#11 「君の願いが叶うといいね。」

「夏休みはどうでしたか?」ナーディア先生が大股開きで腰に手を当てながら言う。「きちんと課題をこなし、アリュヌフの神に祈りを捧げましたか?」

「はい!」皆は威勢の良い返事をする。

「よろしいよろしい。」ナーディア先生はにんまりと笑う。

「そして秋は」デリンジ先生もニコリと笑った。「学院内で祭典があります。祭典では聖歌隊が香壇でアリュヌフの神に歌を捧げます。皆さんも香壇に飾り付けをしたり香壇を囲んで歌を見守りましょう。」

「僕らは歌わないんですか?」ネイスンが質問した。

「先生の話に割り込むんじゃない!」とナーディア先生が怒鳴りつけたが、デリンジ先生が「まあまあまあ、これぐらい皆気になるでしょうから、この程度の事は許して上げましょ、ね、ナーディア先生」と宥めた。「そのうちろくでもない質問来るだろうよ。」とナーディア先生は僕らを舐め回す ように見る。「そのときはそのときでろくでもない答えをしましょう、ハハッハッハ。」デリンジ先生は笑った。「さて、ネイスンくん。歌うのは聖歌隊だけだよ。以上。それで、他に質問はありますか?」

「聖歌隊の歌ってる様子はやはり見れないのですか?」僕が質問した。

「そうだね、申し訳ないけどそれはとてもアリュヌフの神のプライベートに関わる事だから、君たちには無理。」デリンジ先生は笑いながら答える。「規則でね。」

「おやまあ、サリア・マークくん、許しが無いと神の姿は見れないって教典の宿題分に書いて無かったかしら?」ナーディア先生が僕を期待の眼差しで見た。

「知っています。勿論知っていますよ・・・。」僕は慌てて言う。「ただ聖歌隊に興味があったからダメでもともとのつもりで訊いただけですよ。」

「あら、そう。」ナーディア先生が残念そうに唇を歪めた。クスクス笑いと共に、いつもナーディア先生のことで僕をからかっていたドーファ・ミンソラドンが「ヒュゥー」と口笛を吹いた。

「他に質問は無いかい?」デリンジ先生は言った。

「あの、」話したことのない金髪の小さな男の子が手を上げた。「飾りつけは僕ら何を作るのですか?」

「あーら、リンドン・ロンパディオくん?いい質問ね。」ナーディア先生が言った。するとその金髪の少年の顔がほころんだように見えた。 「それは私が答えるわ。なぜなら私が教えるからね。造花です。セリウミャの花を模した造花です。」

 それを聴いて皆ざわざわとした。こんな凶暴な大女が造花を教えるのか。というか作れるのか、と僕以外も大勢思っている様子を見て少し安心してしまった。

「何か文句あるの?」

 静かになった。

「・・・・まあいいわ。」

「さあてさて、」デリンジ先生はなんとなく冷や汗を書いているようであった。「これで集会は終わりです。今日一日は自由時間なので学院の空気を十分に吸って気楽に過ごしましょうねー。では、解散!」



「ニンジンありがとう!すごく美味しい!」僕はニンジンの切れ端を頬張りながらお礼を言った。「しかも切ってくれたんだね!」

「もちろん。一本丸齧りなんて多いじゃないか。」ネイスンは笑った。「あ。」そし て前を見た。

 僕も見た。クルスがこっちに向かって歩いてくるのが見える。クルスが挨拶しようと手を上げようとするのがわかって僕は顔を背ける。

「サリア・・・。」ネイスンは心配するような呆れたような声を出す。

「行こう。」僕は小さくそういって前を歩く。 クルスはフフンと笑って去っていく。どうして無視されたのにそんな余裕そうなのだろうか。

「やっぱり何も話さないのは良くないんじゃないかな。何にせよアルバントの事情を話した方がいいよ。彼とクルスは同級生だし。」ネイスンは言う。

「聖歌隊に入れるまでは僕はクルスと話せない。」

「そんな事は無いでしょう。」

「誰が見てるのか分からないじゃないか。」

「誰も見てない所なら一言ぐらい。」

「どうやってだ・・・誰も見てない所でどうやって呼べばいい。偶然を待つのか?」

「それはそうだけど・・・いずれくるよ。」

「・・・・だといいけどな。」僕はやれやれと首を振った。



「教典暗記の試験は隣の懲罰室でやります。」サルトー・ランドサン修道士が説明した。「中でナーディア先生が確認する事になっております。教典の内容を間違えるということは協和を崩す事であり、悪魔が誕生します。なのでナーディア先生の力をお借りして鞭によって追い払ってくださると、そういう事であります。」

