#17 馬鹿

[ここに入ったら基本的にここの世界しかないと思え。]

[誰にも会えないのかい・・・?]

[校庭うろつけば時々は話しかけられるさ。かつての君みたいにね。お前はまだ壁を実感していないんだな。]

 特別寮に入ってケイブとそんな話をした時、当初壁なんてあるものか、と僕は思っていた。しかし聖歌隊として歌うネイスンを見た時、僕は自らネイスンに壁を作ってしまった。理性では彼が僕の最大の味方であろう事は知っていたが、 一方で僕の夢を勝ち得てしまった言わばライバル以上の存在でもあり、共に話すなど耐え難かった。

「面会が来ていますよ。」ある日マルデナが僕に話しかけた。

[誰ですか?] 僕は書いて訊ねた。

「ネイスン・チルレア。」

[会いたくない。]

「『君がそういう事を言うだろうと思ってその時はこの言伝の紙を渡して欲しい』ですって。せめて読んであげれば?」

 僕はしばらく黙った。そして会話板に書いた。

[わかりました、読みます。]

 マルデナが傍に寄って来て紙を渡しながら言った。「『無言者』にここまでコミュ ニケーションを取ってくれる人は珍しいですよ。大事にするべきです。」

 僕はそう言われて何とも煮えきれない感情にむすっとしながら紙を開く。


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 サリア・マークへ。

 手紙を出した時はとにかく君が心配で話したい一心で、卒業式に聖歌隊が入る事をうっかり忘れていて、式の時は君を酷く傷つけたと思う。申し訳ない。僕は今、君が御業から解き放たれる方法が無いか図書館で調べ物をしている。きっと見つけ出すから、待っててね。

 ネイスン

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 ・・・御業から解き放たれる方法。その文字に僕はやっと、『無言者』になって始めて心が躍らされた。もしそんなものがあったら・・・しかし・・・そんなものがあったら『無言者』はこぞってその方法をするであろう。誰かが既に知ってそうなものだ。この寮の中では一番知識がありそうなのはケイブであった。

[ケイブ先輩。] 僕は会話板をケイブに見せる。ケイブも見せ返す。

[なんだね。]

[御業を受けた人って、その御業から解放する事はできるのですか?]

 ケイブは会話板をまじまじと眺めた。そしてしばらくして「ッ・・・ッ・・・ッ」と声にならない笑いをした。そして板にこう書いた。

[俺が知りたいくらいだ。]

 僕はため息をついた。 [やっぱり無いんですか。]

[教典には一つも書いていない。それに御業集を見ればわかるように、御業は例えば指が捻じ曲がったり病気したりなど物理的な力が加わっているものばかりだろう?]ケイブはノズルを回して文字を消して書く。[だから単に俺達も脳や喉を物理的にいじられてるんだよ。鍵が掛かってるんじゃない。不可逆的な変化だ。]

[それでも、神に反省すれば、許してくれるのでは・・・]

[だから言っただろう?その方法を、俺が知りたいくらいだ、と。誰も俺らの所に行きたがらないし迎えてもくれないようなこの状況でどうやって神に許し願うんだよ。]

[ここでも反省の気持ちを示せば神は見てくださるのでは。] その文字を見たケイブは、よほど可笑しかったらしく無言の笑顔で痙攣しだした。

 そして一言こう書いた。

[馬鹿。]

 僕はカチンときてケイブを見た。ケイブはノズルを回して文字を書いた。

[アリュヌフの神は香壇の中にしかいない。だから俺達の挙動なんか興味ない。]


 ケイブ・サルベンダはアリュヌフの神をあまり信頼していないようである。いい人だと思っていたが、なんと信仰心の薄い人間だろう、と僕は夜ベッドの中で思った。あんなのでは御業を受けて当然だ、と思った所で、そう考えた自分自身を非常におぞましく感じた。ケイブも僕も同じ立場の人間のはずなのに、なぜ自分を優位に考えているのだろうか。つまり自分はケイブの不信心と同じくらい罪深い存在なのだ。

