第96話 天文24年春 6


「今年から、信長殿にはもう一段高い所から軍の指揮を執ってもらいましょう」

次に、良之は二条軍の指揮系統について検討を始めた。

「去年は本当にすいませんでした。信長殿に仕事を集中させてしまって……」

「こちらこそかたじけのう存じます」

信長も頭を下げた。

「領地の最前線を指揮する不識庵殿と晴信殿、それに信秀殿、義龍殿には、それぞれ方面軍の総指揮官を受け持ってもらいます」

名指しされた者達は頭を下げ、

「はっ」

と承諾の意を示す。

「加賀の総指揮官は信長殿の配下から選びます。……柴田勝家殿はどうでしょうか?」

「あやつなら大丈夫でしょう」

信長も賛意を示した。


柴田勝家は、北陸大乱の折の見事な用兵が評価され、二条家中でも評判が高かった。

「飛騨は江馬時盛殿にお任せします。越前とは不戦協定が出来ていますから、申し訳ありませんが2000程度の兵でお願いします」

「承知いたしました」

飛騨国司の江馬も了解した。


「信長殿には、これまで通り工兵の全運営をお任せします。ただし、部隊を連隊ごとに分け、それぞれに司令官を任命して彼らに実務を行わせましょう。信長殿は総司令官として、それを指揮管理してもらえば、昨年のような忙しさからは解放されると思います」

「はっ」

「人選はお任せします。もし人材が足りないようでしたら、越後以外からなら指名して構いません。皆さんも、出来るだけ信長殿にご協力お願いします」

越後は、未だ揚北衆が独立状態という事もあって、容易に気が抜けない状況下にある。

現状では長尾不識庵の配下たちはそれぞれ、代官地の治安維持や防衛に不可欠であるため、容易に引き抜くわけにはいかないのである。


かといって南近江の六角や足利への警戒が必要な美濃や、今川への警戒が必要な尾張もそう人材の引き抜きは出来ないだろうが、東美濃の遠山や飛騨、能登、越中、信濃あたりにも有能な人材は多い。


信長は、斉藤道三の次男龍重、三男龍之や竹中重元、現在道三の右腕として能登を守る明智光継の子明智光綱。

それに自身が引き抜いてきた尾張の塙、伊藤、生駒、佐々ら若手を専任士官として任命した。


信長が率いる軍は、現在工兵部隊として二条領の発展をもっとも支えている重要な部隊である。

そのため、現在も続々と志願者が増え続けている職業軍人たちの半数は彼の配下に編入されている。

新たに鉄道工事まで加わったために、今後10年以上は土木工事をリードしてもらわねばならない大切な部隊といえる。


ことに今後は、高低差と曲進に弱い鉄道のレール敷設に取り組んでもらわねばならないために、土盛り、掘削、架橋、トンネル工事といった、これまで以上に大がかりな建設作業を進めてもらう必要がある。

それに、良之はまだプランを発表していないが、今後は上下水道の開発と、それに伴う工事の仕事も発生する。

二条家における信長の立場は、非常に重要なことに変わりはなかった。




二条家の今後を国司たちと討議した良之は、会議の終わりにアイスクリームを振る舞った。

貿易赤字解消のためアルメイダの商会がヨーロッパから持ち込んできたスパイス類のなかに、中南米からの輸入品であるバニラビーンズが含まれていたため、猿倉衆に新鮮な生クリームを分けてもらって、良之が指導して木下智に作ってもらったバニラアイスである。

