#05 「それが、数年前から神が与えてくれた課題なの。」

「一体どうして君は」校長マンドール・キドラは僕に目もあわせずに言った。「ダーラス神父の言う事も聞かずに外に飛び出したのかね。アリュヌフの神が御業を行っているかもしれないと、予想できなかったのかね?」

「それは・・・・・。」なぜか言葉が出ない。

「まあまあまあ。」僕の面談担当のクラブ・ランドサン教父が助け舟を出した。「クラスメートを助けたい一心だったのですよ。」

「・・・・そうか。」マンドールはようやく僕を見た。「まあ確かに、神が香壇の外に出られるのは珍しい事だ。だから君もまさか神を目撃するとは予想はできなかったのだろう。つまり今回は事故という事で・・・」

「校長、そんな生易しい対応されては生徒の悟りによくありませんこと?」ナーディア先生が口を挟んだ。「こういうのは事情を問わずに厳しく罰則を与えるべきです。」そして僕に極めて嫌らしい微笑を投げかける。

「・・・ナーディアが言うのなら仕方ない。」マンドールはため息をついた。僕は 思わず、「え、校長?」と声を漏らしたがマンドールは「サリア・マーク、鞭打ち30回の処罰。」と言って書類にサインをした。僕は何が何だかわからず血の気が引き、力が抜けて椅子の背もたれに倒れた。



「さあてと。」ナーディアは鉄格子の狭い部屋で僕を椅子に縛りながら楽しそうに言う。「お久しぶりねー、サリア・マーク。ランドサン教父が君がかばったけれど、あんなの、自分の受け持つ生徒の失態をなるべく減らして点数沢山稼ごうって魂胆はミエミエよ。」「点数?」と僕が疑問を口にしようとするかしないかのうちに口に布を詰め始めた。「まーだ。まだ喋っちゃだめ。焦りんぼさんだから。これは舌切らないために詰めてるのよ。」口蓋にまで布が圧迫してきたので僕はえづきそうになっているのをナーディア先生が確認しながら言う。「あんたはまだ悪魔に取り付かれているのよ。他の人はあの悲鳴を聞いて神父の言いつけ通り誰も外に出なかったのに、あんただけ全く無視して何かに駆られるかのように一生懸命飛び出そうとしてたのがその証拠。何があなたを突き動かすのかしら?。悪魔があなたに囁きかけてるに違いない。」ナーディア先生は鞭の調子を丹念に眺めながら喋る。「私はね、 子供から悪魔を追い出すのが得意なのよ。なぜ分かると思う?子供を殴ったり鞭を振るったりすると、凄く神秘的な気持ちになるの。体中がゾクゾクするような。自分がアリュヌフの神が与えた力で満たされている、って感じるの。」そう巨躯の女が微笑ましく語るのを見て、僕は震えが止まらなくなっていた。「特に不思議なのはね、君みたいな可愛い男の子や女の子に鞭を振るう時、その神秘がすごく高まっていくの。どうしてだと思う?」ナーディア先生にそう訊ねられても僕は理解できなかったので返事しなかった。ナーディア先生は僕の服を捲り上半身のあばらを晒しながら言う。「それが、数年前から神が与えてくれた課題なの。」そして鞭を振るう。切られるような激痛で僕は「アウッ」と叫ぶ。「・・・ラン。」ナーディアは学院独特の数の数え方で鞭を振るう。「ツー。」僕は身をよじる。「ベル。」ナーディアはだんだんと息が荒くなっていく。「トゥー。」僕も叫びながら息が荒くなっていく。「ルィス。」






