第95話 天文24年春 5
天文24年の活動方針を支配者、指導者、軍略家といった武士層や技術者、職人、研究者らに伝えると、良之はディーゼル船越中号に乗って九州を目指した。
目指すのはまずは博多の神屋。次いで平戸の王直――五峯の許である。
2月に入るといよいよ海上の冷え込みも厳しく、また荒天も多く航行は厳しかったが、ひとまずは無事に博多に到着した。
良之はそのまま神屋の番頭らと、肥前の小佐々家に向かい、池島周辺の小島を65万両で購入した。
次いで五峯の許を訪れ、台湾と琉球でのサトウキビ生産についての協力を取り付けた。
特に台湾については、中国本土の奴隷や流民などに移住を斡旋してもらうことになった。
この時代の明は対外的には鎖国状態であり、南蛮との取引は全て密貿易である。
さらに、国民に対する渡航や移住にも厳しい制約がある。
そうした明国の国家からある意味自由な存在として、逃亡した流民、家族や自分自身によって身売りをした奴隷たちが存在した。
良之は五峯にそうした人々の台湾への移民を行わせた。
現地の島民は一万未満。
良之は、あらゆる特産品を用いて明国から台湾への移民の対価を支払った。
そして、まずは言語学校や治療所、代官所、宿舎といった建設を指示した。
台湾の占有はうまくいった。
五峯の全面協力があった事に加え、明国の鎖国政策によって棄民されたも同然の状況だったからである。
台湾における最優先作物はサトウキビ。
食糧は全量をひとまず明や南蛮からの輸入と二条領からの搬送で賄うこととした。
台湾の代官には馬場信房と丹羽長秀を任命。
兵士は2000とした。
続いて、琉球へ向かう。
琉球には王家があるため、台湾よりスムーズに話が進んだ。
サトウキビの製造については王家が請け負い、二条家は全量を買い上げた後、借り上げた土地に工場を建設して砂糖の生産に入ることとした。
当初のサトウキビも二条家によって全量を提供する。
琉球にも交易所の他、診療所、代官所を設け、兵も駐留させる。
派遣したのは、安藤守就と内藤昌豊。
同じく、武装兵2000による駐屯となる。
ちなみに肥前池島にも、三木良頼と飯富昌景に兵2000を付け送り込んでいる。
どの拠点においても、まずは兵の駐屯施設の構築からはじまり、発電所や工場が完成するまでには、一年以上の月日がかかるだろう。
東北や九州では、養えない乳幼児を海に流したり山に捨てる、老人を同じように山に捨てるといった口減らしが横行している。
「二条領で1人残らず引き取るので、手配をお願いします」
良之は、こうした無辜の被害者たちを保護育成し、将来の人材として教育することを考えた。
また、同様に二条領各地に学校を整備し、識字率向上やモラル教育などを行うことを企画している。
教えるのは読み書き、計算からはじまり、10代半ばからは、進路に応じて商業・工業・科学・そして軍事の各科に分けることとした。
費用は食事含め全て二条家が拠出する。
他領から引き取った乳幼児なども孤児院を建設して育成し、適齢になれば学校へと進学させることにした。
老人たちにも、技能や知識に応じて様々な仕事を割り当てる。
いずれにせよ口減らしとして見放された老人たちは、新たな居場所と衣食住を保証することにしている。
二条領においては、肉体的負担の少ない手工業、孤児院での育児など、老人でも充分に対応が可能な職場が無数にある。
たとえ仮に老化によって身体的に厳しい老人であっても、良之は分け隔てなく引き取ることを命じている。
貧困による人命の抹殺など、良之は許す気がなかった。
二条分銅・二条升を扱う日本全土の商人たちにそうした乳幼児や老人、そして口減らしに売られる子供達の二条領への移住を指示して、それらの費用も全て二条家で負担した。
この政策も、本当に二条家にとって人口増や労働力、それに知性の向上を生み出すには10年以上のスパンでの長い目が必要だろう。
だが、本来良之が望んでいる日本の理想的な人口は最低でも6000万人以上。
現状は全国でも1200万に欠ける程度しかいないのだ。
人口を増やすためには食糧自給率の向上、健康状態の改善、治安の維持、そして、経済を活性化させて幸福度を満たすしかあるまいと良之は考えている。
天文24年三月。
九州、琉球、台湾の外遊を終えて良之は二条領に戻った。
「御所様、お疲れ様でした」
良之を出迎えたのは全領地の国司たちである。
代表して年長の斎藤道三があいさつしたあと、居並ぶ全員が頭を下げる。
「留守中ご苦労様でした。新しい食べ物はもう食べましたか?」
この冬の間に良之が提供した食品群は、どうやら彼らにも好評だったらしい。
皆口々に、自分はどれが気に入ったかを語って聞かせてくれた。
二条領では、国司は、たとえば飛騨なら飛騨守を充てている。
そして国司代には飛騨介、飛騨掾を任命する。
良之は、介には彼自身の副官を任命する事が多いため、彼ら国司が国を離れる場合、代官には掾を充てることが多くなっている。
