#04 何かがひどく怯えている感じ。そして明らかな殺意。

 教典講読の授業は奇妙な形態であると僕は当初思っていた。というのも最初に物 語の章を読まずに規則や道徳律の章を先に学んだからである。教えの方が大事なのだろう。

「さて、もう3週間も規則ばかり学んでは飽きるでしょうから」サルトー・ランドサン修道士はのんびりとした口調で言った。彼はサリアの教父クラブ・ランドサンの弟である。「いよいよアリュヌフの神の物語につい て話しましょうかね。」

 わぁわぁと歓迎するクラスメートたちの声。「おやおや、よほど楽しみだったみた いですね。」ランドサン修道士はにこりと笑った。「では読みましょうかね。」ランドサン修道士は教典を開けて朗読し始めた。



 ・・・これから書かれるのは教典の要約である。[]内で表示されるのは教典の引用 である。・・・



 アリュヌフの神は地を作り出した神である。神は動物の集う世界の中で一つの種を選びとり、人間という最も優れた種を作り出した。


 [聖草セリウミャは真実の香りを放つ草であり、同じく真実の存在であるアリュヌフの神が常に食用とするものであった。アリュヌフの神はそれを人間に嗅がせた。『同じ食を共有する者に同じ知を得る』という法則の通り、人間にはアリュヌフの神と同じ真実が心に備わ った。こうしてあらゆる生物の中で人間だけが魂を手に入れた。]


 しかし人間は愚かであった。セリウミャを嗅いだ事で知性を手に入れたが、それによって自分たちが最も賢いと思うようになり、各々が神になろうとした。神であろうとした。その傲慢な心が悪魔を産み出してしまった。


 [悪魔とアリュヌフの神との戦いは数千年も続き、その度に人間たちの心は幾度となく大きく揺り動かされ、結果正義と悪の渦巻く数々の戦乱の原因となった。]


 戦乱の結果、人々は自分の人生だけにより固執するようになアリュヌフの神に関心を示さなくなった。こうして悪魔は勝利してしまった。その結果、聖草セリウミャの数も減少し、それを食用とするアリュヌフの神は自身の存続に危機感を抱き始めた。


*


「現在セリウミャは、あの香壇の花壇でしか栽培されていない。」ランドサン修道 士が言った。「ここの香壇で焚かれているのは、セリウミャなのだ。」


*


 もしもセリウミャが絶滅しアリュヌフの神が存続できなくなったら、神の不在により世界は汚れ、滅びに向かっていく。そう考えたアリュヌフの神は地に降り立った。こうしてアリュヌフ学院の初代校長となるレミーノ・オルシオは神と出会った。

 [レミーノ・オルシオはアリュヌフの神の弱弱しい姿を見て驚いたが、同時に神から多くの啓示を受け、山奥の別荘に神を住まわせた。後のアリュヌフ学院となる場所である。]


*


「だから今もなお香壇の中にアリュヌフの神が住んでいる。」ランドサン修道士は言った。「そうなの?」「見たい!」「見たいです先生!」クラスメートが口々と言うとランドサン修道士は声を荒げた。「だめだだめだ。ご神体は大事にしておかなきゃいけないし、それに君たちがもし神の怒りに触れたら、ただじゃすまない。命がいくつあっても足りない。」 生徒は黙ってしまった。ネイスンが「ヒッ・・・」と悲鳴を上げる。

「御姿を見たければ、神殿の前の像がそれだから、それを見なさい。」ランドサン修道士は教典をめくりながら言った。「ほら、教典に書いてある。『神と会話が許されるのは悟りに達した者のみである。それ以外の者は神の赦し無しに行ってはならない。その時も姿を見てはならない。さもなくば神の罰が下る。』だから君たちはむやみに興味を持たないことだ。」