 途中から数を数えなくなり結局57回の鞭打ちをして満足したナーディア先生は僕を置いて去っていった。僕は背中と腹の激痛に耐えようとしたが、感情の方が耐え切れず、えづくように大泣きしていた。いや、いいんだ、いっそ泣いてしまおう、と僕は思った。今の自分は、ナーディア先生が何を考えてらっしゃるのか考え始めてしまったら、確実に混乱して精神が壊れてしまう。ナーディア先生は狂っている。これだけは確実であった。ただどう狂っているのか分からない。教典を・・・教典を読まねば、と僕は朦朧とした意識で考え続ける。懲罰室の扉が再び開かれる。「サリア!やっぱりここにいた!」ネイスンの声。「何てこと・・・ちょっとまってね!包帯とかとってくるから!」扉が閉まる。そして暫く待っていると、扉が開いてネイスンが傍に来るのを感じる。暖かい気持ちになる。「ちょっと、消毒するから、ガマンしてね。」消毒が背中が染みて痛さのあまり僕は身をよじってしまう。「ごめんね。」いや、鞭打ちに比べたら暖かい痛みだよ、といおうとしたが声が出ない。ネイスンは綿を被せ包帯を巻きながら言う。「サリアは友達を助けたくて行ったのにね。こんな罰をさせた校長もひどいね。」いや、ナーディア先生の提案だったのだ、と言おうとしたがやはり声が出ない。思い返してみれば、ナーディア先生の疑いにも一理があった。自分は確かに神殿の外の邪悪な何かを感じて、それに駆り立てられて先生の声をも無視して外に飛び出していた。だが一方でランドサン教父やネイスンの言う通り、その予感を通してデューリッヒの安否が気になったから駆け出した、というのもあり、自分としては自分の行動の中に悪魔に取り付かれている瞬間があるなどと実感が湧かない。「大丈夫だよ。」ネイスンの声。「サリアは自分が思ってるほど悪魔に取り付かれていない。すくなくとも、この僕よりはね。」ネイスンのその言葉に、僕はちょっと申し訳ない気持ちになった。「デューリッヒは・・・。」ネイスンの声は沈んでいた。「死んだよ。サリアはそのまま神殿の校長室と懲罰室に連れてかれたから分からないよね。僕たちが神殿の外に出たら、デューリッヒの身体はひねられてた。そしてカメラマンの人がやってきて、デューリッヒのその様子を何枚か撮ってた。」『御業集』に使うのだろう。「アルバント先輩から聞いたんだけど神の処罰を受けて死んでしまった人はそれほどまでに汚れているので、葬儀されないんだって。その代わり浄化式っていうのがあって、さっきもう終わったんだけど、すごくつらかった。修道士たちが一斉にデューリッヒの身体にホースの水をかけたんだ・・・。」あまりにおぞましく、僕は吐き気さえ感じてきた。「そのあと水に濡れたデューリッヒがどこに運ばれていったのか僕は知らない。いやだよ。僕はあんな目に遭いたくない。ちゃんと卒業して立派にアリュヌフの民になりたい。」君ならなれるよ、ナーディアと違ってきちんと戦っているから。そういう考えがふと浮かび、僕はふと気づいた。ナーディア先生は戦っていない。戦わず、自分の快楽と真理の悦びを完全に取り違えて酔っているんだ。ならばこそ、教典と矛盾するところを徹底的に探し出してナーディア先生を糾弾せねばなら ない、と僕は決心した。「はい。できたよ。」ネイスンがそういうので起き上がる。 ニコリとネイスンは笑いかける。「これで服を着れば目立たないね。」


 それから1ヶ月経っても傷はなかなか治らず、その傷の痒みから苛苛が募るばかりであった。ただしその月の末行われた礼拝では、デューリッヒのような惨事は全く起きず、ふたたび聖歌隊たちの美しい歌声に魅せられながら、聖歌隊への夢を募らせて期待に胸を膨らませていった。

「聖歌隊ってどうすれば入れるかなあ。」僕は言った。

「僕たちは中学クラスだから」ネイスンが言った。「少年合唱ではなく青年合唱の聖歌隊のオーディションだろうね。」

「そうなのか。」

「僕ら13歳でしょ?もうすぐ声変わりとかあると思うの。だから少年の歌声じゃなくてテノールやバスなどの低い歌声のオーディションなんだろうな。」

「そうか・・・。」僕はあまり想像がつかなかった。まだその時は幼い高い声だったからだ。 自分が聖歌隊の中のあの青年たちのように、合唱を支える野太い声を発するなんて、 なんだか恥ずかしいようにも思えた。(どちらかというと、目立ちたいんだけどな・・・)


 その日の音楽の授業では何故かボゴレフチア・ナーディア先生が教室の端に立っているのが見えて、あの懲罰の記憶が頭にちらつくために僕はあまり集中できなかった。デリンジ先生の指揮の下、授業の初めに学んだ『感謝のうた』と新たに学んだ『執り成しのうた』を皆で歌う・・・


アリュヌフの神よ ありがとう

勝利を私に 下さって

僕たち(私たち) 皆 あなたのもの

魂預けて 高めよう


・・・これが『感謝のうた』で、続いて『執り成しのうた』が続く・・・


嗚呼 アリュヌフの神よ

神を知らぬ人の 代わりに

僕たち(私たち)祈りましょう

悟りと救いを

嗚呼 アリュヌフの神よ

御力をお示しください

僕たち(私たち)あなたの手足となり

世界を清めます


・・・歌が終わるとナーディア先生はむすっとした顔でゆっくりと拍手しながら「ガキどもがやるじゃない。」とボソリと呟いた。

「でしょう?」指揮を終えたデリンジ先生は後ろを振り返って言う。「来週の課外授業はいけますよね。」

(課外授業?)と僕は思った。同級生たちも初耳でわさわさと囁いている。

「いいけど、あんたみたいなひ弱メガネが街でこのクソガキどもの面倒を見れるわけ?」

 ナーディア先生の「街という言葉にさらに生徒は囁きあっている。これからどこにいくのだろう。

「ハハッハッハ、ナーディア先生は相変わらず、怖くて!手厳しい。」デリンジは

わざわざ『怖くて』を強調しながらそういった。「何ならあなたが同行すれば生徒達 だって、あたかも殺虫剤をかけられたヨトウムシみたいにキャーッて縮こまるんじゃないですかね。」

