#25 嘲りの言葉と、そして人生。

 大審判までの一週間、様々な人が監禁室に入り、檻の向こうの僕を嘲りに来た。その時に気づいた事だが、僕はもう、その人を見るだけでかつてどんな人生を歩んだのかが見えるようになってしまった。したがって彼らの嘲りなど全く心に響かなかった。むしろそうやって嘲らずには自分を保てない、彼らのさもしい人生に悲しみを覚える程である。嘲りの言葉と、そして人生。




「本当に、幻滅した。さようなら。」


 ランチャ・マルカナ。現在14歳。彼女は親がお金持ちで、しかしアリュヌフの民ではなかったが、子供の自主性を尊重するつもりで徹底した放任を行った結果、アリス・マクガナータの勧誘を受けてアリュヌフの民になった。アリュヌフの神の教えに従えば自分に相応しい王子様を見つけ出すに相違ない、と信じていたランチャは美しい歌を歌うサリア・マークに目をつけた。だが、アリュヌフの教えを知るにつれ、必ずしも自分の望んだ人と結ばれるわけではない事を知ったランチャは、もともと目指していた悟者試験の勉強に さらに励むこととなった。そのために、彼女はアルバントの指導をうけていたのである。

 ネイスンとは似たような感情を抱いている事をおそらく彼女は本能的に察していたが、ネイスンが同性愛であるという結論までは彼女は至っていなかったようである。しかし、それにしてもサリアを独り占めしようとし、何かとランチャがサリアに絡む時も傍にいたので鬱陶しく感じた。しかし、聖歌隊試験前日にネイスンよりも強力なライバルがいた事にランチャは気づく。アルバントが狙っていたクルスだ。ランチャは自分がサリアと結ばれ、アルバントがクルスと結ばれれば調和するはずなのに、一体どうしてアリュヌフの神はこんなややこしい運命にしたのだろうと疑問を抱いた。

 そしてその疑問の神からの回答は残酷なものであった。聖歌隊試験でサリアが突如変な声を出し、声を奪われた。無様な失態に神が手を下されたものに対してランチャは畏れを感じて避けた。この瞬間ランチャにとってサリアが格下となった。ランチャ自身が最もその事に驚いたし、また、サリアに憧れを抱いた思い出が穢された哀しみがあった。否、どこかでサリアの境遇を可哀想と思うべきなのに、そう考えるよりもまず、サリアが惨めで哀れな存在であるという見下しをするのを避ける事ができなかった。

 ランチャは結局それからアルバントの指導は受け続けるものの、悟者試験への意欲が一気に削がれてしまったのはいう間でもない。彼女はアルバントの取り巻きにまではなろうとしなかった。自分は定められた結婚に落ち着けばいいや、という諦めがそこにあった。だから、秋の学期の初めに学院内をうろつくサリアが許せなかった。こんな諦めの人生を導いた、サリア。そして、その2ヵ月半後に、サリアがケレボルンを呪い殺した事件を聞いて、 ランチャにとってサリアは完全な汚点として思い出に残り続けていたのである。





「お前がいなくなってから僕は幸せだ! ありがとう! サリア!」


 リンドン・ロンパディオ。現在14歳。両親はアリュヌフの民である。彼の被虐趣味は、もともと父がそういう資質があったのと、母がひどく体罰をする家庭環境からあまりにも強固なものとなってしまった。彼は極度のマザコンであり、自分が悪さをする度に叩かれる事をもはや快感に感じていた。自分を殴って見たこともあるが、全くそれは面白く無い。要するに、理不尽に大きな刺激に出あう事が肝心だった。

 だから入学式でサリアに鞭打つナーディア先生に一目惚れした。皆が気持ち悪がるナーディア先生の、理解者となるのはこの僕だ、という確信があった。だから、ドーファがサリアにナーディア先生に好かれるだのヤられるだの悪口を言う事には激しい怒りを秘めていたのである。もちろんその悪口を止めたのはランチャだが。

 リンドンはナーディア先生に叱られる為に沢山の悪さを働いた。しかし根が小心であったため、鉛筆を盗むとか、校庭に落書きをするとかその程度の悪事しか彼はできず、ただクラブ・ランドサンが顔をしかめて書き取りさせるだけであった。勿論クラブは自分の担当分の生徒の悪事を明るみに出したくなかったのである。おまけにリンドンは美少年とは言いがたかったため、ナーディア先生になかなか目をつけられなかった。コサージュ作りの時に欲求が満足できずに教室から出て行った時、 始めてリンドンはナーディア先生に鞭を打たれた。初めてピシッとお尻を叩かれた時、リンドンは身震いする程の快感に背筋から酔いしれた。その潤んだ瞳でナーディア先生と見つめあった時、今確かに、『周期が合った』かのような不思議な予感がした。

