#23 一瞬の停止

 寮から数分歩いた場所にマルデナの家がある。もちろんマルデナは寮母なので常にその場所にいるわけではなく、ほとんど荷物置き場のようなものである。しかしマルデナはそんな部屋もいつもまめに掃除していたので、家の中に入った時、自分の小汚さに申し訳なさを感じた。お風呂に先に入っていいですか、と言おうとしたが、無言者のフリをしなきゃいけないな、と思いながら自分の体をキョロキョロ眺めて会話板を探したが、そういえば自分の会話板は面会室でさらわれたきり置いてけぼりだった。

「しゃべってもいいですよ。」とマルデナが言ったので僕は驚いた。「あなたのことはご親友からすべて聴いています。安心して、ここでは素のままに振舞いなさい。」

 僕は口を開いた。「マルデナさん・・・あなたはどうして、神に逆らっている僕を、アリュヌフの民にとって不協和音の、悪魔に取りつかれているとさえ言われる僕を、匿ってくださるのですか。」

 マルデナはニコリと笑った。「私は人を大事にするのがすきなのよ。」そして台所に向かいながら言う。「だから特別寮の寮母になったの。」(あんな暴力的な学院の先生にはなりたくないわ。)

 その心の声を聞いて、さらに気になってしまった。「変な質問ですが、マルデナさんは、この僕を匿うことについて、信仰の疑問は無いのですか?」

「いいえ。特に。言っておきますが、特別寮の申請をしたのはこの私よ。それまでは御業を受けた人は放り出されて野垂れ死ぬ事になってたけ。」

 僕は驚いた。

「私は調和というのは誰にでも与えられるべきだと思っているの。そんなことも分からない、馬鹿な悟者が多い事にきっとアリュヌフの神は悲しまれているに違いない。」

 この人は、自分の存在理由をアリュヌフに関連付けている点を除けば実に偉大な、愛情あふれる人間だったのだ。僕はその感動のあまり、しばらく立ちすくんでいた。お茶を入れているマルデナが「おや、お風呂には入らないのかい?」と言ったので、僕は「あ、はい!」 と答えて風呂場へと向かった。







(アリュヌフの民はすべてが悪い人ではない。)


 湯船に漬かりながら僕はそう考える。


(やっぱり大事なのは愛情なのだ。それは教典でも取り上げている。)


 自分の知る限り、アリュヌフの民で愛情が深いと思う人間・・・クルス、マルデナ、ネイスンを思い浮かべる。ネイスンが廊下で倒れているのが一瞬見える。


(教典は人間が愛で動くことを知っている。)


 そしてふたたび自分の思考は、丘の上で吐いた時の問題に立ち返る。


(真の知性が愛によるものであることを知っている。)


 では、何がおかしいのか、それは暴力である。


(アリュヌフの神が実際行っているのは、暴力である。)


 悟者の殆ども暴力で統率し、行動の制限をする事で調和を図っている。


(アリュヌフの民達から暴力を取り除くには?)


 それはことばによる啓蒙では不可能である。なぜならば、


(・・・皆を統率するあの神こそが暴力の本質だから。)


 そうだ。結局そうなのだ。ならば答えは一つ。僕の使命は唯一つ。




(アリュヌフの神を、殺さねばならない。)






 マルデナの家では、これまでの学院の陰惨な生活や、特別寮の虚無的な退屈さなど無く、穏やかで平和的な過ごしができた。おかげで家の周りや家に潜む虫たちの声なき声を聞き、対話ができた。当然それは言語によるものではなく、ごく単純なエネルギーの受け答えであった。木々も鳥も、みな全て何かを発していた。窓を開ければ時々小鳥が自分の肩にとまってきた。僕は驚いた。


(みんな、サリアのことが好きなんだよ。)


 部屋の隅のゴキブリが僕にそう呼びかけている気がした。そうか、僕は地面に腰掛けた。みんな、僕に智恵をくれ。代わりに良い物をあげよう。僕達はお互い、目に見えないところで激しく複雑に流動していた。その流動は僕自身の自我の固執をどんどんと拭い去っていく。僕は何者になっていくのだ?

