#12 でもその変さがまた良い・・・

 それから何日かして造花を作る特別授業が始まろうとしていた。教えるのはあろうことかあの鬼のようなナーディア先生だというので授業始まる前に騒然としている。

「ほんとどんな授業をするのかしら。」「そもそもあのナーディア先生が手芸なん て。」「不器用そうな指してるしねえ。」「いや、実はすごく得意なのかもよ。」「ええだったら嫌だなあ。間違いに厳しそう。」「またあんな鞭で手打たれたら手芸どころじゃ ないよ。ほんと今もヒリヒリする。あの試験・・・」「じゃあ叩くの抑えるのかしらね。」ごうんという鐘の音。「あ、鐘が鳴った。」「授業が始まるぞ。」どどどどと椅子に座る音。しばらくして扉が開いて、沢山の造花キットを持ってきたポゴレフチア・ナーディア先生が現れた。ナーディア先生は造花キットを教壇の上に置いてにこやかに挨拶をした。

「こんにちは、皆さん。」

 やけに落ちついた優しい調子なので皆面食らって挨拶を返せず、何人か「・・・こんにちは、ナーディア先生」と呟き返すだけであった。

「今日はお知らせした通り秋の祭典で香壇に飾る花を造ります。」ナーディア先生は照らされる日光の似合う笑顔をして造花キットを先頭の机に配る。「まず、お手本を見せるのでよくご覧になってください。」

 ナーディア先生は先が枝状に分かれたワイヤーを皆に見せ、皆は恐怖の余り息を呑んだ。先生はその針金に接着剤を塗り、緑の紙の上に置いて二つ折りにした。

「これをハサミで葉の形に切ります。ペンで目印が書かれていますね?」

 そしてナーディア先生は丁寧に紙を鞘の形に切る。

「これを複数つくりテープで束ねます。」

 そういって3枚のワイヤー付き葉にテープを巻いて茎のある葉を完成させる。皆はいつのまにか黙ってその様子を見ていた。

「次に花の造り方ですが、まず黄色い紙を二つ折りにして書かれた線の通り切ります。」

 先生は黄色い紙をハサミで切る。

「次にこの端をペンで丸めます。」

 黄色い紙の端をつまみ、ペンを置いて、くるくるくると巻いて戻すと片方だけ花びらのような模様になる。それを何度かやると、本当に花びらの形になったので、 ネイスンが思わず「スッゲー!」と声を上げていた。

「これをこの白い芯とがくのついた茎に一枚ずつ貼り付けます。」

 先生は花びらに接着剤をつけ、芯の周りを丁寧につける。

「ほら。」

 美しい花が目の前に現れ、僕は身震いした。皆も「おおおおお」と声を上げていた。にこりと笑ったナーディア先生は「さあ、みなさんも試して見ましょう。」と言 った。

 早速美しい造花を作るための試行錯誤が始まる。なんだか集中できないな、と思って振り返ったら隣でリンドンに睨まれていた。リンドンは強い口調で言った。

「お前なんかにナーディア先生は渡さないからね。」

 やれやれ、謂れの無い嫉妬ほど面倒くさいものはないな、と僕がため息をついたとき、「リンドンくん!」とナーディア先生の声が聞こえたのでリンドンの口角が急に上がる。リンドンは興奮しているのか一気に顔を赤くしている。眼を閉じて顔を前に傾け、頭の面積を広く見せようとするその態度は、さながら思いっきり叩いてくださいとでも言いたげな印象を与えたが、