 皆震え上がった。「つまり暗記失敗したら鞭で打たれるのか?」「まじかよ、どんな方式だよ。」「なんで懲罰室なんだ。」「いやだあ、覚えねば。今のうち。」

「さて、順番に呼びますのでね、教室で待機してて下さい。まずはアリス・マクガナータ。」

アリスと呼ばれたその女子はしくしくと泣きながらサルトーと共に教室を出る。皆は必死で暗記分を覚え始めた。そのうち「いやあああああ!」と悲鳴が聞こえて女子たちは震え上がる。僕はその様子を一瞥し、ナーディア先生がいくら悟者だからといって彼女の横暴を許す気にはなれない事を再確認した。それと同時に夏休み中に勤勉に暗記しておいてよかったとも安堵していた。

 戻ってきたアリスは足などに幾つかの痣をつけて帰ってきた。女の子になんて酷い事をするんだ、と僕は憤ったが、アリスの痣程度がいかにマシであったか。アリスより数人後である男子生徒ドーファ・ミンソラドンは殆ど覚えてなかったらしく教室に帰ってこなかった。保健室に運ばれたのである。

「ランチャ・マルカナ」

 やがてランチャの番が来たランチャは余裕そうな顔でランドサン修道士に付いてい く。あの子はどうせ優等生だから余裕だろう、と僕は思っていた。しばらくして沈黙が続き、暗記確認するのも退屈してきた僕が欠伸しようとしたその時に「キャアア!」 と言う悲鳴が上がったので欠伸が止まってしまった。しばらくしてランチャは手の甲に痣ができてそれに息を吹きかけながら帰ってきた。僕は背筋に寒気が走った。 あの優等生のランチャですら間違えるのなら、僕もやはり間違えて鞭を打たれるかもしれない。おまけに僕はナーディアに妙に気に入られているから、間違えただけで相当の鞭打ちを喰らう事だってありうる。

「ネイスン・チルレア」

 またそれから数人後ネイスンは呼ばれた。頼むから、ネイスンは打たれないで欲 しいと切に願っている自分自身に僕は少し驚いた。ネイスンが抱いている愛を僕は持って いないけれど、それでも僕はネイスンに友達の中でも特別な愛情を持っていたのだ。一体厳密にどのような差があるのだろう、とふと思い当たってかぶりを振る。ネイスンが教室から出て沈黙が続く。厳密には沈黙ではなく皆が教典を覚える為にブツブツ唱えている声や、傷ついた試験後の同級生に「大丈夫?」と声を掛け合う友達の声などが聞こえる。やがてドアの開く音。ネイスンは教室に現れた。満ち足りた顔である。無傷であった。

「リンドン・ロンパディオ」

 そして今はリンドンの順番である。金髪の小さな男の子が出て行くのを尻目に見 ながら僕はいよいよ順番が来る事に気づいて焦り、必死で暗記する。「・・・悪魔は人間達を響きの中に留まっているように唆した。そして人間達を自分のものにしようとした。人間の魂が本当の響きの出る場所を見失い・・・」

「サリア・マーク」

 僕は反射的に席を立ち皆を驚かせ、歩きながら覚悟を決めていった。これはある意味ナーディア先生との一騎打ちである。全ての記憶が漏れでないよう、何も考えないよう努めた。そして以前僕を散々鞭打ちで辱めた懲罰室に辿り着く。ドアを開けるとナーディア先生の巨体が狭い懲罰室の奥のわずかしかない鉄格子の天窓の下で座っていたので身体が暗かった。

「さて、」ナーディア先生は静かに言った。「五問質問します。この質問に答えら れなかった、あるいは答えが誤りだった場合、それをもたらす悪魔を鞭で追い払います。よろしいですね。」

