#27 僕は、ただの人間だ。
「どういうつもりだ。」僕はいった。目の前には銃で撃たれて死んだナーディア先生。デリンジ先生は今度は僕に銃を向けながら歩き始めた。
「私たちは見誤っていました。」デリンジ先生はダーラス神父だった水溶体を一跳びで乗り越えてそう言い、ごてごてした外套に覆われたアリュヌフの神の死体の傍に寄る。「いや、確かに、悟者として恥ずべき事でした。せっかく悟りに至っていたのに、われわれはまず目を覚ますべきだったんです。これは誤りだったと。」デリンジ先生は僕に銃を向けながら言う。「なぜなら、私たちが神と信じたのは、こんなおぞましい怪物だったのですから!」
そう言って外套を勢い良くひっくり返し、かつてはアリュヌフの神であった生々しい肉塊を露にした。たしかに、サリアが見たとおり、大柄の奇形の人間の亡骸であった。学院生たちは息を飲んだ。
「いい加減気づくべきでした。ええ、はい、」デリンジ先生は言った。「しかし私たちは神が定めた調和を守る為、この欺瞞を守り続けたのです、ですが!」デリンジ先生は僕に銃を向けながら叫んだ。「真の神がここに降臨なさった事が、今、ここで分かりました! ええ、アリュヌフの神よ! 私はあなたに付き従います! 神よ、万歳! 」
学院生たちはわけもわからずサリアを見て、やがて徐々に、そして壮大に歓声が上がる。
(お前は俺の心の声が聞こえるだろう。そして皆の声も。) デリンジ先生が僕を見ながら心で言った。僕が心を読めるのを知ってて語りかけているのだ。(お前は神になった。今、全ての信頼がお前に注がれている。分かるか? )
僕は何も言わずに立っている。
(お前が否定すればこいつらはお前に殺意を抱き、また、路頭に迷うだろう。そんな残酷な事を、お前はできるのか?サリア・マーク。)
(なぜ、あなた方は、) 僕がデリンジ先生の心に語りかけたので、デリンジ先生は驚く。(僕たち子供を精神の中で路頭に一切迷わせまいとするのですか。なぜ全て暴力で統制し、魂の自立のための本当の苦しみを味わせようとしないのですか。)
デリンジは顔を冷たい怒りで歪める。僕は続ける。
(あなた方が逃げたから、ホントウの苦しみから逃げたから、その罪を見ず知らずの子供になすりつけているだけではないのですか。)
(お前に人生の説教など10年早い。)デリンジは言った。学院生の歓声は続き、期待のまなざしで僕を見ている。(重要なのは、今お前が否定するか否かでお前自身の存亡が変わるという事だ。ああ、そうだ。アリュヌフの神だって悪魔に惑わされるに違いない、さっきの、神と言われていた化け物だって見てのとおり、惑わされて、神の資格を失っただろう? だからお前が悪魔に惑わされて否定するのなら、俺がお前の悪魔をこの銃で追い出すのだ。)
(神があなたの都合でころころと変わるんですね。)
(ガキンチョだな。サリア。俺の信念は、あの俺の作った歌に書いてある。ちょうど貴様が聖歌隊試験で失敗した箇所だ。・・・♪聖なる神は敗北を知らず、時の移り変わりと共にいる、変化の時こそ傍にいる・・・神とは常に流動し、われわれの傍にいてくださるのだ。)
(それでは、その変化の流れを知る事のできるあなたこそが神じゃないですか。)
(俺が神だと?)「ハハッハッハ。」デリンジは笑い出した。(違う。俺は神に導く指導者だ。)
(ですから、それでは実際に動かしているのはあなたじゃないですか。神の意思などまるで無い。)
(お前はまだ子供だから教養が無い。神というのは元来祭り上げられるものだ。我々で分かち合う事でようやく存在を確信した気でいられるのが、神だ。)
(あなたが、そう思うのならば、そうなのでしょうね。デリンジ神さま。)僕は言った。(しかし、僕は、声なき声に導かれていて、それに従っています。)
(やはり狂っているか。)
(僕が狂っていたとしても、本質は同じ事です。少なくとも最も良き物を求め続ければ、全ては良き方向に働くはずです。掛け算と同じですよ。答えが分からなくても、何事も愛で掛ければ、愛は常に物事の因数となってくれるはずです。)
(やはり狂ってしまったな。)
