#24 僕にはまだまだ、成長の余地があったのだ。

 自分が愛していた人が目の前で殺された事で、ひどく取り乱してしまうのではないかと言う一瞬の不安が過ぎったが、妙に冷静である事に自分自身驚いていた。いや、これは冷静とは違う。確かに頭は冷たいが怒りが篭っている。全ては一つの方向に論理が進んでいる。ケレボルンを、ケレボルンを。

「おい。何だよ、」ケレボルンがあせった声を出した。「私はアルバントの花嫁を殺すつもりじゃありませんでした。でも悪魔に取り付かれていたのか、クルス先輩は君を守ってしまった。つまり君のせいです。反省しなさい。」

 僕はケレボルンを見つめる。ケレボルンは銃を構える。

「言う事を訊かないと君を再び銃で殺しますよ。そうするとクルス先輩は犬死ですよ。そうか、君はクルス先輩を犬死にさせるような奴なんだ。先輩を大事にしないんだな。アルバントの方がやはり相応しい。君みたいな邪悪な人間が殺人などしたら一大事です。」

「お前の心臓を止めるつもりはない。」僕は言った。「ただ、その力を抜き取るだけだ。」

「そんな事できるわけが」と言うケレボルンの脳内に僕は幾度となく解析した。ケレボルンが僕の中を見ようとする全ての回路に棘を打ち込み、ケレボルンの意識すべてに痛みを与えた。

「ううっ!やめろ!」ケレボルンが頭を抑えて叫び始めた。

「僕は君の力を抜き取る」僕は言った。「そしてそれを自分のものにする。」取り 巻きたちがケレボルンの背後から現れ僕を押さえに向かった。ケレボルンは「うべべべべべ、うべべべべ」と黒い物を吐き散らかし、「ケレボルン...」と言いながら吐瀉物に顔を突っ込んで倒れた。彼は脳が破壊されて死んだようである。能力者にとって能力はアイデンティティであり、それを失うと死ぬ、ということか。そして気がついたら僕は取り巻きに押さえられていた。

「やっと着いた。」戸口の外からアルバントの声が聞こえた。そして彼は現れ、ケレボルンの惨い死体を見て顔をしかめ、「サリアがやったのか?」と取り巻きに訊くと取り巻きは頷き、「あいつがケレボルンの力を抜き取る、とか言ったら、いきなり黒いものを吐き散らかしてこんな様です」と説明した。アルバントは僕を見て言った。

「今度こそ私は君が人間とは思えなくなったよ。この悪魔め。これは大審判だな。」

 大審判。それは一体、と思ったときである。「おい。」アルバントが突如震える声で言った。「サリアの前に倒れているのは・・・」

「クルスです。クルス・ザンドラ。」取り巻きも震える声で答えた。「ケレボルンが、サリアを殺そうとして、クルスが、サリアを庇って死にました。」

 アルバントの顔がひどく引きつり、その鋭い悲しみの感情に僕は非常に心痛く感じた。これ以上彼と共感したら、僕までひどく泣きそうになる。アルバントは冷たい怒りの表情で僕を見る。 「おい。サリア、貴様・・・」アルバントは言った。「たとえ貴様が悪魔といえども、」・・・僕はアルバントにこっぴどく理不尽な言葉を言われる事を覚悟した・・・ 「ケレボルンのゴミ野郎を代わりに始末してくれた事だけは感謝しておこう。」

 意外な発言に僕は驚いた。

「こいつはこれだけの事をした。当然の報いだ。」アルバントは言った。「だが、しかし、これは、お前がもう人間としての資格を完全に失っている事の証明でもある。残念だが、それとこれとは別だ。お前ら、監禁室にもう一度運べ。」

 アルバントはそう言ってフラフラとギムマルグ社支社を出て行った。僕は取り巻きたちに外に連れ出された。しばらくして木々の中から、アルバントが激しく泣き叫ぶ声が聞こえた。ああ、僕も泣き叫びたいぐらいだ。とてもとても、悲しい。しかしアルバントと同調するのも、癪だ。複雑だ。そして灰の降る学院へと近づいていく。



 再び監禁室に乱暴に放り出される。大審判が何なのかわからないが、今度こそ、アリュヌフの神とご対面するのだな、 と僕は覚悟した。いったい、神と呼ばれるそれが何者なのか、僕には分からない。記憶を思い起こせば、聖歌隊審査の頃、力を完全に封じていた頃の僕ですら恐怖を感じるほどの雰囲気を放っていた。また、あらゆる御業を成す事実証明があった。入学はじめの礼拝で、香壇を覗いたデューリッヒを空中に浮かべながら捻り殺した。 極めて凶暴で、極めて邪悪であった。見た目と言えば、神殿の前の彫像しか分からない。一つの目、歯を見せて笑った口、5本の腕。でもアリュヌフの民でその姿を見た者はいない。全てが謎に包まれていた。アリュヌフの神は、神を信じないクルスを何故か愛し、彼女を許した。その理由を聞く前にクルスは死んでしまった。クルス・・・。心の中の空洞。クルスはかつてここにいた。僕が死ねば、この空洞は埋まったまま幸せだったのに。でもクルスは僕は死んでいけないと、真剣に願っていた。僕はまだ生きるべき、らしい。でも・・・でも・・・。