「あんなこと言って、もったいつけやがって。」授業後にデューリッヒはネイスンに言った。「どうせ上級生は見放題に決まってるだろ。チェッ。」

「僕たちはまだ悟りを見出してないからしょうがないよ。」ネイスンは言った。 「見る事なら自由だろ。」

「待って、見に行こうとしてるの?」ネイスンは慌て始めた。

「ああ、ネイスンもいくか?」

 見かねて僕は言った。「やめて。本当に罰が来るよ。」

「バレなきゃいいだろバレなきゃ。お、ドーファ!次の授業いこうぜ!」 そう言ってデューリッヒは彼の仲良しのドーファ・ミンソラドンと共に去ってしまった。

「何もないといいね。」ネルスンはデューリッヒとドーファの後姿を見ながら言った。「うん。」僕も頷いた。

 ネイスンは僕に対する気持ちを打ち明けてから大分落ち着いてきている。ごく普通に友達のように爽やかに話しかけてくれる。思えばあの時の熱い眼差しや苦しみのようなものは全部自分に対する好意から来ていて、それを全て我慢していたのだな、とあの事件を経て僕は気づいた。それが今和解したかのようである。ただネイスンは時々昼食を共に食べる時に、我を忘れてボーッと僕を見つめている時があり、 僕がそれに気づくとあわててネイスンは何事もなかったかのように喋り始める事があった。

 歌の指導はその後も続いた。「今日は襲うんじゃないぞ。」僕が冗談交じりにそう言うとネイスンはくすくすと笑い出した。「これは歌の授業だからな。ちゃんと歌に集中するんだぞ。」そう言えば今日も先ほど花壇に水を植えていたが、あの不思議な先輩クルスと再会する事は無かったな、と気づいて、ちょっとだけ僕は心寂しく感じていた。水を植えていた時、花壇に『セリウミャ』の看板があった事も思い出す。聖草だから大事に育てないといけないな、 とその時も思いつつ、僕はネイスンの歌の指導を始める。それはごく普通に落ち着いた指導であった。

「声を出して。」「アー。」「姿勢はもっとこんな感じかな。」「あ、うん。」「よし、声を 出して。」「アー。」「お、よくなったよくなった。」

 歌の指導といえばランチャはあれ以降一度も僕に歌の指導を頼んでくれなかった。再会しても「おはよう!」と元気に挨拶してくれるだけである。一体あの時の時間は何だったのだろう、と僕はランチャと会うたびに少し呆れてしまうのだ。



 月の終わりは日中に神殿で礼拝が行われる。神殿の前にはあのアリュヌフの神の銅像が建っていた。礼拝は始めてなので何が行われるのかどきどきする。制服の黒いフードを来た学院生たちがいっせいに集い、その上に曇り空から灰が沢山降ってくる光景で益々夢の中を漂っているような気分である。香壇は神殿のすぐそばにある。

「おや、いつかのサリア・マーク。」と声がかかったので振り返ると上級生のアルバント・キンベルクであった。「どうかな。『御業集』はしっかり読んだかい?」

「言われた後すぐに読みました。凄かったです。恐ろしい内容でしたが・・・」

「サリア・マーク、恐ろしいんじゃない。神聖なんだ。」アルバントは厳しい顔で言ったがすぐに和らいだ。「まあ、読んでくれてよかった。君も早く悟りに達せるといいね。」

「ありがとうございます。」

 混雑の中ネイスンとはぐれてしまった僕は彼を探していた。ネイスンもきっと僕を探しているに違いないだろう。人ごみをかきわけかきわけしていたら、誰かの身体に触れてし まったらしく、「ちょっと!」と女の声がした。「失礼しました!」と言って僕は気づいた。クルス・ザンドラである。

「あら、サリアくんじゃない。」クルスはニコリと笑った。「始めての礼拝かしらね。」

「あ、はい。」僕は緊張して答えた。

「礼拝には私の同級生が出るよ。」

「クルスさんは・・・?」

「私はいいの。」

 おや、と僕は思った。クルスはニコリと笑う。

「じゃあ、楽しんで。」

 そしてクルスは人ごみの中に紛れていく。その後に「サリア!サリア!」と呼びかける声が聞こえて振り返るとネイスンであった。

「よかった、見つかって・・・。」

「そんな大げさな。さあ、一緒に行こう。」

「うん。」

 神殿は実に無味乾燥なつくりだが堅牢な設計なのが見て取れた。天井には銅像と同じ姿のアリュヌフの神のステンドグラスがあった。ステージと教壇、そして広い部屋に沢山並んだ椅子があり、僕らは一番前の椅子に座った。

