ミリオン
和田一郎
『ミリオン』
コウタは悩んでいた。
書籍編集者として働き出して十年を過ぎていたが、夢だったミリオンセラーはいまだ出せていない。編集者としてこの世に出した本は、すでに百冊を超えた。
重版がかかったものは三割に過ぎず、『犬の生活』という犬をテーマにしたエッセイ集が唯一、五万部を超えた程度だ。
一年後輩のユウスケに、重版になる割合、出版数、累計販売部数などすべての面で凌駕されている。
「たまたま、ですよ、コウタ先輩」
「たまたまが、十年も続くかよ」
「いや、先輩、僕のつくる本は、やっぱり、売りに走ってますから。僕は、むしろ、コウタさんみたいな『いい本』出したいですよ」
それがユウスケの本音でないことは、コウタも知っている。『売れる本』と『いい本』を巡る議論は、コウタの勤める中堅出版社にとって、いわば中心命題のようなものでもあったので、机を並べるふたりの会話がそこに落ちるのはいつものことであった。口ではそう言いながらも、ユウスケの本音は、『いい本』=『売れる本』であり、『できる編集者』=『売れる本をたくさんつくれる編集者』であることはあきらかであった。先輩のコウタよりも多くの読者をつかみ、明らかに会社の利益に貢献しているユウスケは、コウタがユウスケのヒットを褒めるたびに、その命題がいまだ未解決であるかのようなふりをしてみせるのであった。
「会社の状況が状況だからなあ。売れる本を出さなきゃ」
「コウタ先輩は潔いからなあ・・・。先輩も、二匹目、三匹目のドジョウ狙うとか、ギリギリのタイトルで吊り気味に勝負するとか、なりふり構わずやってみたらいいんじゃないですか?」
―――そうだよな。
だが、そういう方向で売れそうだが「薄っぺらな」内容の本を出すことに、コウタはどうしても気合が入らない。ユウスケはそんなやり方でも喜々として仕事をすすめ、たいていは重版にし、そのうちのいくつかは数万部のまずまずのヒットになっていく。すでに、二冊の十万部超えも出していた。
大衆を馬鹿にしているわけじゃないんだ。でも、読むものの心を激しく揺り動かし、さらに多くの人に受け入れられるホンモノの本を出したいんだ。そんな本をつくることができれば、それはきっとミリオンセラーになるはずだ、コウタはそう思っている。
本も雑誌も売れない。コウタの勤める会社でも本が売れず、早期退職者の募集を始めた。二百人近くいる正社員のうち、五十人程度を早期退職制度によって削減するという。対象者が勤続十五年以上だから、コウタは対象外である。
かつてのコウタの上司、手とり足とり仕事を教えてくれたヤスさんが、面談で勧められた自主退職を受け入れたことを知ったのは、募集枠がなんとか埋まったとの噂が流れた頃であった。コウタはヤスさんのデスクに電話をかけて、飲みに連れて行ってくれるように頼んだ。
ヤスさんは最後だから少し豪勢にと言って、フグの専門店にコウタを連れて行った。コウタは青磁の大皿に広げられたふぐ刺しをつつきながら、ヤスさんが四二才であること、次の仕事のアテはまだないことを聞いた。退職を巡る心労のせいか、頬がこけているような気がした。
ヤスさんはコウタが新入社員の時に丁寧に指導してくれた元上司である。売れる本を着想する方法、企画の深耕、作家とのつきあい方、デザイナーの選び方、校正、書店、取次への営業の大切さなど、コウタはヤスさんからすべてのことを学んだ。
ヤスさんとコウタは似たもの同士であった。ユウスケのように器用に立ちまわることができない。信念が強いと言われることもあるが、それは一面、融通がきかないということであって、そんなところもそっくりであった。
