#28 「僕もお兄ちゃんにあえてよかった。」

 メンヴィスの元で7年間の新しい生活を営み、僕は21歳になる。思い返せば実に充実した、楽しい7年間であった。少なくともいろいろな意味で過去を捨て去ったのは確かだ。最初は名前である。

「そうか、両親もそっちなのね。アリュヌフの民なのね。」たどり着いた後に自分の顛末を話した時にメンヴィスは頷いた。「君は名前を変える必要があるな。サリア・マークはまああれから失踪した事にして、新しい人間として出直したほうが何かと都合がいいだろう。少なくとも、アリュヌフの民が存続する限り、サリア・マークの名は危険だ。俺だって、この、メンヴィス・ソルトボーンも本名じゃなくて芸名だ。お前も歌いたければ芸名を名乗れ。」

 僕も名前を変える事には同意であった。「あの、ひとつ浮かんだんですけれど。」「おう。何だね。」

「僕の大事な友達、僕の為に死んだ友達の名前を付けたいと思います。感謝と弔いをこめて。クルス・ザンドラとネイスン・チルレア・・・クレイスン・ザンドレア。どうでしょう。」

「いいね、いかつい名前だし、ルーツが本人しか分からないぐらい混じっているし、俺は賛成だぜ。」

「ありがとうございます。」僕はそう言ってメンヴィスをまっすぐ見てみた。そうすれば、多くの人達と同じように、彼の生涯がまっすぐと僕の中に飛び込んでくる。


 メンヴィス・ソルトボーン。本名、カンディア・ソーレル。26歳。

 類まれなるギターの才能があったが、若い頃はその才能をあまり表に出そうとせず、大学を卒業してから雑誌記者の仕事をしていた。アリュヌフの民の情報はその仕事で調査する際に手に入れたようである。ただそれもアリュヌフの民の一員からなんとしてでも入手した極秘情報ばかりであり、アリュヌフ学院自体は公ではほとんど明かされず、秘密の組織と化していた。そしてメンヴィス(カンディア)は、そのアアリュヌフの民の疑惑を雑誌に大きく書こうとした所、編集部の方から却下された。それは編集長がアリュヌフの民だからである。当時メンヴィスは編集長は何て愚かで邪悪な人間だと怒り狂って辞めたのだが、後々、さらに情報収集した上で思い返せば、そのような雑誌を刊行した責任で、あの恐ろしい “御業” を受けるハメになるのは免れないから、仕方のない事だったんだな、と言う形で編集長への恨みは落ち着いていた。

 メンヴィスはやや粗暴な男であったが、人一倍正義と正直さに敏感であったと言える。彼は雑誌記者を辞めてどうしようかと思ったとき、結局彼は覚悟を決めた。アリュヌフの民のような偽りの愛に立ち向かうためにも、自分のこのギターを用いて、愛と真実を歌うシンガーになろう、と決意したのだ。ある時は路上でライヴをし、ある時はさまざまなイべントに参加した。そうして、 徐々に個人活動としての基盤をかためつつある時に、駅の構内でサリア・マーク(現在はクレイスン・ザンドレア)と初めて出会う。自分の人生を変えたアリュヌフの民に操られている子供を見て、不憫に思いつつ、アリュヌフの民への怒りをふたたび思い出す。合唱団の近くにいるのは貴婦人の格好があまりに似合わない大女と、指揮をするメガネの男。メンヴィスが合唱にちょっかいを出したら、大女に注意され、 殴られる。しかし彼は怯むどころかさらに調子にのって歌を歌い始めた。すると人々は自分のほうに集中して、合唱が台無しになった。それはそれは、くう、痛快! と思ったが、それにしても、その時に会った合唱団の少年が今ここでお世話になるとはメンヴィスは思ってもみなかったせいが、クレイスン(サリア)に申し訳ない気持ちをちょっとは抱いているようである。勝手に歌の機会を奪ってすまなかったと。

「クレイスン、おい聞こえているか、クレイスン。」 メンヴィスにそう呼びかけられて僕はハッとする。

「思ったんだが、髪型も変えた方がよさそうだな」

 僕はこくりと頷いた。「はい、この髪型だとすぐにバレそうですしね。」

「よし、じゃあ、早速散髪しにいこう。」

 そして僕は髪を切り、7年間その髪型でいることとなった。今までは首にまで長い髪形だったが、ショートヘアに短くしたのだ。最初は少し慣れなかったが、だんだんと、自分は短い髪の毛なんだ、という事を理解し始める。


 基本的にメンヴィスのライヴの手伝いや歌の特訓に明け暮れる生活であった。まず機材などの基礎知識が必要だと言われ、メンヴィスの狭いライヴ会場で指示通りに機械を設置した。自分はどうやら機械の扱いに弱いらしい。それどころか時々機械が理由もなく壊れてしまうときがあって、修理屋に向かう事も多くあった。

 アリュヌフ学院では機械などほとんど無かったので分からなかったが、自分は電子製品を時々壊してしまう才能があるようだ。要は、クルスから継承し訓練したこの 力は電波、あるいは電波に干渉してしまう事があるらしい。

