後編

#16 叫ぶ事ができたら。

 年末を終えてからの3ヶ月間は本当に苦痛としか言い様が無かった。まず、聖歌隊の事件の後に神殿の小部屋でデリンジ先生とランドサン教父と僕で三者面談をした。厳密には壁際に腹に包帯を巻かれたナーディア先生がむすっとした顔で立っていたので四者ではあったが。

『サリア・マークはこの通り、御業を受けて穢れた状態にあります。』デリンジ先生は言った。『ですから特別寮に移します。これによりランドサン教父の悟者値は・・・』デリンジ先生は電卓をぽちぽちと押す。『・・・と。ランドサン教父、お勤めご苦労様でした。』電卓の数値を見たランドサン教父は沈黙する。その数字は僕には遠くてあまり見えなかったが、ケタ数が1の位しかないのは読み取れた。


『お前のせいだぞ、サリア・マーク。』ランドサン教父はそう冷たく僕に言った。

『お前がアリュヌフの神の前であのような非礼を行ったから、私はここを出て行かなくてはなくなる。』

『・・・・・・・・・・・・・・・・・。』 僕は言おうとするが何も言葉が出ない。

『なんだ?』ランドサン教父は本当にぞんざいな口調であった。

僕は紙とペンを鞄から必死に取り出して文字を書く。[でもあれは、声変わりだったんです。わざとじゃなかったんです。事故だったんです。] そしてそれを教父に見せる。

『ふむ・・・なるほど・・・』教父は紙を見ながら頷く。『しかし、声変わりは成長の証であり、それをもたらしたのはアリュヌフの神だ。お前は自分の非礼を神の責任にしよう、というのか?』

『!?』僕は混乱した。

『お前は傲慢だ。だから、アリュヌフの神は声を取られたのだ。自業自得だ。愚か 者。』

 ランドサン教父はそう言って足早に門まで出て車に乗って行ってしまった。特別寮まで案内してくれるはずだったのに、こうなってしまったら自力で探すしかないなと思って僕は地図を広げながら灰と雪の降る山道を歩く。特別寮は学院から少し離れた山の中に建っているのだ。

 アリュヌフの民には理屈が通じない。その事を僕は今更なって認識せざるを得なかった。御業への恐怖からその事には必死に眼を向けまいとした。だが、今こうやって実際に御業を受けて敗者となった時に始めて、何かが気持ち悪い、という感触を抱き始めたのだ。それは悪魔の声だ、と思う事もできた。だが悪魔なのかどうかも、全てどうでもよくなっていた。どうせ、半分死んでいるのだから、神の裁きを受けて本当に死のうが自由だ。少なくともアリュヌフの民に理屈は存在しない。しかし教典には事細かく理論が存在する。この理論は僕には完璧に見えた。この落差はどこから生じるのか、今の僕には分からなかった。

「遅かったですね。」

入り口で傷だらけの老婆が立っていた。「まあ案内人が途中で放棄したんでしょうかね。」

 僕はこくりと頷いた。

「特別寮へようこそ、サリア・マーク。私はここの寮母をしている、マルデナ・ レーヴィスです。」

 中に入ると、御業を受けた生徒達がジロジロと僕を眺めていた。彼らがどんな境遇なのか全く分からない。眼をやられて音だけで見当違いの方向に顔を向けている人もいた。指を全く失っている人もいた。僕は悲鳴を上げそうになったが幸いにして声が出ない。

「みなさま、新しいお友達が来ました。」マルデナは言った。「『無言者』のサリア・ マークです。みなさま仲良くしましょう。」

 力ない拍手。僕は一礼した。

「ケイブ・サルベンダくん。同じ無言者として、サリアくんにここの寮の使い方 などを教えてください。」マルデナがそう言うと、一人の青年が立ち上がった。その顔には見覚えがあった。確か理科室の道を尋ねる時に会った声を失った上級生であった。 ケイブは白いザラザラした板を取り出して黒い細長いペンで文字を書いて見せた。

[お前には見覚えがあるぞ。] 板の文字は鉛筆よりもさらにザラザラした質感であった。僕は紙を取り出してペンで書いて返答した。

[一年前に理科室はどこかを聞きました。]

 ケイブがその文字を確認すると、板の端にあるノズルを回した。すると[お前には 見覚えがあるぞ。] の文字が消えた。そしてフフンと鼻笑いしながら新たに黒い細長 いペンで書いた。

[お前だったのか。まさかこんな形で会うとはな。]

 僕は紙の余白に新たな文字を書いて指差した。

[その板は何ですか?]