コウタも他人とのつきあいが得意な方ではなかったが、ヤスさんは多人数相手に喋るときには、病的と言ってよいほど緊張する。声が震え、手が震え、脂汗が額に浮き上がり頬を流れる。
企画会議で自分の企画をプレゼンするヤスさんの姿はあまりの痛々しく、コウタはいつも下を向いていたものだ。
売れる本を作るのに口が達者である必要はないはずである。しかし、コウタにはヤスさんのそんな弱点は、周囲を説得して巻き込んでいく時に、やはり大きな不利になっているように思えた。もちろん、ヤスさんにそもそも編集の才能がなかったのかもしれない。とにかく、ヤスさんのつくる本は重版のかかる率は低く、十万部を超えるベストセラーは、二十年近いキャリアの間に、わずか一冊であった。書籍編集者としてクビになり営業に異動になっても不思議でない状況であったが、営業部長が喋ることが苦手なヤスさんを営業マンとして受け入れることを拒んだのだという噂もあった。
やがてコウタはヤスさんの配下から離れつきあいは薄くなったが、その後もコウタは景気の良い話を聞いたことはなかった。おそらく、コウタの十年と同じく、制空圏を仰ぎ見ながら、低空飛行を続けたのだろうと思われた。
コウタのミリオンベストセラーの夢は、いわばそんなヤスさんから引き継いだ夢であった。
真に良い本、大衆の心を揺さぶる本を出すことができたら、百万人を超える人たちを感動させることができるはずであった。薄っぺらな売りに走った本を何冊出してもミリオンセラーにすることはできないが、真に良い本を出し続ければ、いつかはミリオンセラーが出せるかもしれない、ヤスさんはそう言ったのだ。
コウタはヤスさんの言葉に熱くなった。
しかし、いつかはミリオンをと心の奥に火を灯していたはずのヤスさんは、ついにその火を消してしまった。
夢を捨てて去っていく後姿は、自分の将来をも予言しているのではないか、コウタがそう考えるのも自然なことであった。
「体調も思わしくないしな。妻とも相談したんだが、退職金の割増の多い今のうちに辞めて、君たちのような若い人に、少なくなった席を譲ろうと思うんだ」
「ミリオンを出す夢は、諦められるんですか?」
「そうだな。会社を辞めることは決めたが、その先はまだわからない」
出版業界は厳しい。出版点数が激減していて、編集者の仕事もどんどん消滅していっている。四十才を超えて、華やかな実績もないヤスさんに、編集者としての転職先がみつかるとも思えない。コウタには、面接で緊張してしどろもどろになっているヤスさんの姿しか想像できないのである。
まさか、独立?
自分で出版社を立ち上げる?
そうであればどれほど嬉しいことだろう。だが、コウタにはヤスさんがそういった起業家タイプではないことを痛いほどわかっている。
聞きたいことは、ヤスさんのこれからの算段だが、突っ込んで聞ける雰囲気でもない。
「ミリオンの夢は、君に託すよ。君にはその目があるよ」
「いえ、僕には無理です。もう、十年もそう思って頑張ってきましたが、やっぱり無理だったんじゃないか、僕には向いていないんじゃないかって思い始めました」
「なに弱気なこと言ってんだ。最初の十年なんて修行みたいなもんだ。本当の勝負はこれからの十年だぞ。二番煎じのハウツー本ばかり出すために、この世に生まれてきたわけじゃあるまい。僕は君のことを知っている。君は心の奥に天使を飼っている。大丈夫だ。信じてがんばりたまえ」
「でも、ヤスさんも、自分ならそれができると思っておられたんでしょう?」
「そうだな。だが、自分のことは、案外わからないもんだ」
「僕も潮時かもしれないと思っているんですが・・」
ばん!
