灰降る園

NUJ

前編

#01 そして、心の中の真実を忘れていった。



 僕がこのアリュヌフ学院に入らされたのは13歳の時だ。どうしてこの学院に入らされたのか、当時はよくわからなかった。ただよく思い返してみれば、僕が家のリビングルームで「あ、幽霊さんがいる。」と宙を見つめて言ってた時に、母親が真っ青な顔になっていたのを覚えている。「お前は、まだ悪魔に心を売ってたんだね。」母親は僕を見て厳しく叱った。「だめ。それは神が望まれない。」それに対し僕は「でも見えるんだよ。流れが。幽霊が。線が。」と言い返した。母親は「それはあなたが協和できずに乱れている証拠。心を律し、神に従いなさい。」と言う。「僕乱れてなんかないよ。でも見えるから、もしかしたら神様が僕に特別な意味を与えられたのかなあ」としつこくも口答えしたとき、 母親は僕の頬を叩いた。そして泣き出した。「お前は、いつから、そんな子になってしまったの・・・。」

 そして両親は相談の後、アリュヌフ学院に入学させる事にした。そこは山の奥に立てられた学校で、アリュヌフという神を称え、世界の深奥を学ぼう、というスローガンを掲げていた。年に二度家に帰るが基本的には学院で寝泊りをする。

「お父さんもお母さんも、アリュヌフの神の教えを受けて目覚め、そしてお互い出会ったのよ。」僕の母親はにこりと笑った。「あなたを巣食ってる悪魔も早くいなくなるといいね。」

 山奥にそびえ立つアリュヌフ学院は妙な香りがした。頭がすこしぼんやりする香りである。ここは山の周辺住民から灰降る園という仇名がつけられている。なぜならばアリュヌフ学院の頂上にはいつも香壇が炊かれており、香料の灰が学院のあちらこちらに降り注ぐからだ。そのぼんやりした香りで朦朧とした状態で入学式の椅子に座ると、初老の老人が現れる

「みなさん。わたしが校長である、マンドール・キドラです。アリュヌフの教えに従い、皆様に聖なる悟りを得て立派な大人にするために5年間の修行をする場所です。教典に書かれている悟りのステップを全て踏み、その後もアリュヌフに祈り続けたら必ず、あなたはあらゆる人類の中で最も優れた人間として死後の世界で誉れを受けます。ここアリュヌフ学院ではその基礎を学ぶ場なのです。」

 じつに罪深い事であるが、当時僕はその校長からは何も感じなかった。彼のどこに神の誉れがあるんだろうと不思議でしょうがなかった。僕は、傲慢だったのだ。 「みなさんには、ここで切磋琢磨してアリュヌフの民として優れた人間になれる事 を深く期待します。恐れる事はありません。何をすればいいのか、私たちが指導し

ます。それに従うだけであなた方は悟りのステップを踏む事ができるのです。」 マンドール校長はそう言って下がると、次は校長の背丈よりも大きい筋肉質の巨女が現れた。

「皆さん!?私があなた方のクラスを担当する、ボゴレフチア・ナーディアです。皆さんは私の事をナーディア先生と呼ぶように。ではご挨拶しましょう。こんにちは、皆さん!?」

「こんにちは、ナーディア先生。」皆が揃って言うが、僕はこの巨女を一目見ただ けで大嫌いな予感がして皆についていけず声もでなかった。彼女から極めて根性悪の空気を感じたからだ。

「・・・あら!?挨拶してない方がいらっしゃるようね。」

 ナーディアがズンズンズンと生徒達の椅子の間を練り歩いて、僕の目の前に現れた。

「お前。名前は?」ぶっきらぼうにナーディアが訊ねる。

「・・・サリア・マークです。」僕は答える。

「サリア・マーク。女の子みたいな名前だねぇ~。」ナーディアは笑う。「サリア、悪魔に取り付かれて聞こえもしない声が聞こえ、闇の業をする薄気味悪い少年。」生 徒達がいっせいに僕から離れた。ナーディアはにんまりと笑いながら生徒達を見回して言う。「大丈夫よ。サリアくんはこれから悪魔を払ってもらうから。ねえ、サリ ア?どうして挨拶をしなかったの?」