「お喋りしないで花造りに集中しましょう。」

 ナーディア先生はそれだけ言って中断していた自分の花造りを再開した。リンドンは呆然とした表情でがくがく震えていた。やり場のない感情に困っているらしい。

「サリア・・・」

 リンドンがヒソヒソと話しかけて来た。 「僕の気持ちを知っているのは君だけだ。頼む、気持ちが納まらないんだ、力いっぱいぶってくれ。」

「はあ?」僕は今後リンドンと距離を置こうと決意した。

「なあ、頼むよ。ぶってよ。」

「・・・自分でぶてば。」

「そんな事言わないでくれ。自分でぶっても意味が無い。サリア、お願いだ。この前責めた事謝るからさ。」

 するとリンドンの隣のネイスンが、「サリアが嫌がってるだろ、やめろよ。」とぼそりと言った。 「お前には関係ないだろ。」リンドンがそうネイスンに振り返っていった時、ナーディア先生が「お二人とも!」と言った。僕の方からリンドンの顔が見えないが、 ネイスンが引きつった顔をしているのを見るに、おそらくすごい悦楽と期待の交じり合った表情になったのであろう。しかしナーディア先生は「静かに集中なさい。」 と言うだけで、かつての横暴さはなりを潜めていた。はっきりいって普通の先生である。リンドンは混乱したらしく、 突然泣き出して「ううううああああああああ!」と言いながら教室を出て行った。ナーディア先生はそれを見て教室を出た。皆がクスクスと笑い出した・・・リンドンはナーディア先生の制裁を受けるに違いない、と・・・だがしかし、廊下の外から「デリンジ先生。」と穏やかに呼び止めて会話がかすかに聞こえるだけだ。「・・・リンドン・ロンパディオが出て行ったんですって?・・・」「・・・そうなんですよ、何があったのか分かりませんが・・・でも今花造りで手が離せない から、デリンジ先生探してくれませんか?・・・」「・・・なるほど花造り、先生本当に好きですねえ・・・」「・・・からかうのはおやめになって、デリンジ先生・・・」 「・・・花の事になると猛獣も眠りだすと・・・」「・・・もう・・・私戻りますね。 リンドンを探してください・・・」「・・・わかりましたわかりました。・・・」

 そしてナーディア先生が教室に戻ってきた。

 授業後に僕は校庭を歩いた。正直、造花の授業は何事も無かったのに衝撃を覚えた。否、自分の体験として、ナーディア先生と関わって何か起きなかった筈は無く、「何事も無い」こと自体があり得なかった。造花に勤しむナーディア先生はあまりに優しく、平和的で、心から楽しくそれを行っているように見えた。はっきり言って、『鞭で子供を清める』時の、邪悪とさえ感じるあの雰囲気は全く無かった。そしてその時の空間はリンドンさえいなければとても平和に相応しい空気であった。これこそが、調和であり、アリュヌフの神が求める理想郷なのではないか、と僕は思って しまった。自分に鞭を振るう前、ナーディア先生はこう言っていた。


『私はね、子供から悪魔を追い出すのが得意なのよ。なぜ分かると思う?子供を殴ったり鞭を振るったりすると、凄く神秘的な気持ちになるの。体中がゾクゾクするような。自分がアリュヌフの神が与えた力で満たされている、って感じるの。』

『特に不思議なのはね、君みたいな可愛い男の子や女の子に鞭を振るう時、その 神秘がすごく高まっていくの。どうしてだと思う?』

『それが、数年前から神が与えてくれた課題なの。』


 神が与えてくれた課題・・・その言葉を今思い返して僕は知った。それが聖なるものにしろ無いにしろ、ナーディア先生は人をいたぶって快感を覚える病的な気質が明らかにある。そしてその自らの病的な気質に対し答えを欲し、自らの信仰の中に答えを得てしまった。しかし、果たしてその信仰のあり方は正しいのか。僕は深く疑問に思うのだが・・・教父にも誰にもこの考えを打ち明ける事はできない。

 否、自分はもしかしていつのまにかまずい考えに陥っているのではないか?と危惧した。ひょっとしたらナーディア先生の懲罰嫌さで信仰を批判する事で、実際はアリュヌフの神に対しても躓いているのではないかと。ああ自分の頭はどこまで深く深く悪魔が染み付いている事だろう。一度何か真実を得たと思ったら、すぐに悪魔はそこから逃げたと見せかけて、別の所に潜んでしまう。全てにおいて悪魔を根治すべきなのに深刻なまでに悪魔に侵されている。しかしどうしてかどうしてか自分の感じる事を否定できない。感じる事、すなわち悪魔の業を否定できないのに真理はそれとは異なっている。すると自分の判断能力は間違っているという事になる。僕は何によって考えてるのだろう、何が考えているのだろう、と分からなくなり、頭の中で強烈な疼きを感じた。何かが吐き出さんば かりに腹から喉に一度痙攣した。やばい、吐いてしまう、と思いながら僕は草むらを見つめ、ハア、ハアと息切れする。なんだこの吐き気は。こんなになるまで、自分は悪化していたのか、 と僕は自己嫌悪から悲しくなる。涙が出そうになる。するとまた疼きが、こんどは 頬骨の奥からこみ上げる。やめろ、吐くな。これ以上僕を困らせないでくれ。僕の肉体よ。やめろ。吐くな。やめてくれ・・・。

「大丈夫?」背後から懐かしいクルスの声が聞こえ、それまで長々と考えていた事が一気に吹っ飛んで「うわっ!」と叫びながらのけぞった。

「元気そうで何よりね。」尻餅をつく僕を楽しそうに眺めながらクルスは手を伸ばして言う。「ところでなんであなた、私の事を無視したの?」

「う・・・・」クルスの質問に対し、僕は何も言えなかった。とりあえず差し出

された手を掴み起き上がる。もし何か言えるとしたら、正直に打ち明けるしかなかった。「アルバント先輩が、クルス先輩が危険だから近づくなって。近づいたら只じゃおかないって。」

