第5話

    - 5日目 -


 今日がゴンにとっては最期の日である。この狭い牢獄にいて、せっかくできた友達とも、今日限りで別れなければならない。

当のゴン本人は、どんな気持ちで今日という日を迎えたのだろう?

ゴンの檻には、他に数匹の犬がいる。

自らの最期を諦め遠吠えしたり、最後のあがきで吠えまくるヤツがいる中、その中でただ1匹、ゴンは静かに処分の時間を待っているようだった。

そこで俺は、壁越しにゴンがいる隣の檻に声をかけた。

「何て言ったらいいか、その………………、とうとうこの日が来ちまったな」

「そうだな」

「今、どんな気持ちだ?」

「何だろうな、そんな悪い気もしねぇ」

「……………………?」

「もうすぐ殺されちまうってのに、妙に気分が落ち着いてんだ」

「へ、変なヤツ?」

「コタローよぉ、俺も最期におまえみたいないいヤツに会えてよかったよ。何もいいことがない、つまらない生涯で終わらずにすみそうだ。ホント、アリガトな」

「な、何だよ急に? 気味悪いな」

「いやなに、もうお別れかと思うと、今までのことが……………………………」

「ん、どうした?」

言いかけて、何かに気付いたゴンは言葉を詰まらせた。

壁のせいでヤツの顔は見えないが、何かに緊張しているようだった。

俺は何事かと、あたりを見渡した。

「……………これは?」

こちらに近づく、誰か人間の気配がする。

処分の時間にはまだ早いハズだが?

それに、その人間の中に、俺の知らない臭いが混じっているようだった。

「誰だ、この臭いは?」

「お、俺の飼い主だ……………………」

そう答えるゴンの声は、妙に震えていた。

しばらくすると、センターの職員と一緒に来た1人の男が、ゴンの檻の前に立った。50歳くらいで無精髭が濃く、やたらと酒臭い大男だ。

男は檻の中を見渡して、ゴンを見つけるや、

「おお、ゴンだゴン。間違いない、2週間前にいなくなった、家のゴンに間違いありません。こんなところにいただなんて、思ってもいませんでしたよ。首輪に迷子札でも付けておけばよかった。さあゴン、こっち来い」

男は嬉しそうに言うと、檻の中のゴンを手招きした。

 まさか処分される当日に、飼い主が現れるとは、ゴンも運がいい。これでヤツも死なずにすむってわけだ。

だというのに、何故かゴンは檻の前にいる飼い主の方に、近づこうとしない。

壁で見えないが、ゴンは部屋の隅の方に逃げてしまっているかのように、ヤツの臭いの気配が俺の位置から遠ざかっている。

「おい、どうしたんだよ? せっかく迎えが来たってのに?」

「イ、イヤだ………………帰りたくない!!」

「え?」

「帰るくらいなら、このまま殺処分された方が、死んでしまった方がいいっ!」

「ゴ、ゴン……………………………?」

必死に帰宅を拒むゴンの声は、人間である飼い主には聞こえない。

彼の気持ちを知らない職員達は、檻を開けて部屋の隅で脅えるゴンを、無理矢理に檻から連れ出した。それをゴンは、必死になって床に踏ん張り抵抗した。

職員達は、ゴンが処分されるのを恐れて、そんな態度をとっていると思っているようだ。

コンクリートの床に爪痕を残し、抗うゴンの努力も虚しく、引きずられるように檻から出されたゴンの体を見て、俺はようやく、ゴンがあれほどまでに帰宅を拒んだ理由が分かった。

(ひ、ひでぇ……………………)

彼の全身に残された、タバコによる火傷跡や殴られたりした跡など、思わず目をそむけたくなる、無数の古傷の数々。

人間の中には、ストレス解消だか何だか知らないが、無抵抗なペットを虐待して気分を紛らす悪人が多くいる。

ゴンの飼い主が、まさにソレだったのだ。だからゴンは、逃げるようにして家から出てきたに違いない。

(コタロー、おまえもそうなんだろ?)

昨日、ゴンが俺に言った言葉が、急に頭の中に思い起こされた。

そうだ。俺も同じ理由で野犬になった。俺も飼い主に暴力をふるわれ、それがイヤでイヤで逃げ出して野犬になったんだ。

きっとゴンは、俺がここに連れてこられたときに、俺の傷だらけの体を見て、そのことに気付いたに違いない。

だから俺に、あんなにも親近感を抱いていたんだ。

「コタロー、コタローッ!!」

檻から出されても、飼い主にリードを渡されても、必死に助けを叫ぶゴン。

しかし俺も捕らわれの身だ。ゴンを、助けることなどできはしない。

「ワンッワンッワンッワンッ!」

我が身の無力さを感じながらも、俺は係員達に、吠えることしかできなかった。

センターに来てから俺が初めて吠えたので、係員は驚いていたようだったが、その理由が分かるわけもなく、俺にかまわずゴンを、飼い主に引き渡してしまった。

「コタロー、コタローッ、助けてくれぇっ」

「ゴンッ、ゴーン………………………」

檻にしがみつき、俺は必死に吠えたが、結局ゴンは、飼い主に連れて行かれてしまった。

俺は部屋の小窓に駆け寄り外を見ると、車で連れられて行くゴンが、車の窓からこっちを悲しそうな目で見つめていた。

その目は、このセンターで処分されていった犬達の、どんな目よりも悲しそうであった。

このままここにいても殺されていたが、連れて行かれれば死なないまでも、それ以上の苦しみがゴンを待っている。

(帰るくらいなら、このまま殺処分された方が、死んでしまった方がいいっ!!)

ゴンの悲鳴のような叫び声が、俺の頭の中にこびりついて、離れようとしなかった。

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