「・・・・・」その時僕は何も言えなかった。

「答えられないの?悪魔があなたに囁いたのね。」ナーディアは腰につけられたカバンから鞭を取り出す。「みんな、危ないから離れてね。」

 そして僕を押さえつけて、「いい?」と言いながら上着を捲り背中を露にし、

「あなたはね?」と言いながら鞭を一発背中に振るい、

「これから」と言いながら鞭を一発背中に振るい、僕は「ああっ」と悲鳴を上げ、

「地獄から」と言いながら鞭を一発背中に振るい、

「天国に」と言いながら鞭を一発背中に振るい、僕は震えだす。

「引き上げるために」と言いながら鞭を一発背中に振るい、

「私も」と言いながら鞭を一発背中に振るい、

「頑張らなきゃいけないの。」と言いながら鞭を思いっきり背中に振るい終えた。血まみれの僕はそのまま痙攣して声も出せずに椅子の上でもがいていた。その様子を見てナーディアはこの上なく悦楽という言葉に相応しい笑顔を見せていた。その光景をなぜか羨望の眼差しで見られているような気がして僕は振り返ったが、皆は前を向いていた。




 僕はその後泣きながら手紙を両親にしたためたのを覚えている。

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 父さんへ 母さんへ

 入学式を終えたのですが、アリュヌフ学院はあまりに過酷過ぎます。ナーディア先生が挨拶したのですが僕がうっかり挨拶しそびれたというだけで、僕の名前を侮辱した挙句悪魔の仕業だとか言って、7回も鞭を振ったんです。僕にはナーディア先生の方がよほど悪魔の仕業に見えるのですが、誰も先生に悪く言う人はいませんでした。ここは僕にとってあまりに辛すぎます。家に帰 りたいです。本当に、いやだ。

 サリア

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 ・・・しばらくして手紙で返答が来た。

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 親愛なる我が子サリアへ

 この手紙は母さんが送ります。早速ナーディア先生名物の鞭のしごきが来たね。お母さんはサリアが立派な人間に鍛え上げられていくのをとても嬉しく思います。ナーディア先生の事を悪魔の業だと言ってはいけませんよ。先生は愛を持ってサリアを育て上げているんですから。はやく悪魔が追い払われるとお母さんは嬉しいです。

 母より

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 僕はため息をついたのを覚えている。愛ってなんだろう、と思った事も覚えている。親が味方してくれないのならば、この学院にい続けるしかない。そうして僕はおとなしく学校生活をしようと考えるに至った。




「アリュヌフの神は歌を愛します。」デリンジ先生がにこやかに笑う。「みなさまも心を一つにしてアリュヌフの神に歌を捧げましょう。教科書3ページを開いてください。」デリンジ先生は眼鏡の似合う爽やかな大人の男であり、その端正な顔立ちは女生徒の目を引きつけ、彼女らの間でこそこそと噂話が飛び交うほどである。「そこ、静かにしようね。」デリンジ先生はにこやかに笑う。「は、はい。」注意された女生徒は恥ずかしげにしかしニコニコ笑いながら答える。「では、」デリンジ先生は生徒達に言い渡した。「みなさん、歌を歌いま しょう。ラン、トゥー、ベル、キュー」

アリュヌフの神よ ありがとう

勝利を私に 下さって

僕たち(私たち) 皆 あなたのもの

魂預けて 高めよう


「♪アリュヌフの・・・」と言いかけて僕はあまりついていけずにゴニョゴニョ歌っていた。どうもこの空気に馴染めない。皆が、自分には理解できない喜びの表情で歌っている。しかし馴染めないからといって、入学式のナーディアのように何かお仕置きを喰らってはかなわない、だから、慌てて必死で歌いだす。すると驚いて周りが僕を見て、僕だけが歌っている事に気付いた。「♪魂預けて 高めよう・・・・」 沈黙。「え、あの、その・・・・。」デリンジ先生が微笑んだ。「君、いい声しているんだね。」僕は慌てて周りを見渡す。クラスの皆の目がウットリと潤んでいて僕はゾッとしてしまった。特に溶けている様子に見えるのは、 シルバーブロンドでそばかすの小さな男の子であった。


「すごいんだね。君って。」その男の子は恥ずかしそうにもじもじしながら僕に話 しかける。「そのさ、あのさ、歌とか昔やってたの?」

「鼻歌程度だよ。」僕は答えた。

「へええ。すごおい!」男の子は満面の笑みで言った。「あのさ、僕、ネイスン・ チルレアって言うんだ。君は、サリア・マークだよね。」

「ああ、そうだよな。入学式で散々な目にあった有名人だもんな。」僕は顎まで伸 びたやや長い栗毛髪を鬱陶しそうに振った。

「いいや、とても素敵に思った。」とネイスンが言ったので、僕は思わず「え?」 と聞き返した。ネイスンは慌てて「あ、いや、その、痛い目にあったのが素敵って意味じゃなくて、その、あの、自分の意見をハッキリ言うのが素敵だなって、その、 あの、うん。」

