第6話 犬、分裂しない 2

 次の朝、目が覚めると犬が分裂していた。いや、正確に言うと同じ犬がいた。

 最初は驚いた様子の夏野だったが、すぐに正気に戻った。


「駄犬は一匹でいいわ……」

「奇遇だな。俺も同じ気分だ」


 知らない間に部屋に犬を放りこみそうな人物なんて一人しか心当たりが無い。

 鈴菜が昨日あの話が出たのでさっそく用意してきたのだろう。おそらく知人か誰かから借りてくるなりして。

 夏野も気づいているようだった。


「いらない方は処分してしまいましょう」


 夏野はハサミを抜いた。そして、それをこっちへ向けて近づいてきた。


「ちょっと待てよ。いらないのはあっちだろ!」

「どっちも同じ犬よ!」

「ちげー!」


 そのハサミが振り下ろされる瞬間、入ってきた編集者がいた。


「斬るならわたしからにしてください!」

「ちっ」


 夏野は舌打ちしてハサミを引いた。もう一匹の犬が鈴菜の足元に甘えるように近づいていく。

 鈴菜はその犬を抱きあげて訊ねた。


「執筆の参考にはなりましたか?」

「わたしにはわたしの世界がある。そう言ったはずよ」

「でも、参考にしたい。今でもまだそう思ってましたよね?」

「わたしに懐かない犬はいらない。それが分かっただけだったわね」

「そうですか」


 夏野は執筆に戻るのかと思いきや、なぜか和人の体を抱きあげた。そして、鈴菜の抱き上げている犬に向けて宣言した。


「さあ、犬ファイトの時間よ!」

「そう来ますか! 良いですね! わたしの愛犬は凶暴ですよ!」


 ちっとも良くねえ! 

 作家も編集者もどっちも変人しかいないのだろうか、この世界には。


「どちらが真の犬か! 今こそ決着を付ける時!」

「望むところなりー!」


 ちょっと待てよ! 俺には戦う意思なんかねえ! お前だってそうだろう!?

 和人は同意を求めて相手の犬を見るのだが。


「キシャアアアアアア!!」


 相手の犬は物凄くやる気だった。

 何だよキシャアアアアアアって、お前はエイリアンかよ!

 思っている間にも戦いは始められる。


「いざ尋常に!」

「デュエル!」


 こうなったらやるしかねえ! 和人は覚悟を決めたのだった。



「お手! お座り!」


 部屋で両者の声がする。

 どんな勝負をするのかと思ったらこれかよ。


「わたしは勝ち目の無い戦いはしない主義よ」


 相手には聞こえない声で夏野が告げてくる。さいでっか。

 それにしてもこの勝負はフェアでは無いのではないだろうか。そう和人は思ったのだが、余計な口は挟まずに素直に言う事を聞いていた。

 相手の犬もかなり利巧で勝負は互角の様相を呈していた。鈴菜が次の命令を下す。


「チンチン!」


 利巧な犬だ。見事に与えられた命令をこなしている。感心しながら和人も夏野の命令を待つのだが、


「見下げ果てた畜生ね。とてもわたしにはそんな言葉は口に出来ないわ」

「先生の見下した視線いい!」

「勝利おめでとう。ぱちぱちぱち」

「しまった! 勝ってしまったら見下されない!」

「じゃあ、わたしは執筆に戻るから」

「頑張ってください!」


 夏野は席に向かい、鈴菜はエールを送った。


「まったく駄犬のせいで余計な時間を取ったわ」


 呟きながらペンを取る夏野。原稿用紙を書く手が動き出す。

 俺は悪くないよね? そう思う和人の体を抱き上げる腕があった。鈴菜の腕だった。


「では、わたしは犬を連れて帰りますんで」

「お疲れー」


 夏野は見もせずに手だけ振った。和人は運ばれていく。

 ちょっと待て。お前の犬はそっちじゃないだろう?

 訴えたかったが、誰も聞いちゃいねえ。鈴菜に犬語は通じないし、夏野は執筆に集中しちまった。

 もう一匹の犬は勝負で疲れたのか床でのんびり寝そべっている。

 和人は心の奥から叫んだ。


「俺、分裂してー!」

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犬とハサミは使いよう 二人は出かける けろよん @keroyon

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