 そして憎きサリアがアリュヌフの民を外れ、ランドサン教父が降板となった時、リンドンは果敢にナーディアの前で悪事を働くようになった。新しい教父はランドサンほど口が上手くなく、たとえ教父が弁護しようともナーディアの鞭打ちを免れ る事はできなかった。そして何度もリンドンがナーディアの鞭を受ける内に二人の間で絆が生まれた。もはや、口実さえあれば二人は何度だって懲罰室で愛の遊戯を重ねていた。おかげでデリンジ先生は、教官室に現れるリンドンを見る度に顔をしかめていたものである。





「神が望めばお前を死ぬまで鞭で打てたものを。」


 ポゴレフチア・ナーディア。現在38歳。アリュヌフの民になる前の、造花が得意でその仕事をしていた若い彼女は、ある悩みがあった。それは人をあざけったり暴力をふるう時に陶酔感をえてしまう事。それは一般社会的には悪い事とされたので彼女は一生懸命その嗜虐衝動を我慢していた。だがどうしてもふとした折にでてしまうらしく、時々ひどく人を批判したり、酔った勢いで叩いたりしてしまう。それを重ねるうちに職場での居場所を順調に失っていき、ナーディアは孤独となっていた。

 そこに出会ったのがアリュヌフの民であったかつての幼馴染。アリュヌフ学院に行けない者には街のあちらこちらに設置されている集会場で礼拝を行っていた。そこの教父にナーディアは自分の悩みを打ち明けた。自分は嗜虐衝動があまりにひどい、と。すると教父は驚いた顔をして、それは神が与えた神秘であり、攻撃の衝動は悪魔を追い払う際に有益なのだと説明され、そのときナーディアは初めてそこに解放があることを知った。アリュヌフの民になれば、自分を苦しめるものだと思った嗜虐 性が神に用いられるのだと、そう知った時、ナーディアは悟者試験に励み始めた。 そして先生になり、ひどい体罰をする先生として名物教師と成り果てた。ある者は ひどく恨み、ある者は感謝していた。

 ナーディアの、サリアにも説明した、特に美少年美少女に嗜虐の神秘を感じる理由について神がどんな課題を与えたのかは、結局未だに明かされぬまま、リンドンと愛の遊戯に耽る次第となった。それが破滅的な関係であろうとも、もはや彼女はどうでもよかった。リンドン以外に彼女に言い寄った男性はいなかった。





「クルスの事で借りがあるので、特にお前に恨みは持たない事にしたが、しかし然るべき手続きは取らせてもらう。許せ。」

 アルバント・キンベルク。18歳。彼の両親はアリュヌフ学院並びにその前身であるギムマルグ社の大きなパトロンの一人となる金持ちである。ギムマルグ社が滅んだ時もその後レミーノ・オルシオが作り上げたアリュヌフ学院に投資し続けた家柄であり、その家系の中で生まれた。彼は親から完璧なアリュヌフの民であるよう言い聞 かせられ、幼い頃から教典を暗記させられた。彼の家柄だけが知る、アリュヌフの民の思想信条の根本的な部分まで学んだ。お前は特別な子なのだと、何度も何度も言い聞かせられたが、アルバント自身は自分はただの凡庸な人間に過ぎないという自覚をどこかで持っていて、親のそのような買いかぶりに苛苛する時もあった。

 そして入学した時に、女の癖に男の格好をし続けるクルスに一目惚れしてしまった。アルバントは意外と純情であった。否、異常な程に執念深かった。アルバントは、自分が本来は凡庸な人間で知識でどうにか箔を付けているという事を自覚しているが故に、無知な者への嘲りがひどかった。それによって彼は同級生からの反発がひどく、その代わり、立場の異なる上級生と下級生とは、情報を共有する仲である事もあって仲がよかった。

 クルスへの激しい恋慕にアルバントは苦しみながら、やがてクルスが無法者でありながら神に許された事を聞いて、ひとつの悟りを得た。自分は悟者たる知識を持つ人間である。なぜ自分はクルスに対し激しい愛を持つか。愛を作り出したのは神であり、神はクルスを許した。つまり、神が自分にクルスを通して何か課題を与えられているのだと気づいた。クルスは明らかに異常な無法者である。すなわち無法者の彼女を律する事が、悟者の資格を持つであろう自分への課題なのだとアルバントは気づいたのだ。