 手負いの鳥さえ僕の元に飛んでくる。僕は鳥に手を当てる。鳥の怪我は、避けた皮膚と肉にかかる力はあらゆる方向に伸びている。そこに一本の筋を通そう。そうして、迅速な再生を促そう。鳥はたちまち治ってしまったので、驚いて飛べる事を忘れたかのように歩き回っている。部屋の中で動物に囲まれているものだから、家に帰ってきたマルデナが腰を抜かしていた。しかし、立ち上がったマルデナはそんな僕を面白く思ってくれたみたいだ。


(あなたは、私には持ってない悟りをたくさんもってて、羨ましいわ。)


 マルデナはどうやら、そう思っていた。まったく警戒などしなかった。本当に、いろんな人がいるんだな、 と僕は思ったのであった。



 しかし楽しい時間は二ヶ月程で終わった。


 僕が部屋の中で世界と共にいたとき、何かが近づく気配がした。僕は急いで窓から飛び上がり、落ちて、ひざを激しく痛めるが、それを治し、茂みに隠れて様子を見る。アルバントたち一行である。しかしケレボルンの姿は無い。もちろんネイスンの姿は無い。意識が無くなったのだから、そのことなど分かりきっていた。ネイスンは、あのホースに水責めされる浄化式をされてしまったのだろうか。その事を考えると耐え難い悲しみが湧き上がるので、僕は何も考えずにその場を去った。

 そして僕は特別寮に急いで向かう。マルデナがほうきで掃除をしていた。

「サリアくん、どうしたのですか?」とマルデナが訊いた。

「マルデナさん、お世話になりました。今、アルバントたちがあなたの家に向かうのが見えて急いで逃げました。跡は残して無いのであなたも僕も大丈夫ですが、もうこれ以上ご迷惑はかけられません。ありがとうございました。」

 そう口早に伝えてマルデナが返事する暇も待たずにきびすを返して僕は一目散に逃げ去った。灰は降っていないが顔を隠すためにフードをかけたままにする。自分はとりあえずどこに行けばいいのだろう。このままアリュヌフ学院のある山から逃れるべきか? それは考えるべきではない。神に立ち向かわなくてはならない。さもなければ救いはない。いずれにしろ、次はどこに身を潜めるべきか。


”答えを知りたいか?”


 声なき声だ!


”ギムマルグ社支所に行け。”


 クルスと会い、彼女から多くのことを学んだあの場所へ。


”そこに答えに近づくものがある。”


 わかりました。僕は向かいます。そして向かっている。地下に通じるらしい小さ

な施設。そこの扉を開けると・・・・クルスがいた。

「やっぱり。ここにいたら会えると思ったわ。」

 僕は驚いた。「今まで、クルスさんの声が聞こえなかったから・・・。」

「万が一私達のやり取りをさ、あの、自分の名前を連呼しまくるバカに見つかっ

たら大事よ。」ケレボルン・マインタッカーのことだろう。「それにしてもサリア。」クルスは今までのような見下すような目ではなくとても優しい眼差しで僕を見つめ ていた。「君、強くなったんだね。」

 このとき、僕はクルスと対等になろうとしている事を悟った。

「もうあと少ししたら、私よりもすごい人になるんだね。いや、もうすごいのかもね。」なぜかそれが切ないような表情。

「クルスさんが、教えてくれたおかげです。」僕は言った。

「ありがとう。」クルスが目に悲しそうな皺を浮かべながら微笑み、その色っぽさにドキリとせずにはいられなかった。

「クルスさんは・・・」僕は言葉を考えた。「一体、これを誰から教わったんですか。」

 クルスはかるく鼻でため息をついた。「私には、両親がいないの。」

「え?」

「まあいいわ。掛けて。」

 僕は椅子に座り、クルスと向かい合わせになった。

「私にはどこにも拠り所は無い。だから、私に与えられた使命は何なのかずっと心に問いながら、学院に居続けた。」クルスは言った。「そして君に導かれた。」

 外では風の音がし、窓がギシリと音を立てる。

「ここ、ギムマルグ社支所がどんな場所か知っている?」

 僕は首を振った。

「でしょうね。表向きはガーデニングの会社で、社長、ゴドルス・ギムマルグにちなんだ会社名。でもこの支所はガーデニングとは近いけれど程遠い事を研究してた。」

 ふと、予感がした。まさか、

「そうよ。セリウミャの花、極めて強力な麻薬作用のある花。それを研究していたけれど、禁止された。この支所がアリュヌフ学院の近くにあったのはそういうわけ。」

 何かが遠くの背後でうごめいている気がするが、話が気になって仕方が無い。

「この花は時々ある資質、そうね、私みたいな読心など資質をもともともった人にとってそれを促進する覚醒作用があるのが分かった。だから今でもここの儀式でよく焚かれる。そしてその覚醒作用は幼児期ほど効果があり、定着率が高いと言われる。」クルスは言った。「そういうわけで、人を覚醒させる危険な実験があって、それがバレて表向き閉ざされた。とはいえ実験はお金のあるうちに小規模で続けられていた。その頃かしらね。私の両親は、根からアリュヌフにとりつかれたクソどもで、私を産んだ直後にここに預けた。だからここが家のようなもの。」