 そして教団から人が一人現れ、鐘をしゃんしゃんしゃんと鳴らす。礼拝開幕の合図のようだ。ステージは暗転し、紫の服装の者たちが数人現れ、ステージ上に並んだ。これから何が始まるんだろう、と僕だけでなく、皆楽しみなのかわさわさと喋っていた。紫の服装の者たちはいっせいに口を開く。その時僕は気づいた。彼らは聖歌隊だ。


おお アリュヌフの神よ

足元の弱い我々を導いてください

おお アリュヌフの神よ

足元を掬う悪魔を避けてください


僕はその歌声の瑞々しさにひどく心打たれてしまった。美しい声を持つ者たちが心一つに合わせて煌めくような声を奏でる。それは次に男声と女声が交互に分かれて歌う事で各人の歌がいかに美しいのかがより鮮明に分かっていった。


全てはあなたのために

(全てはあなたのために)

アリュヌフの神よ

私は前を行きます


 僕は思わず拳を握っていた。「サリア・・・?」と不安げに話しかけるネイスンの声すらも無視し、僕はその声に魅せられてしまっていた。この聖歌隊の一員になれるのなら、それはとても幸せな事だろう。是非そうなりたい。そしてアリュヌフの神にこの歌声を捧げる事ができるのなら、僕の人生はどれだけ救われるのだろう。


 歌が終わると神秘劇が始まる。不思議な衣装とお面を被った者たちが踊るようにその役割を演じる。仮面を見る限り、役柄はアリュヌフの神といくつかの人間、そして悪魔である。太鼓のリズムに合わせて聖歌隊の一人が内容を語る。


♪アリュヌフの神は私たちをセリウミャの草で作られた


 アリュヌフの神を演じる神聖な衣装の人が、間抜けなお面をつけた人間に、セリウミャを模した葉っぱをさらさらとかけると、人間が立ち上がる。


♪しかし愚かな私たちはアリュヌフの神を裏切って 挙句に争いを始めた


 人間役の人が偉そうにふんぞり返ってお互いに喧嘩しあう。


♪それでもアリュヌフの神は私たちを見捨てない 私たちが産み落とした悪魔と戦い勝つために


 そして部隊袖から馬の顔の被り物をした悪魔が現れる。同時に伴奏の太鼓のリズムが早まる。上級生達が盛り上がっている。「頑張れ!アリュヌフの神!頑張れ!」アリュヌフの神と悪魔は互いに舞い踊る事で戦いを表現する。なんだ、仲が良さそうじゃないか、と一瞬思ってしまったが僕は慌てて首を振る。「頑張れ!負けるな!」「悪魔に打ち勝て!」叫ぶ上級生の群れを僕は眼を凝らして眺めてみた。その席の中にクルスが座っていたが、クルスはただ何も叫ばずに淡々とステージ上を見つめていた。

 太鼓が強く一打され、悪魔は倒れた。アリュヌフの神が両腕を上げる。そして一斉にウォアーという歓声が上がる。僕の周りでもその歓声は上がった。ネイスンも僕を見ながら腕を上げながら大声を上げていた。僕はとりあえず腕を上げながら「うおあー。」と大声を上げたが、 実際アリュヌフの神の演劇にそれほど心動かされなかったことに僕は衝撃を覚えた。確かに歌は物凄く美しかったし、衣装も太鼓も素晴らしかった。そこには心洗われる感動はあったが、アリュヌフの神が勝った事には何も感じていなかったのだ。僕はやはり罪深いのだろうか、と再び苦悩しそうな予感がして、すこし嫌な気分になっていた。


 そこに一人の老人が現れる。「ダーラス・ドンドンディオ神父!」とネイスンは声を上げる。「神父?」僕が訊ねる。「そうそう。」ネイスンは答えた。「教父や修道士の長なんだ。」