 僕はこくりと頷いた。

「返事をしなさい。」ナーディア先生は言った。

「はい。」僕は言った。

「よろしい。」ナーディア先生は本を開く。「では第一問。七戒を全て述べなさい。」

「まず第一にアリュヌフの神を求めなさい。自らを脱ぎ捨て、自らの外を求めなさ い。アリュヌフの神の定める掟に従いなさい。上位者を敬いなさい。悪魔と悪魔を良しとする世界に近づいてはならない。同胞の世界を認め助け合いなさい。男女の愛 は世界の創生の根本である。アリュヌフの神の定める愛の流れに従いなさい。」僕は早口でいっきに述べ立てた。

「チッ、正解。」ナーディア先生は舌打ちをした。「では第二問。何をする者は同じ知を得るとされるか。」

「同じ食を共有する者に同じ知を得る。」

「その通り。では第三問。教典は植物と動物をどう分類しているか。」

「植物には慈愛の性、草を食物とする動物には奉仕の性、肉を食物とする動物には支配の性。」

「あなたにしてはよくできているわね。では第四問。肉は支配の性を強めるため我々は絶対に肉を食べてはならない。正しいか否か。」

「誤りです。」

「ではどのように誤りか。」

「心得に『肉食を少なくする事』と書いてあり禁止ではありません。また魚と卵は許可されます。」

「正解。第五問。全ての者は教典に即するべきである。正しいか否か。」

「誤りです。教典はアリュヌフの民のためのものであり、悟者およびそれに相当する人たちは必要に応じて教典に即さない行動をする権利を持ちます。」

「その通り。」暗闇でもナーディア先生がニヤリと笑うのが見えた。「私は今のあ なたが完全無欠な事に違和感がある。とても不協和に見えて仕方ない。教典にも書いてある通り、 不協和音は正されるべきである。」ナーディア先生が鞭を持って立ち上がる。

「それってアリュヌフの神は許されるのですか?僕はきちんとやるべきことをしましたよ。」僕は焦って早口で答える。

「うるさい!」先生がそう叫んで鞭を振るったので咄嗟に僕は顔を右手で庇ったので、右手の平が裂けた。僕は唖然とした。先生は顔を狙った。

「ちょっと、ねえ、ちょっと」ランドサン修道士も焦っている。

「あの、」僕は言った。「とりあえずテストは終わったんですよね。帰ります!」

 そう言ってナーディアや修道士が何も言わぬ間に出て行く。教室を入りながらも僕は「顔を狙いやがった、あのクソババア・・・」とぶつぶつと呟いた。リンドンがこっちを見つめている事に気づいた。僕は席に座る。裂けた手の平を握ると痛い。まるでナーディア先生の愛情の痕を刻み込まれたような気がした僕は身震いして、こんな傷早くなくなってしまえ、と心から願った。すると傷口はみるみる塞がり、綺麗な皮膚へと戻っていった。あれ?と思っている間にランドサン修道士が焦った顔で、「次、セドリッコ・カババチア」と生徒の名を呼んだ。

 テストが終わり、僕は未だに治ってしまった傷跡を怪訝そうに見ながら立ったその時、 「あ、あの・・・」と男の子が声をかけてきた。リンドン・ロンパディオである。

「なんだい?」僕は訊いた。

「あのさ、サリア・マークだよね。」

「うん。」

「君、ナーディア先生に気に入られてるんだよね。」

「・・・・うーん。」返事に詰まった。するとリンドンは焦るように言い始める。

「あのさ、ナーディア先生とは、その、なるべく、距離を置いて欲しいというか

なんというか・・・」

「はあ!?」僕は意味が分からず強く訊ね返してしまった。リンドンは顔を赤らめてもじもじしながら言った。

「僕、ナーディア先生・・・す、好きなんだ。」内気そうな金髪少年がそう言ったので僕は世界の終わりを悟ったような気分であった。「なんというか、ナーディアって、お、 お母さんの感じがして・・・だ、だから君と仲良くしてるの見てると、つらくなるから、だから・・・」

 どう見たら仲良くしている様に見えるのか。しかしリンドンを傷つけてはいけないので、ナーディア先生に仮に求められてもこっちから願い下げだ、と言いたいのをぐっとこらえて、「それはリンドンの勘違いだよ。僕はあくまで先生は先生として接しているし、向こうもどうせ鞭打つのに面白 いオモチャとしか見てないだろ。」と穏やかに気持ちを押し殺して言った。

