第7話

    - 7日目・最期の日 -


 とうとう俺も今日で、この世とお別れだ。

ゴンも先日言っていたけど、どういうわけかここまでくると、気持ちも落ち着いてきて、先日までの恐怖感も薄れてきていた。

(殺すなら殺せ、さあ早く!)

むしろそう口に出して言いたいくらいだ。

もはや死への恐怖はない。

あるのは、こんなつまらない生涯で終わってしまったという後悔だけだ。

(……………………いや、違う!)

俺は死ぬのが恐くないと言って、自分をごまかしているだけなのだ。

やはり死ぬのは恐い。

時間が来て、処分室に行くのが恐ろしい。

だが、俺にはもうどうすることもできない。

殺されるのを待つことしかできないんだ。

(チクショウ………………)

せめて最後に、少しでもこの世界の景色を見ておこうと、小窓から外を眺めていると、背中に俺を見る視線を感じた。

いつの間にやってきたのか、俺の檻の前に青葉が立っていたのである。

ヤツは相変わらずの悲しげな顔で、

「聞いたんだけどコタロー、先日の僕の休みの日に、隣のゴンが飼い主に連れ帰られるの見て吠えたんだって?」

言うと、青葉はさらに表情を曇らせた。

「あいつもおまえと同じように、虐待を受けてたみたいだったから、心配してたんだ」

「………………………………」

青葉の言葉に、俺は無意識に耳を傾けた。

「僕は昔から動物が好きでね。だから少しでも動物と接することができる仕事をしたかった。なのに気がついたらこんな職業に就いてしまっていたんだ。バカみたいだろ? 最初は、少しでも多くの飼い主を見つけて、たくさんの動物達を助けようと思っていた。でも、現実はそうもいかなかった。

どうしてみんな、小さな命が毎日失われていくってのに、心が痛まないんだろうね?

おまえのように、ちゃんと首輪をした犬も多くいるっていうのに、何故か飼い主は全然現れない。そして毎日毎日、何の罪もない動物達の命を奪ってる。

正直、もうやってられないんだ。ここの仕事は、人間社会では必要かもしれないけど、僕にはもう続けて行く自信がないよ。だから、今日を最後に辞めることにしたんだ」

そう言うと、青葉は俺に苦笑いを見せた。

本人も無理に笑っているのだろう、笑顔なのに、いつも以上に悲しそうに見えた。

「コタロー。今日でお別れだけども、できれば誰も恨まないでおくれ。ここの人間もみんな、好きでこんなことをしているわけじゃないんだから……………」

そう言って青葉は、顔を伏せて泣きだした。

それを俺は、いつの間にか檻の前に行って、青葉の目の前に座り話しを聞いていた。

何なんだろう、この青葉という人間は? ホントにこいつも人間なのだろうか?

人間なんて、俺やゴンの飼い主や、仔猫を捨てに来たオバサン、デンスケ達がいた店の店主のような、極悪人ばかりではないのか?

(いや………………そうでもないか)

思い起こしてみれば、俺が飼われていたときに、パンをくれた子供達はやさしかった。

先日、窓の外に来ていた子供も、抱いていた犬を見るかぎり、悪人には見えない。

やはり人間の中にも、いいヤツはいるのだろうな。俺やゴン達は運悪く、悪い人間ばかり見てきてしまってたんだ。

きっと青葉も、そっち側の人間なのだ。

俺は檻の隙間の下の方に鼻先を突っ込み、青葉を見上げた。

「クゥ~ン……………………?」

「ゴ、ゴメンよ、おまえに何を言っても仕方ないよな」

「………………………………」

「そうだコタロー、昨日おまえ、エサ喰わなかったろ。腹減ってないか? お互い、今日で最後だから、一緒にメシ喰おう」

青葉はそう言って、奥の係員の部屋から自分の弁当を持って来ると、俺のエサ皿に半分移してくれた。

それは、あの『海苔弁』だった。

俺が、せめて最後に喰いたいと思っていた、あの海苔弁だ。

もう俺はこの後死ぬだけで、何を喰っても意味はないと分かっているのに、よだれが止まらない。

「さ、遠慮せずに喰えよ。美味いぞ」

俺は少し躊躇いながら、口をつけた。

  ……………美味い……………

気がつくと俺は、無我夢中で海苔弁に喰らいついていた。

口の中に海苔やおかずの味が広がり、幸せな気分なのに涙が出てくる。

でもこれで、何かこの世に思い残すことも、無くなったような気がした。

 もうすぐ俺の一生も終わるのだ。

 最後の御馳走。

 最後の海苔弁。

 最後の晩餐というには、少々大袈裟かもしれないが、間違いなく俺にとっては、今までで最高のメシだった。

 そして……………………


 数時間後、俺の処分の時間がやって来た。

檻には俺以外誰もいない。今日、処分されるのは俺1匹だけだ。

普通ならば、檻から出されて、通路の奥の処分室まで追い立てられて行くのだが、すでに俺には覚悟はできている。だから俺は、自ら檻から出てその部屋に向かった。

まるでそこが、俺の家であるかのように。

その様子に、青葉や他の職員も呆気にとられていた。

俺にはもう、この世に何の未練もない。

いや、そんなものは最初からなかったハズだ。

野犬になったあの日に、いつ死んでも仕方ないと、覚悟を決めていたじゃないか?

俺は処分室の前まで行くと、チラリと青葉の方を見た。

(じゃあな、青葉………………)

そう心の中で呟くと、

「待てっ、コタローッ!!」

青葉は叫ぶように俺を呼び止めた。

そして今朝にも増して悲しげな顔で、上司の職員に何か頼み込んだ。


    - 一ヶ月後 -


 俺は今、愛護センターからかなり離れた山奥の、小さな村にいた。

愛護センターを辞めて、実家の農家を継いだ青葉は、俺を連れてここへ帰って来たのである。

ここは広い庭があり、そこが俺達の新しい生活の場となっていた。

 俺達………………そう俺達だ。

あの仔猫達やデンスケ、まだ少し目が虚ろだが、少し元気になりかけているメアリー、その他にも俺も知らない仲間が何匹も。

青葉は今までずっと、センターの仲間を何匹も引き取っては、自分で面倒を見てきた。

だが、それも個人では限界となり、俺を最後に引き取り、センターを辞めたのである。

 やはり人間の中にも、彼のようないい人間もいるんだな?

俺としても、少しは人間を見る目が変わったかもしれない。もしかしたら、他にも青葉のような、本当に動物を大事にする人間が大勢いるかもしれない、と。

 だが、これだけは忘れてはいけない。

今回の俺は、ただ運がよかっただけなのだ。俺やデンスケ達のように、命拾いした犬は極一部に過ぎない。

何の罪もない多くの動物が今も、そして今後も、身勝手な一部の人間達のせいで、毎日殺され続けていくんだ。

そしてゴンのように、不遇をしいられる仲間も、きっと多くいるに違いない。

そのことだけは、絶対に忘れてはいけないんだ。

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野犬コタローの7日間 京正載 @SW650

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