 そこまで考えた時にふと胸の内ですっきりするものがあった。つまり、自分は自分の欲望に執着してたから悩んでいたのだ。何故自分がアリュヌフ学院に入らされたか。罪深いからである。悪魔の声を観たり聞こえたりするからだ。しかし自分はそこで歌の才能を見出した。神が与えた成長=声変わりによってその歌の才能をも取られた。すなわち歌は神が神自身のために僕に与えた才能ではなかった。つまり初めから私を許していなかった。生まれながらにして、罪深い人間だった。だからわざと歌の才能を与えて奪った。不協和であるように産まれてしまった。自分は “否定” の存在である。


「また、ネイスンさんから面会が来ていますよ。」マルデナが僕に話しかけた。

[ありがとうございます。面会室に案内してください。] 僕は会話板をマルデナに見せた。マルデナはニコリと笑って扉の近くまで行って、この先にありますよ、とでもいいたげにドアを開ける。 中に入るとネイスンが僕に気づいて、満面の笑みで「サリア!サリア!元気にしていたかい!」と呼びかける。

 僕は会話板に [元気だよ。] 文字を書き込んでネイスンに見せる。

「よかった・・・。」ネイスンは安堵する。

 会話板が見やすいようにネイスンは僕の近くに椅子を移動した。

「ごめんね、君の御業をどうにかする方法はまだ発見してない。でも君の様子をもう一度伺いたかったんだ。」

 僕はこくりと頷いた。

「この前の卒業式の時はごめんね。」

[大丈夫だよ。もう君が聖歌隊入った事について気にしてないから。]

「それだったらいいけど・・・。」ネイスンはその文字を言いながら呟く。

[ネイスン。君はもっと自信をもっていい。君こそが聖歌隊に入るべき人間だからだ。]

 ネイスンはその文字を見て、なぜかひどく傷ついたような顔をした。「サリア、それ本気で言ってるの?」

[ああ。そうだよ。]

「僕、どんな気持ちで毎日聖歌隊の練習してるか分かる?聖歌隊に通った事、心から嬉しくてやってると思う?」

 そういわれて僕は文字に窮し、会話板に何も書けなかった。それを確認してネイスンは言った。

「サリア、君はどんな時でも人の気持ちが分かる人間だったはずだ。一体どうしたんだい?」

[分かったんだよ。]

「分かった?」

[僕は、いいひとになろうと頑張っていただけだ。でも、アリュヌフの神は僕を初めから許していなかった。だから声を奪った。] 何かに駆られるように僕は素早く会話 板の文字を消して続きを書く。 [僕は産まれた頃から、悪魔に取り付かれていた罪深い人間だったんだ。]

「サリアは悪魔に取り付かれてなんかいない。今の方が悪いものに取り付かれてるように見えるよ。」

[いいや、真面目にどう考えてもこの結論しか考えられないんだ。] ノズルをゆっくり回す。[声を奪われたのは信仰が足りないからではないはずだ。ということは、 僕はもともと浄化されるべき人間だったんだ。]

「やめて、サリア。そんな事を本気で言ってはいけない。君は生きるべきだ。」

[僕の中の悪魔がよく『生きろ』と囁きかける理由が分かったんだ。あれは確かに悪魔の声で生きる事が誤りだった。僕は生きてはいけな]

「サリア?」ネイスンが物凄く鋭い口調で僕に言ったので、驚いてネイスンを見てしまった。そしてネイスンはすぐ顔をしかめて泣きそうになり、何か言いたいような、言えないようなそんな素振りで立ち上がり、面会室を出て行った。おやおや、人を泣かせてしまった、と思いながら、何も感じない自分に驚いた。その事自体も、もう自分はダメなのか、という絶望に似て何も苦痛の無い論理的な理解がまた一つ頭の中で積みあがった。