突然大きな音がしてコウタは俯いていた顔を上げた。ヤスさんが両の拳でテーブルを力いっぱい叩きつけたのだった。テーブルの上の皿のすべてのもの、皿やお湯の煮立っている鍋、箸置きや折りたたんだおしぼりまで、すべてのものが一瞬天板から飛び上がった。
ヤスさんの指導はいつも優しく丁寧だった。コウタの配慮が足らず稀に怒ることもあったが、そんな時もその怒りは充分制御されたものであった。煮立っている鍋の置いてあるテーブルを渾身の力で叩きつけるようなことをする人ではないはずであった。
コウタは怯んだ。
「つまらないことを言うな。君ならできる。できる人間は、それをする義務があるんだ」
そんな風な一席ののち、ヤスさんは会社を去った。
ヤスさんの最後の一言は、コウタの胸には響かなかった。
結局、ヤスさんは負けたのだ、と思った。二十年近いキャリアをミリオンを出すことに賭けて実現できなかっただけでなく、ヒットも少なく累計販売部数も同世代の編集者と比べて最低の成績であった。コウタを励ますために強い言葉を選んで贈ってくれたのはわかっていたが、完敗して去ってしまったヤスさんの言葉に真実が含まれているとは到底思えなかった。
コウタはすべてにおいて、懐疑的になった。
自分の才能にも、本を出すという仕事にも。かりにミリオンを出して、大衆の心を揺さぶることができたとして、それに何の意味があろう。
コウタは転職情報を気にするようになった。
幸い妻は看護婦として働いており、子供もいない。ヤスさんのようになる前に、自分の才能に見切りをつけて、新しい道をみつけるのだ。
だが、同時に、一冊の本、自分では最後になるかもしれないと決めた本の出版に、熱意を燃え上がらせていた。
それは、震災で母を失った女子大生が認知症の祖母を介護する話で、地方新聞の小さな囲み記事から手繰り寄せた企画であった。祖母は会いに行く度に、孫である女子大生を自分の娘、女子大生の母であると勘違いする。霧のかかった祖母の頭の中では娘は死んでおらず、時代は飛び飛びに前後するものの、孫ではなく娘が眼前にいるかのように写っているのであった。話しても無駄だとわかっているので、女子大生は母のふりをする。記憶は鮮明に蘇っているらしく、話を合わせていると、当時の母と祖母の状況や会話がありありとそこに蘇ってくるのであった。結婚の申し込みに連れてきた大工の父が、祖父とぎこちない険悪な雰囲気になったこと。母が小さな頃、車に引っ掛けられて溝に落ちた時、死んだかもしれぬと諦めたこと。幼稚園に上がる前の自分を連れて突然実家に帰ってきた母が離婚を口にしたこと。女子大生は多くの知らなかったことを知った。母を失った傷は大きく、当初受け入れがたいと思っていた祖母の誤認であったが、やがて、母は祖母と自分の中に今もしっかり生きている、たとえ津波が母をこの世から奪い去ったとしても、母が消えることはないと考えるに至った。
コウタの依頼に応えた女子大生が、その体験談を『津波に消えた母は、私の中にいた』というタイトルで、連作エッセイ集のような体裁の原稿にまとめた。
原稿を読んで胸が震えた。涙が溢れ出し、ついに号泣した。
コウタが本を読んで号泣したのは、生まれてはじめてのことであった。
この本が売れなければ、本をつくる仕事は辞める。
コウタは思いつめた。
『津波に消えた母は、私の中にいた』は、初版五〇〇〇部であった。
もちろん、コウタは異を唱えた。この本は売れる。何十万部と売れるはずである。その体制で刷り部数も宣伝体制も整えて欲しいと、ついつい激して主張した。だが、上司の返答は、「良い本であることは認めるが、売れるかどうかはわからない。通常どおりに出してみて、伸びるようだったら増やしていけばよい」との一点張りであった。
ユウスケも言う。
「僕も泣きました。売りつもりでガンガンいったら、この本は化けるんじゃないですかね。五〇〇〇部なんですか? まったく、わかっちゃいないですよね」
いつも先輩のコウタの顔を立てるユウスケのことだ。どれほど本気で言っているのかは、わからない。だが、表情にネガティブな色はない。ユウスケは続けてこうも言う。
