#03「君の、その、罪だって、賜物に変わる時があるんじゃないかな。」

 僕は幸せだった。入学時はどうなることかと思ったが、アリュヌフの神が与えた歌の力のおかげで、これからも楽しい学校生活が臨めそうだったからだ。廊下を歩けば「おはよう、サリア!」とクラスメートが挨拶してくれる。うーん、嬉しい、と幸せに浸りながら前に歩く。しかしその幸せがどんどん冷めて来る、と思ったら、向かい 側にナーディア先生の巨体がドスドスと歩いて向かって来るのが見えた。僕はなん となく真顔を努めて、「こんにちは、ナーディア先生。」と静かに言った。ナーディア先生は舐め回すような目で僕をじっとりと見つめて、「フン」と軽くため息をつい て去っていった。どうやら今の僕は真面目すぎて面白くないらしい。気配が去ったのを背中で確認してから僕は軽くため息をついた。この学校で嫌な事といったらナーディア先生くらいだな、今のところ、と思っていた。『御業集』でもいくつか見かけたが、彼女は小さなことですぐに体罰を化して子供が泣き出すのを喜悦に感じる重度のサディストなのが用意に感じ取れる。おそらくその快感に生きる事に慣れてしまった(母の手紙でも『名物の鞭』と言われているし、もう長い間そういう理不尽な体罰をしているのだろう)から、まともに抗議しても話の通じない相手のように思える。であるならばできることは、彼女の欲望を刺激しないよう彼女の前では従順になりきる必要があった。

 昼休み、僕は空いている音楽室に向かった。女子のランチャ・マルカナに歌のレッスンをするためだ。考えてみれば女の子と話すのは、幼い頃に近所の娘と話すぐらいで、このように他人に近い女の子と喋るのは始めてである。しかも自分に歌の才があると知ったのもごく最近で、当然指導も始めてなので多少緊張している。しっかり責任を持って誠実に歌を教えなければな。

 ところが、ランチャは僕の指導にあまり真剣に付き合ってくれなかった。僕は言う。「じゃあ声を出して。」「あー。」「うーん、歌の指導だからただ声出すじゃなくて、きちんと歌って欲しいな。」「わかった。あー♪」「うん、いい感じだね。じゃあとりあえず、この前の聖歌歌ってよ。」「♪アリュヌフの神よ ありがとう 勝利を私に 下さって」・・・ランチャは普通に歌えているので何を指導していいのか僕は困った・・・「よし、 全然音程とか声の出し方とかバッチリじゃないか。どこを教えていいのか困るくらいだよ。」ランチャはちょっともじもじした。「・・・わたしね、父が歌の先生をし ているの。」僕はちょっと驚いた。「それじゃあ、僕なんかのレッスン必要ないじゃないか。」「違うの。そのね、わたしね、あなたのその、綺麗な声の謎を知りたいの。」ランチャは何故か照れていた。僕は気づいた。歌のレッスンが目的ではないな、と。主目的は声の謎を知りたい。 興味。「サリアって、どんな食べ物が好きなの?」「食べ物?え・・・なんで?」「どんなものを食べたらそんな声になれるんだろうかなーって。」「そんなの一概に言えないけど、まあ、うん・・・リンゴかな。」「リンゴ!あたしも好き!」「ふうむ。」「じゃあさじゃあさ、食堂のご飯で一番好きなのは?」「・・・ゆで卵入りカレーかなあ。」 「わかった、じゃあ、私もゆで卵入りカレーを食べてみるね。声が良くなったらいいな。ありがとう!」そう言ってランチャは去って行った。一体何だったんだ、と僕は呆れてしまった。レッスンではなかった。


 夜になって僕は食堂に向かった。食堂は幾つかメニューがあって、自由に選べるようになっている。僕は「ゆで卵いりカレーをください。」と食堂のおじさん、バルダス・メンジアに言った。するとバルダスおじさんは申し訳なさそうな顔をして「すまないねえ、今日になって、 急にゆで卵入りカレーが人気になっちゃって、卵がもうないんだよ。」と答えた。なんか予感がしたが、それはともかくとして、「じゃあカレーください。」と言った。「す まないねえ、」といいながらバルダスおじさんは皿にご飯と色の濃いカレーをよそう。