 ケイブは板のノズルを回して新たに文字を書く。

[会話板。磁石と砂鉄を応用した半永久的な文字掲示板だよ。俺達『無言者』には必要なものだ。]

[『無言者』?] 筆談が段々と慣れてきた。ケイブはノズルを回す。

[声を抜かれるのは、ここでは一番多い御業だ。だから『無言者』 というあだ名が陰で囁かれている。]

[そうなのですか・・・。] [ここに入ったら基本的にここの世界しかないと思え。]

僕は眼を見開いてそのまま固まってしまった。ケイブはそれを見てノズルを回し、 文を続ける。

[教典によれば不浄の者にはなるべく近づかないとされており、普通の学院生は俺 達と会おうとも喋ろうともしないだろう。] ノズルを回して文字を消す。[これは教 師も同じで、もう俺達には授業などない。俺達はただ寮母のマルデナばあさんから 渡されたワークシートをこなすだけ。ずっとここで宿題をやるんだ。図書館にも食 堂にも行けない。] 再び文字を消す [本が欲しければここの寮の戸棚を使え。無かっ たらマルデナばあさんに頼むんだな。]

[誰にも会えないのかい・・・?]

[校庭うろつけば時々は話しかけられるさ。かつての君みたいにね。] ケイブはそう書きながらまたフフンと笑う。[お前はまだ壁を実感していないんだな。]

 不安が、過る。



 年末に家に帰った時、親は全く僕に話しかけようともしなかった。家の中でも常に無言であった。神の御業を受けてこのように声がないのだから、逆にアリュヌフの神の元を離れたら喋れるのかなと一抹の期待を抱いたものの、それも空しかった。どこにいてもしゃべれない。3ヶ月の間、家の中は無言であった。いや、僕がいる間が無言だったのかもしれない。僕は重苦しい沈黙が耐えられなくて、外に出て山でも見てた。綺麗な空気だ。息を吸い、それを吐く。声は出ない。鳥が美しい歌を歌っていて、さながら何らかの旋律のように聞こえた。口ずさむ。声は出ない。声が・・・。また涙が溜まってくる。しかしそれを振り払う。 “自分は泣いている” ああ、否定するほどその事実が明らかになる。ここは山の中で誰もいない。泣くなら泣こう。でも声が出ないと感情が出てこない。ただただ自身を焼き尽くす激しい感情に苦しむだけ だ。苦しい。ああ、痛い。

 叫ぶ事ができたら。ああ、僕は切に願っている。もし、叫ぶ事が出来たら、どんなにこのぐるぐると蠢く感情を解放する事ができるのか。ああ、太陽が輝いている。太陽が暖かいのは、あの火の玉の中でエネルギーが発散されているからだ。

 もっと喋るんだった。僕は過去をもう一度振り返って激しく悔やむ。自分は、自分の言いたい事の百分の一も話せていない。会話板は結局、考えを文字に落とし込んでしまうから、言いたい事がどこかで変わってしまう感じがする。今は両親ともろくに話せていないし、会話板など、ろくに使える気がしない。


 帰郷して母親が最初に僕に話しかけた言葉は「手紙が着たわよ」である。僕はひょっとして、と思って玄関に置かれてある郵便物を見る。やはり。ネイスン・チル レアであった。


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サリアへ

大丈夫かい?心配してるよ。卒業式絶対来てね。そこでちょっと話をしよう。

ネイスンより

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 文通はある意味で会話板と同じだなと思いながら、ちょっと嬉しい気分で机に向かい、僕は返信の手紙を書こうとした。

 だが、筆が止まる。言葉が思いつかない。なぜだろう。何を書けばいいのだろう。ネイスンに何を伝えればいいのだろう。ネイスンに伝える事などあるのだろうか。その時、自分はネイスンに対して既に大きな壁が出来ている事実に気づいた。もっと正直に考えればネイスンと気持ちを分かち合いたくない、という気持ちさえあった。何故だ。ネイスンがキライになったのか?どうして?

 ・・・・そうだ・・・僕はようやく自覚した。ネイスンは既に、僕の手にしたかった、聖歌隊員。僕が育てたネイスンは、僕の手にしたかった、聖歌隊に、入ってしまった。ネイスンは入学当初は歌が非常に下手であった。しかし僕の歌を聞いた彼が、指導して欲しいと言ってきた。ネイスンは僕を愛していたのもあったのか、 すごく真面目に取り組んでくれて、おかげで物凄く上手くなった。聖歌隊に入れるほどに!それは微笑ましいと同時に、僕自身だって指導力を誇ってさえも良かった 筈だ。誇ってもよかった・・・いや、それはもう終わった事だ。僕はとりあえず返信の手紙を書く。それが非常によそよそしいと思われる事を危惧しながらも、心をこめて書く事など、とうてい不可能であった・・・。


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ネイスンへ

お手紙ありがとう。卒業式には行きます。その時話しましょう。

サリアより

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 一体自分の何が悪かったのか僕は全く理解できなかった。声変わりをアリュヌフの神が定めたのならば、なぜ僕にこのような苦しみを与えるよう仕向けたのだ? 歌が好 きだといいながら、わざと人に醜い罵声を響かせた挙句、怒り狂って苦しみを与えるとは、思考が錯乱しているのか? 人に苦しみを与える事を快楽とするナーディア先生のようなサディストなのか?