やれやれと思い僕は両手を挙げ、学院生を黙らせた。「僕は・・・」音の言葉が灰の舞い散る校庭 に鳴り響く。「僕は、ただの人間だ。」
当然みんなが唖然として青ざめるのが伝った。
「僕が、このように、人間らしくない事をしてしまうのは、ここが異常だからだ。」デリンジ先生が次第に殺意を強めていく。「だから僕はここを出て行く。お前たちが憎む俗世間の空気を吸いにいく。真実をこの目で確かめていく。」
「やはり貴様は悪魔に取り付かれているな!」デリンジが叫んだ。「この悪魔め!」
学院生たちが何かと混乱しながら、やがで徐々に「悪魔め!悪魔め!悪魔め!」と連呼し始めた。なんだ、初めから気づくべきであった。ここはアリュヌフの神の力をダシにして、悟者と自称する者に従わせる権力機構にすぎないとい う事を。いや、初めから思った通りだった。実際言葉の説得には意味がなく、アリュヌフの神を殺す以外に良い策がなかった、という事を。僕は一気にデリンジに向かって走った。銃声。しかしそれは肩を一瞬すかしただけで、木の壁に命中する。デリンジが弾を急いで込めて、再び構えた時に僕はデリンジに飛び掛り、彼の握る銃を僕も握り、銃の中身を変えてしまった。そして僕は引き返し、怒号の飛び交う壁の上を走りながら、門に向かう。デリンジ先生は撃とうとしたが爆発音と共に銃は弾け、「アツっ!」と叫んで手を振った。校舎を駆け抜けながら、学院の門にたどり着く。門は閉まっていたが、傍の小さな扉が開いていた。デリンジも追いついて叫ぶ。「マルデナ! その扉を閉めろ!」扉の近くにマルデナがいた。マルデナはこくりと頷いた。え、マルデナさん。僕は急いで、その扉を抜けた。すると、マルデナは扉を閉じて鍵を閉めた。「違う! あいつを止めろという意味で言ったんだ! 遅すぎる!」とデリンジ先生が叫び、「ごめんなさい、タイミングがよくわからなくて・・・」とマルデナが白々しく謝った。僕はマルデナにふたたび感謝しながらそのまま森の中に駆け抜けた。デリンジ先生が門を出た頃には完全に見失ったのが、見えた。
さて、これから、どうしよう、と僕は思った。まず、山を下る時に学院の制服の格好で現れたらまずい気がした。ふもとの街ではアリュヌフの民は嫌われ者だからだ。僕はフードを引きちぎり、制服に刺繍されたエンブレムの糸を抜き取り、服を一旦脱いで土に塗れさせた。ここまでいけばさすがに学院生に見えないか、それかもしばれても、学院から命からがら逃げた子供とみなされるか、どちらかに見えるだろうと思った。事実、そうである。僕は髪の毛も体にも土をかけた。 汚くて臭いが、仕方ない。
もう学院の思い出は思い出そうにも光景が浮かばなかった。何が起きたかはもちろん言葉としては覚えているが、実感として、今の自分がまったく無の存在になった事を思い知った。ああ、無である事がどんなにか心地よいか。自分を導こうと押し固めた存在が消えた事がいかにうれしい事か。こんな事は親にもアリュヌフの民にも絶対言えないが、しかし真実だったので ある。
親の元に帰らない事にした。どうせ、未だにデリンジは僕に対して神だの悪魔だの解釈を変え続けているであろう。親はすでにずぶずぶのアリュヌフの民であり、生物として守るべき大切な感性を完全に失い、誰かが与えた言葉のみで動いている事は僕が一番心得ていた。だから、ろくなことになるまい。
ひとつ言えるのは、強大な神の力をもつ存在がいなくなったので、アリュヌフの民が以前よりも弱い勢力になるであろう、という事であった。そして出資者の一人の息子であるアルバント・キンベルクが理不尽に殺された事で今頃デリンジは火消しに必死であろう事は予測された。アリュヌフ学院は今のところセリウミャの栽培と民への支配だけがあり、新たにアリュヌフの神のような存在を作り出すのはきわめてリスキーかつ、金のいる事であった。そうなると彼ら組織が現実的に取れる選択はただ一つ、神を精神的存在にし、ただ言葉によってのみ組織で分かち合う事であった。