「無名著者の本って、基本まったく売れませんよね。素晴らしい内容だとしても、高く舞い上がるためには、離陸できる初速が必要です。それがないために、どれほどの素晴らしい内容の本が、必要な人に届く前に消えていったことか」
仕方がない。コウタはその部数や少ない宣伝枠を受け入れた。不足は自分で補うしかない。地味な本がゆっくりと支持され長い時間をかけてロングセラーになり、やがて大ヒットになる例もないではない。
本は発売され、静かなスタートを切った。
許されるすべての時間をコウタは、『津波に消えた母は、私の中にいた』を知ってもらうために使った。ありとあらゆるツテを頼んで献本先を探し、相手に合わせて丁寧な手紙を添えて本を送った。来る日も来る日も、手紙を書いて封をして庶務に発送を頼んだ。書店や取次への営業も自ら積極的に出向いて行った。次に出す本のこともやらなければならないので、コウタは多忙を極めた。まさに寝る間もない状況が、一日、また一日、そして一か月、二か月と続いた。
本はじわりと売れ始めた。
二か月後に、五〇〇〇部の増刷が決まった。
五か月後に、また、五〇〇〇部の増刷が決まった。
だが、そこで足踏み状態になった。在庫の減りは緩やかで、社長が次の増刷に渋々ゴーを出すまでには、さらに半年を要した。
すでに知人のツテを頼ってあらかた出してしまっていたので、新たな献本先が見つかりにくいということもあった。発売後かなりの日数が経ち、書店への営業がしにくい状況になったこともあった。コウタが『津波に消えた母は、私の中にいた』の拡販にかける時間は徐々に減っていった。
それと反比例するように、転職情報を見る回数が増えた。
出版して二年後、『津波に消えた母は、私の中にいた』はペースを上げて売れ始めた。
社長は五刷目の増刷を三万部と決め、新聞広告枠を別枠で確保した。
発売直後にジャンル一位からすぐに陥落したアマゾンの順位も、いつの間にかもうひとつ上位のカテゴリーでも一位となり、ベストセラーのマークがつけられていた。
コウタには何が起きているのかわからなかった。発売直後、すでに有名な本の雑誌でレビューを書いてもらっていたが、その後、大手の媒体や著名人が紹介してくれた形跡はない。ネットで検索してブログにレビューを書いてくれている人は複数みつかったが、急に売れ出した理由をそこに見つけることはできなかった。介護職の人たちのあいだで話題になって読み継がれているというような話はあったが、それがヒットの理由とは思えなかった。
『津波に消えた母は、私の中にいた』にその力があったのだ、人々の心を強く揺さぶる内容だったのだ、そして、その力が自らをベストセラーに押し上げつつあるのだ、とコウタは思った。
そして、自分にはそれを生み出す編集者としての力があったのだ、と。
『津波に消えた母は、私の中にいた』の累計発行部数は十万部を超え、ベストセラーの仲間入りを果たした。そして、そのペースはますます上がり、夢だったミリオンに届くかもしれないと思えた。
売れ始めるとマスコミが一斉に『津波に消えた母は、私の中にいた』に注目した。著者は匿名でいることを望んだので、本来黒子である編集者のコウタが、世間の好奇心の津波から著者を守る壁となった。
ちょうど、そんな時であった。
ユウスケから、ヤスさんの訃報を聞いた。
どうやらヤスさんは自主退職を受け入れた時、すでに胃がんだったようで、退職後は治療と自宅療養を繰り返し、ついに亡くなったということだった。
ひょっとしたら、ヤスさんは本当に夢を諦めたわけではなかったかもしれない。病状を知らせていらぬ心配をさせないため、自分には癌のことを伏せていたに違いない。ヤスさん流の優しさであった。あの時、ヤスさんを敵前逃亡した友軍のように感じた自分を恥じた。
「今夜、お通夜、明日がお葬式らしいよ。おれ、お通夜には行こうと思っているんだけど、コウタ先輩どうしますか?」
