#02 殺す。僕はそう思ったのだ。自分の心を、殺す。

 ここ、アリュヌフ学院はあまり建物の設計が良くない。科学の授業なので、僕はフードを被って教室より外にある実験室に行く事になったが、灰の降る道中で迷ってしまい、その上うっかり寮に地図を忘れた事に気付いた。戻ってしまったら授業に間に合わないし、誰かに聞かなきゃいけないな、と思った所で、後ろ姿でウロウロと歩いている人がいた。何か気になった。

「すみません。」

 しかしその人は返事をしない。 「すみません、あの。」僕は急いでいるのでその人の前に先回りした。その人は上級生らしいが、妙に虚ろな顔である事に驚いた。妙に目が落ち窪んでおり、口の中が真っ黒で、悲しすぎて何も無くなったかのような気持ちを抱いている事に気づいて僕はゾッとした。

「理科室がどこか・・・知っていますか・・・・?」僕は訊ねた。

「・・・・・・。・・・・・・・・。・・・・。」その人は落ち窪んだ顔で口を開い たまま何か訴えかけていた。

「え・・・?」

「・・・・。・・・・・・。」その人は俯いて去ってしまった。

「理科室が知りたいのかい?」と誰かが話しかけて来た。僕は振り返った。黒髪で肩幅の広いしっかりしてそうな青年だ。同じく上級生のようだ。

「あ、はい、そうです。」

「じゃあ案内するよ。」

「ありがとうございます、あの。」僕は一呼吸おいた。「さっきの、何か訴えようとしてた人、何があったんです?」

「訴えてた?何も聞こえなかったぞ?」上級生は怪訝そうな顔で先を歩きながら言った。「あいつは喋れないんだ。いろいろあってな。」

「・・・。」あまり突っ込んではいけない話題な気がして僕は黙った。

「君、新入生だよね。名前は何ていうんだい?」上級生が尋ねた。

「サリア。サリア・マークです。」

「サリアくん。か。僕の名前はアルバント・キンベルク。アリュヌフの神についてはどう思っている?」

「あの、まだ、よくわからないです・・・。」

「『まだよくわからない』・・・君、自分の言ってる意味が分かってる?」 「・・・・わからないです。」

「ほらまた『わからない』。そうじゃないんだ。サリアくん。」アルバントにそう言われて本当によく分からなくなって僕は俯く。

「あのね、」アルバントは言う。「アリュヌフの神はわかるとかわからないとかそう

いう人間の真実を越える存在だ。だから君はいずれこう言えるようになるべきだ。 アリュヌフの神は、僕がわかるんじゃない、僕をわかってくださる、と。」

「うーん・・・どうしてアリュヌフの神は真実を越えているんですか?」

「僕の言ってる意味がわかってないようだね。まあアリュヌフの神もその事を悲し まれている。だから、数々の奇跡を人間に対して見せてるんだ。図書館にあるからちゃんと調べてね。『御業集』というのに書いてあるから。さっき聞いたあいつの事も分かるだろう。」

 僕は自分の無知さに恥ずかしくなってこくりと頷いた。



 さて、授業が終わって昼休みに早速僕は図書館に駆け込んだ。『御業集』というの は7巻ほどある。巻といっても本ではなく、一枚一枚報告書がファイリングされている。学院で記録されているらしく、今後も追加されていくそうだ。とりあえず僕は5巻を取り出して読んでみた。


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 御業 No.1186

 男子生徒マルコフ・デングリジアはアリュヌフの神を批 判する絵を200枚も描いていた。マルコフは7月18日に左目が突如ひっくり返り、同時に利き手の指の関節が全て逆方向に曲がった。こうして マルコフは絵が描けなくなった。

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 そして真っ赤な左目と奇妙な右手で悲しそうな真顔をしているマルコフの写真が 添えられてあった。


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 御業 No.1187

 女子生徒ナマリタ・マグラツィはアリュヌフの神が選んだ婿を否定し別の男子生徒と駆け落ちをし脱走を図った。その際に男子生徒と交わった事でアリュヌフの罰が下り、ナマリタは全身の皮膚に紫と白の 斑点を吹き出しながら苦しんで死んだ。

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 そしておぞましいナマリタの死体。僕はだんだん寒気がするのを感じた。