 監禁室の部屋の扉が開いて、アルバントが現れる。

「大審判については、お前も知らない事であろう。ケレボルンをぶち殺した御礼に中身だけでも伝えてやろう。」

 僕は黙った。

「大審判は校庭で行われる。我々が祭壇を組み、アリュヌフの神自らが皆の前に姿を現し、お前の命を吸い取る。」

 やっぱりか。

「不協和音そのものたるお前を神が自らを犠牲にして調和に戻すのだ。お前にと っては不本意であろうが、世界の為だ。分かったな。」

 そう言ってアルバントは去っていく。




 僕は暗い檻の中で声なき声に耳を澄ました。アリュヌフの民の中の多くの亡者が僕に囁きかけた。励ましでも何もない。ただひたすら恨み言、あるいは信仰への固執、あるいは嘆きが聴こえてくる。この世界を、終わらせてやらねばならない。その気持ちだけがもはや僕の中で保ち続けていた。こんな残酷な世界を、許してはならない。

「サリア?」

 檻の暗がりで声が聞こえた。僕はハッとした。

「ネイスン?」

「サリア、やっぱりここに来てくれた。」

「ネイスン、どこにいるんだ、ネイスン。」

「ぼくは。」その声は言った。「君の心の中だよ。)

 無言。

(逃げちゃったこと、気にしなくていいんだよ。) ネイスンの声は言った。(あれは仕方がなかった。)

「ごめん。」僕は言った。「君の事、うまく思いやることができなかった。」

(いいんだよ。僕も愚かだった。)ネイスンの声。(あのね、サリア。僕はどこにもいくつもりはない。君の傍にいたいんだ。だから、君になりたい。)

「ネイスン・・・それは・・・・」その後を言うかいわないかの内に、僕の胸にネイスンの意識が舞い降りた。高密度に濃縮された、ネイスンの人生の全ての情報、系列、繋がりが僕の意識の中に侵入した。



 ネイスン・チルレア。享年14歳。

 彼は母親が途中からアリュヌフの民になり、ネイスンが5歳の内に父親もアリュヌフの民になった。ネイスンが性的な違和に気づいたのは丁度その頃で、どうも女の子より男の子の方が気になっていたし、近所の子とケンカのようにじゃれあってる時になんともいえぬ高揚感を感じていたのである。それが忘れようにも、忘れようにも、どうしても忘れられないネイスンは、子供らしい無邪気な好奇心から、ある日近所の子と『秘密の遊び』をし始めた。それは上半身裸になってお互いに触りあうというものであった。偶然か、その近所の子もネイスンと同じ愛を持っていた。次第に普通の遊びよりも『秘密の遊び』の時間が長くなり、あまり外で見かけない事を不安に思った母親がネイスンを探した。そして、ネイスンの『秘密の遊び』を目撃する。母親は激怒する。

 そしてネイスンはアリュヌフ学院に入る。学院に入る前に親はネイスンの同性愛を 治すよう強く言って効かせた。ネイスンは良く分からなかったが、きっと親の言う ことは正しいに違いないと思ったのでそれを信じようとした。

 しかしサリア・マークが登場する。サリア・マークは実に異様な雰囲気を放っており、ネイスンの心は彼に惹きつけられてしまったのだ。そしてその歌声を聴いたとき、ネイスンは激しい恋に落ちた。いけない事と知りながら、しかし背徳感がさらに欲望を加速させた。途中で現れたランチャ・マルカナという虫をいまいましく思った。歌の指導の時、サリアに触られたネイスンは快感の迸る自らの脳の暴走を抑える事ができず、サリアに接吻をする。そして、サリアが、近所の子のようではない事を知り、また初めての友に恐ろしい事をしでかした事を悟る。だがそれを素直に認める事も苦痛であり、最初はサリアを悪魔扱いする。そしてサリアから一発叩かれ、叱責される。その時の励ましをネイスンは一生忘れる事が無かった。