「その方がよさそうね。誰かが子供達とはしゃぐ大きい子供の面倒を見なきゃいけないし。」ナーディア先生はデリンジ先生を睨みながら言う。

「ハハッハッハ。」デリンジ先生は笑いしか返さなかった。詰り合いは終わったようだ。ナーディア先生は教室を出ようとして、戸口の所で突然僕をチラリと見てニヤっと笑う。心臓が止まるかと思った。回りで生徒たちがプークスクスと笑う声が聞こえて恥ずかしくなる。

「そう、それでね、あの頭も身体もカチコチな先生のおかげで話し合いがなかなか進まなくて、お知らせが遅れてしまったんだけど、」デリンジ先生は少し苛苛している 様子である。「みんなの素敵な歌声のおかげで課外授業ができそうです。この山を下った街で、僕達の歌でアリュヌフの教えを伝える。来週一日中その時間になるから、体調に気をつけてよろしくね。」


 授業後、案の定同級生の男子たちから囃し立てられる。。

「お前ナーディアに惚れられてるんじゃねえの?」「ひゅぅ~!」「あいつ好きな

人にはやさしいかもよ?」「いや、逆にめっちゃくちゃ激しくヤりそう。」「一日に八 度くらい求められるんじゃね?」「ゲハハハハハ」「鞭で繋がれた教師と生徒の禁断の恋物語、お熱いですねぇ~。」

 さすがにそこまで言われてしまうとサリアも我慢がならなかった。こういう攻撃的冗談はよくあるけれど、只でさえ苦手なナーディア先生についてなので、笑い返す余裕もなく本気で言い返そうとした、その時に女子の鋭い叱責が来た。

「ちょっと!サリアくんをいじめたら可哀想よ!」なんとランチャ・マルカナであった。 「サリアくん、前も小さい事で二回もナーディア先生の鞭打ちの処罰されてるんだから、そんな事言われたら嫌だって事分からないの?」

 すると男子生徒のドーファ・ミンソラドンが面白がって言い返す。「だから好きに なったんだろ?私の元に二回も来てくれたわ、とか思ったんじゃね?」

「やめてよ!」ネイスンが叫んだ。「サリアを好きなのは、僕だ!」

 沈黙。ネイスンは口を滑らした事に気づいて「・・・友達としてね」と言って目 が泳ぎだす。僕は、は、と気づく。このままではネイスンの身が危ないと思って慌てて言う。

「ああ。ネイスンと僕は親友だ。そして僕はクラスのみんなも好きだ。アリュヌフの民もみんな、大好きだ。」僕は言った。「そしてナーディア先生が僕の事をどう思っているのかは、知らないし、知る必要も無い。」

 ドーファは「あ、ああ・・・」と言い返す言葉を失っている。

 しかし場が一気に白けてしまい僕が首を振りながら呟く。「・・・ああ、冗談だったのにマジで返してしまった・・・」

「いや、素敵だわ。」ランチャがうっとりした瞳で言う。「あんたって強いんだね。」

「そうかあ?」

 僕がそう答えた時、男子達はその仲睦まじい光景をいまいましく感じたらしくその場から去り始める。

「ねえ、また歌の指導してよ。」ランチャが言った。

「でも君歌えるだろう?僕は特に指導する事ないよ。」

「じゃあさ、逆にサリアくんの苦手な教科とかない?」

「うーん・・・教典講読かなー。規則を覚えるのがどうも苦手なんだ。」

「よし、得意分野。よかったら教えてあげてもよくて?」

「え、いいのかい。」どうしてそんな親切にしてくれるのだろう。

「勿論。」

「それは助かるなあ。」

「僕もいいかい?」ネイスンがランチャに話しかける。ちょっとネイスンが挑戦的に感じた。ランチャは途端にあのうっとりした瞳から親しげな眼差しに変わって「あ ら、勿論いいわよ。サリアと一緒に来て。」と答える。「分かった。」ネイスンは淡白に受け答えした。

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