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 御業 No.1188

 教師ウーラム・ランドリッヒは授業の間に悪魔に憑かれ生徒を惑わし異なる思想を広め始めた。アリュヌフの神を否定した罰で、ウーラムは野犬に性器を齧り取られた上、不思議な力で香壇に連れて行かれて燃やされて死んだ。

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 本を閉じた。震えを感じる。アリュヌフの神に逆らった者は皆悲惨な最期や無残な姿で余生を送っている。これら全てがアリュヌフの神の仕業なのかどうか・・・否、もしかしたらそう考える事がアリュヌフの神の怒りに触れるのかもしれぬ。ああ、アリュヌフの神様どうか僕をお許し下さい。僕はあなたに従います。せめて、声だけは取らないで・・・と思った時、さっきの口の利けない上級生を思い出した。もしかして。 直感が閃いた。7巻を取り出し、めくってみると、偶然その御業のページが開かれ た。写真に同じ顔が写ってる。


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 御業 No.1528

 男子生徒ケイブ・サルベンダはボゴレフチア・ナーデ ィア先生の花瓶を割ってしまい、先生の指示でアリュヌフの神に贖罪の歌を捧げたが、声が裏返って失敗したので、神に声を抜かれ、喋れなくなった。

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「ヒッ」と軽く声が出てしまった。喉を押さえて「ウー」とまだ幼い声を出す。 自分の声がまだある事に僕はひどく安堵した。この声を守り抜くためには一つしか

ない、と僕は決心した。声なき声が僕に囁きたのだ。

『彼らに逆らってはならない。』

 わかっています。

『お前は生きねばならない。真実よりも何よりも生きる事を優先せねばならない。』

 はい、わかりました。

『お前は一度私たちを否定するであろう。』

 僕は気づいた。これはいつもの聞こえてくるやつだ。悪魔の囁きだ。

『そうだ。だからお前は私を悪魔だと言って追い出す。』

 え、まって。あなたは一体。

『さようなら。』

 そして鐘の音・・・・・・・・昼休みが終わるお知らせだ。僕はカバンを取り出し次の授業の持ち物が揃っているか確認する。図書室から立ち上がり、二冊の本を元に戻した後、フードをかぶって図書室から出て行った。外は灰が降り注いでいる。

 神殿のような建物から歌声が聞こえてくる。上級生が入れる聖歌隊の歌声だ。

おお アリュヌフの神よ

足元の弱い我々を導いてください

おお アリュヌフの神よ

足元を掬う悪魔を避けてください

全てはあなたのために (全てはあなたのために) アリュヌフの神よ

私は前を行きます


 神殿の前に銅像が建っていた。アリュヌフの神を模した銅像。あぐらをかいており長い腕が5本あり、それぞれが何かを持って木の枝のように幾何学的に広げていた。 顔には目が一つあり、歯を見せて笑っている。笑いには優しさが込められているが、目は何もかもを射殺すほどに鋭い眼差しに見えた。あなたは本当に、神様なんですか、と僕がその銅像に語りかけると、銅像は、どうして私を疑うんですか?と答える。僕 は震える。そして涙が出る。わけが分からなくなる。

「ごめんなさい、ごめんなさい・・・僕は罪深いのです・・・お許し下さい・・・僕を罰しないで下さい・・・声を取らないで下さい・・・ごめんなさい・・・。」


 この時僕は、恐怖に負けてしまった。屈してしまった。アリュヌフの神に拠り頼むしか、自分の居場所がないような気がした。泣き崩れそうだったが、しかし授業に遅 れてはいけなかった。哀しみと怯えを消さねばならなかった。


 殺す。僕はそう思ったのだ。

 自分の心を、殺す。




「どうしたの?元気ないよ。」ネイスンが音楽の授業前に話しかけて来た。

「う、うん。」僕は声が出る事を確認した。「大丈夫。」

「歌でも歌って元気だそう。」

「そうだね。」

ネイスンが歌い始めた。「♪アリュヌフの神よありがとう~ 勝利を私に下さって~」あまりに音痴だったので見かねて僕は声をかけた。「あのね、ネイスン。そうやってやたら大声出しても綺麗に歌えないよ。」ネイスンは「それじゃあ、どうやって・・・」 と言った時、デリンジ先生が現れた。

