#29 メッセージをするな。お前の魂をぶつけろ。それが条件だ。

「お前最近歌がすごく上手くなったが、何かあったのか?」メンヴィスが僕に問いかけた。しばらく僕は黙った。ちょっと言い辛い事だ。意識するとつらい事だ。

「力が、無くなったんだ。」

「力?」

「いろいろものを感じ取る力が、その・・・」

「ああ。」メンヴィスは笑った。「それは、大人になったってやつだよ。お前がこれから生きる為に必要なことを脳が決意して選択したのさ。」

「そうなんですか・・・。」

「いつだってそうだったじゃないか。」メンヴィスは言った。「お前はアリュヌフ学院に適応しようとして力を失い、抵抗する為に力を身に付けた。そして今、どういうわけか、変化がきたという事だろう。俺にはその意味がわからんが、つまり変化や成長じゃないのかね。まあ、もしが俺がわかってたら俺が犯人だな。いや、違うけど、もし俺が怪しいってお前が思うんなら、どうせ自立できそうだし好きに出て行っていいぞ。」

「そんなことはないです。メンヴィスさんには感謝しています。でもこれでは何も分からなくて・・・怖い。」

「だまされる事を恐れない事も時々は大事だぞ。それと、力を失ったから歌が上手くなったんだから、単に歌に対する集中力が上がったというだけだろ。気にするな。」

 とはいえ、僕は少し落ち込んではいる。力を失う前に聞いたあの言葉が忘れられない。

”サリア・マーク。おまえは死ぬ。”

「元気出せ。それよりもプレゼントだ。」メンヴィスは言った。「次回の俺のライブでお前も出演させる。クレイスン・ザンドレア、俺の弟子だ! 応援してくれ! ってファンに呼びかけるんだ。そうする事でお前にもファンがつく。どうだ?いいだろう?」

 僕はたちまち嬉しくなった。「それは・・・いいんですか!」

「ああ。お前がデビューしたら嬉しいのは、俺だって同じだ。」

「ありがとうございますメンヴィスさん!」

「歌の練習がんばれよ。」メンヴィスさんはニヤリと言った。



 ライブはいつもメンヴィスが使っているライブハウスより大きな会場を使う事になったので、 僕はいつもの方のライブハイスにしまっていた倉庫から機材を運んでいた。なお、メンヴィスは女たらしの性質があり、途中すれ違った美人を見てはすぐに長話をして道草を食ってしまう。その時のメンヴィスは会話に夢中で僕が一緒にいる事を厭わしくも思っている事は知っているので、僕はホッと軽くため息をつきながらだまって一人でハウスに向かって台車で機材を運んでいた。

 機材を運んでいるときに、ふと僕は髭の生えたメガネの男がこちらにやってくるのが見えた。歩き方が妙に落ち着いててちょっと胡散臭い。僕は気づかないフリをして前を行くと、男が突然話しかけてきた。

「君、サリア・マーク?」

 その声はずいぶんと老け込んだ声であった。片手が爛れている。 「そうだろ?サリア・マークだろ?なあ。」

「僕はクレイスンです。」僕は言った。「サリア・マークではありません。」

「ごまかそうたってそうはいかないぞ。」男は言った。「俺はあれから7年間お前を探し続けた・・・。」

 無視。

「覚えているだろう?デリンジ先生、お前の歌を教えたデリンジ先生だ。」

 そういってデリンジは、かつて銃の暴発で怪我をした手を見せる。もちろん僕は無視。

「何を運んでいる?おお、ロックでもやっているのか。そんな下卑たる音楽をやってお前は自分の才能をつぶすのか?」

 僕はすこしドキリとして一瞬立ち止まった。

「こっちに戻ってこい。ここに戻れば君は神にもなれる。思う存分裕福になれる。私たちは君を保障する。」

「あのアリュヌフの民っていうの、まだ続いてたんですか。」僕はデリンジの胸の、もう過去の存在の筈のアリュヌフの神の仮面のバッジを一瞥しながら言った。

「やっぱり知ってるんだろう?」

「うわさに聞いただけです。」

「ごまかすな。お前はまさか俺に対する恩義を忘れたというのか?」

「恩義って何です?お前のような人が僕に何をしたというんです?」僕は思わず大声で言った。

「ハハッハッハ。」髭面のデリンジが笑った。「やっぱりお前はサリア・マークだ。クレイだとかなんとか、偽名を名乗って俗世間に汚れるなんて、それがお前の幸せなのか?お前は間違っている。本当の自分に帰りなさい。」

