第6話


    - 6日目 -


 俺の命もあとわずか。明日には処分室に送られ、苦しみもがいて死ぬ運命だ。

 そう言えば、あの物静かなメス犬がいる向いの檻の連中は、今日が処分の日のハズ。

見れば、中の犬達はそれぞれ死への恐怖に、おちつかない表情をしている。

だが、どうしたことか例のメス犬は、相変わらず部屋の隅で、焦点のおかしい目で虚空を見上げ、静かにしていた。

エサの時間になっても、彼女はずっとどこか虚ろな目で、どこかを見つめていた。

 いったい何を見ているのだろう?

もしかしたら、ここで殺された犬達の霊でも見えるのかと思ったが、それらしいモノは、俺が見た限りでは、いるようでもない。

恐る恐る、俺は彼女に声をかけてみた。

「前々から気になってるんだが、あんた何を見つめてるんだい?」

「…………………………………………」

「なぁ?」

「…………………………………………」

繰り返し声をかけるが、それでも答えは返ってこない。俺の声が、聞こえていないのだろうか? 

すると、

「いくら声をかけても無駄だぜ。彼女はもう死んでしまっているも同然なんだから」

と、同じ檻にいた大型犬が言った。

種類は知らないが、よく大きな人間達の家の庭で見かける、いかにも高級っぽい犬種だ。

その高級な犬も、この檻の中にいるせいか、それともゴンと同様、前にいた場所か飼い主のせいなのか、毛並みも悪く俺と同じ野犬のように見えてならない。

「どういうことだ? 死んでしまっているも同然って? 現にこうして生きてるのに」

「まあ、魂が死んでしまっている、って言った方が正しいかな? 彼女の名はメアリー、俺はデンスケ。実は俺も彼女も、前は同じペットショップにいたんだが、人間の間で彼女の種類が、一時期人気があったんだ。そこで大儲けしたい店の主人が、彼女に無理に何度も仔犬を産ませ続けたせいで、とうとうメアリーは、栄養不足で目が見えなくなってしまったんだよ」

「な、なるほど。それでいつも目が虚ろだったんだな?」

「ああ。だが話しはこれで終わりじゃない。人間ってのは身勝手なもので、その後、すぐに彼女の種類の人気がなくなってしまった。せっかく産まれた仔犬も、今度は主人にとってはエサ代のかかる邪魔者になってしまい、タダ同然で売られたか、どこかの山奥かどこかに捨てられてしまったんだ」

「そ、そんなことが………………」

「その後、メアリーはショックでこの有様だし、店は不景気でつぶれ、そこにいた俺達はいきなり放りだされて、こうやって野良犬になり、今にいたるわけだ」

事情を知った俺は、メアリーに何か慰めの言葉もかけてやりたかったが、もう死んでいるも同然の彼女に何を言っても無駄だった。

 そして数時間後、今日もまた処分の時間となり、デンスケの檻の犬達が、廊下から追いたてられるようにして、奥の処分室へと送られて行った。

少しも動こうとしないメアリーは、例によって悲しげな顔の青葉に抱きかかえられ、やはり奥の処分室の方に連れて行かれてしまう。

そしてまた、俺の耳には仲間達の、悲しい断末魔の悲鳴が聞こえた。

どんなに必死に耳を押さえても、仲間の絶叫が聞こえなくなることはない。

いつものことながら、自分の耳のよさが恨めしい。

 こんなイヤな気分をごまかすために、俺は小窓から外を見た。

仲間の死や、明日は我が身という恐怖を、少しでも紛らわせたかったんだ。

すると、

「あっ、いたいた。ワンちゃ~ん」

施設の柵の外から、数日前に見かけた近所の子供達が、俺に向かって手を振っていた。

その中の1人が、自身の飼い犬なのだろう、小型犬を抱いて前脚を持ち、他の子供達と同じように、こっちに振らせていた。

その小型犬は、それを別にイヤがる様子もなく、飼い犬として幸せそうな顔をしていた。きっとその家で、大事に育てられているに違いない。

(いいなぁ~………………)

同じ犬なのに、この違いな何なんだ?