「さあさあ、皆さん席について。今日も聖歌235番を歌いましょう。前回はお試し、という感じでしたが、今回はしっかり歌のテクニックを学んで、美しい歌声を作りましょう。歌声が美しいほどアリュヌフの神は喜ばれる。」そしてデリンジ先生は僕をチラリと見た。「さあでは、サリアくん。ちょっと前に来てもらっていいかな。」

「え、あ、はい。」僕は慌ててデリンジ先生の傍に行った。

「さあて、サリアくん、歌ってみて。アーって。」

「・・・♪アーー・・・」 デリンジ先生はニコリと笑った。「さすがだね、最初から素晴らしいフォームだ。」

 そして見回して生徒達に言った。「サリアくんの姿勢をよく見てご覧、背筋が整っ

ているだろう?頭頂部が天に向かって引っ張られていく。そう、アリュヌフの神が背中を支えて真っ直ぐに天に引いてくださってると信じること。サリアくんはそれが初めからできている。」デリンジ先生は微笑んで小さな声で僕に囁く。「サリアくんは、歌を通してアリュヌフの神に祝福されているんだね。」その言葉を聞いて僕はうっかり涙を出してしまった。「おや、 どうしたのかね、サリアくん。」「いや・・・その・・・」僕はえづきながら言う。「僕・・・ 今まで・・・・アリュヌフの神に怒られ・・・エウッ・・・嫌われているんじゃないかと・・・しゅ・・・・祝福さ・・・されて・・・エウッ・・・されていないんじゃないかと思って・・・・苦しくて・・・・苦しくて・・・・・」

 デリンジ先生は微笑んだ。「大丈夫。むしろ君は恵まれているんだ。君は初めからアリュヌフの神に愛された。もう安心していいんだよ。さあ、安心した後の歌はさぞ美しかろう。歌ってご覧。」そういわれて、僕は涙を拭き、安堵感に満たされる事を確認して気を落ち着かせ、ゆっくりと口を開き、歌い始めた。


アリュヌフの神よ ありがとう

勝利を私に 下さって


 ・・・それは極めて美しい歌声で、クラスメート達もデリンジ先生も思わず見惚れるほどであった。


♪僕たち(私たち) 皆 あなたのもの 魂預けて 高めよう


 いつのまにかクラスメートも後に続いて一緒に歌っていた。ぼくは驚いた。歌が終わった頃に大合唱になっていた事に皆気づいて顔を赤らめた。

「自然とアリュヌフの神の流れに沿っていく。」デリンジ先生は言った。「今後もこのように授業していいかもしれないね」




「あのさあ・・・・」授業後にネイスンがもじもじと僕に話しかけた。「ぼく、確かに歌が下手かもしれない。だからさ、その、」

「・・・指導して欲しい?」

「そうなの。」

「じゃあ、夜寮でやろう。」

「やったあ!」

 すると話したこともない女子が話しかけて来た。「じゃあ、あたしにもして!」

「ええええ・・」僕は戸惑った。

「いいでしょ。私あなたの事を尊敬しているから!」

「あ、ありがとう。でも君は女子寮だから・・・」

「昼休みにやればいいでしょ。」

「えええ、勉強しなきゃ。困ったなあ。」

「お礼に手伝うから。ね、いいでしょ?」

「わかった。君の名前は?」

「ランチャ・マルカナ。よろしくね。」

「よろしく。」

 そこまで言った時にすごい心に痛いものが響く事に気づいた。その痛みの発生源はネイスンであった。潤んだような怨んだような形容しがたい恐ろしい目つきで僕を見ていた。それはあたかも(サリアは僕のもの・・・サリアは僕のもの・・・)と言い聞かせているようで、僕はすこし怖くなった。


「サリア・マーク、君は今日清めるべき罪はあるかい?」

 教父のクラブ・ランドサンが寮の面談で訊ねる。

「いいえ。むしろ発見がありました。」

「発見?」

「僕は歌において、アリュヌフの神に許されている事が分かったんです。だから、歌に生きます。アリュヌフの神に捧げる聖歌隊に、入りたいです。」

 クラブ・ランドサンは頷いて「良かった。」と頷いた。「それでいいんだよ。サリア・マーク。」

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