 僕はチッと舌打ちして言った。「あなたがたが付きまとわなければ、僕は喜んで本当の自分を歩むつもりですがね。」

「そうかそうか、分かったよ。」デリンジは言った。「だがお前は俺を裏切った。その罪さえあがなってくれれば俺はいいんだ。」

「おい、どうしたんだ?」メンヴィスが話しかけてきたので、デリンジは「じゃあな。」と言ってそそくさと去っていった。

「なんだあいつ?」

「ヴィースト・デリンジです。」僕は言った。「どうやらバレてしまった・・・。」

「へえ。あいつが。」メンヴィスは言った。「ちょっとライブの受付の人に、彼は通さないようにってお願いしておくよ。髭面にメガネ・・・と。背丈は 170 センチぐらい、と。」

「ありがとうございます。」

 アリュヌフ学院か、と僕はふと思い出す。そういえば、自分は死んだ後のクルスとまったく話していなかったことに気づいた。クルスはどこに言ったのだろう。まさか、死んだ後僕を見捨てていってしまったのではないか、と不安にもなった。今や力がないから聞こえるはずもない。ネイスンは僕の傍にいて、自分に入ってしまっている。そういえば、メンヴィスの元に着いてから自分は死者の声もほぼ聞こえなかった。思えば、アリュヌフ学院が死屍累々としていたということだ。

 ランチャはすでに学院を卒業しているに違いない。いや、神亡き後に学院が継続されているのかどうかすら怪しい。ただ、久しぶりに会ったあのデリンジがそんなみすぼらしいなりをしてない様子から、経営に問題ない気はする。セリウミャは未だに極秘で栽培されているのだろうか。すると、まだあの邪悪な教団に惑わされている人がいるのだろうか。

 そうであるなら、悪夢はまだ終わっていない、という事を僕は悟った。かのアリュヌフの神は今は亡きナーディア同様に暴力装置として使われていただけで、本当に支配していたのは、薄汚い悟者たちだからだ。しかしあのアリュヌフの神の暴走の時、修道士や神父や校長など学院内の悟者のほとんどが御業を受けて死んだのだから、おそらくデリンジが学院を率いているのだろう。すると、彼の独裁が7年間続いていたという事になる。

 僕は知っている。デリンジが、アルバントから仕入れた情報を基にネイスンを追い詰めた黒幕であると。

 僕は知っている。デリンジが、ネイスンを追い詰め、僕を捕まえる為の囮作戦として用いた事を。

 僕は知っている。デリンジが、神のことなど一切信じちゃいないということを。

 彼は真性の屑である。 その組織の中で最もいてはいけない人間が、生きていて、最も存続してはいけない組織を支配していた。

 自分は何をするべきだったか? いつまでも享楽的な人生を送っている場合か? 力を失った意味は、そこにあったのではないのか?

”サリア・マーク。おまえは死ぬ。”

”おまえが死なないと、世は救われない。”

 最後の声なき声が僕に託したその言葉。

 つまり、自分にはまだ彼らと命がけで戦う覚悟が足りていなかったのではないか?




「おいおいおいおい・・・」メンヴィスは楽譜を見て当惑した。「これ歌うつもり なの?」

「僕に必要な使命です。」

「まあいいけど、うーん。」メンヴィスは考え込んだ。「よし、わかった。その代 わり、メッセージをするな。お前の魂をぶつけろ。俺は音楽にくだらねえイデオロギーを入れるのが大嫌いだ。それが条件だ。」

「当然でしょう!」僕は言った。「僕の魂の中で、一番最初に、浄化しなきゃいけないことだったんです。」

「なるほどな。」メンヴィスはにやりと笑った。「お前の魂、伝わるといいな。」

「はい。」

 メンヴィスは楽譜を返す。


 いよいよ最後の攻撃の始まりだ。

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