というか、人の心配をしている場合ではない。今最も路頭をさまよっているのは自分である。なんとしてでも生き延びる場所を見つけなければならなかった。僕は永い間山を下っていく。空腹は感じなかった。渇きもなかった。ただ、この道を行くしかない、という気持ちしかなかった。そこに道は作られていなかった。無節操に草が生い茂っていた。だが、 進むべき方向だけが明らかだった。どこにたどり着くのか分からない。だが僕はまっすぐと道を行く。森が、抜ける。そこに一軒家がある。庭先でギターを持っている男が適当に弾きながら歌っていた。その顔には見覚えがあった。向こうもボロボロの自分を見て近づいてきて言った。
「これはこれは、駅でいつぞや歌っていたアリュヌフの民ご一行のお一人じゃあり ませんか。」メンヴィス・ソルトボーンであった。もうばれてしまったらしい。
「いいえ・・・」僕は言った。「僕はもうアリュヌフの民ではありません・・・」 「おや、よくぞあんな場所から出て行けたな。」
「神を、殺したので。」
「何だって?!」メンヴィスはひどく驚いた。「お前、よくやったなあ!まあ、おいでよ。話し聞きたい。ていうかまずシャワー浴びろ。汚え。」
メンヴィスにそう言われて僕は家の中に入り、シャワーを浴びた。
メンヴィスは、あんなに人を突き動かす程の力がありながら、ごく普通の青年男児という印象であり驚いた。シャワーを浴びた後、小汚いメンヴィスの部屋の椅子に座り、「腹が減ってるだろう?」と言って冷凍食品をレンジに入れていた。
「それで?どうやってアリュヌフの神を退治したんだ?」
退治したというか、神自身が望まれた事だけど、と思いつつ僕はこれまでの話を始めよう、としたのだが、その前に確認しなきゃいけない事があることを思い出した。
「メンヴィスさん。」僕は言った。「これから、奇妙な話をします。それで、ひとつ打ち明けなければいけない事があるんです。」
「ほう、何だい?」
「その・・・」僕は率直に言おうと思った。「僕は人の心が読めます。そして人の心に話しかける事もできます。傷をすぐ癒したりもできます。つまり、ちょっとありえない事ができるんです。」
「なあんだ、そんな事か。」メンヴィスは笑った。「確かに君はミラクルだが、ある意味そんなおびえるほど特殊な事でもないよ。世の成功者はそのちょっとした能力の綻びを上手に使って社会に運用している。俺が関わった事のあるプロデューサーなんか一目見るだけで人が分かるんだってさ。そんなことはざらにある。かわいそうに君は、クソ真面目なやつらと頭のおかしいやつらに囲まれて育って真実とかガンガンに叩き込まれたのを歯向かってばかりいたせいで、自分ばかり特別だと思ってるんだな、よし、俺が面白いやつに会わせてやろう。」
僕は驚いた。俗世とは、そのような場所だったのか。
「どうせ住む場所にも困っているんだろう?ここに住め。そして手に職を見つけろ。」
「あの・・・」僕は言った。「僕、ふたたび歌を始めたいんです。」
「ほう?」メンヴィスは僕をじっと見た。「たしかに良い声をしているな。だが、歌というのは誰もがもっている魂の叫びだ。魂の叫びを人に届けねばなるまい。そのためにまず、お前に必要なのは人の役に立つことだ。歌の指導はするが、お前を壇上に立たせるのはまだ途方も無い時間がかかる。」
ちょっと不服だったが、しかし頑張ろう、と僕は思った。そして歌を再び歌い始めたい、と思った時、僕は声を取り戻した時にクルスが言ったことばを思い出した。
「いい声じゃない。かっこいいよ。」
「鍛えればいい歌が歌えるとおもうわ。まあアリュヌフの神の望む声じゃないけどね。」
・・・神の望む声じゃない歌。クルスは、最後まで僕に道を示してくれた。
「おう?どうした?」
しばらく黙っていたらしい。僕はでも、メンヴィスにこの気持ちを伝えたくなった。
「いや、なんだか感謝しているんです。僕がすごいんじゃない、というのはその通りというか、優しい人たちに導かれていったというか・・・」
メンヴィスはにこりと笑って言った。
「またアリュヌフのこと訊くのは今度にするわ。今はゆっくり休んで、気持ちを整理しな。」
僕はゆっくりと頷いて、ソファに寝込んだ。新しい生活への、最初の眠りであった。
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