「新入生の皆さん、重ね重ねになりますが、入学おめでとうございます。」ダーラス神父は話し始める。「このようにしてアリュヌフの神に礼拝が守られた事を感謝します。今日は月の終わりの聖なる日。新入生は学校入って一ヶ月、新入生以外のみなさんも、学年が上がって一ヶ月、どんな日々を過ごしたのか日々を振り返ってみるのも良いでしょう。ど のような悟りを得られたか、どのような罪を犯してしまったか、振り返って次の月どのように生きるか、それを考えてみるのも良いでしょう」・・・突然僕は緊張を感じた・・・ 「みなさまはどうしてアリュヌフ学院にいるのか考えた事があります?いろんな事 情があるでしょう。しかし、その事情も実際には」・・・何かがひどく怯えている感じ。 そして明らかな殺意。・・・「後付の理由に過ぎません。そもそもあなたがた、そして私たちが産まれる前からアリュヌフの神はあなたを選んで下さり」

「アーッ!アーッ!」


 どこからか悲鳴が聞こえて神父は喋りを止めた。上級生も回りもざわざわと「何だ?」 「誰の悲鳴だ?」「ここの学院生かな。」と噂する声が聞こえた。「外から聞こえるぞ!」と僕は良い、皆がそれにつられて一斉に外に向かおうとしたが、ダーラス神父が「行ってはいけません!外に出た者は処罰します!」と大声を上げたので皆静止して椅子に戻った。「デューリッヒが来てない。」ネルスンが行った。「デューリッヒ、まさか・・・」 そのまさか・・・僕も察していた。「アーッ!アアーッ!」遠くから聞こえる悲鳴。僕は駆け出した。「そこの男子!止ま りなさい!止まれ!」神父が叫んだ。他の先生が取り押さえようとしたがうまくそれを避け、先生は壁に激突して昏倒した。僕は扉を抜け、神殿の外を見た。灰色の曇り空、デューリッヒは空中で身をよじりながら「アアーッ!アーッ!」と悲鳴を上げていた。視界で何かが蠢く気配がするので振り返ると、紫色のマントを被った何かがはためかせながらデューリッヒに近づいていった。そのマントの中の殺意のような黒い電気を感じて僕は心臓を抉られるような恐怖を抱いた。 デューリッヒは眼をかっ開いて歯をむき出しにして悲鳴を上げ続けている。「戻りなさい!戻りなさい、サリア・マーク!」とナーディアが呼びかける。しかし僕は怖くて怖くて、足がすくんで動けなくなっていた。ナーディアがどしどしと歩く音が聞こえる。そしてナーディア僕の傍に拠って一発頭を拳で叩いた。激痛で身をよじったが、ナーディアは僕の服を持って神殿まで引きずっていく。視界がぼんやりしていてあまり分からなかったが紫のマントの何かは身をよじるデ ューリッヒらしき姿に近づいていた。「アーッ!アーッ!アアーッ!ア・・・・・」と デューリッヒの声が止んだかと思うと、彼の姿がそのままぐらりと傾き始めたような、 そんな時にナーディアが乱暴に扉を閉めてデューリッヒに何が起きたのかわからずじまいとなった。しかし外で微かにドサッと音がしていた。そして神父が神殿の中で説教を続けていた。「・・・であるからして、私たちはアリュヌフの神に感謝して、日々 を生きていくのであります。朝起きる時も、朝食を食べる時も、授業に望む時も、忘れずアリュヌフの神が私たちを生かしてくださると」・・・僕は閉ざされた入り口前で頭を押さえ、ナーディアが唇の端を上げながらこちらを見下げていた。その時僕は自分のしでかした事に気付いて青ざめた。どうしよう、あれは絶対あれだ。アリュヌフの神だ。マントを覆ってたとはいえ、神を、見てしまった。見てはいけなかったのに・・・。きっと酷い処罰をされるに違い ない。声だけは・・・・声だけは・・・・僕は必死に「アリュヌフの神様、お許しくださ い、アリュヌフの神様、お許しください、アリュヌフの神様、お許しください・・・」と祈り続け、神父は説教を続けていた。

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