 食堂に向かうとランチャを中心とする女子達が皆ゆで卵入りカレーになっている のに気づいて、ああ、やっぱり・・・と僕はかぶりを振った。ネイスンがやってき た。彼もお盆にゆで卵入りカレーがある。

「あれ、サリア、ゆで卵は無いの?」

「ああ。売り切れてしまって・・・て、なんで僕のゆで卵入りカレー好き知って るんだ。」

「女の子達が噂してた。」ネイスンは伏し目で言った。「サリアはゆで卵入りカレーが好きだって。ゆで卵入りカレーを食べればサリアみたいにいい声になれるかもしれないって。」

 サリアは女子達の席を再び見る。女子もそれに気づいたらしく、「見てる、見てるよ・・・」と小声でひそひそ言いながら笑っていた。

「サリア。」ネイスンが必死に呼びかける。「あの、ゆで卵、ぼくのゆで卵あげるからさ、その、ほら。」

「いいよいいよ。君だって食べたいんでしょう。僕はカレーだけでも十分満足だよ。」

 ネイスンが寂しそうな顔をしていた。僕が「でも気持ちは受け取っておくよ。ありがとう。」と言うと、ネイスンは紛らわすように笑顔を見せた。なんだか申し訳ない気分である。ネイスンはなんだか爆発しそうな、そんな気さえ薄々感じられた。



 食堂の帰り、夜は寮でネイスンの歌の指導をする事になっていたが、その前に、サリアは今日より一週間、香壇の下の花壇に水をやる当番だったのでフードを被り道中一人で夜の学校を歩いていた。ネイスンが着いて行こうとしてたが、ネイスンは宿題がまだ終わってなかったので、そっちを優先してくれ、と言って止めさせた。

 もうすっかり香りに慣れてしまった。夜なので降り注ぐ灰が灯に照らされてところどころに散っている。花壇は灰を防ぐために網が被せられていた。網を捲って、蓋のされたじょうろで花壇に水を注ぐ。

「ここって空気悪いよね。」と女の人の声が聞こえた。僕が振り返ると、なぜか男の制服を着ているのに、それが異様に似合う長身の女の人がいて、少しドキリとした。入学式には見たことがなかったから上級生だろう。

「ええ。」僕は答えた。「あなたも当番ですか?」

「私は夜歩いて灰を見るのが好きなだけ。」

「そうなんですね。」妙に気が楽である。「あの、名前をお訊ねしてもよろしいでしょうか。」

「私?クルス。クルス・ザンドラって言うの。あなた、サリア・マークでしょう?」

「知っているんですか。」

「そりゃああなた有名人よ。」クルスはニコリと微笑みかける。「歌がうまいって よく噂されてるわ。」

「そうなんですね!・・・でも、この歌もアリュヌフの神のおかげですし。」

「ふーん。」 少し小馬鹿にしたような口調だったので僕は少しムキになった。「何でしょう・・・?」

「アリュヌフの神、ね。」

「はい。」

「君の先輩としてアドバイスするけど」クルスは言った。「あんまり考えすぎないで感覚を大事にする事よ。」

「・・・感覚?」

「どんな事があったって、どんな事を知ったって」クルスは僕を見て言った。「あ

なたにとって、『あなたが在る』って事だけは揺るが無い真実なの。だから、自分を 信じて。自分の感覚を信じて。」

「・・・・?」僕は困惑した。

「そのうち分かる。今はそれだけしか言えないわ。」そういってクルスは去ってい った。なんだかその後は涼しいような気持ちであった。またあのお姐さんに会いた いな、と僕はちょっとだけ思った。