「僕は好きで自分の意見を言ってるんじゃないんだよ。なんとなくちょっと変なだけだ。」

「それがサリアのいい所だよ。」ネイスンはにこりと笑って手に取った。「あの さ・・・・・・」しばしの沈黙。「・・・・・・・友達にならない?」

「友達?」僕がそう訊ね返すとネイスンはとても顔を赤らめていた。心底自分の事を気にいっていて、話したくてしょうがない様子だった。

「いいよ。」

「ありがとう!」ネイスンはニッコリ笑い、矯正器具を露にする。 丁度その時僕とネイスンは庭の方に出たので、制服のフードをかぶった。灰が雪のようにしんしん降っている。 「ああ、良い匂・・・」と、ネイスンが言いかけた時、僕は「相変わらずむせ返るような香りだな。」とうっかり不穏なことを言ってしまった。ネイスンは慌てて「そうだよね!これ酷い匂いだよね!もう少し弱めて欲しいと思った事、僕もある!」と言いなおした。「あのさ、」僕は呆れたように言った。「別に僕に合わせなくていいんだよ。ネイスンが良い匂いって思うんなら、それでいいんじゃない。」ネイスンはなぜか悲しそうな顔をしていた。「うん、とても良い匂いだと思うよ・・・。」それはまるで、僕と距離感ができて悲しいかのような言い方であった。「いやいや。」僕は何と言っていいのか分からなくなった。「僕たちは友達だろ?そんな悲しそうにするなよ。」ネイスンは笑顔を取り戻し、「うん!」と答えた。



 その他、一般的な学校と同じ国語や数学などの授業があり、一般的な学校と特に特異なカリキュラムは音楽の授業の本気度と、 そして授業後の就寝前の面談という時間であった。そこでは数人の教父が生徒と面談をし、心を清めて夢の世界でアリュヌフの恩恵に預かるのである。

「始めましてサリア・マーク。私は君の担当の教父、クラブ・ランドサンだ。」 「ランドサン先生。今晩は。」

「サリア・マーク、君は今日清めるべき罪はあるかい?」

「えーと・・・。」僕は一日をふりかえった。「あ、ナーディア先生に罰せられま

した。」

「どうしてだい?」

「皆がナーディア先生に挨拶するのに遅れたからです。」

「挨拶に遅れた?それはどうしてかね?」

「どうして、と言われましても・・・・。」

「ごく普通に皆が挨拶するような場でできないということは、何か君に抱えているものがあったということだ。それはなにかね。」

「う、それは。」さすが教父、鋭い。「ナーディア先生に何か悪いものを感じたからです。」

「悪いもの?」

「昔からその、僕は、感じやすい性質でして。」僕は打ち明けた。「いろんなものが聞こえたり、見えたりするんです。どうしてか分からないんですけれど。」

「君が聞こえたり見えたりする事で、皆どう思うんだい?」

「怖がります。悪魔に魂を売ったに違いないって。」

「サリア、あらゆる人の心は真実だ。わかるかい?」

「どういうことですか?」

「君が見えたり感じたりする事、それは否定できない。君にとって真実だ。」その言葉を聞いて僕はほっとした。「でも、」教父は言った。「周囲が思った事、その心も真実だ。いいかい?教典にはこう書かれているんだ。『誰もが心に真実を持っている。 そしてある真実が他の真実を脅かす事がある。それが悪の始まりであり、罪である。』 君に、罪の自覚はあるのかい?」

「・・・正直、全く分かりません。」

「だろうね・・・。これからゆっくり、真実を越えた理を学んでいこうじゃないか。目標を立てていけば、必ずうまくいく。」

 ランドサン教父はにこりと笑った。


 僕はその夜ベッドの中で、教父の言われた事について考えていた。だがその時何か熱い気持ちがこっちに流れていくのを感じたが、おそらくネイスン、いやいや、こう思うのもきっと、誰かの真実を脅かす悪い事なんだ。考えないようにしよう。考えないようにしよう、と僕は考えた。だが、周りを見渡す心を持つ限り、そのような”邪念”を払う事は不可能であった。では何に向かっていけばいいか。

『目標を立てていけば、必ずうまくいく。』

 ランドサン教父はそう言った。そうだ、アリュヌフの教えが何なのか、それに向かって集中しよう。僕はアリュヌフのあの歌を思い返した。


アリュヌフの神よ ありがとう

勝利を私に 下さって

僕たち(私たち) 皆 あなたのもの

魂預けて 高めよう


 僕は歌で人を驚かす事ができるらしい。歌を歌ったとき、誰も怖がらなかった。  歌で多くの人の真実を動かす事ができたら・・・その結論が出たとき、僕は興奮し た。


 そして、心の中の真実を忘れていった。

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