「知識を積め。」メンヴィスは言っていた。「いいか、音楽は感覚に働きかける、それは本当だが、感覚というのは同時に日々のコンディションに過ぎない。だから確実な知識を積め。なんでもいい。科学でも文学でも好きなものを学べ。俺の書庫にはたくさん本があるぞ。」

 そういわれたので、僕、クレイスンは退屈な時に読書をした。哲学は興味深い文章があったものの、どれも自分の思考のあり方に近いものが無かったので、格言程度に呼んでいた。科学の本を読んだときに、自分の能力について関連性がありそうな興味深い事実を発見した。

(光は電磁波である) (物体は原子でできており、原子に含まれる電子の数で性質が決まる。) 自分のこの力、あるいは意思というのは電気なのかな、とふと夢想する事もあったのである。いや、まだ何も断定はできまい。でも、真実がこうだと言われたときに比べれば、俗世というのは実に夢と驚きに満ちているじゃないか、と僕はそのと きようやく確信したのである。

「はい、お給金。」

 ライヴの後にメンヴィスが僕に封筒を渡した。

「生活は俺が保障する。服でもなでも好きなものを買うんだ。ギターまではまだまだかな? 安いギターは買うなよ。」

そうして僕は人生初の買い物をした。いままで親が買った服と制服しかなかったので、自分で選んで買うのは初めてである。せっかくだし、メンヴィスが普段着ているようなすこしかっこつけてみようと思って派手な服を見てみるが、しかししっくりこない。結局僕は、自分の髪の毛に似たカーキ色の服を選んだ。あまりにシンプルな服すぎて、ダサいかなあと思いながら帰宅する。

「いいじゃないか!クレイスンらしい。」メンヴィスはとても好反応である。「何を気にしているんだ?お前にはお前なりの見せ方があるんだよ。俺の言う事で、違うと思うことがあったら無視していいからな。」

 間違っていたら否定しても良い。そしてそれが全体の否定にならない。この空間をどれだけ切望していたか、とそのとき僕は思ったのだ。

 そして、僕の能力が俗世でそこまで奇異に扱われないことを知ったのは、メンヴィスが街を回る時に出会う人々を見て実感した。本当に様々な人が来るが、アリュヌフの民が呼ぶような、「理解のない」愚か者ばかりではなかった。皆が自分の喜びを求めているが、思いやりのある人もたくさんいたし、中には、僕のように心の読める人もいた。彼らの様子を観察すれば、自分の能力を自慢こそしないが、さりげない気遣いにその力を見せていた。「どうしたの?気分悪いの?」「いや・・・うん。よくわかるね。」「だって友達ですもの。」そんな会話の光景を見て、ああ、この人たちは素敵だな、と僕は思ったものである。



 そうして気楽な7年間が過ぎ、クレイスン・ザンドレアとして生きてから21歳の誕生日を迎える、その前日に、ある奇妙な事が起きた。適当に街を散策していたら、なにやら懐かしい予感がしたのだ。それはかつてあったことのある強烈な何か。とても純粋だった何か。あれはいったいなんなのだろう。その疼きにしたがって僕は歩き出す。まだ見えない。目の前は壁しか見えない。でも見たいものがそこにある。壁を曲がって超えると、6、7歳ごろの銀髪の見知らぬ少年が空を見ながら歩いていた。少年はとたん僕を見つめ、「あ、お兄ちゃんだ!お兄ちゃんに会えた!」といってやってきた。「久しぶり。」

 お兄ちゃん?「僕は、君を見た事ないんだけど。」と僕は困惑した。でもどこかで会った気がする。

「僕も覚えてないよ。」少年はにこっと笑う。「でもきみは、僕のお兄ちゃんだ。」

「覚えていないのにお兄ちゃんってどういうことだい?」

「ねえねえお兄ちゃん。」少年は僕の話を聞かなかった。「僕って、お兄ちゃんの友達に似てる?」

「え?」

「お兄ちゃん願っていたじゃん。僕が自分の友達に似たイイ子になりますようにって。」

 そのときハ、と気づいた。

「君は・・・。」

「やっと分かってくれたんだね。」少年はにこりと笑った。「お兄ちゃんの願いの通り、僕はとてもいい親の下で産まれて幸せに暮らしているよ。」

「・・・よかった。」僕は涙ぐんだ。

「僕もお兄ちゃんにあえてよかった。」少年は言った。「たぶんずっと会えないと思ってたから。」

「え?」

「会えても一度ぐらいだろうなあ、って思ってた。」

「そうなのか。」

「お兄ちゃんはもう僕を見つけられなくなる。」少年は僕にまっすぐ見て言った。「あ、家でやらなきゃいけないこと思い出しちゃっ た。じゃあね。」

少年はそう言ってどこかに走り去ってしまった。


『お兄ちゃんはもう僕を見つけられなくなる。』

 ベッドの天井を見ながら少年の言葉を思い返す。見つけられなくなる、か。どうしてそんなことが、いえるのだろうな、と僕は思った。天井には何か不思議な存在が浮かんでいる。もしかして、彼らと会うのもわずかなのだろうか。切ないにも関わらず、 どこかでそれを認めている自分もいる。


”サリア・マーク。おまえは死ぬ。”

 唐突にその声が聞こえる。

”おまえが死なないと、世は救われない。”

 あ。


 僕はもう目の前が天井しか見えないことに気づいた。

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