コウタは忙しかった。その夜には著名作家などが多く出席するパーティーがあり、翌日にはテレビなどの取材のアポイントがあった。
「だめだ、行けない・・・」
「そうですか。香典、預かっていきますけど」
コウタはお通夜にも葬式にも行かないことを心中で詫びた。だが、なにがなんでも『津波に消えた母は、私の中にいた』をミリオンにする、そのためには今は一刻も無駄にすることができないのだ、そういう理由ならヤスさんはきっと許してくれるだろうとも思った。
コウタは『津波に消えた母は、私の中にいた』を一冊取り上げてユウスケに渡した。
「バタバタして、ヤスさんにこれを送るの忘れてた。香典といっしょに、奥様に渡してきてくれ」
「あ、この本なら、発売前に、僕がヤスさんの自宅に送っておきましたよ。きっと、ヤスさんなら、この本の良さをわかってくれるだろうと思って」
「おまえ・・・」
それから、一年。
『津波に消えた母は、私の中にいた』は、ついに百万部を超えてミリオンセラーとなった。
コウタは続いて三冊の本を出し、二冊を十万部超えのベストセラーにした。花形編集者のひとりとして、出版業界に広く名前が知られるようになった。
コウタは、本によって大衆の心を揺さぶる術を身につけたように思った。
そんな時であった。一通の手紙が届いた。
丁寧な手書きの封筒には「安川律子」という名前が書かれていた。
―――誰だろう?
少し考えて、思い当たった。その苗字はヤスさんのものと同じだ。きっとヤスさんの奥さんからのものに違いない。
新入社員の頃、家に遊びに行かせてもらって、ヤスさんの奥さんには一度だけだが会っている。
お通夜もお葬式も欠席したのち、いつかは仏前にいかなければならないと思ったものの、行けないままであった。
いったいヤスさんは何を教えてくれたんだろう、コウタはヤスさんの存在やヤスさんから教えてもらったものを、すでに心の中から消し去っていた。ヤスさんはすでに過去の人であり、多くの失敗者のひとりに過ぎなかった。
それにしても、なぜ、線香一本あげに行かなかったのか。今更ながら、コウタは悔いた。
封を切るコウタの指が震えた。
『前略 今年の桜も終盤を迎えましたが、コウタさんはいかがお過ごしでしょうか。家の前の道路に積もる桜の花びらを掃き寄せる度に、桜の季節が毎年なんの変わりもなく巡ってくることに不思議な感情を抱きます。
昨日、主人の一周忌を迎えました。主人という支えなしに、どうやって生きていけるものかと思っておりましたが、皆様の気遣いをいただきながら一日一日と日々を重ねるうち、気がつけば一年の歳月を生きながらえていました。
一度しかお会いしたことがないのに、コウタさんとお呼びする無礼をお許しください。主人はいつも貴方様のことを話しておりましたが、いつもコウタと呼んでおりましたもので、私は貴方さまのことを、まるで自分の息子のように勝手に身近に感じております。
さて、今日、筆を取ったのは、コウタさんにお礼を申し上げたく思ったからです。
今日お伝えすることは、実は主人からはコウタさんに言うなと言われておりました。コウタさんに良い影響を与えないかもしれないからということでありました。ですが、コウタさんは、すでに主人が望んだとおりの立派な編集者になられたように聞いていますし、そのことをお伝えしてもコウタさんの今後の仕事に影響するとも思えません。それよりも、主人になりかわり、また主人の連れ合いとして、お礼を申し上げないまま刻一刻と時が過ぎることが、私には許されないことに感じられます。
頂いたコウタさんのご本『津波に消えた母は、私の中にいた』を読んだ主人は、病室のベッドで涙を流しておりました。これはミリオンセラーになる、主人は興奮してそう申しておりました。
じつは、主人の母が軽い認知症で施設にお世話になっております。
退職してからは、治療のために入退院を繰り返していた主人ですが、介護施設にいる母親を尋ねた時に、コウタさんの本を持参し、その一章を読み聞かせました。子供のような無邪気な笑顔の母は、主人の読み聞かせを黙って聞いておりましたが、涙が溢れて頬を流れました。主人は訪問するたびに母に頼まれて、また、一章、また一章と読み聞かせておりましたが、やがて、介護スタッフのマネージャーが母と並んで、主人の読み聞かせを聞くようになりました。