南蛮渡来の新しいものが誰より好きな信長はともかく、食生活については非常に保守的な武田晴信や長尾不識庵までもが、アイスクリームの虜になった。

「これは、いつか甲斐でも食べられるようになりましょうか?」

「すぐには難しいですけど、甲斐で酪農をはじめられれば、城下で作れるようになるでしょう。八ヶ岳の麓あたりで畜産をはじめたらどうですか?」

何気なく良之の言った一言で晴信は、広大な八ヶ岳高原での畜産を本気で導入した。

バニラビーンズはこの時代、すでにスペインのコンキスタドール、エルナン・コルテスによってヨーロッパに提供されている。

ヨーロッパにおいても非常に珍重される香料である事から、その価値は非常に高い。

種子を導入してヨーロッパでも栽培が幾度となく試みられたが、花粉の受粉に媒介する蜂の不在などの条件が重なって、ついに成功にはたどり着けなかった。


二条家にとっては、南蛮取引においてはすでに巨額の貿易不均衡が発生していることもあって、バニラビーンズを言い値で買い上げることなどなんの問題もなかった。

現在美濃で計画されている製紙工場で廃棄物として産出するリグニンがプラント化できれば、リグニンの発行物として人工バニリンが精製出来るかも知れない。


武田晴信だけでなく、斉藤義龍や織田信秀、木曽義康なども本気で畜産を志したため、良之は彼らに、猿倉衆の畜産技術者のリクルートを一部許可した。

こうして、甲斐、信濃、美濃、尾張における畜産は、施政者たちの熱烈な後援を得てスタートした。


また、同時に各地での大規模養鶏業もスタートしている。

宗教的な理由で食肉を忌避する武田晴信や長尾不識庵にも無精卵については納得させているので、領地への鶏肉や鶏卵の普及は問題なく広がった。

その結果、二条領全土で栄養状態は大きく改善して、流行病による死者を激減させることにつながるが、それは養鶏業が普及する後のことになる。


信濃の木曽、伊那、諏訪各地の農民たちの努力によって、寒天も大量に生産することが出来た。

全ての食の流行を大きく広げるため、良之は伊賀甲賀の忍衆に調理法を教え、彼らを二条領各地に派遣して普及販売させた。




国司たちとの会議を終えると、良之は次に、全技術指導者を集めての会議を始めた。

年頭から良之が布石を打った今年の技術的課題は多岐にわたる。

そのうち、良之自身が指揮を執らねばならないものは、刈羽での油井、池島での炭鉱開発、琉球・台湾での製糖工場、美濃の製紙工場の4つである。

その他の万年筆やウージー生産工場などは、彼ら技術者間でやりくりをして、油圧プレスや金型生産、製鉄から熱間圧延、鋳造部品やバネ生産などをこなしてもらう必要がある。

電力網については、現在丹治善次郎によって各発電所間に送電線を敷設して電力の安定供給を計画してもらっていて、これには電線の地中敷設技術が絡むため、コンクリート管の地下敷設が必要となるため、木下藤吉郎の協力が不可欠となる。

工作機械は電動で稼働するため、広階親方や彼の子供達は、善次郎の協力が必要になるし、非金属部品については、山科阿子ら化学プラント技術者の協力が不可欠になる。

各部門の縦割りでの指揮系統についてはかなりうまくいっているのだが、残念ながらこうしてあるプロダクトについて横に広がる連携については、良之がいなくなるとだいたいストップしてしまうことが多い。

今年はかなりの期間を良之本人が不在になる事が予測されるため、どうしても良之の名代として生産部門を統括する責任者が必要になる。


「藤吉郎。小一郎はお前抜きでコンクリート部門の総責任者が務まると思う?」

「はっ。……小一郎は知識はすでにそれがしと同じくらい学んでおります。が、なにぶん元服してまもなく、全てを任すには荷が重いかと存じます」

「そう……。あのさ、斉藤道三殿の配下に、明智光秀っていう若者がいるんだけど、彼や塩屋殿の番頭に雇ってる尾張の伊藤屋の若いのとかを付けたら大丈夫かな?」

「はあ。あの、御所様。わしはお役御免なのですか?」

良之が自分の後釜に小一郎を据えようとしているのは分かったが、藤吉郎にとっては、自分以上にコンクリート産業を統括できる人材はいないと自負している。

小一郎でも確かに年長のものを補佐に付ければこなせるだろうが、自分が外されるのは少し心外に感じているのである。

「うん。藤吉郎には、俺がいない間、俺の名代を務めてもらいたい。要するに、二条家の全ての生産設備の開発、運営の責任者を務めて欲しいんだ」

藤吉郎は、降って湧いたあまりの責任の重い職種に圧倒されて声を失った。

だが、

「ほう、藤吉郎殿ですか。それは良い」

広階親方が顔を緩め、

「そうですね。藤吉郎殿なれば、御所様不在の間も円満に進みそうに存じます」

善次郎も賛同する。

「私どももお力添えいたしますゆえ、是非お受け下さいませ」

山科阿子も後押しする。

実はこの会議の前に、藤吉郎以外の出席者に良之は根回し済みである。

藤吉郎の個人的能力はすでに二条家の家中で確固たる評価を得ているのだが、実は彼の人柄についても、評価はすこぶる高かった。

陽気で機知に富んだ人柄や、物事の本質を見極めるバランス感覚の良さは、技術部門に属する、どちらかというと人間性においてとがった部分の多いエンジニアたちの中で、誰の目から見ても若年ながら、統率者としての能力は一段抜けている。

一方の藤吉郎は、その職責の重さから、二度三度と固辞し続けたが、ついに良之から直々に、

「頼むよ」

と頭を下げられて断り切れなくなったのである。


「よほど困ったことがあったら俺への伝令のためだけにディーゼル船を使って良いから、ね?」

「は、はあ。わしにどこまで出来るか分かりませんが、やむを得ません……お引き受けいたします」

顔に不安を一杯に浮かべつつも、藤吉郎は良之の名代、今風にいえばプロジェクトリーダーを引き受けた。


藤吉郎には相談役として二条領の物流部門の総責任者である塩屋秋貞を付けた。

塩屋も二条家においては信長に匹敵するほど多忙を極めた1人であるが、ここのところは全国の豪商から借り上げた人材が育ってきて、やっと大局を検討するだけの精神的なゆとりが出来てきている。

商人と武士、双方の視点で物事が見える優秀な人材であるため、藤吉郎と組ませて産業の監督をさせるのにうってつけの人物だった。


「まあ、出来るだけ早く帰ってくるようにするから、あとはお願いします」

良之は居並ぶ技術者たちに後事を託して、会議を締めくくった。


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