痛みがじんわりと全身に回る。


 化ける。


 自己を他の存在に変えることは己の本質を見失いかねない。事実、化けることを多用すると戻れなくなる。

 だからこそ、誇り高くあらねばならない。


 たっぷりと時間を費やし、人化を行う。


「ふむ。やはり、窮屈だな」


 準備は整った。さて、人里へと降りようぞ。


 そこで我は人間の愚かさを知る。


 人間の男が数人の男たちに囲まれ、暴行を受けている。皆下卑た笑みを浮かべ、様々な武器を携えている。

 その前には蹲り、涙を流している者もいるが、他の多くの者は我関せずと言ったように無表情で暴行を受け続ける男を見下ろしている。


 ふむ、単なる仲間割れか? それとも男を殺さねばならないほど飢えているのか? それとも男は許されざる大罪を犯したのか?


 理由は何であれ、人間というのは不思議なものだ。

 なぜ、幼子に男女が自分との血縁を示すようなことを口々にしながらも止めに入らないのか? なぜ、一族の者がその身をもって報いようとしないのか?

 不思議ではあるが、我にも分かることが一つだけある。

 どのような種族であれ、幼子の泣く様は愉快なものでないということは変わらないのだ。


 仕方あるまい。この身体では己の心のままに、本質を大事にせねばならぬ。

 どれ、一つ我がその涙止めてやろうぞ。


「とうちゃん……ど、どうぢゃんっ!」


「あなた、もう止めて私が私が……」


「ば、ばかなことを……言うなっ!」


 罵られ、全身から血を流し続ける男の目は決して死んでいない。まだ諦めていなかった。

 これもまた面白い。これが人間の意志の力か。

 我の力も見せよう。


「そこの幼子よ。そう、お前だ。我に何を望む?」


 幼子の目は赤く腫れていながらも、強い光を放つ。真っ直ぐ我を射抜くと口を開いた。


「とう、ちゃんを助けて……助けてよっ!」


「あい、分かった。では、ちと目を閉じておるが良い。なに、すぐに終わる」


 ここから先は幼子にはちと早い。

 さあ、幕引きだ。

 そうだな、まずは幼子を安心させてやろう。


 蹲る男を蹴り続ける男たちを振り払う。多少力を込めて、退かす。ただそのつもりしかなかったというのに。


 一瞬で男たちは肉片へと変わった。


 ーー脆い。


 あれほどまでに薄い皮と柔らかい肉。これほどまでに脆弱な存在がいたのかと驚かされた。


 なぜ、このような存在に我らが追い込まれているのか? 不思議には思うが今の現実を見るに真実なのだろう。

 やはり、油断ならない。


 背から大太刀を引き抜く。


 これは我の生成武装、【天獅子の大牙】という大太刀である。鋼鉄よりも固い我の牙と爪を変化させ作り上げた一品は折れず、欠けず、そして、斬れ味が決して落ちることのない業物だ。

刀身は黒く、柄は白い。鞘には我が翼が使われており、触り心地が大変良く、軽い。


 薙ぎはらうよう、真横に一振り。


 得物を抜こうとしていた男達をまとめて斬り捨てた。


 返す刀でもう一振り。


 土煙を巻き上げながら、奔るそれはさながら竜巻が迫るようで、それに触れたものを欠片を微塵も残さずに消し去った。

 これで残るは5人。終いだな。


 人へと姿を変えた時のために鍛え上げた剣技、人の業をその身で味わうがいい。


 【落月陸閃】剣技の奥義が猛威を振るう。


 我もこの業を見た時は魅せられ、心が震えたものだ。人というのは月にも届く刃を創りだせるのかと。


 我が闘気が刃を伸長し、天高くそびえる。その刃は我が内なる力に応じて灰色に染まる。

 その場で振り下ろす。


 大地が割れる。刃は六つに割れる。

 闘気は我が意に従い、男達を襲った。


 後にはむせ返るような血の臭いだけが残った。


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