「さあてと。」寮で僕はネイスンと向かい合った。ネイスンは口がニコニコしている。「まず姿勢がよくないな。これでは声が通らない。背筋伸ばしてみて。」ネイス ンは反り返るように背中を伸ばした。「ちょっとやりすぎだなあ。」すると背中を曲 げる。「うーん、全然違う。」僕はネイスンの姿勢を正すために肩甲骨と腹を触る。ネイスンは「あっ」と声を上げる。「どうしたの?」僕は訊ねる。「いや、びっくりして、その、びっくりして。」「驚かせてごめんね。姿勢を正すためだから。」「い いよ、もっと正してくれて。」その言葉の意味が少し分からなかったので僕は「 え?」と訊ねてしまったが聞こえなかったのかネイスンは返事をしなかった。「よ し。」僕は言った。「これで良いだろう。声を出してみて。」「あー。」「うーん、首の角度もちょっと違うかなあ。」僕がネイスンの顎を触るとネイスンが「ヒッ」と声を 上げる。「どうしたの?痛い?」「大丈夫、大丈夫だから、大丈夫。」「そう。」僕はネイスンの後頭部と顎を押さえて少しずつ力をかけて角度を調整した。ネイスンはなぜだかびくびく震えていた。僕は後頭部を触れながら「じゃあ、声を出してみて、」 と言う。ネイスンは「あ、あああ、」と揺れた声を出す。「大丈夫?震えてるよ?」 と僕は心配そうに声をかける。ネイスンは「あ・・・ああ。」と声を出し、途端に僕をしっかり抱擁し、唇に強く唇を押し付けられた。「ーーーーーー!」僕は驚いてネイスンを突き飛ばした。ネイスンはよろめきながらそのまま地面に跪いて「ご・・・ ごめん・・・。」と言った。「いいよ。」僕は答えた。「でも、びっくりしちゃったよ。」

 するとネイスンは「あのね・・・。」と泣きじゃくる。

「どうしたんだい?」

「僕は、君の事が、好きで、でも男なのに、好きなんだ。」

「・・・・・・。」僕は沈黙してしまった。

「僕がどうして、アリュヌフ学院に入れられたか聞いてないよね。」

「・・・・・・うん。」

「僕は男なのに男の事が好きで、その、近所の子供と・・・楽しくやってる所を親に見られて、こっ酷く怒られたの。お前は神の道に背いて獣の欲望に溺れているって。」

「アリュヌフの教典にも書いてあったね。」

「『男と女はアリュヌフの神の御心によって選ばれ一体になるべし。』だから僕は罪深い存在で・・・それを更生するために学院に入れられたのに・・・君の歌声を聞いて、好きになってしまった・・・。」

「・・・・・・。」

「僕は・・・・君は・・・・悪魔だな!」ネイスンが形相を変えて叫んだ。

「!?」

「僕をたぶらかせてるんだ!きっとそうに違いない!君は悪魔だ!処罰されるべきだ!」

 頭に来て僕がネイスンの頬を一発はたいたので、ネイスンは驚いて黙って僕を見た。

「あのさ。」僕は言った。「ここに来ている人、皆が皆じゃないと思うけど、それなりの罪を抱えて来てる人もいるんだ。そう簡単に人を悪魔呼ばわりするんじゃない。」

「サリアも・・・・罪を持ってるの・・・・?」

「あたりまえさ。僕は悪魔の声が聞こえるし見えるんだ。」

 ネイスンは驚いた顔をした。

「そうなんだ・・・。」

「すくなくともここに来る前は、僕が望まなくても勝手に見えた。でもここに着てからそれがなくなったな。」

「どうして?」

「どうしてだろう・・・・やっぱり、歌が好きな事をここで知ったからかな。アリュヌフの神が僕に歌の賜物をくれた。アリュヌフの神に生かされている事を知った。そうしたら確かに、へんなものは見えなくなったし声も聞こえなくなった。悪魔がいなくなったかわりに、賜物が与えられた。そうだよ、ネイスン。」

 ネイスンは見上げた。僕は続ける。「君の、その、罪だって、賜物に変わる時があるんじゃないかな。」

 ネイスンは頷いた。「そうだね・・・ありがとう・・・アリュヌフの神の答えを待つ よ・・・サリア・・・でも・・・やっぱり君の事が好きだよ・・・。」

 ネイスンの中の想いが叶わない傷をふと感じた僕は唐突に罪悪感に苛まされた。

 同じように自分もひどく傷ついたような気がした。

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