「アルバント、アルバントがそういったの?」クルスは物凄い面白い話を聞いたかのように僕に強く訊ね、笑い出した。「おっかしー。何で何で?私がどう危険なの?」

「ここだとアルバント先輩が見てるかもしれないですよ・・・」僕は不安気に言った。

「あんた相当強く脅されたんだね。でも安心して。私があいつを黙らせるから。で?私がどう危険だって?」

「クルス先輩は神に何故か愛されていて誰からも指導を受けていないから、危険な状態だ、誰かがクルス先輩を管理しなければいけない、僕はクルス先輩に利用されている事に気づけ、と・・・」

「馬鹿ねえあんたも。」クルスはくすくす笑った。「どっちが利用してるんだが。いい?冷静に考えて欲しいんだけど私は単に神のお許しから例外的な処理をされていて、自由奔放に生きているだけ。ちょっとやりすぎて怒らせてる所はあるけど、ここの集団で大きく害になる事なんてしてないのは、先生も承知してるからこうやって生かされてる。では、誰にとって危険かしらね?」

「僕もよく分かりませんが、アルバントにとって・・・?」

「そうそう。誰かが私を管理しなきゃいけない、って言ってるし、要するにアルバントが私を管理したいのよ。言いたい事わかる?」

僕は驚いた。まさか。

「ふふふ、その顔。察しがよろしい。アルバントは君を恋敵だと思ってるわけ。アルバントが馬鹿な事しないように一発殴っとくけどあとは頑張って戦ってね。」

 クルスはそういってさっさと去ってしまう。いつも言いたい事を言うとあの人はどこかに言ってしまう。まったく潔すぎて変な人だ、と僕は思った。でもその変さがまた良い・・・と思ったあたりでまた気持ちが舞い上がりそうなのに気づいて慌てて頭の中で教典の暗唱をする。(・・・アリュヌフの神はそれを人間に嗅がせた。『同じ食を共有する者に同じ知を得る』という法則の通り、人間にはアリュヌフの神と同じ真実が心に備わった。こうしてあらゆる生物の中で人間だけが魂を手に入れ・・・)


「よーし、上りきった!」香壇の屋根の上で僕は梯子を押さえるネイスンに言った。

「気をつけて貼るんだよ!」とネイスンは言った。

 僕はカゴの中の、皆が作った造花を壁のツタの飾りつけの上に貼り付けていく。灰が舞い散る香壇の間近であるが、上にも屋根があるため灰まみれにはならない。貼り付けている壁のすぐ脇には閉ざされた窓がある。

「サリア!絶対に窓の中を見るんじゃないぞ!」とアルバント・キンベルクが叫んでいた。頬のあたりにガーゼが貼られているのが遠目で見えた。ずいぶんと強く殴ったのだなと僕は思いながら造花を貼る作業に集中を戻していく。あの窓はアリュヌフの神の入っている部屋に繋がる窓で、秋の祭典の時に聖歌隊が歌う場所である。時々は懲罰のお許しのために生徒が歌っては、声を抜き取られて生きた屍のようになっているとも、御業集に散々書かれていた。そういえばこれまでも最初に会った、ケイブって名前だっけ、あの上級生以外で同じ人が何人もいたな、と僕は思い出した。口の中が真っ暗で、 声を出したいのか半開きで、目に著しい隈がある。いやはや恐ろしい。自分も歌で生きていく以上そうなりたくないものだ、と思いながら窓の事はなるべく考えず無心で花を貼り付けていく。

「サリア、この前は」と窓の隣でリンドンがにこにこ笑いながら話しかけた。「癇癪を起こしてごめんね。」リンドンが何でそんな嬉しそうなのかは腕の傷跡を見るとよくわかる。造花の授業中無断で抜け出したしばらく後、ようやく彼はナーディアの懲罰を受けたのだ。彼の担当教父は大変だろうな、と思いながら僕は気になる事ができて訊ねた。

「リンドンって、夜の面談の教父誰だっけ?」

 リンドンは「え?クラブ・ランドサン教父だよ?」と答えた。ああ、そうだったのか、なぜリンドンが書き取りの罰ばかりだったのか、そして僕にナーディア先生に歯向かわないよう注意したのか、僕は少し理由が分かった気がして、少し申し訳ない気分になりながら花を貼り続けた。ランドサン教父はさぞ問題児を二人抱えた 気分で焦っているのだろう。

 カゴの中の花が無くなった事に気づいて僕はネイスンに「降りるよ!」と呼びかけた。ネイスンが梯子を持って「どうぞ!」と言ったので僕は梯子を順々にゆっくり降りる。

 夕焼けに灰が降る帰り道、僕はネイスンと話していた。

「いよいよ明日かあ。」

「そうだね。」

「秋の祭典、面白いのかな。」

「僕たちはただ香壇を囲むだけだからね。」

「その代わり聖歌隊が歌うんだよね。」

「聖歌隊緊張だね。」

「ああ。」僕は夕陽を見ながら言った。「僕も聖歌隊になれる時のために心の準備

をしなきゃな。」

「サリアなら大丈夫だよ。」ネイスンは笑いかけた。「明日、楽しみになってきたね。」

「ああ。」 二人は寮に着く。

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