「それが羨ましいんだよ!」リンドンがひどく叫んだので僕は後ずさりした。「何で君ばっかり・・・僕は何しても教父からの書き取り罰則なんだ・・・もっと懲らしめてよ・・・懲らしめてよ・・・僕を力いっぱい・・・懲らしめてよ・・・」そういってぐすぐす泣きだしたので僕はどう言っていいのかわからなかった。とりあえず心から正直に思った事を言おう。

「君の願いが叶うといいね。」



「教父。」寮の夜の面談で、クラブ・ランドサン教父に僕は言った。「今日は教典講読のテストでした。」

「サルトーの授業だね。」ランドサン教父は言った。サルトーは弟である。

「はい。」僕は迷いながら言った。「サルトー先生は引率で実際はナーディア先生が試験官でした。間違えたら鞭を打つのです。」

「ナーディア先生が担当する学年は大変だねえ。」教父はほっほっほと笑った。

「・・・僕全問正解だったのに鞭を打たれたんです。」

「ほう・・・それは何で。」

「今の僕が完全無欠なのが気に食わないって。」

「本当にそう言ったのかい?」

「・・・正確には不協和に見えて仕方ない、だからそれを正すって。でも僕には気に食わないから鞭で打ってやる、と言ってるようにしか見えません。」

「サリア。その気に食わないと言っているようにしか見えない、というこそが悪魔の声である事に早く気づかないといけないよ。」ランドサン教父はなぜか焦ったようにそう言ったが、僕はその言葉の意味が全くわからなかった。

「どうしてですか?」

「ナーディア先生は悟者だ。悟者はアリュヌフの神に近い存在であり、その判断を君たちアリュヌフの民のレベルに落とし込んで理解する事などできない。なぜなら君は真実を越えた真実をまだ知らない。だからそのように悪意があるように見える。」

「よく分からないのですが、言葉と内心思ってる事が食い違うというのは人間だったら誰でもある事だし、他人が相手の心を予測するのは悪魔に取り付かれてなくてもできるんじゃないですか?」

「黙りなさい。今はナーディア先生に歯向かってはいけないし、そのような考えを抱いてもならん。」

「・・・・どうしてですか・・・」僕は今の彼が、初対面の教父の落ち着いたそれは無く、何かに怯えている様子に見えていた。この様子に見える、とやらも悪魔の声だというのか。では何も信じる事はできない。

「じゃあ、率直に言おう。」教父は言った。「君が問題を起こすと、私の悟者値が下がってしまい、場合に拠っては教父の地位を剥奪されてしまうからだ。」

「悟者値?」

「アリュヌフの民の上位に悟者がいるだろう?悟者というのは現世に解放されている以上、上位存在がアリュヌフの神以外に無い。その代わり、どこまで悟りに達しているかが複雑な計算式で求められている。これが悟者値だ。私の担当分の君が問題を起こす事によって私の悟者値が下がり、最悪の場合教父を辞めざるを得ない。そうすると君は教父を辞めさせた生徒として、悪魔に取り付かれた人間と見なされ、 苦痛に満ちた学院生活を送る事になるだろう。」

 僕は黙った。

「自分の都合を言ってしまったように見えるがこれは君の為を思って言っているんだ。」教父は焦るように言った。「だから、ナーディア先生とは問題を起こさない で欲しい。」

「・・・わかりました。」僕は適当に返事をし、面談をそのまま切る事にして教父に一礼をした。面倒である。自分がナーディア先生に背く程に罪深い人間なのは分かる一方、ではナーディア先生にとって都合の良い人間になる選択は恐らく生理的なレベルで不可能であった。そう考える過程でひょっとして、やはり、何が悪か否かは、人それぞれの解釈があるのでは、という疑念も浮かんできた、とその時にネイスンが現 れ、「サリア、今日も声見てくれる?」と言ってきた。僕は悪い気分だったし、気晴らしにいいタイミングだな、と思ってネイスンの歌の指導に付き合う事にした。ネイスンは今やとても美しいカウンター・テナーを発する事が出来ていて、自分さらに上を目指して頑張っていかねばなと思い、ネイ スンの指導が終わったら自分も練習しようと僕は思いながらネイスンに「じゃあ声出してみて」と言う。

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