「それで、あなたは・・・。」

「ええそうね。もしかしたら君も、両親はアリュヌフの民だった、そうでしょう?」

「はい。」

「卒業生はみなセリウミャの香水を渡される。君も幼少期にその香りを嗅いでしまったから、そうなったのだと思う。」

「そうなのか・・・」僕は息を飲んだ。「でも、それが分かっているのなら、セリウミャの香りで覚醒した者に何らかの措置が施されるんじゃないのか?」

「教典に書いてあるわよ。」クルスは笑う。「卒業生心得に、セリウミャの香りを赤子に嗅がせてはならない、と書かれている。覚醒した人は私みたいに何をしでかすかわからないから、組織としては都合が悪い。私は神に許されたからよかった。ケレボルンが例外だし、彼は意外と口がうまくて世渡り上手なのでしょうね。たいていは、よほどタフじゃないかぎり、小さいころにその力を全否定して叩きのめしてやりゃ才能なんてすぐに閉じてしま うよ。かつての君のようにね。」

 ではあのナーディア先生のようなひどい人間が悟者が採用されたのも。

「そうそう、どう考えても政治的な理由よ。嗜虐趣味の人に、お前の趣味は民を導く神の使命だとでも言って聞かせてそれでみんなを脅かしておけば、謀反を考えても大抵黙ってしまう。そういう凶暴な奴が横行する中で、まともな信条を抱えて闘う人間なんて、せいぜいドーファのように気が狂ったり、ケイブのように塞ぎ込んだりしてしまう。皮肉なぐらいよくできた仕組みだこと。」

 背後のうごめきが近づくのを感じる。クルスはどうやら精神感応の範囲を極度に狭めている。

「それで、私がアリュヌフの神に愛された理由を推察するんだけど・・・」

「クルス!」僕は叫んだ。「ここは危険だ!」

「え?」

 バン、と音を立ててドアが開いた。一人の男が立っていた。

「私も導かれました、『答えを知りたいか?ギムマルグ社支所に行け。そこに答えに近づくものがある。』と! 索敵ならお任せあれ、ケレボルン・マインタッカー!」

 何ということだ。僕と声なき声の会話を盗聴されたらしい。声なき声のエネルギーは大きかったのだろう。ケレボルンは銃を構えている。そして背後に数人の取り巻きがいた。

「サリア・マーク、同級生を手に掛ける事は私として実に心苦しい、ああ苦しい!」とケレボルンは楽しそうに演技する。「だが、逃亡犯のお前を生かす事はいつだって許されない。あの時だって許されない! そしてクルス・ザンドラ先輩。あなたは恵まれた方、卒業する前に、なるべく早くアルバント先輩が結婚したいとの事です!」

「お断りよ!」クルスは叫んだ。

「おおなんという、それはクルスの悪魔が語るのです!クルスの本心はそうではない、アルバントと結婚できる、それ、幸せ! なのになのに! ケレボルン・マインタッカー! 」そしてケレボルンは僕を見た。「銃の使い方はデリンジ先生からみっちり教わりました。銃の鉛は、頭に打ち込むと悪魔を追い払うと言われるそうです。そして私は君の心をも先読みする力がある! 前は誤ったが、先読みする力があったんだ! いざサリアよ、神の協和の恩寵に授かるがよい!ケレボルンッッ、 マインタッッカァー!!」


 叫びと同時にケレボルンの一瞬の殺意。


 僕の額を狙う視線。


 視線を察して避けようとする、その僕の意思すらもケレボルンは捕捉し、銃の角度を微妙に変える。


 絶対に避けられない。絶対に避けることができない。前よりも彼は強くなっている。これから自分はドーファのように額を射抜かれる。ケレボルンの視線を避けて も彼の視線は追ってくる。


 それを察したクルスが僕の前に飛び出す。


 クルスが、僕の前に、飛び出した。


 やめて。


 ケレボルンは訳も分からず驚いて引き金を引いてしまう。


 銃弾は放たれる。


 放たれた銃弾はクルスの側頭部に見事に命中する。


 一瞬の停止。


 そして僕の心の中の何かが消えた。

 その何かはずっと自分の心の中にいてくれていた。

 その何かはクルスの脳の破壊と同時に消えていった。

 クルスは血を散らしながら僕の前に倒れた。

 クルスは微笑んでいた。



 再び一瞬の停止。



 僕はそこでようやく、クルスが常に僕の心の中にあまりにも強く寄り添ってくれていた事に、はじめて気がついたのだ。

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