能登守の斉藤道三をはじめ、加賀守織田信長、越中守隠岐良成、越後守長尾不識庵、信濃守木曽義康、甲斐守武田晴信、美濃守斉藤義龍、尾張守織田信秀。
そうそうたる顔ぶれである。
良之が全国司を一堂に集めたのは、今後の二条領の方針を話し合うためである。
「すると、御所様は京は目指さぬおつもりですか?」
武田晴信が聞いた。
良之が正月からやってきた様々な政策を語り終え、
「出来れば鉄道や公共工事が終わるまでは領土は拡大しないでいたい」
と結んだ後の質問だった。
「うん。ていうかさ、俺は元々公卿だから、別に京に攻め込む必要ないしね」
これが良之の強みである。
京の朝廷にとって、良之は藤原家五摂家の二条家の人材であり、また、時の帝の娘婿でもある。
京の二条に広大な屋敷を持つ上、今、二条平安離宮跡に、御所に匹敵する規模の大城郭を建造中である。
そのうえ、越前の朝倉、北近江の浅井と不戦の協定が出来、畿内・四国の雄三好家との関係も良好である。
三好には、二条城のことも含め関白一条や三好の婚戚である九条家、それに近衛家などから充分に政治的に働きかけてもらっている。
現状、二条家には京を含む山城国に対する領土的野心が一切ないことは充分伝わっているため、関係は平穏に推移している。
南近江の六角家の庇護下にある足利将軍家や、将軍家の影響が大きい駿河遠江三河の今川との関係には若干の政治的緊張はあるが、板東一円の制覇を目指す北条とも良好な関係が出来たため、今川も容易に二条領への手出しは出来まい。
「御所様。実は、山内上杉家の旧臣たちが、当家への臣従を願い出ております」
不識庵がいいにくそうに切り出した。
上野の長野家、沼田家、横瀬家、足利長尾家などである。
彼らは旧主上杉憲政の流亡後の生活を支え、越後長尾と相模の北条の圧迫を受けながら半ば独立した形で抵抗を続けている。
「……北条と揉めるかなあ?」
「その心配はないかと存じます。……関東管領上杉様が、この春越後に参り、それがしに上杉の家督を譲り隠棲したい、と申しておりますが、いかが致しましょう?」
不識庵は報告を続けた。
「うーん、その判断は不識庵殿にお任せしましょう。ただ、関東管領を継ぐと、足利家から要らない干渉を受けそうですね」
良之の言葉に一同、うなずいた。
「しかし反対に、不識庵殿が上杉の名跡を継ぐことで、関東からの足利の影響力がそげますまいか?」
武田晴信が言った。
「確かに。ですが、御所様は足利家をどのようになさるおつもりですか?」
不識庵は晴信の意図を察して同意はしたが、彼の心中には足利義輝に対する同情の念もある。
「うちにとっては迷惑な相手ではあるんだよね。それに、日本がこんなに荒れてるのは、彼、というか足利家の責任が大きいんだ」
「……」
良之の持論である。
常日頃から二条家の幹部たちに説いているため、彼らも良く承知している。
良之のスタンスは、足利幕府の権威を一切必要としていない。
たとえば斉藤家が美濃守護職、織田家が尾張守護職を背景に勢力を伸ばし、武田も信濃や甲斐の守護職を欲したのとは異なり、良之は一貫して朝廷の国司の権威を背景に勢力を拡大してきている。
現状、二条家においては尾張守護職の相続権を持つ斯波義銀を保護しているが、別に彼を担いで相続させようという気は全くない。
義銀も、二条家において手厚いもてなしを受けている上、これまでとは桁違いに裕福な暮らしをさせてもらっている事もあり、不満は全く持っていないようである。
「不識庵殿が上杉を継ぐのはいいと思います。ただ、関東管領職は要らないかな?」
「はっ」
良之の言葉に不識庵はうなずいた。
「もし次に、足利が何か仕掛けてきたら、彼から征夷大将軍を剥奪します」
「!」
居並ぶ一同は驚愕した。
「……そのようなことが、お出来になるのですか?」
織田信秀が良之に尋ねた。
「まあ、そのためってわけじゃないけど、京都に城が出来て二条家で帝をお護りできれば、別にもう滅んだに等しい足利なんて、残す必要ないしね」
百害あって一利なしだよ。
良之は冷たく言い放った。
上野国北部・西部の国人衆が二条家に従属することについての北条家との折衝は不識庵に一任された。
また、当地への防衛軍や警察の配置の手配は武田晴信に任された。
「誰を遣わしましょう?」
晴信の問いに、
「信廉殿と真田殿が良いでしょう」
と良之は指名した。
有能な兄晴信の影に隠れてあまり評価されていないきらいはあるが、武田信繁も武田信廉も非常に有能な男だった。
特に信廉は、自身の手柄を全て兄に付け替えて影に隠れるようなところがある。
それほど有能な割に、隙さえあれば隠棲して詩歌や絵画といった風流にふけりたがるこの男を、良之は遊ばせておくつもりはなかった。
真田幸隆もまた、信濃・上野あたりにおいて顔が効く。
この2人であれば、血なまぐさい事態に陥ることなく、上手に難しい状況である上野を切り盛りしてくれるであろう。
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