 否、このような考えもアリュヌフの神は読まれているに違いない。現時点の自分は声を失う以上の裁きを受けていない。ならば、今このようにまだ生かされている事のご厚情に感謝すべきなのだ。しかし、では何故、今、感謝の幸福感ではなく苦しみが止まないのだ?この苦しみには意味があるのか?そこまで考えて僕はふと納得した。アリュヌフの神はわざと私に苦しみを与えた。それはアリュヌフの民としてより高みに上るため。この苦しみから真の道を手にした時、自分はアリュヌフの神の許しを得るかもしれない。そうなれば、きっと・・・・


“愚か者”


 突如脳裏に閃くその声に、僕は身震いした。悪魔の声だ。また聞こえてしまった。しばらく僕は続きを待って身構えた。しかし何も聞こえない。何だったのだろう、と思って、僕は書き終えた手紙を封筒にいれて、ポストに投函するために外に出る。




「卒業生のみなさん。」

神殿でダーラス神父が説教する。「このように神の道を歩み、現世で神を伝える使命を得る事が出来る事を、私はとても嬉しく思います。さて、出る時は必ずセリウミャの香水をお忘れなく。それによってアリュヌフの神の悟りを得るのですから。香水を切らしたら学院にお買い求めください。そして・・・」

 自分の事では無いので僕は神父の言葉をろくに聞いてなかった。特別寮の人は皆とは離れた壁際に立たされる。椅子に座る事も許されていなかった。僕はあたりを見回した。ネイスンがいない。ランチャやリンドンなどがいるあたりをいくら見てもネイスンの姿が見当たらない。一体彼はどこに行ったのだろう。他の方を見回すと、上級生の列にクルスの後姿が見えた。こんな状態でクルスとも話せるわけがない。

「・・・そんなわけで、卒業後の皆様は神の定めた愛を喜んで受け取り、家庭を育み、子供達をアリュヌフの教えに従わせる事で、悟りへと続くのです。」 僕はその言葉を聞いてふとある事に気づいて頭が真っ白になる。アリュヌフ学院は卒業と共に結婚相手が定められる。そして、もうすぐ6年生になるクルスは再来年に卒業する。当然同級生と結ばれる事になるであろう。僕はランチャの二つの言葉を思い出した。

『悟者になれば、アリュヌフの神と相談しながら色々できるしね。たとえば結婚相

手とか自由に決められるだろうし。』

『僕が悟者になったら彼女を導いてやれるのになあ、と言ってて、私もそう思う。』

 アルバントはあの知識量ならば悟者になれる可能性は高い。つまりクルスはアルバントと結ばれる。そうでなくても、人間以下な自分などクルスは見向きもしないであろう。つまり、この恋も終わったのだ。

 そう思っていた時に神父の説教は既に終わっていて、聖歌隊が現れた。聖歌隊の 中にはネイスンがいた。僕は再び衝撃を受けた。壁際で立っていた僕はそのまま崩 れ落ちた。


旅立ちのさすらいびとに

アリュヌフ神の護りあれ

最愛の結ばれしひとに

アリュヌフの神の契りあれ


・・・それは実に美しい歌声だった。僕は今度こそ、本当に、打ちのめされた事を実感した。崩れ落ちたのを心配したらしいケイブが肩を叩く。僕は泣きながら震えだす。


学びを終えたら

後は生と死が

平等にあるのだから

アリュヌフの神よ

わたしたちを 心から護りたまえ



 神殿を出たとき、「サリアー!サーリアー!」と呼びかける声が聞こえた。明らかにネイスンであった。

「サリア!元気にしてた!?」

 僕は振り向きもしない。激しく憤っていた。ネイスンに対してではない。全てだ。全てにだ。自分の置かれた状況全てだ。今、ネイスンと話したら、ネイスンにその気持ちをぶつけてしまいそうで僕は怖かった。

「サリア!・・・サリア?」 僕はそのまま走り出して門を抜け出し、特別寮へと向かっていった。「サリア・・・・。」


 もし今この気持ちを直に伝える事ができたら、どんなに楽だっただろう、と思いながら僕は特別寮に駆け足で飛び込み、自分のベッドの中にもぐりこみ、そのままいつの間にか寝てしまった。気がついたら夕陽であり、「サリア君、ごはんですよ」と静かに呼びかけるマルデナの声で目が覚めた。

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