あっちは幸せに飼い犬として生きている。

俺は殺されるのを待つだけ。

いったい俺が何をしたって言うんだ?

俺だけじゃない。

ゴンみたいないいヤツが、何で不幸にならないといけないんだ?

メアリーやデンスケも、何も悪いことなんてしていないのに?

それに、あの仔猫達だって、産まれたばかりだってのに、何ですぐに殺されなくちゃいけなかったんだ?

それを思うと、腹が立ってきたが、明日の自分の運命を思い出すと、その怒りもどうでもよくなった。

「どうせ俺も、明日は死ぬんだ。もう、どうでもいいや………………………」

窓の向こうの柵の外では、まださっきの子供達の声がしたが、もう俺には顔を見せる気力もなかった。


 その日の夜になり、少しは気分も落ち着いてきたが、今夜は眠れそうにない。

何より明日は、俺の最後の日だ。

今日のことがあってもなかっても、今夜は寝ることなど出来なかったろう。

ゴンと同じく、死ぬ覚悟はできていたつもりなのに、いざ前日となると、恐くて恐くて仕方がない。

(やっぱり、死にたくねぇよ…………)

明日のことを考えると、今さらながら脚が震えて止まらない。

心臓も壊れそうなくらいにドクンドクンと、いつもよりずっと早く鳴っている。

こんなにも恐ろしく、どうしようもない気持ちなのに、何であの日のゴンは「気分が落ち着いている」、何て言えたのだろう?

死に恐怖を感じないほど、飼われていたときが辛かったのか、俺が恐がらないよう、気をつかっていてくれたのかもしれない。

(ゴン、俺は恐いよ。死にたくないよ。とても落ち着いた気分になれそうにないや)

俺は床に伏せて、前脚で頭と耳を押さえた。現実から少しでも、自分を遠ざけたかった。

それにしても、こんな思いをするくらいなら、いっそのこと死んだら次は、人間に生まれ変わりたいものだと、俺は思った。

何の罪もない動物を、自分達の勝手な都合で殺すことができるんだ。

きっと仲間がどんなに死んでも、何とも思わずにいられるに違いない。

人間にさえなれば、もうこんな辛い思いをしないで済むかもしれないではないか?

しかし、それでは何故、人間の青葉はいつも、悲しそうな顔をしているのだろう?

人間にも、心があるのだろうか?

死を悲しむ感情があるのだろか?

心を持つ人間と、持たない人間がいるとでもいうのだろうか?

少なくとも、俺やゴンの飼い主や、数日前に来た猫の飼い主、メアリーとデンスケがいた店の店主にはそんなものは無い。

両者の違いはどこにあるのだろう?

本当に人間とは、ワケの分らない生物だ。

(やっぱり人間になんて、あまりなりたくはないな…………………)

だが、そんな人間にも、少しだけうらやましいところもあった。

それは、食い物が美味いということだ。

俺がここに連れてこられる数日前のこと、いつものように公園で、その日のメシを探していると、近所の会社のサラリーマンが、昼食を喰いにやって来たのだが、ふとしたはずみで、喰いかけの弁当を地面に落としてしまったのである。

落としたくらいなら、すぐに拾えばいいものを、その人間は弁当をその場に捨てたまま、新しい弁当を買いに行ってしまったのである。

何とももったいない話しではないか。

まあ俺としては、思ってもみなかった御馳走にありつけたのだから、ありがたいが。

その弁当は、飯の上に海苔とかいう海藻が乗っている安物だったが、俺にとっては今まで喰った中で、最高のメシだった。

あんな美味いものを、毎日普通に喰っているんだから、本当にうらやましい。

できれば死ぬ前に、もう一度あの海苔弁を喰ってみたいと思った。

だが、俺にとって最期のこの日に出されたエサは、いつもと同じドッグフード。

気のせいか、いつもより多いような気はしたが、死を前に食欲などありはしない。

その夜、俺はエサに口をつけなかった。

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