そのマネージャーの方もいたく感動されて、ほかの入所者や介護スタッフを集めて主人の読み聞かせを聞く会を開きたいと申されました。よくご存知のように、主人は人前で話すことは大の苦手でしたので、ちゃんと読めるのか不安で仕方がなかったようですが、コウタさんのご本を多くの人に知ってもらいたい一心だったのでしょう、その依頼を引き受けました。
不思議なことに、主人は上がる様子は微塵も見せず、二十人以上の人たちに囲まれて、ご本を読んでおりました。
私もすでに本は読ませておりましたが、主人が 訥々と読んでいるのを聞いていると、言葉の一節一節が胸に染み入り、また涙が溢れてきました。ふと周囲を見ると、あちこちで多くの参加者が、すすり泣いているおられました。
もちろん、多くの人の心を揺さぶるのは、ご本が素晴らしいからです。ですが、主人が読むと、言葉がさらに胸の奥底に達するようでもありました。
主人の読み聞かせが私の胸に沁みるのは、それが主人だから、しかも余命宣告されている人だからだ、と思いました。が、涙を流した多くの参加者は、主人が余命宣告を受けていることも知りません。なぜ、それほど主人の読み聞かせが人々の心を揺さぶったのか、私にもわかりませんが、ともかく、読み聞かせ会は評判を呼び、他の介護施設からも呼ばれて出向いてい行くようになりました。最後の頃は、自身も車椅子に乗り自身も介護されながら会に出かけておりました。
主人が会社を辞めて帰ってきて、闘病に専念することになった頃、主人の表情はとても暗いものでした。
主人のその頃の気持は察してはおりましたが、はっきりとわかったのは、コウタさんのご本を手にし、読み聞かせ会に行くようになってからのことです。
それまでの主人は、自分の職業人生は失敗だった、なにも成しえなかった、まったく無駄な二〇年の職業人生だったと思っていたそうです。
が、コウタさんのご本を手にしてからは、主人の表情は輝くように明るくなりました。
自分にはできなかったことを、コウタさんが引き継いで実現してくれた。自分の胸のうちにあった夢の蕾は、コウタさんに引き継がれて、ようやく花開くのだと主人は申しておりました。
ご本がじわじわと売れ出し、やがてベストセラーになり、あちこちで話題になっていくのを、主人はほんとうに嬉しそうな表情で見ておりました。
主人の介護施設での読み聞かせ会がご本を知ってもうためにどの程度の役割を果たしたのか、出版に無知な私にはわかりません。百万部も売れたご本です。主人が抱いていた使命感が強いものだったとしても、影響はわずかのことだったに違いありません。
それでも、主人ははっきりと変わりました。
コウタさんのご本のおかげで、主人は自分の人生を肯定的に考えることができるようになりました。また、いまこそ自分がやるべき本当の仕事に関わっているのだと感じて、病との過酷な戦いを続けながらも、最後の二年をいきいきと過ごすことができました。
誤解しないでくださいね。お知らせしなくても良いことをわざわざお伝えしたのは、主人の行為を恩に思って欲しいからではありません。
最初に書きましたように、最後の最後に主人の人生を、大きな意味のあるものに変えてくださったコウタさんに、心からのお礼を申し上げたかっただけなのです。
オセロゲームの終盤の決め手の一手のように、あのご本は主人の人生を白く輝くものに変えてくださったのです。
主人は『津波に消えた母は、私の中にいた』を枕元に置いて永眠しました。もちろん、ご本は今も仏前に供えさせていただいております。
ほんとうにありがとうございました。
コウタさまの今後のますますのご発展ご活躍を祈念しております。 早々』
ミリオン 和田一郎 @ichirowada
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