 クルスは無法者の割に様々な人とフレンドリーに接する才能があった。そのため、自分の同級生の男子生徒が話しかける度にアルバントは嫉妬の炎に苛まされた。男子どころではない、女子生徒でさえ、友達という事さえ、アルバントは許せなかった。だがそれを言う事はさすがにできなかった。その代わり、八つ当たりとして無知な者を嘲る傲慢さばかりが加速していった。

 一度クルスに気持ちを打ち明けた事がある。だがクルスからは「ごめん、その気持ちにこたえる事はできないわ」とはっきりと断られた。アルバントはしかし、これは神に与えられたタスクなのだと信じてあきらめる事は無かった。

 だが、5年生の頃、クルスとサリアが話すのを見て、しかも、あのクルスが他の誰よりも親しげに話すのを見て、今度こそ嫉妬の炎が爆発した。クルスがサリアに靡きそうだったので、サリアを何としてでもつぶさなければならないと決意しサリアにクルスに近づくなと脅した。彼にはすでにケレボルン・マインタッカーが味方にいて、ネイスンの同性愛は調査済みであり、脅しは完璧であると確信していた。

 しかしそれがどうやらクルスにばれて、一発強く彼女から頬を殴られ、サリアにちょっかいだしたらアンタの事大嫌いになるからね、と逆に脅されてしまった。こうしてアルバントは引き下がらざるを得なかったが、あきらめる事はなかった。自分が悟者になりさえすれば、すべてはうまくいく。そして偶然にも、神が自らサリアを民から外された。このチャンスを機にアルバントは自分のクルスへの想いをいっそう強めるのである。そして下級生と上級生の中で取り巻きを強めていく。彼は愚かな保守派たるナーディアよりも純粋に知的でありインテリジェンスな革新を好むデリンジの下についていた。

 しかし残念ながら、自分が最も信頼していたケレボルンが誤ってクルスを撃ち殺してしまった。もはや自分の目標であり神の使命と信じていたクルスが死んだ事で、アルバントはこれ以上先の目的を見失っていた。あるのはただ保守のみ。アリュヌフ学院という空間をいかに守るか、という事にしか関心が無かった。





「歌手のくせに、声を大事にしなかったからここまで陥ったのだろう?」


 ヴィースト・デリンジ。32歳。彼は元は売れない作曲家だった。非常に書くのに癖があり、出来上がった旋律は曲がりくねった歌いづらいものであり、どれもあまり好まれなかった。 そうして人生に病んだデリンジはアリュヌフの民たちに出会う。アリュヌフの神が歌を好む。しかもアリュヌフの民たちの中で作曲家というのはさほどいなかったようであり、ごく単純なメロディの聖歌しかない。自分ならばたくさんの聖歌を作り上げる事ができると申し出たとき、そこから彼の人生は始まった。

 特に彼が自分の作品で気に入ってたのは聖歌223番『聖なる神にこそ勝利がある』であった。

聖なる神にこそ勝利がある

神は私を助けたもう

神が私を見守る事で

私の心は強くなる

私は神を信じるが故に

アリュヌフの民の中にいる

私は神に愛されるが故に

アリュヌフの民で生かされる

聖なる神は敗北を知らず

時の移り変わりと共にいる

変化の時こそ傍にいる

変化の時こそ傍にいる


 しかしこの歌はデリンジの欠点である無骨さを露骨に表した歌でもあった。その上非常に歌いにくい音域で高低が激しかった。実際問題これがサリアが声変わりでうまく対応できなかった要因のひとつとさえ言える。

 しかしデリンジは当初サリアにかなり賭けていた。容姿端麗であり、美しい声を持つサリアならば、きっとアリュヌフの民にも注目されるし、思想信条関係なく合唱団として公に招致されるかもしれない。そこで自分の歌を歌わせれば作曲家としての自分も認知される。その計算があって課外授業を目論んでいたが、メンヴィス・ソルトボーンと名乗る謎の若者がその場をすべて奪い去ってしまった。

 そればかりか、サリアはひどい失敗をして声を奪われた。以後デリンジにとって サリアは許されない汚点となったのだ。それからまもなくして、アルバントが話しかけてきた。自分は今年悟者試験に何としてでも通る、そして、そうしたら生徒代表となってわれわれで徒党を組む、その為の顧問として、大人の意見を欲しい、と来た。こうしてデリンジはアルバントの組織の中で、具体的な作戦などをいくつか提案する立場となった。ネイスンを囮にしようと考えたのはアルバントではなく、デリンジだった、ということである。

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