 今日はとてもいい天気だ。マルデナ寮母さんが美味しいシチューを用意してくれ る。こんな日は散歩するのが丁度いい。散歩しよう。僕は寮の外を出て山道を歩く。 虫が飛ぶのが見える。香壇から飛び散る灰は寮周辺の山にはやってこない。そのおかげかとても空気が清らかに思えた。森から漂う青の匂い。途中を歩けば「崖に注意!」という看板と共に、ロープで繋がれた柵がある。しかしそのロープはすでに緩みきっていて引っ張るとすぐに柱から外れてしまう。僕はその縄をしばらく眺め、昔に見たマンガの一シーンで『死のう』と言いながら輪に結んだロープに首を入れるジョークを思い出した。これで絞められたら、死ぬのかな。僕はロープを観ながら丁寧に思案する。自分が死ねば、世の中の不協和音が一つ無くなる。これは、神の苦しみを無くすものなのだ。そう思うと僕は心がウキウキした。早速僕は樹にのぼった。そして手を伸ばして枝にロープを結んだ。その後ゆっくり樹を降りて、ロープの輪の位置が自分の背丈より高い事を確認した。ロープを持って、一回跳んで見た。まだちょっと怖い。胸の内がざわっとする。もう一度跳んで見た。こうして何度も跳べば、やがて勇気が身につく気がする。一回、二回、三回。次に跳んだ時に、僕は思い切って前に傾いて見た。輪に首が入った。ぎう、と締まり、このうえない圧迫の苦しみが首から僕の全身に締め上げられる。しかし、それは突然無くなる。かと思ったら僕は地面に崩れ落ち腕を打って鼻をすりむいた。そして倒れた自分の背中に誰かが足で軽く踏んだ。

「馬鹿。」

 女の声であった。それもよく知っている声。痛みに苦しみながら仰向けになると、カッターナイフを持ったクルスが冷たい表情で僕を見下ろしていた。もう一方の手でロープを握っているのでそのナイフでロープを切ったらしい。

「何をしているの?あなたは?」

 答えようにも、会話板を持っていなかった。

「どうして、そんな事するの?私があなたに始めて会った時の言葉、忘れたの?」

 だから答えられないんだって。

「やはり忘れたのね。」

 僕は声が出せないんだって。

「声が出せないのは分かってるわ。」クルスは言った。僕は驚いた。「私はあなたにこう言った。『自分の感覚を信じて』と。どんな事があったって、あなたが在るって事が事実だってこと。」

 だから、僕はそうすべきだと思って。

「馬鹿ね。あなたは既にせっかくあった感覚が台無しよ。あなたは教えに踊らされて狂ってるのね。あなたほどの人間を、これほどまで小者に仕立て上げるとはアリュヌフの教えも大したものね。」クルスは言った。「ネイスンに感謝するのよ。あの子、泣きながら、サリアを励ましてやってください!って私に頼んできたのよ。話を聞いたら、確かにもうすぐ死にそうな気がして、向かったら案の定ねえ。ネイスンには申し訳ないけど私は今約束を破って、励ますどころか、怒ってる。」

 僕は何も言えなかった。やはり自分は罪深い・・・

「罪深い罪深いうるせーよ!」クルスは叫んだ。「いいかい?君の手も君の肌も髪の毛も鼻水もみんな一つの細胞として生きてるんだよ?てめえのくだらねえ悩みの責任を何億もの細胞に取らせようたってそんな傲慢は誰も許さないよ。」

 僕は惨めで悲しくなって震えた。

「さあ、行きましょう。」クルスが僕の方を掴んで起き上がらせた。それだけで心がフッと落ち着いてしまった。「ここよりももっと落ち着く場所で話すべきね。誰が通りかかるか分からないし。立てる?」

 僕は頷いた。いつの間にか全身の痛みは引いていた。僕はゆっくり立ち上がる。クルスに肩を支えられて共に歩き始める。

「私はあなたを助けなければいけないの。それが私の人生の使命って今分かった。」クルスは言った。「あなたこそが、この狂った世界を整えてくれるから。」

 僕にはわけがわからなかったがクルスに半分抱きかかえられている事に、さっきとは打って変わって幸せのような浮遊感の中でただただ前を歩いていった。

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