『君の、その、罪だって、賜物に変わる時があるんじゃないかな。』

 ネイスンはサリアに対する激しい情念を、これを、愛にせねばならない、という使命に目覚めた。サリアのためなら何でもする。サリア自身の恋だって応援しよう、それが本心では傷つかないかと言うと嘘ではないが、おそらくそこを乗り越えれば自分は悟りに至れるに違いない、とネイスンは思った。こうしてネイスンはサリアの大親友となったのだ。サリアは聖歌隊を目指していた。デリンジ先生から、聖歌隊候補生として自分が選ばれた時も、サリアの事を支える歌声になろう、とネイスンは思ったのだ。

 皮肉にもその支える心が、聖歌隊に選ばれる原因となった。

 最初、声を奪われたサリアが、自殺の影すら漂うのを見て、頭痛のするほどに悩んだ。自分ではサリアの深い悲しみを助け出す事ができず、校庭でクルスを見つけた時に、ネイスンはクルスに頼み込んだ。サリアが死ぬかもしれない、どうか励ましてくれ、と。

 ネイスンはサリアが声を取り戻すためなら何でもしよう、と図書館に通いこみ、さまざまな本を読んだ。しかし、特別寮ができる前の御業を受けた者の消息を書いた文書は一切無く、またそれ以降も誰も救われた記事などなかった。 丁度その時、アルバントが声を書けてきた。サリアと同様、肩を抑えながら強引に校舎裏に連れ込み、お前が男でありながら男を、しかもサリアを愛している事は知っている、と言った。サリアは現在罪深い身であり、彼がお前の悪魔を呼び込む存在と知れたらサリアの命は危ない。だからわれらの仲間となれ、と言ってきた。ネイスンは知っていた。それは脅しであると。サリアを徹底的に隔離するための策略であると。しかしネイスンはそれに対して何も良い反論が浮かばず、頷いてしまった。自分の無力さを呪った。ここからアルバントのネイスンへの支配が始まった。

 それからネイスンはサリアに三度会った。一度目はアルバントがこの学院を支配するであろう、という事を告げるため。二度目は、御業集で声を失った人が取り戻した、という記事があった事を報告するため。しかし報告したとき、サリアは変わっていた。敬虔なアリュヌフの民だったはずの彼は、悟者に対して疑いの念を持っていた。それだけではない。彼はいきなり、ネイスンの心を読み取り、心の中に囁きかけた。その現象をネイスンは理解できなかった。死ぬまで理解できなかった。サリアはもはや人間ではなかった。もはや、怖い存在だった。受け入れられないものを持ってしまっていた。その時、ネイスンは衝撃を受けた。恋が冷めてしまった事に。生理的な拒否感を抱き始めている事に。もう、あの時のサリアは失ってしまったのだ、という絶望に。

 それから後、ネイスンのその気持ちに付け込むようにアルバントが囮作戦の命令をした。今になって思えば、彼の配下のケレボルン・マインタッカーが全て読み取っていたのだろう。自棄の感情がある一方、サリアには恩義があり人としての愛もあり裏切るのは本来嫌なのだが、歯向かう事でサリアと自分の身に裁きが起きると言われた以上、ネイスンはアルバントに従わざるを得なかった。 そしてサリアは尋問室で散々殴られた末、監禁された。

 結局サリアは死ぬ。その事に耐え切れなかったネイスンは、理屈を超えた選択をした。監禁室の扉を開けてサリアを逃がしたのだ。サリアを受け入れる事はできない。だが、サリアを死なす事はもっと受け入れる事ができない。ネイスンは自分がどうしていいのかわからなかった。愛とか関係なく、もうこの学院では、ネイスンはサリアが全てであった。しかしそれすらも失いかけていた。だから、死の淵から異常な生へと歩むサリアとは逆に、死ぬ事について躊躇を抱くのを止めていた。

 しかし、サリアはそれを止めた。共に逃げようと言われて再び、サリアへの恋心が復活したような気がした。しかし、気がついたら、撃たれて死んでしまった。


 そのネイスンの人生は僕の胸の中に吸収され、血となり、肉となった。ネイスンの個は今この瞬間に終わった。実に悲しい人生だった。自分を深く愛した友の、短く哀れな一生だった。

 僕は檻の中で立ち上がり、渦巻く亡者達に呼びかける。


「亡き、アリュヌフの民達よ。僕は、君たちを解放したい。僕が、アリュヌフの神を倒す事ができるのかわからないが、もしもできたら、君たちの魂はきっと安らぐだろう。もしもそうでなかったら、ここの仲間入りをするか、アリュヌフの腹の中で虚無になるだけだ。」

 僕は手を上げた。

「だから、みんなに頼みがある。今一度、僕に力をくれ。僕に真実をくれ。欺瞞を打ち砕くために、君たちの力がいるんだ。」

 そう言った途端に、僕はまた一つ重苦しい空気がごく普通の空気へと一段上に上 がる事を実感した。


 僕にはまだまだ、成長の余地があったのだ。

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